第2話【失言、そして相棒解消】

 医務室として利用されている社の廊下を、銀髪碧眼の女が競歩のような速度でずんずんと歩く。途中ですれ違う狐巫女から「廊下は静かに歩いてください!」と注意されたが、彼女は振り返ることなく歩き続けた。

 透き通るような銀色の髪はぼさぼさで寝癖が目立ち、気品漂う青い瞳には恐ろしいほどの気迫が滲んでいる。人形めいた顔立ちも今だけは真剣そのもので、そのあまりの切羽詰まった雰囲気に彼女の同僚すらもからかうことを控えた。

 黒い外套を翻し、腰からいた大太刀を揺らしながら彼女は突き進み、そしてピタリと閉ざされた紅葉の襖の前で立ち止まる。彼女は静かに深呼吸してから、襖をスパンと開いた。


「おいーす、ショウ坊。生きてるか」


 口調そのものは軽薄な印象を受けるものの、表情がそれに伴っていない。

 襖を開けた先には六畳の和室が広がっていて、中央に敷かれた布団では少年が正座して窓から見える景色をぼんやりと眺めていた。

 長い黒髪が腰にまで届き、銀髪の女が入ってきたことで振り向いた顔の中心では色鮮やかな赤い瞳が輝いている。顔の半分以上は黒い布によって覆われていて、しかしそれを差し引いてもなお美人であることが窺える。

 少年――ショウ・アズマは、不思議そうに首を傾げて言う。


「どうした、ユフィーリア。なにか用事か?」

「――お前って奴はよ……」


 銀髪の女――ユフィーリア・エイクトベルは、深々とため息を吐いた。

 今まで相棒のショウをずっと心配していたのだが、いつもの調子でケロリとしていたので拍子抜けである。

 ……ショウは、自身が契約した天魔である【火神ヒジン】の能力を、およそ半分以上を奪われたらしい。ショウ自身が契約した【火神】は全体の四分の三の能力を有しており、そのうちの半分ということは、現在のショウの体を維持している【火神】は四分の一程度ということになる。下手をすれば消滅しかねない状況だ。

 なんだか小難しい算数の問題のような説明を受けた時は、ユフィーリアは「意味分かんねえ」としか言えなかったが、とりあえず消滅する危機がないならよしとするべきか。


「まあ、なんにせよ消滅の危機は免れたんだ。命拾いしたな」

「そうだな。あのまま奴を殴り飛ばしてくれなければ、俺は全ての力を奪われて消滅していたかもしれんな」

「感謝しやがれ」

「感謝する」


 こうして淡々とした調子で返してくるのも、いつもと変わらないものだった。しょんぼりとした様子は一切なく、それがユフィーリアの笑いを誘い思わず吹き出してしまう。

 これでよかったのだ。

 これでぶっ倒れたり、それこそ消滅の危機に陥っていたとしたら、あの悪夢の繭に怒りの感情を抱いたまま挑まなければならなかった。衝動のままに動けば、命はない。

 ユフィーリアは正座するショウと目線を合わせる為に膝を折り、それからショウの頭を乱暴に撫でた。


「まあ、お前の【火神】は取り戻してやるよ。だからお前はここで留守番な、しっかり休んどけ」

「――それはできん」


 ユフィーリアの手を払い除けながら、ショウは淡々とした口調のまま否定する。


「俺は貴様の相棒だ。貴様が戦うと言うのであれば、俺もまた戦わなければならんだろう」

「いや、術式が使えねえのに戦場に出てくんなよ。死んじまったら元も子もねえぞ」

「術式が使えずとも、なにかできることはあるはずだ。後方支援であれば武器があれば問題はない」

「だから、出てくんなって言ってんだろ。お前は術式が使えなくなっちまったんだから、大人しくここで待機してろよ。お前の【火神】なら俺が――」

「それなら俺の意味がなくなってしまう!!」


 珍しく、本当に珍しくショウが声を荒げた。

 ユフィーリアも驚いていた。声を荒げたショウにも驚いたが、なにより彼が戦場に固執していることにも驚きが隠せなかった。自身の手で菖蒲あやめから【火神】を取り戻したいのであればまだ理解できるが、彼がまだ戦えると訴えるのは別の理由があるように思えた。


「俺は貴様の相棒なのだろう。俺はまだ戦える。悪夢の繭に対抗する決定打とはならんだろうが、貴様の支援ならできるはずだ」

「ショウ坊、落ち着け。お前は戦えるほどの術を持ってねえだろ。大丈夫だ、ここは俺に任せろ。な? お前の術式を取り戻したら、また元の関係で」

「――


 無理をして戦場に出ようとするショウを懸命に止めていたユフィーリアだが、彼のそのたった一言で奈落の底に突き落とされたかのような気分になった。

 ほんの一瞬だけ、呼吸が止まった。心臓の音さえも聞こえなくなり、ショウの言葉が頭の中をガンガンと反響する。

 今、彼はなんと言っただろうか。

 彼は、自分の意思で隣に立つことを選んだのではないのか?


「――ショウ坊。お前、俺の相棒でいるのはただの任務なのか?」

「違う、今のは」

「違わねえだろ!!」


 今度はユフィーリアが言葉を荒げる番だった。

 いきなり怒声を叩きつけられたショウは、怯えたように肩を震わせた。


「そうだな、そうだよな。お前が命令さえありゃなんでもいいお人形野郎ってことをすっかり忘れてたわ。グローリアの第零遊撃隊に所属しろって命令を忠実に守ってるだけだもんな」

「違う、ユフィーリア。俺はそういうつもりは」

「じゃあ今の言葉はなんだったんだ? どういうつもりで、あんな言葉を選んだ?」

「それは……」


 言葉を探すように瞳を伏せるショウ。言い訳を探そうにもその言葉すら見当たらないようで、その行為がますますユフィーリアを失望させていく。

 所詮は、ショウにとって命令が全てなのだ。命令だから、ユフィーリアと組んで任務をこなしていた。

 ――それに、確かにユフィーリアは言ったではないか。

『仕事では仕方なく組んでやる』と。彼はその命令を忠実に守っているだけに過ぎないのだ。


「もういいわ、ショウ坊。この任務が終わったら、第零遊撃隊は解体する」

「――――ッ!!」

「信頼関係ってのは、命令云々ではできねえんだよ。お人形ちゃんのお前に、俺は背中を預けたくねえ」


 引き止めるべく伸ばされたショウの手を振り切って、ユフィーリアは身を翻していた。振り返らずに部屋を出て、襖を閉める。

【火神】は取り返す。

 だが、今後はもうショウ・アズマという少年と組むことはなくなるだろう。

 異様に静かな部屋を尻目に、ユフィーリアはぐしゃぐしゃと銀髪を掻きながら廊下を突き進む。目的は特にないが、ただいつまでも部屋の前に立ち尽くしていたくなかった。


「あれぇ? ユーリじゃないのぉ。ショウちゃんのお見舞いに行ったんじゃないのぉ?」


 ちょうど廊下の曲がり角に差し掛かった時、灰色の毛皮を持つ狼――エドワード・ヴォルスラムと出くわした。空気のように軽い飄々とした口調は悪く言ってしまえば草臥れたおっさんのようにも聞こえるが、昔からこの口調は変わりない。飽きるほど聞き慣れたものだ。

 ユフィーリアはエドワードの頭を軽く撫で、「問題なかった」とだけ言った。

 いつもは「髪型が乱れるでしょぉ!?」と撫でられることを嫌がるエドワードだが、今この時に限って、彼はユフィーリアからなにかを感じ取ったらしい。箒のようにふさふさで立派な尻尾を一振りして、


「なーんかあったのぉ?」

「別になにも」

「なにもなかった、じゃないでしょぉ。なんか捨てられた子犬みたいな顔してるよぉ」

「どういう顔だよそれ」


 苦笑したユフィーリアは「別になんともねえっての」とごり押しして、ショウに言われたあの言葉を隠した。どうせ彼には筒抜けになっているだろうが、なにも追及してこない彼の優しさに密かに感謝した。

 エドワードは「ふーん」と銀灰色の瞳を眇めて、


「じゃあさ、ユーリ。久々に俺ちゃんと組まない?」

「あ?お前、自分とこの部隊はいいのかよ」

「いーのいーの。優秀な【地獄犬ジゴクケン】のアザレアに任せるし、第二索敵強襲部隊の存在もあるしねぇ。やることって言えば囮が多いんだし、あんなデカブツに囮が通じる訳がないもんねぇ」


 エドワードは離れたユフィーリアの手のひらに頭を擦り付けて、


「それよりも、ユーリの方が大役を務めなきゃでしょぉ? 死んじゃったらそれこそ奪還軍の終わりだしぃ、ユーリ以上に戦える天魔憑きなんて世界中探しても見つからないんだからぁ。俺ちゃんは、ユーリが死なないように助けるのよぉ」

「…………それ、グローリアの奴に命じられたからだとかじゃねえよな?」

「まさか。俺ちゃんがそんなタマに見えるって訳ぇ? 心外だよぉ」


 犬の顔になっているというのに、不満げに唇を尖らせている表情が見えた。ユフィーリアは不機嫌そうなエドワードの頭をもふもふと撫でて、「悪かった悪かった」と謝罪する。


「じゃあ、久々に悪童コンビが復活ってことで」

「いいねぇ、腕が鳴るねぇ。俺ちゃんも気合入れて走らないとねぇ」


 エドワードが前足を上げて、ユフィーリアが掲げられた前足に拳を軽くぶつける。その一連の流れは、ユフィーリアとエドワードが相棒同士になったことを告げていた。

 ユフィーリアが奪還軍に入る前の話だ。

 奪還軍に入る前、ユフィーリアはエドワードとハーゲン、アイゼルネと共に地上を彷徨い歩いていた。その果てに【閉ざされた理想郷クローディア】を目指す奪還軍の集団を見つけて、グローリアに説得されてその配下に加わったのだ。

 それ以前は、ユフィーリアとエドワードは相棒同士であった。少なくとも、相棒の関係を『任務』と呼んだショウよりもいい関係を築けていたと思う。

 だからこれは、昔に戻っただけのことだ。

 それなのに。


(――胸がこんなに痛えのは、なんでだろうな)

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