第1話【天魔を率いる王】

「いやー、三日間も休んだから体がなまってるかもしれねえよなァ」


 寂寥せきりょうとした荒野に、のほほんとした女の声が落ちる。

 声の主は銀髪碧眼の女だった。透き通るような銀色の髪を暖かくなりかけた風に揺らし、目の前に広がる荒野を宝石の如き青い瞳で見渡す。人形めいた美貌はどこか作り物のようにも感じられ、陶磁器のような白い肌は瑞々みずみずしく滑らかだ。誰もが振り返る絶世の美女は、その容姿に似つかわしくない粗雑な男口調で「あー、だりィ」などと言う。

 目を見張るほどの美しさを有しているにもかかわらず、彼女は自分を着飾ろうという気配はなかった。着古した白いシャツと厚手の軍用ズボン、頑丈な軍靴という簡素な格好の上から黒い外套を羽織っている。細い腰を強調するように巻きつけた帯刀ベルトには、黒鞘に納められた大太刀が吊り下げられていた。

 銀髪碧眼の美女――ユフィーリア・エイクトベルは、隣を歩く人物へと振り返って「どう思うよ?」などと問いかける。


「とはいえ、三日間でも様々な事件に巻き込まれた。体がなまっているということはないのではないか?」


 淡々とした口調で否定の言葉を返してきたのは、黒髪赤眼の少年である。

 艶のある黒い髪をポニーテールに結い、鈴がついた赤い髪紐が彼の髪を飾る。色鮮やかな赤い瞳は真っ直ぐにユフィーリアを見据え、少女めいた美貌の半分以上を黒い布によって覆い隠している。

 全身真っ黒という服装に、華奢な体躯を強調するようにベルトを雁字搦がんじがらめにした服装は、見る者の劣情を誘うような禁欲的な印象が漂う。堂々とした姿勢は一枚の絵画にでもなりそうなもので、つまるところ、戦場になり得るこの荒野では少しばかり浮いていた。

 黒髪赤眼の少年――ショウ・アズマは小さくため息を吐くと、


「暴力団に喧嘩を売ったり、違法麻薬の出処を突き止めたり、歩くだけで様々な事件に巻き込まれたぞ」

「いや、俺も異常なぐらいにトラブルに巻き込まれて驚いたわ。なに、俺ってば本格的に疫病神でも憑いてるの? 天魔憑てんまつきじゃなくて疫病神憑きなの?」

「見る限りではそのような影はないが、貴様のトラブルメーカー体質はもう逃げられない運命なのかもしれんな」


 そう言って、二人はほぼ同時に空を見上げた。

 頭上に広がる快晴の空はとても晴れやかな気分にさせてくれるだろうが、残念ながらユフィーリアとショウの二人は全くそう思わなかった。

 その理由が、雨の如く降り注ぐ怪物の群れである。それは八本も足が生えた凶悪な顔の兎だったり、それは二股に分かれた根っこを両足の代わりにして歩行する花だったり、それは岩の塊から直接四肢ししが生えた怪物だったりと、形状も千差万別だ。

 空から降り注ぐ怪物――天魔てんまは、人類を地上から追い出して、我が物顔で地上を闊歩かっぽする害獣である。ユフィーリアとショウは、そんな凶悪な怪物たちと互角に渡り歩いているのだ。


「さーて、ショウ坊。今日も楽しいお仕事だ」

「そうだな、ユフィーリア。三日間の休暇明けにはちょうどいい運動になるだろう」


 無数とも呼べる雑魚の天魔を前に、たった二人の天魔憑てんまつきは余裕の態度で嘲笑う。

 阿呆面を晒しながら彷徨い歩く犬の天魔に狙いをつけたユフィーリアは、腰からいた大太刀の鯉口こいぐちを切った。その青い瞳は獲物を狙う猛禽類もうきんるいのように爛々と輝き、異様な威圧感が放たれる。

 そんな彼女の隣で赤い回転式拳銃リボルバーを手の中に作り出したショウは、野に咲く一輪の花に擬態する毒草の天魔にその銃口を向けた。

 彼らは第零遊撃隊――最強とも謳われる精鋭部隊である。


 ☆


 飛び立って逃げようとした鳥の天魔の翼をむしり、

 粘性の高い糸を吐き出す巨大な蜘蛛くもを消し炭にして、

 阿呆面を晒してふらふらと散歩する犬の怪物を上半身と下半身に分断して、

 野花に化ける毒草を容赦なく踏み潰す。

 無数とも呼べる天魔を前に、ユフィーリアとショウがひるむ様子はなかった。空から絶えず降り注ぐ怪物の雨に一歩も退かず、大津波のように数で押し潰そうと殺到しても、彼らは迫りくる怪物の群れを斬り捨てて火葬した。そうして屍の山を築き上げていき、多くの血が荒野に染み込んでいった。


「銀髪碧眼に黒髪赤眼――間違いねえ!! 【銀月鬼ギンゲツキ】と【火神ヒジン】の奴らだ!!」

「敵わねえ……【銀月鬼ギンゲツキ】は最強の天魔だぞ!? 雑魚が逆立ちしたって愉快な死に様を晒すしかねえだろうが!!」

「あつ、あつ、熱い、あついいい、あついいい、いいいい、いいい!! だれ、だれがぁ!! 誰、が、だずげでええええ!!」

「諦めて死んでくれ!!」


 いくら抵抗したところで、彼らに敵うはずがない。

 命乞いをしたところで彼らが聞き入れてくれる訳がなく、雑魚の天魔はただ処刑の順番待ちをする他はなかった。

 順調に天魔をほうむっていくユフィーリアは、一抱えほどもある岩の形をした天魔を叩き切ったところで相棒の少年へと振り返った。


「意外となまってねえな」

「休暇ではない休暇ばかりを送っていたからな。当然だ」


 卵に太めの四肢がくっついた天魔に紅蓮の炎をお見舞いしたショウは「……目玉焼きにでもすればよかったか」などと呟く。さすがに動き回る卵の天魔を目玉焼きにして食らうのは如何いかがなものだろうか。面白そうではあるが。

 資格から牙と爪を振りかざして襲いかかってきた狼の天魔に、ユフィーリアは振り向きざまに拳を無防備な鳩尾に叩き込んだ。ふかふかとした毛皮の向こうにある筋肉、そしてその向こうの内臓にまで衝撃は届き、狼の天魔は体を折り曲げて苦悶くもんに満ちた呻きを漏らす。

 左右に引き裂けた口から涎をだらだらと垂らし、血走った目でユフィーリアを睨みつけた狼の天魔は、恨みがこれでもかと込められた低くおどろおどろしい声で言う。


「ぐ、ぞ……お、まェ……!!」

「あー、ごめんなァ。俺、犬語は分かんねえんだ」


 雑魚の恨みなど知ったことかとばかりに、ユフィーリアは血が滴り落ちる大太刀を狼の右眼窩がんかに突き込んだ。

 ぐちゅり、とやや弾力のあるなにかが潰れる感触。断末魔を上げた狼は激痛にのたうち回り、ユフィーリアは「おー、元気だなァ」などと呑気に呟きながら眼窩がんかに突き刺さった大太刀を抜く。粘性のある鮮血が糸を引き、毒々しい赤色がべったりと先端にこびりついていた。

 さてトドメを、と大太刀を握り直したその時、キラキラとした銀色の粒子が空から降ってきたことに気づく。


「なに、雪?」

「ユフィーリア、上を見てくれ」


 ショウに促されて、ユフィーリアは空を見上げる。

 青い空の一部が光り輝いていて、なにか白い羽を生やした少女がゆっくりと降りてくる。頭上には光の輪が輝いていて、悲痛な表情を浮かべた彼女は、胸の前で手を組んでユフィーリアとショウに訴えかけてくる。


「もう、お止めなさい」

「誰」

「知らん」


 なんか上から目線で物申してくる翼が生えた頭のおかしい少女を冷めた目で見やり、ひそひそと声を潜めてユフィーリアとショウはやり取りする。


「物理的にも態度的にも上から目線の女の子がなんか言ってるんだけど、あれお前の知り合いじゃねえよな?」

「見た目から察するに天使かなにかの類だろう。俺とは正反対ではないか」

「似たようなものだろ」

「どちらかと言えば死神扱いをしてほしいものだ。そっちの方がカッコいいだろう」

「お前それでいいの?」

「あんなに神々しい存在は俺に似合うと思うのか?」

「似合わねえ」

「そうだろう」

「――ひそひそと内緒話をするのはやめていただけませんか?」


 天使っぽい少女は、なにやら柳眉りゅうびを寄せて抗議してきた。

 とはいえ、いきなり天使が見えてしまうのもおかしなものである。そろそろ本気でお迎えがきたのかとちょっと焦りを感じたが、天使っぽい少女はさらにユフィーリアとショウへ涙目で訴えてきた。


「争いはなにも生みません。全ての天魔が悪いという訳ではないのです。なのでここは、双方共に和解を――」

「ショウ坊、撃ち落とせ」

「了解した」


 赤い回転式拳銃リボルバーを握りしめたショウは、寸分の狂いもない正確な射撃でもって天使っぽい少女の翼を消し炭にし、彼女を撃墜する。甲高い悲鳴を上げた少女は顔面から地面に叩きつけられたが、どんな体の組織をしているのか弾かれたようにムクリと起き上がると、鼻血が垂れることも構わずに叫んだ。


「なにするんですか!!」

「天使だから頭の中もお花畑か? いいか、天魔ってのは地上を支配する悪い怪物なんだよ。俺ら人類側に立つ奪還軍からすりゃ、こいつらは紛れもなく悪って訳だ」

「貴方たちにはこれから殺されるなんの罪もない天魔の気持ちが分からないのですか!? 生まれて間もない彼らは、これから必死に生きようとして」

「綺麗ごとばかり吐かす口はこの口かなァ?」


 ユフィーリアは天使の少女の頬を思い切りつねってやった。「痛い痛い痛い!!」と激痛を訴えてくる天使の少女が暴れようが、天魔最強と謳われる【銀月鬼ギンゲツキ】と契約したユフィーリアは、その剛腕を大いに活用して少女の頬を抓った。


「じゃあ聞くけどよ。お前は人間の気持ちを考えたことがあるか? なにもできず、ただ殺されていくだけの俺らの気持ちを考えたことはあるか?」

「ぁ、あう、あう」

「ねえよな。お前らはただ蹂躙じゅうりんするだけだった。――だからこれは、俺ら人類側の精一杯の仕返しだよ」


 少女の頬を解放してやると、彼女はさめざめと泣いた。泣けばいいと思っているのか。

 いっそ苦しまないように首でも落としてやるか、とユフィーリアが大太刀を黒鞘に納めると、


がきた」

がきたぞ」

「そこの愚か者をへ献上しよう」


 まだ生き残っていた雑魚の天魔がぶつぶつと訳の分からない言葉を呟くと、座り込んだ状態の天使の少女の脇を持ち上げて、捕獲した宇宙人よろしくどこかへ連行していく。少女はなにがなんだか分からずに「え、なに、なんですか!?」と混乱しているようだった。

 ユフィーリアもショウも、状況が読めなかった。二人揃って首を傾げ、そして運ばれていく少女を追いかける。


「……なんだ、あれは?」


 ポツリと呟いたショウの言葉に反応するように、ユフィーリアは顔を上げる。

 荒野の先に、天魔の大群が押し寄せてきていた。三桁、いや四桁に届く物凄い大量の天魔が、見事な隊列を作ってぞろぞろと王都方面を目指して歩いている。

 それらの大群を率いているのは、王様のような格好をした青年だった。

 燃えるような赤い髪の上には斜めになった煌びやかな王冠が乗せられ、風になびくマントは質のよさそうなものだ。身につけている服装も華美なもので、まさしく王族らしい格好と言えようか。

 凛々しい顔立ちに炯々けいけいと輝く赤と黒のオッドアイ、口元には自信を表すように笑みを浮かべている。薔薇のモチーフが施された長大な杖を一振りすると、彼は歩みを止めた。それと同時に、彼が率いていた天魔の大群も足を止めた。

 天使を運んでいた雑魚の天魔は、少女を王様然とした青年の前に放り出す。パチクリと瞳を瞬かせる彼女は、


「だ、誰ですか?」

「奇遇だな、我輩も御前のことは知らない」


 青年は薔薇の杖を一振りする。

 すると、少女の瞳から光が消えて、パタリとその場に倒れ込んでしまった。気絶したか、あるいは死んでしまったか。

 倒れた少女を捨て置くと、天魔の大群を率いる王様はユフィーリアの姿を認めると、綺麗な笑みを浮かべてこう言った。


「お久しぶりでございます、

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