Wars:10 休息の日々
【みんなでシェアハウス】
「ユフィーリア・エイクトベル!!」
薄い扉をドンドンドン!! と勢いよく叩かれて、銀髪碧眼の美女――ユフィーリア・エイクトベルはソファの上で身を起こした。
寝起きのせいで頭がぼんやりしている。癖のある髪を掻きながら欠伸をし、ユフィーリアは「ふぁい……」となんとか応じた。布団の代わりにしていた黒い外套を、寝間着にしている黒い肌着と男性用下着の上から羽織る。
扉を開ければ、やたらと怒ったゴリラ――もとい大家がいた。目を吊り上げて、怒りがやべえ状態であることなど火を見るより明らかである。でっかい鼻の穴からふんす!! と鼻息を荒々しく吐き出す大家を見上げて、ユフィーリアははてと首を傾げる。
おかしいな。なにかをやった覚えはないんだけど。
「今月の家賃!! 今月と先月と先々月、合わせて三ヶ月分滞納してるんだよ!!」
「あー……」
ボサボサの銀髪を掻いたユフィーリアは、家賃を払っていないことを思い出した。持ち合わせの金がなくて、のらりくらりと逃げ回っていたのが災いしたか。
とはいえ、金が今すぐ用意できる訳ではない。またいつものように酒と賭博で家賃を払えるほどの金がなく、ユフィーリアは扉を閉めてやり過ごそうとした。が、
「させるかァ!!」
「うおお!? おまッ、俺が
扉を閉めるだけなら天魔最強である【
しかし、相手は問答無用で扉と柱の隙間に自分の足をねじ込んできたのだ。ここで剛腕を発揮して無理やり扉を閉めることもできたが、そんなことをすればユフィーリアは本格的に屑まっしぐらだ。
怒りによって我を忘れている大家は、相手が女だとか天魔憑きだとか最強だとか関係なく、ユフィーリアの胸ぐらを掴むと、
「そぉい!!」
「ぎゃあ!?」
外に放り出される。
石畳に向かって放り捨てられたが、空中で体勢を変えて裸足で綺麗に着地をする。見事な着地を決めた肌着と男性用下着の上から黒い外套を羽織っただけの痴女に、無慈悲な大家はこう告げた。
「お前、家賃を払わねえなら出て行け」
「ええええ!? そんなご無体な!?」
そんな訳で。
ユフィーリア・エイクトベル、奪還軍所属の最強天魔憑き。
今日から家なき子になりました。
☆
奪還軍の本部を有する大衆食堂は、今日もお祭り騒ぎかと思うぐらいに賑やかである。
しかし、その賑やかさの中にほんの少しの哀愁も漂っていた。
「はあああぁ……」
「話を聞く限りでは、ユーリが悪いと思うけどねぇ」
深々とため息を吐くユフィーリアは、
泣く子も黙る強面のエドワード・ヴォルスラムは苦笑すると、
「家賃を滞納していたんでしょぉ、しかも三ヶ月も!! そりゃあ追い出されるよねぇ」
「だとしても、前もって言ってくれりゃよかったんだ。そうすりゃエドんとこに荷物全部移したし」
「なんで俺ちゃんのところに逃げてくる前提で話すのかなぁ、この馬鹿タレは!?」
いつのまにか自分の家が倉庫の代わりにされそうになったエドワードは、ちょっとだけユフィーリアを追い出してくれた大家に感謝した。おかげで自宅の家具が急増しなくてよかった。
「でもさぁ、ユーリ。これからどうするのぉ? お前さん、住むところあるのぉ?」
「ねえな。本部にくる途中で不動産屋に寄ったんだが……」
麦酒の入った酒杯に口をつけたユフィーリアは、その苦味のある液体を啜ってから、
「出禁になってた」
「出禁!? お前さん、不動産屋になにしたのぉ!?」
「もう八回目なんだとよ。家賃滞納で部屋を追い出されるのは。必ず家賃を滞納するんだから、もうお前に紹介する部屋はねえってな」
ユフィーリアは遠い目をする。
不動産屋から締め出しを食らった時は、本当に絶望した。もうお前は【
コトン、とユフィーリアは酒杯をテーブルの上に置く。お祭りのような賑やかな騒ぎが大衆食堂内を満たしていて、誰も彼もが赤ら顔で酒杯を掲げている。その中に、ユフィーリアの縋り付く声が轟いたことによって、賑やかなお祭り騒ぎがピタリと止んだ。
「エド、エド頼む!! なんでもするから住まわせて!! 家事全般でも嫁の代わりでもなんでもしてやるから俺に住む家を提供してくれ頼む!!」
「お前さんは本当に矜恃もクソもないねぇ!? 自分の貞操ぐらいは考えた方がいいんじゃないのぉ!?」
「
次の瞬間。
ドパァァァン!! と、何故か大衆食堂の中央の辺りの座席が吹き飛んだ。
どうやら別方向から投げられたらしい丸テーブルが中央部分の座席を全て薙ぎ払い、赤ら顔をした天魔憑きがそこかしこに転がっていた。自分の発言がなにかを起動させてしまったのか、とユフィーリアは密かに「ひぇッ」と上擦った声を漏らしていたが。
丸テーブルを投げ込んだのは、誰もが知る人物だった。
「遅れた。すまない」
「おう、ショウ坊。地上の索敵任務はどうだった?」
「いつものように天魔が落ちてくる程度の状態だ。大気状態も問題はない」
艶のある黒い髪を鈴がついた赤い髪紐で飾り、歩くたびにチリチリと小さな音を奏でる。端麗な顔立ちの半分以上を黒い口布で覆い隠し、
ショウ・アズマ――それが彼の名前である。その後ろからなんか引き気味のカボチャ頭のディーラーことアイゼルネと、琥珀色の瞳をキラキラと輝かせたハーゲン・バルターがやってくる。
スタスタと迷いのない足取りでユフィーリアとエドワードの席までやってきたショウは、平然とユフィーリアの隣を陣取る。だんだんと図々しくなってきたが、別に年下の少年がどうこう思おうがユフィーリアには関係ない。
「ところで、先程ユフィーリアの嫁の代わりでも云々と聞こえたが」
「あー、言ったな。住むところなくなったから、エドんとこに住まわせてもらおうと頼み込んでたところだ」
「え、テメェまた家賃滞納して追い出されたのかよ。いい加減に払えってエドにも言われてたのに」
「学ばねーナ♪」
経緯をあとからやってきたショウとアイゼルネ、ハーゲンの三人にも話すと、アイゼルネとハーゲンからも正論のツッコミをいただいた。ショウに至っては「……よかった。今度は全員火葬するところだった」と呟いていたが、聞こえないフリをした。
「でも、そろそろユーリは管理をしないとダメだよな。下手すりゃ給金を全部酒と賭博に使うからな」
「だよねぇ。ユーリの財布は管理しないとねぇ」
「とゆーか、なんの為の相棒君なのヨ♪ ショウちゃんがユーリの財布を管理しちゃえば全部解決するでしょーガ♪」
ユフィーリアから責められる対象がショウに変わり、メニューを眺めていたショウは不思議そうに首を傾げた。
「何故ユフィーリアの財布を俺が管理する必要がある。ユフィーリアが使いたい時に使いたいものへ使えばいいだろう」
「それじゃあダメなんだよぉ、ショウちゃん!!」
「賭博に勝つと奢ってもらえるので文句はない。家賃ぐらいがなんだ、誰が貴様ら人類の安寧を守ってやっていると思っている。少しは天魔憑きの存在に感謝し、家賃の免除ぐらいは行うべきだと思うのだが」
「ダメだ、ショウちゃん自身がユーリのモンペだ」
やれやれと肩を竦めたエドワードは、
「いいよぉ。俺ちゃんもたまに料理とか面倒になる時あるもんねぇ、交代でやったらだいぶ楽になるしぃ」
「マジで!? エド、お前いい奴だな!! 顔は怖いけど!!」
「顔は怖いは余計でしょぉ!?」
「え、いいな。エドとユーリが同棲するならオレも一緒に住みたい」
ちょうど給仕が持ってきた水をちびちびと舐めていたハーゲンが、パッと顔を上げて言う。
「オレ料理なんか簡単な奴しかできねえし、部屋も汚えから」
「掃除とか洗濯とかを俺ちゃんたちに押し付けるんじゃないよぉ、ぐうたらめ。ハーゲンは自立ってものを覚えなさいよぉ」
家事を手伝わない姿勢でいようとするハーゲンを、エドワードは常識的観点から叱責する。
しかし、基本的に身内には甘いユフィーリアである。しかもハーゲンは、ユフィーリアとエドワードからすれば赤ん坊から育てた息子同然の存在だ。「まあ、いいじゃねえか」と笑いながら、ユフィーリアは言う。
「人数は多い方が楽しいだろ」
「いや、そうだけどぉ。俺ちゃんの部屋は三人も住めませんよぉ?」
「引っ越せばいいじゃねえか。お前の名義で」
「俺ちゃんの名義でぇ!?」
理不尽なことを言い出すユフィーリアに、目を剥いて驚くエドワード。家事から解放されるかもしれないということにハーゲンは「よっしゃ、面倒な家事から解放される!!」と喜んでいて、住む部屋に関しては気にしていないようだ。
楽しい雰囲気を察知したアイゼルネが、すぐさま「オレ様も住ム♪」と挙手して主張してきた。
「オレ様なら家事のお手伝いしますヨ♪ なんだったらお買い物でお安くするよーに交渉しちゃウ♪」
「お、いいねェ。お前の幻術に頼る時がくるとはな!!」
「ユーリ、アイゼも許可出しちゃうのぉ!? 四人なんてどこ住めばいいのよぉ」
「誰が四人って言ったよ、五人だよ五人」
「五人!? 五人目は誰ぇ!?」
ユフィーリアが指で示したのは、相棒のショウだった。
ちょうど注文を終えたらしいショウはキョトンとした表情を見せ、それから「いいのか?」と言う。
「相棒だけ除け者にするほど薄情じゃねえよ」
「よかった」
安堵したような表情を浮かべたショウは、
「最近、やたらと下着が盗まれるので、ユフィーリアに相談しようと思っていたのだが」
「よし人類滅ぼすか」
「誰かこの大量殺戮犯をどうにかしてぇ!!」
大太刀を手にして大衆食堂の外へ飛び出そうとするユフィーリアの腰に抱きついたエドワードの決死の引き止めにより、全人類の平穏は守られた。
☆
「アテがない訳じゃねえんだけどな」
「住める部屋があるなら最初からそっちに住めばいいじゃないのぉ」
「広すぎるんだよ」
やってきたのは、あまり人通りのない【閉ざされた理想郷】第一層の裏通りだった。
ユフィーリアが古びた家の扉を叩くと、背中の曲がった老婆が顔を覗かせた。それから彼女はユフィーリアの顔を見上げ、それから嗄れ声でボソボソと言う。
「お前さんの相棒は、ちゃんと連れてきたんだろうね」
「見えてねえなら、お前の目は節穴だな」
老婆はフンと鼻を鳴らすと、錆び付いた鍵をユフィーリアの手のひらに落とす。
「俺が必要なのか?」
「ショウ坊は火葬術――つまり、葬儀に関連した術式が使えるってことは、あの世の連中と密接な関係にあると定義づけられる」
錆び付いた鍵をくるりと回したユフィーリアは、顎をしゃくって老婆が出てきた向かいの建物を示す。
その建物は二階建てだった。どうやら一階は料理店のようだったらしいが、今では潰れて
その脇にある階段を上がると、二階に繋がる。二階は一部屋しか存在しなかったが、扉に錆び付いた鍵を使うと容易く開く。
「最初は本当に一人でも住んでやろうかなって思ったんだけど」
扉の向こうに広がっていた部屋はとても広く、水場もきちんと綺麗にされていた。五人で住んでもお釣りがくる程度には、部屋はとても広い。
ただ、その部屋の中心。
天井から、半透明の男が首吊りの状態でぶら下がっていた。
「あれと同棲するのは嫌だなって」
エドワードは悲鳴を上げそうになるのを、涙目で懸命に堪えていた。
ハーゲンは爆薬を投げ込もうとして、アイゼルネに止められていた。
相棒の言わんとすることをきちんと理解した少年は、燃えるような赤い
「なるほど、了解した」
部屋に紅蓮の炎が吹き荒れる。
強制的に火葬された半透明の男はこの世の怨嗟を叫びながら消えていき、五人は無事に新たな生活を始めたのだった。
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