第4話【その足で、再び立て】

「とりあえず、君の傷は治すね」


 グローリアはそう言って、まずユフィーリアの潰された左目に手をかざす。ものの見事に切り裂かれて潰されてしまった左目は無惨むざんなもので、血の涙が今も静かに流れている。

 触られると同時に痛みが走ったのか、ユフィーリアは顔をしかめて「いッ」と呻く。傷はとても痛々しいものだが、治さなければまともに戦えることすらできないだろう。彼女自身もそれを理解しているからか、グローリアの言う治療とやらを黙って受け入れていた。

 時と空間を操るグローリアの治療方法は、ただ傷口に薬を塗ってなどという一般的な常識は通用しない。もっと根本的な問題だ。

 つまり、


「適用『永久暦カレンダー』」


 カリカリと懐中時計が埋め込まれた鎌の内側から、なにかを引っ掻くような音がする。懐中時計の文字盤を忙しなく動き回っていた時針じしんが、急に逆回転をし始めたのだ。

 ショウは目を見張った。時を止めるだけではなく、戻すことも可能なのか。


「――遡行開始リリース


 時間が戻る。

 グローリアが手をかざしたユフィーリアの左目の傷が、徐々に薄れていく。数秒と経たずに左目の傷は消え失せて、瞼の向こう側から色鮮やかな青い瞳が現れる。


「見える?」

「おう……」


 ユフィーリアは不思議そうに周辺を見渡して、右目を押さえて左目のみの状態で視界の調子を確かめる。傷を癒すというより時間を戻して傷そのものをなかったことにするという手腕は、グローリアぐらいしかできないものだろう。

 次いでグローリアは「太腿ふとももの傷も治しちゃうね」と言って、瞳を治した時と同じ手法で太腿の傷もなかったことにする。傷を負う前の時間に戻されて、機動力も視界も回復した。これでまともに戦えることができるだろう。

 ――彼女自身の、心が問題だが。


「大丈夫? 他に、どこか痛いところはない?」


 グローリアは問いかける。

 俯くユフィーリアは首を横に振って、痛みがないことを伝える。その答えを信じて「そっか」と頷いたグローリアは、ユフィーリアから離れていく。

 彼女の精神状態は、悪化の一途を辿っている。どうしていいのか、自分自身でも答えが出せないでいるのだろう。膝を抱える彼女は、なにも言わずに視線を足元に落としていた。


「……どうしよう。こんなに静かなユフィーリアを見るのは初めてなんだけど」

「俺もだ」


 ユフィーリア・エイクトベルという女は、常日頃からうるさいと思えるほどに騒がしい。馬鹿騒ぎすることを良しとし、自分もまた仲間内で馬鹿みたいに騒ぐことが好きなのだ。たとえこちらが黙っていたって、彼女は絶えず話しかけてくる。

 それなのに。

 今は借りてきた猫のように大人しい。口をつぐんで、ずっと黙ったまま座り込んでいる。これではグローリアも。ショウも調子が狂うというものだ。

 原因は分かっている――ユフィーリアと相対していた、あの褐色肌の男だ。


「あの彼は一体誰なの? 彼と出会ってから、ユフィーリアの調子がおかしくなっちゃったんだけど。洗脳でもされたのかな」

「…………イーストエンド司令官。貴様は、エリス・エリナ・デ・フォーゼと再会した時、どう思った?」


 ショウは率直な質問を投げかけた。

 グローリア・イーストエンドはかつて、自分に戦術を授けてくれたエリス・エリナ・デ・フォーゼと戦うことを余儀なくされた。彼の場合は戦術と戦術のぶつけ合いによってエリスを下し、そして最高総司令官として彼女の前に立ち、部下として迎え入れた。

 自分の理想である『天魔の絶滅』を目指して、誰も欠けることなく天魔という未知の怪物を打倒する為に。

 だが、それより前のこと。

 彼は錯乱して、エリスに固執した。固執するあまり、グローリアは彼女に最高総司令官の椅子を譲ると言い出した。


「戦いたくないと思ったか?」

「…………もしかして、あの人はユフィーリアと関係があるのかな?」


 幻想的な紫色の瞳を輝かせて、グローリアはショウを真っ直ぐに見つめてくる。

 あの鏡の回廊で、ショウはユフィーリアの過去を見た。ユフィーリアが、思い詰める理由もなんとなくだが分かる。

 褐色肌のあの男は、ユフィーリアにとって大切な存在なのだ。グローリアにとってはエリスと同じ意味合いを持つ。

 黙るショウにグローリアはなにを察したのか、穏やかに微笑むと「分かった」と頷いた。


「ユフィーリア」

「…………」


 グローリアに呼ばれて、ユフィーリアは億劫おっくうそうに顔を上げる。

 沈んだ表情を浮かべる彼女は、親に見捨てられた子供のようにも見えた。ややあって、掠れた声で「なんだよ……」と応じる彼女に、グローリアは穏やかな声で言う。


「あの人、強そうだね。三人かかっても勝てなさそうだね」

「……………………」

「援軍を呼ぼうか。【閉ざされた理想郷クローディア】も近いし、スカイの使い魔を通じて奪還軍から仲間を呼んでさ」

「……………………」

「それとも、僕が時間を止めようか。【雪魔女ユキマジョ】にやった時と同じように、時間の棺に閉じ込めようか。ショウ君の火葬術もあれば、きっと殺せると思うんだよね」

「……………………ああ」


 グローリアの重ねられた言葉に、ユフィーリアはようやく応じた。


「…………そうだな。いっそ、誰かに殺して貰えばいいのかもな」


 この声は、諦めに満ちていた。


 ☆


「もういいか」と思っていた。

 自分では殺せないのだから、他人に殺して貰えばそれでいい。ユフィーリアの思い残すことはなくなる。

 ユフィーリアでは、アルベルドに勝てないのだ。修行時代も、一度だって彼に勝てたことはない。

 もし勝てる可能性があるなら、グローリア・イーストエンドによる綿密で卑怯な作戦と、連携の取れた奪還軍の仲間たちぐらいのものだろう。彼らにかかれば、アルベルド・ソニックバーンズを圧倒することなど容易い。いくら戦闘技術が高くても、グローリアの頭脳と数の多さでは敵う訳がない。


 ――


 ユフィーリアは自分に言い聞かせる。

 アルベルドに対して、自分は刀すら抜けなかった。彼を殺してしまうことに対して、恐怖を抱いていた。

 だからいっそ、自分以外が彼を圧倒できればこの呪縛から解放されるかと思った。

 もう戦いたくない。今すぐこの場から逃げてしまいたい。弱音を無理やり喉の奥に押し込んで、小さく縮こまって「消えてしまいたい」と嘆くユフィーリアは、


「本当にいいのか?」


 穏やかで、しかし凛とした響きを持つ低い声が、ユフィーリアの鼓膜を揺らす。

 ふと顔を上げれば、自分のことではないのに、何故か泣きそうな雰囲気でショウが言う。


「本当に、いいのか。奴を超えるのは、弟子である貴様のはずだろう」

「…………なんで、弟子だって」


 自分の過去は誰にも伝えていないはずだ。

銀月鬼ギンゲツキ】と契約を交わす以前の過去は、エドワードやハーゲン、アイゼルネでさえ師匠がいることを知らないのに。

 青い瞳を見開くユフィーリアに、ショウはさらに言葉を続けた。彼女と視線を合わせる為に膝を折り、心からの想いをユフィーリアにぶつけてくる。


「本当に、ユフィーリアは後悔しないのか。師匠と戦いたくないのは、よく分かる。だが、本当に他の奴へ生殺与奪の権限を握らせていいのか」


 彼の問いに対して、ユフィーリアはどう答えればいいのか迷った。

 師匠と戦いたくないから、他の誰かに任せればいいと思っていた。他の誰かが師匠であるアルベルドを殺せば、諦めもつくものだと思っていたのだが。

 


「アルベルド・ソニックバーンズのもとで、貴様はなにを学んだ。アルベルド・ソニックバーンズは、貴様になにを託した。――この理不尽な世界で生きる為に、強さを学んだのではないのか」


 そう言って、ショウは寂しそうに笑った。

 人形のようだと思っていた少年だが、ここ最近ではよく感情を表に出すようになった。彼の中でなにかが吹っ切れたようだったが、なにが原因なのかユフィーリアもよく分かっていない。彼でもこんな表情ができるのか、とユフィーリアは少し感心するぐらいだった。


「俺では、貴様の隣に並び立つことすら資格はないのか?」


 ――ユフィーリアは、自然と自分一人で抱え込んでいた。なにもかもを背負いすぎて、誰かに頼ることを失念していたのだ。

 師匠と戦いたくない。アルベルド・ソニックバーンズと戦いたくない。殺してしまう可能性が一欠片でもあるのなら、彼の前になど立ちたくない。

 だが。

 それは、ユフィーリア一人だけでアルベルドに挑んだ場合だ。


 

 わにの怪物に呑まれる寸前、師匠が弟子に与えた最期の教えを。


「――生きて」


 その言葉を、ユフィーリアは失念していた。

 見失っていたのだ。

 目の前に死んだはずの師匠が現れて、太刀を振り回して「殺し合え」だなんて愚かなことを言い出したが、そのせいで混乱していたのだ。エリスと対面したグローリアと同じように、ユフィーリアもまた錯乱していた。


「――自分の、信じるモンを貫け。そう、教えてくれたっけな」


 師匠には生きていて欲しかった。だから殺したくなかった。死にたくもなかった。

 それら三つの我儘わがままを、ただ一人だけで完結させようとしていたのだ。

 見誤るな、戦争とは自分一人でやるものではない。仲間と戦術があってこその戦争であり、その先に勝利がある。

 この場には誰がいる。

 再認識しろ。

 戦うのは一人だけでも、それを支える相手の存在の有無は指定されていない!


「悪かったな、ショウ坊。相棒だなんだと言っておきながら、俺は実際のところ一人で戦ってたようだな」


 ユフィーリアは苦笑した。

 彼がせっかく歩み寄ってくれたというのに、ユフィーリアは無碍むげに扱いすぎていた。後ろなんて振り返らずに、ただ闇雲に突き進んで抱えきれなくなって、隣を見る余裕などなかった。

 いつのまにか彼は――ショウは、隣に並んでいてくれていたというのに。


「なあ、グローリア。お前の作戦は誰も死なねえんだよな?」

「そうだね。そうなるように頑張るけれど」

「敵も死なねえような作戦を考えられるか?」

「……………………そっか。それが君の意思なんだね」


 グローリアは変わらず穏やかに笑って「やってみるけれど、それは君次第だよ」と言う。


「君のお師匠様を殺すのは、君の腕前にかかってる。それでも、彼を死なないように誘導することはできるよ」

「そうか、じゃあ頼む。師匠が死ななければ、俺はなんだっていい」


 ユフィーリアは立ち上がる。

 俯き、嘆き、弱音を吐いて、それでも再び最強の地位に戻ってきた。今度は背筋を伸ばし、前を向いて、大胆不敵に相手を笑い飛ばして。


「ショウ坊、グローリア」


 その両足で立ち上がれ。

 暴走する自分の師匠を、この手で止めろ。


「俺の為に、お前らの力と戦術を貸せ」

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