第3話【誰も彼もが後悔して、誰も彼もが迷う】
「これから悪夢の繭の討伐作戦を発表するよ」
かろうじて残された『
それらの指揮系統を委ねられたアルカディア奪還軍最高総司令官――グローリア・イーストエンドは、朗々とした声で今回倒す悪夢の繭の為に組み立てられた作戦を発表する。
「悪夢の繭は現在、結界の外にも飛び出している状態だ。まずは飛び出した部分をもう一度結界の中に収めた上で、封印作業を開始する」
「封印なんざもう効かねえだろ」
グローリアが提示した作戦に対してユフィーリアが悪態を吐くと、その言葉をしっかりと拾っていたグローリアが「うん、確かに効かないよ」と頷く。
「ただ、結界の外に出てしまった悪夢の繭をどうにかするという前提条件がある。悪夢の繭はその時点でもう結構ボロボロの状態になっているはずだ」
「…………それ無茶じゃねえの? あんなの相手にしろって?」
「君たちならできるよ。これまで数々の困難を打ち砕いてきたんだから」
満面の笑みでとんでもないことを口走る最高総司令官に、奪還軍に所属する天魔憑きは全員して「うわぁ……」とでも言いたげな表情を浮かべた。もちろんユフィーリアも、いまだ狼の姿をしたままのエドワードも。
ユフィーリアとしても、なるべく無茶なことをしたくないのが本音だ。こちらは相棒のショウが戦線離脱した状態で、万全ではないのだ。ショウがいてくれるならば、きっと笑いながら「まあ仕方ねえよな、こいつだもんな」と割り切っていただろうが、今のユフィーリアにそんな余裕はない。
不貞腐れた様子で外套の内側から煙草の箱を引っ張り出すと、グローリアに「ユフィーリア」と呼ばれる。顔を上げると、黒髪紫眼の青年はユフィーリアに向かって手招きをしていた。
「ンだよ」
「ショウ君が使えない今、君は万全の状態ではないけれど頑張ってもらわなきゃいけないんだ」
「分かってる。エドも一緒にいるからな、そこまで無茶なことはしねえよ」
「不意打ちで悪夢の繭に飛び込んで戦死なんて洒落にならないことはやめてよね。今の君だったら、なんかそういう行動に走りそうだから」
幻想的な紫色の瞳に強い意思の光を宿したグローリアは、
「君もショウ君も、僕の大切な部下だ。だから勝手に死ぬことは許さない。もちろん、ここにいるみんなを死なせるつもりは毛頭ない。――君には重ねて命令するよ、勝手な行動はしないこと」
「……言われなくてもそうしてやるさ」
ユフィーリアは適当に話を切り上げて、箱から直接煙草を咥えて戻っていく。
狼の状態のエドワードは、ハーゲンとアイゼルネの二名によってがっちりと拘束されている状態だった。ハーゲンが背中の毛に顔を埋め、アイゼルネはエドワードの頭を側頭部から掴むようにして頬の筋肉をほぐすかのようにぐにんぐにんといじくり回していた。好き放題にされているエドワードは抵抗を諦めたようで、死んだ魚のような目でユフィーリアを迎える。
これから作戦行動だというのに、さっそく新たな相棒がいなくなりそうな予感にユフィーリアは苦笑し、アイゼルネとハーゲンの脳天にそれぞれ拳骨を落とした。
「自分が嫌なことを相手にもするなって言ったろうが。見てみろ、エドのこの目を。死んでるだろ」
「尻尾から空気を入れれば生き返るゼ♪」
「今だけは冗談でもやめてやれよ」
いつもだったらノリノリで「そうだな、やってみるか」なんて口走ってエドワードに蹴飛ばされるのがオチなのだが、今日に限っては冗談も封印状態である。エドワードの背中に張りついたままのハーゲンを引き剥がし、アイゼルネを追い払うと、ユフィーリアはエドワードの乱れた毛並みを整えてやるように撫でる。
エドワードはパタリと箒のような尻尾を振って、弱々しい声で「ありがとうねぇ」と言う。
「なーんか、この状態だとモテモテなのよねぇ。参っちゃう」
「そりゃ、いつもの三人ぐらいは殺してるような凶悪面とは違って、犬の状態だからなァ。動物だと凶悪な面でも大体許されるよな」
「えー、そういう問題な訳ぇ?」
狼の姿なのに、不満げに唇を尖らせている様が分かるエドワードに、ユフィーリアは苦笑しながら「冗談だよ」と言った。高い鼻をふんすと鳴らしたエドワードは、ツンとそっぽを向きながら「冗談には聞こえなかったけどねぇ」とチクリと嫌味を垂れる。
すると、こちらに近づいてくる足音の存在に、ユフィーリアは気がついた。どこか不安げで、おどおどとしたその足取りは、平素の彼とはだいぶ打って変わっていた。
それだけで、おそらく彼だろうなという予想はつけられる。エドワードが「おりょ」と彼の存在に気づいたかのようなわざとらしいそぶりを見せ、ハーゲンもアイゼルネも「おー、よっす」だとか「顔死んでるゾ♪」だとか冗談で空気を和らげようとしている。――多分、今の彼には逆効果だろう。
「――ユフィーリア」
遠慮がちに発された凛とした声は、気落ちしたようにも聞こえる。明らかに元気がないのは分かる。そして、その元気のなさを作り出した原因の一端をユフィーリア自身が担っていることも、理解できる。
ユフィーリアは火のついていない煙草を口の端で器用に揺らし、仕方なしに振り返った。
五歩程度の間隔を開けて、俯き加減にショウが立っている。彼の中では言葉を探しているようだが、心のない形式張った謝罪が飛んでくるより先に、ユフィーリアは行動を起こすことにした。
大股で一歩を踏み出して、ショウとの距離を詰める。驚愕で赤い瞳を見開いて固まる彼の頭を少し乱暴に撫でてやり、快活な笑みを浮かべてみせた。
「大丈夫だって、心配すんな。【
「――ッ」
ショウが息を飲む様が見えた。
それもそのはず、いつもなら「ショウ坊」と呼ぶところを、ユフィーリアはわざと「少年」と他人行儀な感じで呼んだのだ。
これは一種の線引きである。
この任務が終われば、第零遊撃隊は解体する。ユフィーリアとショウの相棒関係も、ここまでということになる。ユフィーリアは、相棒であるなら仕事を抜きにした信頼関係を築きたいと願っているし、そうすれば普段での戦闘でも円滑な動きができるから。
しかし、ショウの認識ではあくまで仕事上の関係であると割り切ったものであったようで、今まで過ごしてきた期間も任務であると捉えていたようだった。命令されるがままにユフィーリアの相棒でいるのならば、そんなお人形はいらないのだ。
「俺は『最強』だからな、あんなの簡単に倒せるっての。じゃあな、少年。社の中で待機しとけよ」
「――ぁ」
伸ばされたショウの右腕から逃れるように、ユフィーリアは足早で少年から距離を取った。
成り行きを見守っていたエドワード、ハーゲン、アイゼルネのもとへ戻ると、ユフィーリアはなんでもなかったかのようにケロリとした笑顔を見せて、
「エド、そろそろ行こうぜ。
「――うん。いいよぉ」
ユフィーリアは狼の姿をしたエドワードを引き連れて、さっさと戦場に向かった。
背後から忍び寄ってくる視線を振り切って、思考回路を戦闘用のものへと切り替える。
☆
吹き荒ぶ風が、ユフィーリアの銀髪をさらにボサボサにして、なおかつ黒い外套の裾もバタバタと揺らす。
鬱陶しそうに銀髪を掻き上げたユフィーリアは、苛立ちがこれでもかと孕んだ声で「あークソ!!」と品性のかけらもなく叫ぶ。
「どうなってんだよこれ!! 本当に鬱陶しい!!」
「下手したら吸い込まれそうなんだけど、本当に最高総司令官はなにを考えてるんだかねぇ?」
「おい、エド。俺の足の間に挟まってんじゃねえよなにしてんだよ」
「飛ばされないようにしてるんだよぉ。俺ちゃん、こう見えてちょっと軽めだからねぇ」
「飛んでいけ」
「酷くない!?」
ユフィーリアの両脚の間に挟まって、風に飛ばされないように重石代わりにしているエドワードを、無理やり足から引きずり出そうとするユフィーリア。嫌がるようにエドワードが爪を立ててくるが、問答無用で引っぺがした。
天魔最強と名高い【
「狐巫女のお嬢ちゃんたちは準備できたんかな」
「なんでも八雲神が渾身の一撃で仕留めるって聞いたよぉ」
「…………え、あの爺さん殴るの? あれを?」
「まさか。なんか知らないけど、あれを倒す為の奥の手があるって言ってたねぇ」
「ンなモンあるなら最初から使っとけよなァ」
出し惜しみなんざするんじゃねえよ、とユフィーリアは煙草の先端を嚙み潰しながら、苦い顔で吐き捨てる。
そんな手段が実在するならば、最初から使っておけばよかったのだ。そうすれば誰も死ぬことも、傷つくことも、ショウが【火神】を奪われることもなかったのだ。
――そして、ユフィーリアがあの言葉を聞く羽目にならずに済んだのに。
「でも、その手段を使っちゃうと八雲神さんは死んじゃうみたいだけどねぇ」
「……あー」
エドワードののほほんとした言葉を聞いて、ユフィーリアは前言撤回を考えた。
というのも、目の前で天魔憑きが消滅した光景を見たことがあるのだ。
蒼海に浮かぶ鋼鉄の島――その中心部で起きた激しい攻防の末、死にかけた弟を救う為に姉である少女が起こした勇気ある行動。彼女自身が結んだ契約は、弟へ譲渡されたことで弟は生き長らえ、そして契約を譲渡した姉は光の粒となって消えた。輪廻転成さえも許されない、永遠の死の世界へ旅立ったのだ。
おそらく、八雲神も同じような道を辿ることになるだろう。妻子を持つ者として、そして『斗宿』を代表する国主として、苦渋の決断だったに違いない。
「――使わせる訳にはいかねえな」
「んん? ありゃまあ、一体どういう風の吹き回しぃ?」
「天魔憑きが目の前で消滅するのを見たことがあるからな。嫁さんや
ならば。
戦場に立つ兵士として、やるべきことはなにか。
誰も悲しませず、誰も失わせず、敵を倒してみんなで大団円を迎えるには、どうすればいいか。
ユフィーリアは咥えた煙草の先端に火を灯し、エドワードの頭をわしわしとやや乱暴気味な手つきで撫でる。
「そんじゃ、頼むぜ相棒。俺の背中は預ける」
「はいよぉ。久々だからねぇ、気合いを入れて走るよぉ」
自信満々に尻尾を振る狼の頭を撫でながら、ユフィーリアは「頼もしいなァ」と笑った。
此度の敵は目の前に聳える黒い樹木。
膨張し、成長し、侵略する超ド級の怪物に、ユフィーリアは立ち向かうのだった。
「なるほどナ♪ テメェ様がユーリの調子を狂わせたのカ♪」
伸ばされた腕は虚しく空を切り、ショウは視線を落とす。
アイゼルネの言葉の通りだ。あの言葉を口にしなければ、ショウはまだユフィーリアと友好的な関係が築けていたのかもしれない。本心ではないにしても、何故あの言葉を口走ってしまったのか、彼自身も分からないのだ。
もしかしたら、心の奥底では本当に『任務だから』と割り切っていたのだろうか。ショウはそんなことはないと思っていたのに、何故そんな考えを抱くようになってしまったのか。
「ものの見事に突き放されちまってナ♪ 可哀想にナ♪」
「…………返す言葉もない。俺は、ユフィーリアを傷つけた」
「その自覚があるんなら、どーして『ごめん』の一言が言えねーんダ♪」
「…………ッ」
アイゼルネに指摘されて気づくなど、失態の極みである。ショウは口元を覆い隠す布の下で静かに唇を噛んだ。
ただその一言だけで済んだのだ。それなのに、その言葉が出てこなかったのは、人付き合いを絶ってきたのが原因だろうか。
堪らずどこかに隠れてしまいたくて、それでも足が固まったように動かなくて、ただ立ち尽くすショウにアイゼルネがさらに言葉を重ねた。
「ユーリは少なくとも、テメェ様のことが気に入ってたゼ♪ じゃなきゃ一緒にいねえだろうしナ♪ その繋がりを、どういう訳かテメェ様は絶っちまっタ♪ 戦線離脱を命じられたんなら、その原因を考える時間はたんまりあるだろーヨ♪」
じゃーナ♪ とアイゼルネは相変わらず戯けた調子で、どこかへと去っていく。
ユフィーリアが消え、エドワードが消え、アイゼルネが消えた今、残されたのはハーゲンだけだった。彼は特にショウやアイゼルネにも言及することなく、黙って事の成り行きを見守っていただけだが、やがてゆっくりと口を開いた。
「テメェ、どうしたいんだよ」
「…………分からない」
「分からないんだったら、ユーリの隣の立つな。アイツは奪還軍の要である以前に、オレらの大切なダチだ。どこの馬の骨とも分からねえような奴に、ユーリの相棒なんざ任せたくなかったんだ」
吐き捨てるように言ったハーゲンは、ショウの反応など気にも留めずにさっさとその場から立ち去ってしまう。
彼の判断は正しいだろう。それでいて、真っ直ぐな故に残酷だ。膝から崩れ落ちなかっただけでも、もはや奇跡のようなものだろう。
不意に、ショウの頭の中にとある男の落ち着いた声が響いた。
――君は、君の人生を歩みなさい。
歩んでいるつもりだった。
それでも、周りからすればただ流されているだけに過ぎないのだ。
(――父さん、俺はどうすればいい)
どうすれば、彼女にふさわしい相棒になれるのだろうか。
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