第3話【雪の鬼は蘇る】

「エリスは本来、氷と炎の二つを操る天魔憑てんまつきだった」


 しんしんと降り続く雪の中を移動しながら、グローリアがそんなことを言う。

 かつて彼女と共に過ごした時間を思い出しながら、エリスという老婆がなんであったかを分析していく。そこにはすでに弱気なグローリア・イーストエンドという青年はなく、多くの部下を持つ最高総司令官としての顔があった。

 幻想的な輝きを宿す紫色の瞳をすがめたグローリアは、


「でも、あの時のエリスは炎を使うことはなかった。彼女の誇りは相反する二体の天魔と契約したことにあったはずなのに、氷の面を使うことはあっても炎の面を使わないなんておかしい」

「奥の手ってことはねえのか? 使えば命を削るとか」

「まさか。だって僕が彼女の生徒だった時、頻繁に使っていたんだよ。氷よりも断然、炎を使うことが多かったのに」


 ユフィーリアの意見をあっさりと否定したグローリアは、ふと思いついたようにポンと手を叩く。


「まさか、? 天魔憑きは契約した天魔との繋がりが断たれてしまうと消えちゃうから、二つの天魔と同時に契約しているエリスの場合は、一方の契約を解除してももう一方の契約が残っていれば生存できる?」


 なにやらブツブツと考え事をしているグローリアから静かに離れ、ユフィーリアは淡々と後ろからついてきていた相棒の少年にそっと耳打ちをする。


「なあ、完全に頭がおかしくなったな。二体の天魔と同時契約ってできんの?」

「可能なのでは? 現にこうしてできていると証言する者がいるのだから」

「そっか、そうなんかなァ。……ところでショウ坊、お前が持ってるそれはなんだ?」


 ユフィーリアが指摘したのは、彼が抱いている赤い氷だった。一抱えほどもあるその赤い氷は内側から煌々と輝いているようで、まるで炎が氷に閉じ込められているようだった。

 ショウは無言で赤い氷をユフィーリアに差し出す。反射的に受け取ってしまった赤い氷を持ってみると、表面は痛いと感じるほど冷たいのに、何故か温かさが伝わってくる。


「【焔魔女ホムラマジョ】というらしい」

「天魔なのか、こいつ」

【こいつとは失敬ですね。どこのどなたか存じませんが、少し言葉遣いを改めては如何でしょう?】

「うわ氷が喋った!?」


 赤い氷が唐突に喋り始めて、ユフィーリアは思わず投げ飛ばしそうになってしまった。寸前で理性が押し留めてくれたが、正直なところ喋る氷なんて関わりたくない。

 ショウに突き返してやろうかとも思ったが、それより先に【ちょっと】と赤い氷は不満そうだ。


【わたくしのご主人様はどちらにいらっしゃいますか? 早く見つけて差し上げなければ、あのクソアバズレがブツブツ……】

「お前の口も大概じゃねえか?」


 誰のことを示しているのか不明だが、クソアバズレはさすがに如何なものかとユフィーリアでも思う。そもそも口調が騎士団のちょっと性格がきつい団長殿に似ているので、できればあまり喋りたくない。

 赤い氷は【見つけましたら起こしてください】と言い残して、それから口を閉ざした。――どこに口があるのか分からないが、とりあえず黙った。

 ご主人様、と言っているが、誰と契約しているのかユフィーリアには分からない。そもそもこんなところで氷の状態で発見されているのだから、きっと誰とも契約をしていないか――あるいは、契約を弾かれたか。


「まあ、こんなモン抱えてたってしょうがねえか。こっちで預かるぞ」

「頼む」


 考えることをやめたユフィーリアは、赤い氷を外套の内側へと放り込んだ。すんなりと赤い氷は外套の奥へと消えて、濡れた手のひらを服に擦り付けて拭う。

 じっと一連の流れを観察していたショウが、ポツリと呟いた。


「…………その外套の内側は四次元空間にでもなっているのか」

「え? なんだって?」


 ショウの呟きがあまりにも小さかったので聞き返したのだが、当本人は「なんでもない」と首を横に振ってその話題を終えた。

 歩き進めるにつれて、雪の量が増してくる。徐々に気温も下がっていき、吐く息が白いもやとなって曇天へと昇っていく。

 ざっくざっくと雪の中を黙々と進んでいたグローリアは、振り返らずに部下であるユフィーリアとショウへこう提案した。


「エリスを奪還軍に引き込もうかと考えてるんだけど、いいかなぁ」

「それがお前の決定ならいいんじゃねえのか?」

「同意する」


 基本的に、グローリアが判断を間違えたことは――トチ狂って最高総司令官の座をエリスに譲ると言った時以外にないのだ。彼が「引き込む」と判断すれば、ユフィーリアとショウに意見する余地はない。

 彼にまともな意見を述べることができるのは腹心のスカイぐらいのものだが、きっと彼は面倒臭がって返答を渋るだろう。それでもグローリアの熱意に負けて、きっと「いーんじゃねーッスか」と適当な答えを返すのだ。

 グローリアは「そっか、うん。じゃあそうしよう」と覚悟を決めたようだった。

 すでにエリスがいるだろう地点へと到達していて、見覚えのある崖が雪の中に沈んでいる。そっと崖下を覗き込んでみると、凍えるほど寒い中に白いケープを着た老婆が、雪の降る曇天を虚ろな瞳で見上げていた。この寒空の下、ずっとあの体勢のまま立っていたということが事実であれば恐ろしいものである。


「ユフィーリア、ショウ君」


 グローリアはユフィーリアとショウへ視線をやると、朗らかな笑みを見せた。


「エリスの説得は僕がやるよ。彼女が攻撃してきたら、僕を守ってね」

「おうよ、任せろ」

「了解した」


 頼もしい部下の返答を受けて、グローリアは背筋を伸ばして崖の上に立つ。

 忘れ去られた過去から目を背けることは、もうやめた。

 彼は手にした大鎌を曇天に掲げて、朗々とした声で術式を発動させる。


「適用――『時告げの鐘ベル』」


 その時。

 がらーんごろーん、と荘厳な鐘の音が曇天に響き渡った。近くで聞くことになったユフィーリアとショウは、揃って耳を塞いで苦情を叫ぶ。


「おまッ、グローリアなんの恨みが!?」

「耳が……耳が痛いッ!!」


 先ほどまで乱暴していた罰なのだとしたらあまりにも惨すぎるのではなかろうか。

 護衛するどころではなく、耳を塞いでうずくまるユフィーリアとショウなど意にも介さず、グローリアはきっちりと荘厳な鐘の音を三度ほど曇天に轟かせると、ピタリとその音を止めた。


「エリス・エリナ・デ・フォーゼ殿とお見受けします。僕はグローリア・イーストエンド、アルカディア奪還軍の最高総司令官です」


 胡乱げに緑色の瞳をグローリアへと向けた彼女は、つい先ほどまでの突き放したような態度とは打って変わって、穏やかな笑みを浮かべて「あらあら」と頰に手を当てた。


「わたしの教え子にもグローリアって名前の男の子がいます。とても優秀な子で、わたしも鼻が高い限りです」

「左様ですか。それほど優秀な生徒さんと同じ名前であることを、僕も誇りに思います」


 懐中時計が埋め込まれた死神の鎌を一振りして、グローリアは『空間歪曲ムーブメント』を発動させる。臆することなく空間の歪みに飛び込んで、崖下に出口を繋げることによって飛び降りるという危険性を排除する。

 自ら崖下に降りたグローリアを追いかけるようにして、ユフィーリアとショウも崖から飛び降りて最高総司令官の後ろに控える。エリス――エリス・エリナ・デ・フォーゼが下手な動きを見せればすぐに行動へ移せるように、最大限の注意を払って二人のやり取りを見守る。

 居住まいを正したエリスは、やはり穏やかな笑みを浮かべながら「それで」と最高総司令官として前に立ったグローリアに問う。


「どのようなご用件でいらっしゃいました?」

「戦力拡充を目的とする勧誘」


 グローリアは包み隠すことなく、直球に用件を伝えた。

 過去に【白面九尾ハクメンキュウビ】の天魔憑きである八雲神やくもがみを味方に引き入れた実績があるからか、彼の言葉には迷いがなかった。嘘もなにも言わずに、正直に相手へ伝えることが肝心なのだ。

 エリスの穏やかな笑みが固まる。お断りの言葉を聞くより先に、グローリアが先手を打つ。


「貴殿のように強大な力を有する天魔憑きは、極めて珍しいです。天魔に地上を支配された現在、僕の作戦に貴殿の力が必要なのです」

「……作戦、ですか。あなたが総指揮を執ると?」

「ええ。これでも、戦死者を出したことはありません。仲間を失うことは、半身を失うことと同義であると僕は考えておりますので」


 エリスの緑色の瞳が、スッと音もなく眇められた。

 過去に、グローリアはこう言っていた。「僕を形作ってくれたのは、エリスなのだ」と。彼を、戦死者を出さない天才とも呼ばれる指揮官に育てたのは紛れもなく彼女であり――そして彼女もまた、戦術に対しては多少なりとも腕に覚えがあるのだろう。

 人間とは不思議なもので、他人が優秀であると負けず嫌いが発動してしまう訳で。

 そして、この穏やかな老婆――エリス・エリナ・デ・フォーゼも例外ではなかった。


「戦死者を出したことがない、などとは不可能です」

「いいえ、僕なら可能です」

「そんなこと現実にはあり得ません」

「あり得ます。僕はそれを実現してきました。――疑うというのでしたら、比べてみますか?」


 グローリアの笑みは、相変わらず朗らかなままだ。そして明確な挑発を行った。

 戦死者を出さない作戦を立てるのは、お前なんかができる訳ない。自分なら可能だけど。――暗に彼はそう告げたのだ。

 挑発を確かに受け取ったエリスは、果たしてどう反応するか。ムキになって言い返してくるか、あるいは冷静に不可能な点を述べていくか、それとも――。

 そこへ、凄まじい勢いで「待った!!」と言いながら走ってくる人影があった。

 雪と同化するほどの白い髪と丈の短い白い着物、薄氷の瞳に隈取くまどりを施した雪の鬼。彼女は雪を蹴飛ばしながらエリスとグローリアの間に滑り込むと、ギロリと刃の如き眼光をくれてくる。

 あの時、確かに殺したはず。舌打ちをしたユフィーリアもまた、グローリアを守るように前へ進み出て、純白の鬼と相対を果たした。


「よう、死に損ない。地獄からわざわざ這い戻ってきたって訳か?」

「はッ、さっきは遅れを取ったが次はそう簡単にいくまいよ。雪があれば、わたしは何度だって蘇るさ!!」


 偉そうに胸を張る純白の鬼女――【雪鬼ユキオニ】は、ズビシッ!!とユフィーリアを指差すと、


「【雪魔女ユキマジョ】様、こいつは大悪党です!! わたしが相手をしているうちに、お逃げください!!」

「【雪魔女】……? いえ、わたしは」

「うおおおッ!! この【雪鬼】に敵うと思うなよ愚物がああああッ!!」


 他人の話を聞かずに突っ込んできた【雪鬼】の角を引っ掴み、ユフィーリアは崖上めがけてぶん投げる。「あー」という間抜けな悲鳴が聞こえてきたが、今に復活してくるだろう。

 ややこしい相手が戻ってきたものである。ユフィーリアは「クソが!!」と悪態を吐くと、


「おい、グローリア!! お前はこの婆さんの相手をしろ!! 俺らはあの馬鹿をぶちのめしてくるから!!」

「うん。任せて」


 グローリアがしっかりと頷いたことを確認して、ユフィーリアは崖の凹凸を利用して駆け上がる。相棒のショウもまたユフィーリアにすぐ追いついて、雪の中に頭から埋まる間抜けな天魔と対峙する。

 埋められた頭を雪から引っこ抜いた【雪鬼】は、鼻頭に雪の塊を付着させたことにも気づかずに第零遊撃隊の二人を睨みつけてきた。


「おのれ……殺してやる!!」

「そりゃこっちの台詞だ、この馬鹿鬼。誰に喧嘩を売ったのか、その体に分からせてやるよ」


 大太刀の鯉口こいくちを切ったユフィーリアは、最強とも名高いその名を声高に轟かせる。


「この【銀月鬼ギンゲツキ】に勝とうなんざァ一万年早えよ!!」


 ☆


 崖上から聞こえてくる戦闘音に耳を傾けて、しっかりと部下二人が生きていることを認識する。

 グローリアは満足そうに頷くと、自分の恩師であるエリスへと向き直った。

【雪鬼】という異分子のせいで混乱しているようだが、視線を受けた彼女はすぐに取り繕うように笑みを浮かべた。「なんだったのでしょう?」と問いかけてくるあたり、本当に【雪鬼】に関しては知識がないようだ。

 こうして二人きりになれたのは好都合だ。


「遊戯をしましょう」

「遊戯?」

「戦略遊戯です。僕の方が優れた指揮官であると、証明します」


 朗らかに笑いながら、グローリアは続けた。


「僕が子供、貴殿が殺人鬼。殺されずに屋敷を脱出できれば、僕の勝ち。僕を殺せれば、貴殿の勝ちということで」

「――よろしいのですか?」


 自信ありげに口元を綻ばせた老婆は、


「わたしは、この戦略遊戯では負けなしです」

「それは期待できそうです。僕も指揮官の端くれですから、負けませんよ」


 ピキピキ、パキパキと音がする。

 氷の椅子に氷の机、その上に鎮座するのは分割された屋敷。中を覗き込める仕様となっていて、その脇には大小の人形が作り出される。

 一脚の椅子に腰かけて、グローリアは小さな人形を手にしながら宣告する。


「――さあ、勝鬨を上げようか」

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