第8話【崩壊する城から救ったのは】

「お騒がせしました」

「涙と鼻水をきちんと拭け」


 今まで泣いていたという事実を隠すことなく、ユフィーリアは鼻声で言う。まだずるずると鼻をすすっているので、ショウが手巾ハンカチを貸していた。

 二度も『おり空・絶刀空閃ぜっとうくうせん』を発動した影響か、体がとてつもなく重い。全身に鉛を背負っているようで、思うように動かせない。腕を上げることすらままならず、ユフィーリアは「だって拭けねえし」と唇を尖らせた。

 切り札である『お了り空・絶刀空閃』は、ユフィーリアに多大な負荷をかける。一度使えば三日三晩を寝台と共に過ごすことになり、さらに激しい筋肉痛にも襲われる。短時間とはいえ二度も使用したのだから、激しい筋肉痛に見舞われることは間違いないだろう。

 これからやってくるだろう筋肉痛の被害に、ユフィーリアは遠い目をするしかなかった。むしろ筋肉痛だけでよく済んだと思う。


「お前らの方はどうなんだよ。あの翼竜は?」

「問題ない。俺が全て火葬してきた」

「あー、だからグローリアに支えられてるのか」


 グローリアに支えられてなんとか両足で立っているショウは、何故かやたらと自信ありげに言う。彼らが助けにきてくれなければ、ユフィーリアはもしかしたらアルベルドに首を刎ねられていたかもしれない。

 今回ばかりは命を救われた――そう感じた。ずっと最前線で戦い続けて、自分の力で劣勢を覆してきたが、自分の力だけではどうにもならないことがあると実感した。


(――まあでも、言わねえけど)


 ユフィーリアは胸中で舌を出す。こんな小っ恥ずかしいことなんて、誰が言えるか。


「でも、ここからどうやって脱出する? スカイに迎えにきてもらおうか」


 グローリアが朗らかな笑顔で提案した。

 ちょうど天井もいい感じに崩壊しているし、スカイの使い魔には空を自由に飛び回る八本足の馬がいたはずだ。その使い魔であれば、翼竜のいなくなった天空の城まで三人を迎えにくるなど容易いことだろう。

 全てが終わったことで、ユフィーリアもショウもグローリアも気が抜けていた。呑気に帰る方法まで話し合っていた。

 だから、この事態に直面してどうしていいか分からなくなった。


「……なんか揺れてねえ?」


 最初に気づいたのはユフィーリアだった。動けなくなったとはいえ、彼女は天魔最強を謳う【銀月鬼ギンゲツキ】の天魔憑てんまつきである。戦場の異変には、この三人の中で最も敏感だ。

 応じたショウは荒れ果てた空中庭園を見渡して、不思議そうに首を傾げる。ちょうど冷たい風が吹いて、足元の小さな青い花の群れを優しく撫でていった。


「強風に煽られてるのでは?」

「…………ううん、これは違うよ」


 揺れは徐々に大きくなっていく。空中にいるはずなのに、地震に見舞われたかのような。

 ショウを支えるグローリアの表情が引き攣る。頭のいい彼も、天空の城を襲う異常事態に気づいたのだろう。

 ピシリ、とひび割れた石畳に亀裂が生じる。三人して顔を見合わせ、代表してグローリアが叫んだ。


「この城が崩壊するんだよ!!」

「「――――嘘だろ!?」」


 ユフィーリアとショウは揃って絶叫していた。

 ビシビシと石畳に生じる亀裂は徐々に広がっていき、足場が崩れる恐怖に駆られた三人は柄にもなくぎゃあぎゃあと騒ぎ始める。騒いだところで天空の城が崩壊することは止められないのに、彼らは逃げることもせずに大絶叫していた。

 いや、そもそも逃げられないのだ。

 ユフィーリアは二度にも及ぶ『お了り空・絶刀空閃』による影響で体を自由に動かすことがままならず、ショウは自身の切り札である『紅蓮葬送歌グレンソウソウカ』で翼竜を薙ぎ払ったことにより体力が底を尽き、走ることはおろか両足で立つことすらできない。

 残る手段としてグローリアの『空間歪曲ムーブメント』があるが、あれはグローリアの演算能力があってこそなせる技だ。いつもは冷静でいる彼が慌てれば、演算できるものもできなくなる。


「どどどどどどどうしようどうしよう!?」

「落ち着けグローリア、お前の『空間歪曲』は使えねえのか!?」

「どどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどぉどどどど」

「こいつ本当に肝心な時に使えねえ!!」


 ガクブルと微振動するグローリアは、もはやパニック状態になって使い物にならない。

 ユフィーリアは悪態を吐いて、グローリアの微振動に嫌な顔をするショウを見やった。ショウも首を横に振って、手立てがないことを告げる。

 ついに亀裂が生じた足場が崩壊し、三人揃って空中に投げ出されてしまう。全身に襲いかかる重力と、内臓がふわりと持ち上がるような不快感。そして冷たい風が、容赦なく動けないユフィーリアに牙を剥く。

 数多の瓦礫に囲まれて、三人は天魔よろしく落下を開始する。いつも天魔はこんな恐怖に耐えているのか、などと薄ぼんやりと考えてしまうあたり、もはや現実逃避している。


「ぎゃああああああああああ!! 嘘だろマジかあああああああああああああああ!!」

「ユフィーリア、貴様の外套でどうにかならんのか!!」

「ならん!! 外套から道具を引っ張り出すことすらできない!! だって腕が持ち上がらないから!!」

「何故『絶刀空閃』を二度も使用したあああああああああ!!」

「そうしなきゃ勝てなかったからに決まってんだろうがあああああああああ!!」


 第零遊撃隊の絆にも、崩壊の危機が訪れようとしていた。

 青い空に三人分の大絶叫が轟く。

 敵である天魔からすれば、今の状況は願ったり叶ったりといったところか。奪還軍を率いる最高総司令官に、最強の第零遊撃隊もまとめて始末できるのだから、これ以上ない幸運だろう。あとは烏合うごうの衆と成り果てた奪還軍を、ゆっくりと殺していけばいい。

 落下しながらも、なんとか働く思考回路を巡らせて、ユフィーリアはこの窮地をどう切り抜けるか考えていた。師匠の遺物である赤い太刀を握りしめ、


「……ごめん、師匠。お前のあとを追いかけることになりそうだ……!!」


 脳裏に浮かぶ褐色肌の男は、不敵に笑って「馬鹿弟子ィ」と自分をそう呼んでいる。その軽い口調が、今では懐かしい。


鹿


 ほらまた聞こえた。

 ユフィーリアをそう呼ぶのは、一人だけしかいない。


鹿!!」


 断続的に聞こえてくるその声に、ユフィーリアは視線を空に投げた。

 雨の如く降り注ぐ瓦礫を伝って、なにか影のようなものが降りてくる。ぴょんぴょんと足取りは軽快で、崩れる瓦礫を足場にして飛び回る所業など、並大抵の人間ができるものではない。

 あれは誰だろうか。

 瓦礫の上を飛び回る影をきちんと認識しようとした時、その影が急接近してくるとユフィーリアの襟首をわしッ!! と掴んだ。いきなりのことだったので、首が絞まる。


「ぐええッ」

「なんつー間抜けな声を出してやがる、馬鹿弟子ィ」


 ユフィーリアは弾かれたように、襟首を掴む相手を見上げた。

 襤褸ぼろをまとっているので、その顔はよく見えない。ユフィーリアの襟首を掴む手の肌は褐色で、がっしりとした筋肉質で――。

 嘘だろマジか。

 その言葉は、音に乗ることはなく喉の奥に消えた。


「…………師匠!?」

「うははッ!! 随分と面白ェ反応をするじゃねえかィ。馬鹿弟子ィ」


 冷たい風が襤褸を攫う。

 白金色の髪が揺れる。自分を見下ろす瞳の色は薄氷のようで、大胆不敵に吊り上がる口の端。

 消えたはずなのに、消えたはずなのに、どうして。

 師匠のアルベルド・ソニックバーンズが、生きているのだろう。


 ☆


『今日の寝床はここにすっかィ』

『なあ』

『あン?』

『オメェとオイラ、入れ替わろうぜィ』

『うおおおああああ鏡に引っ張り込まれ――――――!!』


「以上、経緯」

「分かるかァ!!」


 ケロッとした様子で言い放つアルベルドに、ユフィーリアのツッコミが炸裂する。

 説明が下手くそな彼に代わって経緯を説明すると、元々あの天空の城はきちんと地上に存在していて、アルベルドは廃城となったあの城を寝床にしようとしたらしい。

 しかし、城の中に存在していた鏡だらけの廊下を通りがかった時、鏡の中の自分が笑いかけてきた。そして鏡の中にアルベルドを引っ張り込んだと言うのだ。

 鏡の中から出ようともがいていたのだが、ある時すっぱりと出てきた時に城が空中に浮いていて驚いたとかなんとか。


「アルベルド、さんはやっぱり天魔憑きなんですか?」

「敬語なんてやめろィ。気持ち悪い」


 ついでに助けてもらえたグローリアが、アルベルドに問いかける。

 敬語に嫌悪感を示したアルベルドが嫌な顔を浮かべるが、彼の質問には「まあ、そうだな」ときちんと応じた。


「確かにオイラは天魔憑きになった。――わにの腹ン中で消化されかけてた【薄氷鬼ハクヒョウキ】っつー天魔に契約を持ちかけられてなァ。そのおかげで、ほれ、ご覧の有り様よィ」


 襤褸をまとったアルベルドは、自分の右腕を見せつけるように掲げた。

 鰐の怪物に食われてなくしたと思っていた右腕は、氷のような薄青の色を帯びていた。質感も氷のようであり、ひやりとした冷気が僅かに肌を撫でる。【薄氷鬼】と契約したという決定的な証拠になるだろうか。


「にしても馬鹿弟子ィ、オメェはいつまでオイラの刀を握ってるつもりでィ」

「ッ!! に、二刀流に目覚めそうになったんだよ!!」


 ユフィーリアは抱きしめていた赤い太刀を投げ捨て、反抗するように叫んだ。

 アルベルドは「二刀流なんざいいモンじゃねェよィ」とぶつくさ言いながら、投げ捨てられた赤い太刀を青く変色した右腕を拾い上げる。氷のような質感を持っているけれど、普通に動かせるようだ。

 プイとそっぽを向いたユフィーリアは、彼が死んだと思い込んで泣いていたと悟られないようにする。

 しかし、


「あれ、でもユフィーリア。さっき泣いてたよね?」


 グローリアがあろうことかバラしやがった。

 アルベルドがユフィーリアを見やり「泣いてた?」などと首を傾げる。一番知られてほしくない人物にバレそうになって、ユフィーリアはこれ以上墓穴を掘るのも嫌なので、開き直ることにした。


「――ああそうだよ俺の涙を返せ、馬鹿師匠!!」


 そう叫んで、ユフィーリアは鉛のような重さを振り切ってアルベルドへ飛び蹴りをかました。

 疲れているのに、そんな所業ができたのは初めてだった。

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