第5話【弟子よ、師匠を超えろ】

 ――思い出せ。


 師匠との修行の日々はどうしていたか。

 相手を圧倒する為に、如何いかなる手段でも尽くしてきたか。


 ――思い出せ。


 師匠の剣筋は目にも留まらないほど速い。目で追えると思うな。

 ならばどうするか。考えろ。


 ――思い出せ。

 ――思い出せ。

 ――思い出せ、師匠の全てを、教えを、なにを見たかなにを聞いたかなにを感じたか全て全て全て全て全て!!


「ああン? なんでィ、馬鹿弟子。またきたんかィ」


 荘厳な雰囲気の礼拝堂に足を踏み入れれば、祭壇に腰掛けた褐色肌の男――アルベルド・ソニックバーンズが、胡乱うろんげな薄氷色の瞳を向けてくる。

 再びアルベルドの前に姿を現したユフィーリアは、静かに息を吐いてはやる心臓を落ち着けさせる。足元から忍び寄ってくる「戦いたくない」と囁く弱気を押し殺して、ユフィーリアは大胆不敵に笑う。


「なんだよ、きちゃ悪いってのか?」

「……さっきと面構えが違ェじゃねえか。心変わりでもあったンかィ?」

「まあな。少しばかり喝を入れられてな」


 大太刀の鯉口を切ったユフィーリアは、


「期待外れだなんだとさんざっぱら言ってくれたじゃねえか。準備運動すらしてねえのに、いきなり襲いかかられても無理だっての」

「ほーう、言うじゃねえかィ。さっきはボロ負けだったってのに、オメェはどこからンな自信をつけてきやがった?」


 祭壇から下りたアルベルドは、腰からいた白鞘から赤い太刀を抜き放つ。毒々しい赤い刀身が距離を飛び越えてユフィーリアを上を滑るが、

 その直前、ユフィーリアを守るように炎の壁が出現する。距離を飛び越えた斬撃も、炎の壁に受け止められたことでユフィーリアには届かなかった。

 アルベルドは「……あン?」となにやら不満そうな声を上げるが、引き裂かれた炎の壁の向こう側から現れたユフィーリアは清々しい笑みを浮かべて言う。


「いやー、悪いな師匠。勝つ為には手段なんざ選んでられねえんだよ」


 ユフィーリアは確かに、アルベルド・ソニックバーンズから戦闘技術を学んだ弟子である。

 だが、師匠たるアルベルドが死んでから――死んだと思ってから、ユフィーリアは一人で生きてきた。この天魔てんまが降り注ぐ理不尽な世界を、たった一人で。

 アルベルドから受け継いだ戦闘技術を使い、そして時には卑怯なことにも手を染めて生き残ってきた。【銀月鬼ギンゲツキ】と契約して天魔憑てんまつきになるまで、生きる為には手段を選ばなかった。

 だから、今回も同じこと。

 ユフィーリアは自分の信じるものを貫いて、再び師匠の前に立つことを決めた。

 自分が生きてきたこれまでと、これまで築いた彼らの絆を。


「オメェ、いつからンなずる賢い奴になったんでィ!!」

「はーっはははは!! お前よりマシだぜ師匠、子供の俺に大人げなく本気で立ち向かってきた恨みは忘れてねえぞ!!」


 先程までのしおらしさが嘘のような、悪どい笑顔でもって応じるユフィーリア。何故か悪役はこちらなのではないだろうかと思うぐらいの、そんな獰猛で引き裂けるような笑い方だった。

 舌打ちをしたアルベルドはもう一度【薄氷鬼ハクヒョウキ】の術式である絶剣ぜっけん術を使おうとするが、


「おーい、師匠」


 ユフィーリアはにんまりと口の端を吊り上げて、


「いつでもどこでも警戒するのは怠るなって言ってたろうが。自分の発言はきちんと覚えておこうぜ、耄碌もうろくジジイ」

「ッ!!」


 アルベルドの真横に空間の歪みが生まれ、そこから白いものが飛び出してくる。

 それは首のない翼竜だった。この空飛ぶ巨大な城の周辺を飛んでいる、あの得体の知れない怪物だ。ショウが術式によって翼竜を誘導し、グローリアの『空間歪曲ムーブメント』によって礼拝堂と繋げて翼竜をぶち当てたのだ。

 見事に脇腹に翼竜の首が突き刺さったアルベルドは、吹き飛ばされて礼拝堂の壁に突っ込む。ガラガラと礼拝堂の壁に穴が開き、瓦礫の山にぐったりと寝転がるアルベルドが「馬鹿弟子ィ」と忌々しげに吐き捨てる。立場が逆転して余裕の笑みを見見せるユフィーリアは、中指をおっ立ててアルベルドを挑発した。


「どうした、馬鹿師匠!! 卑怯な戦術はお嫌いかァ!? 一対一のお綺麗な決闘方式が、戦場のど真ん中で通用する訳ねえだろ!!」

「こンの……オメェをそんな卑怯者に育てた覚えはねえぞ!!」

「お前の背中を追いかけてきたからかなァ?」


 哄笑こうしょうを響かせるユフィーリア。

 だが、彼女の頭の中身は戦闘用に切り替わり、高速回転されていた。

 嘲笑え。挑発しろ。油断させろ。我を見失わせろ。

 怒りを操れ。相手の怒りを煽れ。そうすれば――。


「こンの――馬鹿弟子がァ!!」


 瓦礫の山から飛び起きたアルベルドは、赤い太刀を振りかざして突進してくる。立ち上がって突撃してくるまでの速度が凄まじく、弾丸のようと表現しても過言ではない。

 しかし、動きは単調だ。怒りを煽られた結果、我を忘れて考えなしに突っ込んできた。全て計算通りだ。


「頭のいい相手と戦うなら、怒りを煽れ。そう教えてくれたのは」


 突っ込んできたアルベルドの腕を掴み、勢いを利用して投げ飛ばす。

 背中からひび割れた石畳の上に叩きつけられたアルベルドは痛みで悶絶するが、簡単に起き上がられないようにユフィーリアが上から押さえつける。薄氷色の瞳で睨みつけてくる彼の視線の先に、果たしてなにがあるか。

 にんまりと笑ったユフィーリアは、密かに両足へ力を込めた。


「お前だったな、馬鹿師匠!!」


 そう言って、飛び退いた。

 直後に、今度は天井から首のない翼竜が降ってくる。その巨体がアルベルドを押し潰し、どしんと倒れ込んだ。圧死するとは考えられないが、少なくとも傷一つは負わせることができただろう。

 しかし、これで終わるとは考えられない。経験上、敵を簡単に圧倒できたことはないのだ。


「ばーかでーしィ……いらん知恵を回すようになったじゃねえかィ」


 もぞもぞと翼竜の下でなにかが蠢き、ゆっくりと這い出てくる。

 ぼさぼさになった白金色の髪をガシガシと掻きながら、アルベルドはペッと口に中に入った唾を吐き捨てた。怒りを煽って我を忘れることに成功したと思ったのだが、今の一撃で冷静さを取り戻したようだった。

 一筋縄ではいかないと思っていたのだが、やはり面倒だ。ユフィーリアは極少の舌打ちをする。

 アルベルドを殺さずに、師匠である彼から勝利を掴む方法――そんな奇跡の方法は、


(……あるには、ある)


 ユフィーリアは右手を大太刀の柄に添える。

 切断術――視界にある全てのものを切断する、最強としての異能力。ユフィーリアを最強たらしめるのは、アルベルドから授かった戦闘技術とたった一人で生きてきた時に培った経験、そして【銀月鬼】から受け継いだ切断術の三つだ。アルベルドを圧倒できるだけの技術とは言えないが、互角にやり合えるぐらいはできるだろうか。

 背筋を伝い落ちていく冷たい汗に舌打ちをし、ユフィーリアは大太刀の鯉口こいくちを切る。


「――――フッ」


 一息にユフィーリアは切断術を発動させる。

 距離を飛び越えて、視界で狙いを定めた相手を切断する異能力。青い軌道を虚空に刻み込んで、アルベルドに斬撃が届く。

 だが、切断したのはアルベルドのまとっていた襤褸切れだった。肝心の標的が隠れてしまえば、切断術は外れてしまう。案の定、襤褸ぼろ切れが一文字に切断されてしまう。

 その向こうで隠れていたアルベルドが動き出す。力強く石畳を踏み込んで、切断された襤褸切れを吹き飛ばして真正面からユフィーリアに突っ込んでくる。


「馬鹿弟子ィ!!」


 振り上げられた赤い刀身が、ギラリと輝く。

 切断術を一度発動してしまった今、再び発動するには黒鞘にしまわなければならない。ユフィーリアは振り下ろされた太刀を、薄青の刀身で受け止めた。

 ギィン!! という金属めいた嫌な音が響く。骨が軋む感覚。【銀月鬼】の剛腕でもってしても、押し込まれるほどアルベルドの力は強い。


「やーねェ、女の子相手に本気ィ?」

「オメェはいつからカマぶるようになったんでィ」

「とんでもねえ。俺はいつだって立派な男さ――心だけはな!!」


 鍔迫り合いをしながら、ユフィーリアは右足を振り抜いた。がら空きになっているアルベルドの鳩尾を、渾身の力で蹴り飛ばす。

 つま先が彼の腹を抉り、そして吹き飛ばす。倒れた祭壇に突っ込んだアルベルドは、


「オイラがいつ刀を抜いてねえと思ったィ、爪が甘ェぞ馬鹿弟子」

「あーらやだ、女の子の顔に傷をつけちゃって」


 ピリ、とした痛みが走る。

 いつのまにか、ユフィーリアの耳たぶが切れていた。おそらく切り裂くという絶剣術の側面が発動したのだろうが、それがどの瞬間にやられたものか見当もつかない。

 やはり、速い。速すぎる。

 それでも速さだけで勝てるとは思わないことだ。――ユフィーリアにも、速さは自信がある。


「馬鹿弟子ィ、あんまり舐めた真似をしてんじゃねえぞォ」

「そっちこそ。お前も弟子を舐めてんじゃねえぞ」


 アルベルド・ソニックバーンズの弟子である以前に、ユフィーリア・エイクトベルは奪還軍最強の天魔憑きだ。数々の難関任務を乗り越えてきた実績がある。

 こんなところで負けている訳にはいかないのだ。相手が強いからなんだ、彼より強くて理不尽な敵なら何度も相手にしただろう。

 大太刀を振り払い、ユフィーリアは黒鞘に納める。静かな空間にチン、という鍔鳴りの音が落ち、ユフィーリアはそっと息を吐いた。


「馬鹿弟子ィ!!」


 アルベルドが突っ込んでくる。今度は、相手も絶剣術を使う気でいるようだ。

 合わせるように、ユフィーリアもアルベルドめがけて走り出した。ただしこちらは、繰り出す技が違う。


「おり空――」


 時を置き去りにする。

 時間の流れが遅くなり、目で追うことすら難しいアルベルドの動きすら容易に捉えることができた。耳に届く彼の絶叫すらぐわんぐわんと変に響いて聞こえ、振り下ろされようとする赤い太刀の動きすら遅れて見える。

 だからこそ。

 ユフィーリアは。


「――絶刀空閃ぜっとうくうせん


 大太刀を引き抜く。

 切断する回数は一度だけ、師匠が振り下ろそうとした赤い太刀を握る左手だ。

 薄青の刀身を振り抜いて、ユフィーリアは立ち止まる。時間の流れがユフィーリアに追いつくと、体を動かすことも億劫になってくるほどの疲労感がやってきた。膝をつきそうになるのを我慢して、ユフィーリアは大太刀を杖のように地面に突き立てることで体を支える。


「ぁ、ぐ」


 アルベルドの痛みに喘ぐ声が、ユフィーリアの耳朶じだに触れた。

 ふと振り返ると、アルベルドの左腕が肩からざっくりと切断されて地面に落ちていた。真っ赤な鮮血を噴き出す傷口を押さえて、アルベルドはユフィーリアを睨みつけている。


「馬鹿、弟子ィ……!!」

「は、いい顔じゃねえか師匠」


 不敵に笑いながら言うユフィーリアだが、実のところ余裕はない。

 絶刀空閃はユフィーリアの最大の切り札であり、使えば体に多大な負担を強いることになってしまう。切断したのは一度きりだったが、これが二度も三度も師匠を切断することになってしまえば、ユフィーリアは三日三晩眠り続けることになってしまう。

 いや、そもそも二度も三度も切断したら師匠は死んでしまう。だったら刀を握ることができないように、利き腕であるを――。


「――いや、ちょっと待て」


 ユフィーリアの記憶にあるアルベルドの利き腕は右だったはずだ。

 それなのに。

 

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