終章【見慣れた背中はもういない】
「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ!」
子供特有の甲高い声が、奪還軍本部である大衆食堂の前で響く。
見れば仮装をした子供たちが三人ほど、橙色のかぼちゃの形をしたバケツを持って並んでいる。仮装はお化け、吸血鬼、魔女と多彩であり、どれもこれも怪物を模している。
瞳をキラキラさせてお菓子を待つ子供たちを前にした銀髪碧眼の屑美人ことユフィーリア・エイクトベルは、一つ一つ丁寧に包装された焼き菓子の詰め合わせを選んでバケツの中に放り込んでやる。子供はニコニコの笑顔で「ありがとう、おねーさん!!」と言って、どこかへ走り去ってしまった。
「やれやれ、あのクソ寒い場所での任務を終わらせた途端に収穫祭の手伝いに駆り出されるとか……そろそろ本気で賃上げを要求するべきか?」
「お前さんが賃上げをしたところで、給料を全部賭博に使い込んじゃうんだからやめといたらぁ?」
ユフィーリアの隣では、魔女の帽子を被らされた狼姿のエドワードがいる。彼の首には『収穫祭に参加しています、子供たちはお立ち寄りください。最高総司令官グローリア・イーストエンド』という看板が下がっている。
天魔を倒す為に結成された奪還軍だが、元々は普通の人間である。こうして収穫祭などの催しには必ず参加して、人々との交流を図っているのだ。最高総司令官であるグローリアも、一般人との交流を全面的に推奨している。
再びやってきた子供たちが収穫祭の決め台詞を叫び、ユフィーリアは「はいはい、一列に並べよー」などと言って列整理をして、順番に焼き菓子の詰め合わせをかぼちゃ型のバケツに放り入れる。どこもかしこも収穫祭の催しに参加していて、通り道は仮装した子供たちで溢れ返っている。
中にはただ仮装して騒ぎたいだけの若者もいて、そういう輩が冗談半分でユフィーリアのところまでやってきて「お菓子くれなくてもいいんで、悪戯させてもらえませんか」と言ってきたので、無言でアイアンクローをかまして追い返した。
「子供限定の祭りでなんで野郎どもがこうも騒いでんだ? そろそろ殺していい?」
「ユーリ、顔がそろそろ本気でやばいよぉ。直して直して」
「やっべ。屑美人の名前が泣くぜ」
「屑美人は誇るべきところじゃないと俺ちゃんは思うんだけどねぇ」
焼き菓子をポンポンと子供たちに配る天魔最強の屑美人は「あははは」と笑い飛ばした。
「あ、そういえばユーリ。今日はお前さんの誕生日でしょぉ? 永遠の二八歳おめでとう」
「永遠の一八歳だったらよかったのにな」
「酒が飲めなくなるけどいいのぉ?」
「やっぱり二〇歳ぐらいがいいか。なあ、どう思う?」
「見苦しいよ三十路間際」
「うるせえぞ三十路オーバー」
「やる気ぃ!? 一番気にしてる部分を抉ってくるとか、お前さんは俺ちゃんに喧嘩でも売ってるんだよねぇそうだよねぇ!?」
「お前こそ一番気にしてる部分を抉ってくるじゃねえか駄犬が!! その皮を剥いで売っ払ってやろうか!?」
がーッ!! と牙を剥いてくる狼の頭を剛腕で押さえつけ、ユフィーリアとエドワードによる取っ組み合いが始まった。お菓子待ちの子供たちは困惑顔である。
すると、二人の脳天に拳骨が叩き落とされた。頭をかち割られるほどの衝撃が脳味噌へ伝わってきて、一人と一匹は揃って頭を押さえて
「だ、誰だいきなり頭を殴ってきやがったのは!?」
「あら、私よ」
それはとても、とても低い声だった。
騒ぎを聞きつけたらしい大衆食堂の料理長が、その鋭い瞳に光を宿らせて仁王立ちしていた。普段からエドワードに負けず劣らず凶悪顔の彼は、今だけは何故かこの世の誰よりも恐ろしいものと思えてしまった。
ユフィーリアは息を飲み、エドワードはユフィーリアの後ろに隠れる。仁王立ちするオカマの料理長は、静かに告げた。
「アンタたちじゃ仕事にならないから、交代なさい」
「「はい。すみませんでした」」
綺麗な土下座をして、ユフィーリアは抱えていた焼き菓子の籠を料理長に手渡す。
それを受け取った料理長は、今度は大衆食堂へ向かって、
「アイゼルネちゃん、いらっしゃい。子供たちにお菓子を配ってあげて」
「なんでオレ様♪」
「そんな収穫祭の申し子みたいな格好をしていて子供たちの前に出ないとか、ふざけているのかしら?」
「この格好は単に趣味の問題♪」
「いいからやりなさい」
「イエス・マム♪」
さすがのアイゼルネでも相手の凄みに逆らえなかったのか、すごすごと大人しく表まで出てきた。料理長から焼き菓子の詰め合わせが入った籠を受け取ると、なにやら子供たちがざわめき出す。
「すげえ、収穫祭のお化けだ」
「多分連れて行かれちゃう」
「すっげー、完成度高い」
期待半分、怯え半分ぐらいの反応を貰ったアイゼルネは、子供のご期待に添うべくトランプカードをなにもないところから取り出した。
彼が操る魔法のようなカード
そういえば、アイゼルネは元々
「ある意味で才能だねぇ」
「だな」
窓からアイゼルネの手品を見つつ、ユフィーリアは外套の内側から煙草の箱を取り出した。
中庭で煙草でも吸おうかとマッチの箱を探すが、何故か見当たらない。どこかでなくしたのだろうかと首を傾げる。
「エド、お前マッチ持ってない?」
「またぁ? もう、二個か三個ぐらい常備しておけって言ったじゃん」
「いやー、マッチなんてどこでも買えるって思ったら大間違いだな」
狼状態でも明らかに不機嫌であることが分かるエドワードは「今はこの状態だから持ってないよぉ」と言う。
「……火を探しているのか?」
「うおおッ!? ショウ坊いきなり出てくるなよ驚くだろ!?」
「すまない」
唐突に背後から声をかけられて、ユフィーリアは驚きのあまり大太刀を抜きかけた。気配があまりにもなくてびっくりした。
まさしくひょっこりというような形で出てきた相棒のショウは、ずいっとユフィーリアに箱を押しつけてきた。なにやら綺麗に包装された小さな箱である。反射的に受け取ってしまったユフィーリアは、これは何事だと首を傾げた。
「収穫祭の当日はユフィーリアの誕生日だと聞いていた。だから誕生日の贈り物を用意した」
「へえ、律儀だねぇ。どうせ売り飛ばすのにねぇ」
「問題ない。売り飛ばすことができないようなものにした」
金がない時は持ち物を質屋に入れるほどのユフィーリアである。そんな屑が売り飛ばすことができない代物とはなんだろうか。
疑問に思いながらもショウが「開けてみてくれ」と言うので、ユフィーリアは言われた通りに箱を開けてみた。綺麗な包装紙をビリビリと破いて、箱の蓋を開ける。
赤紫色の
「……オイルライター?」
「手入れを欠かさなければ使い続けることができるそうだ。店員が教えてくれた」
ユフィーリアは台座に置かれていた金属製の直方体――オイルライターを手に取る。表面は暗い青地であり、縁取りは銀。蓋の部分に透き通る青い石が埋め込まれた、簡素でありながら洒落た逸品である。
咥えた煙草を落としそうになったユフィーリアは、ショウの真顔を正面から見据える。
「……おま、これ高いはずだぞ?」
「給金は普段から貯蓄している。それほど高額でもなかった」
金のないユフィーリアからすれば羨ましい発言であることこの上ないのだが、ショウはほんの少しだけ眉を下げて「……迷惑だったか?」と問いかけてくる。
なんというか、まさかこんな年下から高価なオイルライターを贈られるとは思ってもいなかった。迷惑どころの話ではない。これは確かに相棒の言う通り、質屋で換金できないものだ。喫煙者であるユフィーリアには、必需品となるものである。
「ありがとうな、ショウ坊。使わせてもらうわ」
「……ああ、そうしてくれ」
いらないと返されなくて安堵したのか、少年は柔らかく微笑んだように見えた。口元を覆い隠す布のせいで正確なところは分からなかったが。
さっそくオイルライターを使わせてもらおうとすると、次も背後から「こら!!」と説教じみた台詞が飛んできた。
「毒性のある煙草は地下空間で吸ってはいけませんよ。中毒者が出たらどうするのですか」
「……婆さんその格好は一体?」
「誰が婆さんですって?」
「すいまっせんでした」
ユフィーリアの横をツララが通り過ぎて、口元を引き攣らせて謝罪した。
厳格で上品な印象のある老婆――エリス・エリナ・デ・フォーゼだが、今は何故か茶目っ気たっぷりに魔女の格好をしていた。つば広の帽子をちょいちょいと指先で弄り、老婆はまるで若い少女のように微笑んだ。
「最高総司令官殿に頼まれました。今日は収穫祭なので、一緒にお菓子を配ってくださいと」
「――待ってよ、エリス!! どうしてそんなに張り切っちゃってるの!?」
ドタバタと遅れて二階から駆け下りてきた最高総司令官――グローリアは、なにやら燕尾服を着ていた。髪も普段のハーフアップではなく整髪剤で後ろに撫で付け、さらに
なるほど、魔女の仮装と吸血鬼の仮装か。さながら魔女がお嬢様で、吸血鬼が執事といった風体だろうか。
師弟の仮装をいち早く理解したユフィーリアは、ニヨニヨと企むような意地の悪い笑みを浮かべた。
「よかったなー、グローリア。愛しの先生様と一緒に収穫祭を楽しめてなー」
「恥ずかしいことを言わないで!?」
グローリアが顔を真っ赤にして抗議してくるが、本心は満更でもないらしい。張り切るエリスに「ほら、行きますよ」と促されれば、大人しく彼女の背中を追いかけた。
大衆食堂の外が、
初めて収穫祭というものに参加するエリスは楽しそうで、その横で楽しそうな恩師を眺めるグローリアは幸せそうだ。
だからこそ。
――生きろ、ユフィーリア。
――生きて、自分の信じるモンを貫け。
怪物の脅威に立ち向かう背中を、思い出す。
ユフィーリアは咥えた煙草を強く噛むと、短く「中庭で煙草を吸ってくる」とだけ告げる。毒性を孕む煙草を吸うユフィーリアが喫煙する際は、誰も近づかないのはもはや暗黙の了解となっている。ショウもここ最近は、言えば近づかなくなった。
無人の中庭に足を踏み込み、ユフィーリアは壁に寄りかかる。ショウから貰ったオイルライターを握りしめて、脳裏によぎった背中の幻影をなんとか払おうとする。
「……師匠」
これは誰も
かつて、ユフィーリアにも救えないものがあった。手を伸ばしても、助けられなかった命があった。
死にゆく背中をただ見送って、目を背けて、記憶から消すしかなかった。
グローリア・イーストエンドの境遇と違うのは、ユフィーリアが追いかける相手がもうすでにこの世にいないことだ。
生きて、自分の信じるものを貫け。
そう教えてくれた師は、もういない。
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