第12話【人形が愛した素晴らしきこの世界】
「はあ……はあ……」
熱を帯びた砲身を下ろして、リヒトは肩で息をする。
ありったけの銃弾を撃ち込んでやったつもりだが、目の前の
穏やかな微笑を
リヒトは極少の舌打ちをした。自分の渾身の攻撃でさえ、母には敵わないのだ。どうすれば彼女に勝てるのか、自分の演算能力では追いつかない。
『リヒト、ああ、私の愛しい我が子よ。早く外にいる人間を連れてきて
「断る……!! 自分は、その命令を受け入れない!!」
即座に右腕の砲身を剣に変換し、リヒトは鋼の聖女に飛びかかる。
微笑を
どうすれば勝てる?
どうすれば母を殺せる?
(やはり……自分では……!!)
勝てない。
どう足掻いても、彼女には勝てない。
着地したリヒトは、微笑を浮かべる母の顔を睨みつけた。鋼鉄の聖女はいまだ健在であり、彼女が死ぬような素振りは全くない。むしろ彼女が死ぬ要素などあるのだろうか。
(なにか……なにか、別の方法を……!!)
リヒトはぐるりと周囲を見渡す。
壁に沿って並べられたガラス筒は、母の髪を模した配線が繋がれている。その中でぷかぷかと浮かんでいるのはしわくちゃな肉の塊――
あれは誰のものだ。誰の脳味噌だ? というより、あんなものがどうしてあそこにあるのだろうか?
いや、いいや。
あんな肉の塊を大切そうに封じ込めているのならば、逆に壊してしまえばいい。あれは母の髪を模した配線と繋がっている。もしかすれば、決定打となるやもしれない。
突き崩せる要素がなければ、リヒトが考えている母を殺す為の手段など到底選択できる訳がなかった。
『リヒト? リヒト、なにをしようとしているのです?』
鋼鉄の聖女は、唐突にそんなことを問うてきた。
狼狽するような素振りを見せる彼女に、リヒトは確信を得る。ガラス筒に封じ込められた脳味噌を破壊されれば、母に一撃を与えることぐらいはできるだろう。
鈍色の刃に変形させた右腕を掲げ、リヒトはガラス筒めがけて疾駆する。『リヒト、どこへ行くのです?』と母の質問が背中から飛んでくるが、リヒトの足は止まらない。
一つでも破壊しろ、そうすれば母を殺せる!
『リヒト、貴方を母の言葉を聞けぬような息子に育てた覚えはありませんよ』
「――ッ!?」
走るリヒトの足に、床を這う配線が絡みつく。
さながら蛇のように鎌首をもたげた配線は、リヒトの四肢を縛り付けた。無理やり引き千切ろうと両腕に力を込めるが、配線は脳味噌が収まるガラス筒に近づけさせまいと白い人形を宙吊りにした。
こんなところで諦めきれない。
かの暴虐の女王を許してはおけない。
一か八か、この広大な地下空間を突き崩せることを願って、リヒトは最後の手段に出ようとして――。
――報告。熱源反応を感知。数、二。
脳内に、平坦な女の声が流れる。
リヒトは
リヒトを母の元へ送り込むことができれば、彼らの任務は終わり。
それなのに、敵陣の最奥まで切り込んでくる理由は?
(――ああ、本当に貴殿らは度し難い)
壊れかけた自分を修理して、暇潰しと宣ってその命を懸けて。
本当に、人間という存在は度し難い。
我が子を宙ぶらりんにしても鋼鉄の聖女の表情は眉一つ変わらず、彼女は不思議そうに『リヒト?』と自分の名前を呼ぶ。
『何故、笑っているのですか?』
自然と吊り上がった口元をそのままに、リヒトは母の質問にこう答えた。
「自分の
その直後。
バタバタバタバタ!! とやたら慌ただしい足音を響かせて、広大な地下空間に駆け込んできた二人の男女。銀髪碧眼の女と黒髪赤眼の少年。彼らは宙ぶらりんになったリヒトとその奥に鎮座する鋼の聖女を見比べて、それから叫んだ。
「「うわ、でっか!!」」
☆
「リヒト、大丈夫か!?」
「自分は問題ありません!!」
宙ぶらりんにされたリヒトを下から見上げ、ユフィーリアは切断術を発動させる。視界にある如何なるものでも切断できる絶技は問題なく発動し、距離を無視するその攻撃は個数さえも無視する。
一太刀でリヒトの四肢を戒める配線を断ち切ったユフィーリアは、着地を果たしたリヒトを押し退けて鋼鉄の聖女の前に進み出る。
いっそ神々しいと言ってもいいぐらい、鋼の聖女は美しく
「さすがにこのでっかいねーちゃんをデートに誘うのは無理そうだな」
「そもそも体がないのだから動けないのでは?」
ユフィーリアの軽口に対して、ショウが真面目に答える。「ちょっとした冗談だろ」と唇を尖らせて言うと、彼は「知っているが」と当然のように応じた。
「ユフィーリア殿、ショウ殿……」
「お前を助けたのは、奪還軍の大切な戦力だからだ」
抜き放ったままの大太刀を鞘に納めつつ、ユフィーリアは純白の人形に言い放つ。
「同胞を助けねえほど、俺らは薄情じゃねえんでな」
「そうだとも。貴様の成すことを邪魔しようだなんて思ったりはしない、ただ一人で解決しようとすることはあまり感心できない」
ユフィーリアもショウも、一人で背負い込んで痛い目を見たのだ。誰かを頼る大切さを知り、そして一人で背追い込む息苦しさも理解できている。
リヒトも、ユフィーリアとショウと同じなのだ。『母を討つ』という目的にひたすら邁進する彼は、誰かに頼ろうだなんて考えつかなかっただろう。彼の母は天魔であり、つまりユフィーリアやショウたち奪還軍の敵でもある。倒す、という目的は一致している。
誰があれにトドメを刺すか、ということが重要視されるだろう。
『ああ、ああああああ……』
鋼鉄の聖女がうっとりとした様子で息を漏らす。――いや、そもそもあれは呼吸をしているのだろうか?
『人間、人間の気配です。ああ、ようやく味わえる。ああ、ああ、久方ぶりです……』
「残念だが、俺らは食われにきた訳じゃねえぞ聖女サマ」
軽口を叩くユフィーリアは大胆不敵に笑うと、
「お前のことを討伐しにきたこわーい鬼さんだぞ、コラ」
そう言うと。
ユフィーリアは振り向きざまに、大太刀を抜き放った。
虚空に刻まれる青い軌道。綺麗なそれは脳味噌が収まったガラス筒の上を撫でると、パリンとガラスを切断すると同時に中身も真っ二つにする。
鋼鉄の聖女が『きゃああああああああああああ!?』と絹を裂いたような甲高い悲鳴を上げる。先程までの興奮した様子など、まるっきりなくなっている。
「おおっと、やっぱりこいつがお前にとっての心臓か? いやいや随分と量が多いモンで」
ユフィーリアの口調は軽いものだ。余裕すら漂っている。
二つに分割された肉の塊を一瞥し、ユフィーリアは鋼鉄の聖女を見上げた。穏やかな微笑から表情は変わらないものの、紡ぐその声には僅かな憎しみが込められている。
『い、いた、痛いい、痛いいいい』
「美人を痛めつける趣味はねえんだが、お前のような人形を『美人だ』とは言わねえな。――ッと、危ねえ」
ぐわり、と床を這う配線が波の如く盛り上がってユフィーリアに襲いかかる。
飛び退って回避したユフィーリアに代わって、今度はショウが前に進み出てきた。その手には赤い
『熱い熱い熱い!! なんて酷いことをするの!!』
「貴様が天魔であり、俺たちの敵だからだ」
燃やせないものではあっても、さすがに熱さを感じるようだった。騒ぐ鋼鉄の聖女に、ショウが冷めた言葉を浴びせる。
「ショウ坊、なるべく派手に暴れて視線を逸らせ!! いや目ん玉開いてないけど!!」
「了解した!!」
「リヒトはこい、残りの脳味噌もぶった切るぞ!!」
「委細承知した」
相棒に鋼鉄の聖女のダンスパートナーを任せて、ユフィーリアはリヒトを連れ立って壁際に並んだ脳味噌の破壊に急ぐ。
しかし、そうはさせまいとまだ生きている床の配線が、蛇の如く身を捩らせて追い
ガラス筒は簡単に砕け、中から脳味噌が飛び出してくる。ユフィーリアはしわくちゃな肉の塊を問答無用で踏みつけて、次のガラス筒へ。リヒトもガラス筒に刃へ変形させた右腕を突き入れて、脳味噌を破壊していた。
「くッ、なにを――!!」
「ショウ坊!?」
五個目の脳味噌を踏み潰したユフィーリアは、弾かれたように背後を振り返る。
鋼鉄の聖女を相手にしていたはずのショウが、太い配線に左足を掴まれていた。引っ張られないようにショウは力を込めているようだが、取り込まれるまで果たして何秒か。
「テメェ、ショウ坊を離せ!!」
ユフィーリアは激昂すると、自分の切り札を発動させる。
お
時間の流れが遅くなる。時を置き去りにしたユフィーリアは大太刀を鞘に納めながら走り出し、ショウの足を縛る配線に切断術を叩き込んだ。
「――は、はぁッ」
時間の流れが追いつくと、ユフィーリアの全身にどうしようもない
使えば気絶必須の切り札だが、使用時間が短ければ日に二度ぐらいは使用できる。リューズを相手した時に一度使ってしまい、ショウの救出で二度目だ。ショウもさすがに火葬術が通じない相手に『
『痛い……熱い……よくも、やってくれました……!!』
「くそ、逃げ――!!」
逃げようとするが、もう遅い。
ぐわりと持ち上がった配線の数々が、ユフィーリアとショウを捕縛しようと襲いかかってきて、
「発動『擬似・空間歪曲』」
ユフィーリアとショウを守るように立ち塞がったリヒトは、二人の肩を掴んで床に押し込んだ。
ずぶり、と二人の体が地面に沈む。瞳を見開いて驚きを露わにするユフィーリアに、リヒトは言った。
「自分は、受けた攻撃を再現する機構が備えられています。――どうか逃げてほしい」
「ま、リヒト――!!」
ユフィーリアの引き留めは虚しく終わり、彼は空間の歪みの向こうに消えた。
☆
ユフィーリアのおかげで、母は冷静さを欠いているようだった。余裕すらもないのはいいことだ。
リヒトは自分の胸の辺りをまさぐり、その蓋を開く。自分の心臓の代わりにしていた
「母よ、罪を償おう。自分も、共に地獄へ参る」
これはたくさんの人間を、暴虐の女王へ捧げてしまったことに対する罪。この罪は、自分たち兄弟全員にも当てはまる。
リューズを含め、他の兄弟は奪還軍の手によって破壊されたことだろう。残るは自分だけだ。
「母よ。最期に
動力炉が輝きを増す。
「自分は友ができた」
広大な地下空間に、光が溢れ始める。
「とても大切な友だ。そして、この廃都市の外の世界を見た。とても美しく広大で、優しい世界だ」
怖くない。
「自分は友を、友が生きるこの世界を、愛している」
リヒトは瞳を閉じた。
遺言を聞く友はおらず、音もどこか遠くに消えていく。熱源がどうだとか言ってくる女性の警告音もない。不思議な感覚だ。
すると、
「よかったわね、リヒト」
優しく呼びかけてくれる、懐かしい母の声。
見上げれば、母の微笑は息子の成長を喜ぶものへと変わっていて。
――それが、リヒトと呼ばれた機体の最期の光景だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます