第2話【迷える天才、解を導く】

 できる訳がなかった。

 勝てる訳がなかった。

 どれだけ戦術を練ろうと、相手は天魔最強を謳う【銀月鬼ギンゲツキ】――しかも現場での活躍も随一である。戦うすべを持たないグローリアが、彼女に勝てるはずがなかった。

 他人を利用しなければ勝てないグローリアと、作戦もクソもなしに経験と実力だけで勝利をもぎ取ってしまうユフィーリアの差は、あまりにも違っていた。


(――でも、彼女を止めなければ)


 グローリアの恩師であるエリスが、ユフィーリアの手によって殺されてしまう。

 彼女を助ける為にここまで生きてきた。今までの道のりは、全てエリスの為のものだった。

 その積み重ねを崩すのは、簡単だ。

 存在を亡き者にすればいいだけで。


(――戦わなきゃ、エリスを守れない)


 恩師のエリスを助けるには、ユフィーリアという存在が邪魔だ。彼女はことごとくグローリアのやることを阻止してくる。

 エリスならきっと奪還軍を導いてくれるはずなのに、誰もエリスのことを信じてくれない。エリスを信じてやれるのは、自分しかいないのだ。

 グローリアは自分の得物である、懐中時計が埋め込まれた大鎌を握りしめた。思えばこの大鎌はユフィーリアがどこかの天魔から奪ってきた装備品で、使い勝手がいいからグローリアは気に入っているのだ。


(でも、もし)


 なにかの間違いで、ユフィーリアに勝てたら。

 グローリアは再びエリスと相対して、それからどうすればいい?


(彼女は僕のことを敵と認識した。きっと、僕は彼女の前に立ったら――)


 言葉での説得は叶わない。

 エリスの記憶は混乱している。

 生徒を守らなければならないと言っていた。その生徒の存在はすでになく、彼女の言う『生徒』で唯一の生き残りがグローリアだった。極寒の地を彷徨って、エリスを助ける為の方法を編み出す為に天魔憑てんまつきとなり、悠久の時間に身を委ねた。エリスを助け出せるのであれば、どれだけ時間をかけても構わないと思いながら。

 エリスに教えを乞うた生徒が他にも生き残っていれば、きっと同じ判断をしたはず。恩師を助けたいと思うのは、常識的な感情だろう。


 ならば――そう、ならば。

 エリスを助けて、


 グローリアの思考回路が落ち着きを取り戻していく。自分の人生の最終目標として掲げた『エリス救出』を目前にしたからか、視野が狭まっていたようだ。ここに腹心であるスカイがいれば、頰を張られるどころではなく見限られていたかもしれない。「アンタってそーゆー奴だったんスね」などと言いながら。

 それだけではない。きっと、大勢の仲間を失うはずだった。誰もがグローリアの言葉を信じてついてきてくれた大切な仲間で、部下だ。簡単に最高総司令官の座を下りてしまったら、それこそ仲間に対する裏切りとなる。


(エリスを助けたい、でも、みんなを失いたくない)


 エリスはきっと奪還軍を率いてくれる。確かにその通りだろう。彼女はそれだけの頭脳を有しているし、指揮権を任せれば奪還軍の全員を率いて天魔の大群を倒してくれる。

 それでも、今の奪還軍を形作ったのはグローリアだ。エリスを助ける為の駒にするという密かな目的があったけれど、いつしか彼らを使う本来の目的が天魔殲滅へとすり替わるぐらいに、今やかけがえのないものとなったのだ。

 誰にだってやるものか。

 苦労して集めた手駒を、たとえ恩師ともあろう者に明け渡してたまるか。


 グローリア・イーストエンドは、失わない為に誰も死なない作戦を考える。

 もう二度と、恩師を失った時のような苦さを味わいたくないから。


 グローリアは、握りしめた大鎌を捨てた。

 怪訝な表情を浮かべるユフィーリアに構わず、彼は自分の髪を留めていたかんざしを外す。紫色のとんぼ玉がついた、綺麗な簪だ。【閉ざされた理想郷クローディア】へ到達して、最初に訪れた誕生日にスカイが贈ってくれたものだった。聖銀から作られた本体の先に、鈍く輝く紫色の水晶を通しただけの、簡素で彼らしい贈り物だった。

 その簪を握りしめ、グローリアは自分の左手に突き刺した。


「ッ、づ、ぅ」

「おい、グローリア!?」


 簪はグローリアの手のひらなんて容易く貫通して、赤い血を雪の上に落とす。

 焼けつくような痛みが伝わってくるが、自然と頭の中身は冷静さを取り戻してきた。痛みで正気に戻るなど信じたくはなかったが、驚くほど効果はある。

 激痛に絶えるように深呼吸をして、グローリアはユフィーリアに笑いかけた。


「僕が間違ってた。ごめん」

「……だからって、そこまでするこたァねえんじゃねえか?」

「ううん。これは、ちょっと落ち着きたくて。僕、あんまり痛い思いをしたことがないから、正直言って泣きそうなほどに辛いよ」

「…………まあ、そうだな。戦場に痛みってのは付き物だ」

「こんな思いは今後一生したくないし、他の誰にも味わってほしくないなあ」

「少なくとも、死ぬような傷を負うことはねえよ。――全部お前が、遠ざけてくれるからな」

「あはは、そう言ってくれると嬉しいなあ」


 手のひらに突き刺さった簪を伝って、赤い雫が落ちていく。

 だいぶ痛みにも慣れてきたところで、グローリアは「ねえ、ユフィーリア」と口を開いた。


「僕、やっぱりエリスを助けたい。彼女は僕の大切な人で、ずっと、それだけを考えて生きてきたから」

「知ってる。あれだけ執念を燃やせば嫌でも分かる」

「でも、奪還軍のみんなも大切なんだ。彼らは僕の言葉を信じてついてきてくれたから、これからも僕は一緒にいたい」

「今更気づいたのかよ。随分と遅えな」

「――ねえ、だから、ユフィーリア」


 どう言えばいいのか、もうグローリアには分かっている。

 彼女は――ユフィーリア・エイクトベルという最強は、いつだってその言葉があればいいのだ。


「エリスを助ける僕を助けて!!」


 その『助けてねがい』に、彼女の返答は。


「――おう、任せろ」


 ☆


 一連のやり取りを静観していたショウは、ようやくグローリアがまともに戻ってくれたと密かに安堵した。手のひらに簪を突き刺すなんて馬鹿な真似を、とは思ったものだが、グローリアらしい頭の冷やし方だ。


(さて、どうするべきか)


 エリスとやらを助けるすべは確立されていない。雪と氷を操る彼女の決定打になるのは、やはりショウの火葬術しかあるまい。

 しかし、火葬術で一掃してしまえば、エリスという老婆もまとめて消し炭になってしまう。それでは本末転倒である。なんの為の『助けて』なのだろうか。

 となれば、なにか他に別の方法がと考えていると、ふとそばで小さな声を拾った。「まずは手の消毒と治療だ手ェ出せ馬鹿!!」「乱暴にしないでユフィーリア!!」などという騒がしいやり取りを繰り広げる相棒と上官の二人を置いて、ショウは氷の箱の隅の方まで移動する。

 焚き火の燃料代わりになるかと思って書籍を取ってきたのだが、その書籍に埋もれるようにしてなにやら半透明の赤い石のようなものが落ちていた。書籍の山を退かしてみると、一抱えほどもある赤い氷の塊だった。

 どうやら炎らしきものが氷に閉じ込められているようで、持ち上げてみれば驚くほど温かい。煌々と内側から輝きを放つその赤い氷は、


【どなた様です?】

「【火神ヒジン】のショウ・アズマだ」

【ご丁寧にありがとうございます。わたくしは「焔魔女ホムラマジョ」と言います】

「こちらこそ」


 なんだろう、この空気。のんきに自己紹介などしている場合ではないのに。

 ショウは首を傾げて、くるりと身を翻した。訳の分からないものは、博識なグローリアと意外と戦闘に関する知識だけは豊かなユフィーリアに任せるべきだ。

 ぎゃあぎゃあといまだに騒がしく取っ組み合いをしているユフィーリアとグローリアに喋る氷を見つけたことを報告しようとした矢先のこと、自らを【焔魔女】と名乗った氷はこう言った。


【わたくしをご主人様のもとまで連れて行ってはくれませんか?】

「主人なんていたのか?」

【ええ、はい。今はあのクソアバズレに連れ攫われてしまいましたが、元々はわたくしも一緒なのですよ】


【焔魔女】はコロコロと笑いながら、


【エリス・エリナ・デ・フォーゼという女性なのですが、ご存知ありませんか?】


 ――どうやらこの【焔魔女】とやらも関係者のようだった。

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