第9話【形成逆転】

斗宿ヒキツボシ』上空では、激しい打ち合いが繰り広げられていた。


「ちょこ!!」


 虚空を悠々と飛び回る黒髪の狐巫女を追いかけて、ユフィーリアが神速の居合を放つ。だが、寸前で狐巫女を球状に覆っている結界が黒く染まって獲物を隠し、結界を犠牲にして切断術から上手く逃れる。


「まかと!!」


 背後から襲いかかった火球を再び張った結界で防ぎ、さらにユフィーリアがぶん投げた手榴弾も結界によって阻まれる。爆風とバラバラと舞う手榴弾の破片の下から、無事な様子の黒い狐巫女が姿を現した。


「するなァ!!」


 崩れかけた社の屋根を力の限り蹴飛ばして飛び上がり、ふわふわと浮かぶ黒い狐巫女めがけて大太刀を振り下ろす。薄青の刃は結界によって阻まれてしまうが、結界ごと弾かれた彼女はごうごうと音を立てる悪夢の繭の根へと落ちていく。

 根っこに触れる直前で再び浮かび上がるが、狐巫女を取り囲むようにして火球の雨が降り注ぐ。ボボボボボンッッッッ!! と立て続けに爆発するが、狐巫女は欠損した左腕をひらひらと振って無事であることを示してきた。

 ちょこまかと空中を逃げ回っては、攻撃の一切合切を許さない。結界は強固なもので、見えてさえいればあらゆるものを切断できるユフィーリアの『切断術』でもってしても姿を見えなくしてしまうので意味がなかった。

 ひらりと崩れかけた社の屋根に着地したユフィーリアは、忌々しげに舌打ちをして大太刀を黒鞘に納める。


「弾き飛ばして悪夢の繭に食わせてやろうかと思ったけど、やっぱり無駄だったな」

「防衛線を築かせたら右に並ぶ者はいないとされる【白面九尾ハクメンキュウビ】の悪面だ。防御に関しては貴様も及ばんだろう」

「事実だけど、改めて言われると腹立つなァ」


 ユフィーリアの少し後ろに控えるショウもまた、どこか不機嫌そうにしていた。心なしか、言葉の端々に棘のようなものを感じる。

 黒い狐巫女――菖蒲あやめは、くすくすと楽しそうに笑っている。その笑顔がまた苛立ちを助長させるもので、ユフィーリアは衝動的に足場にしている社の屋根からかわらを一枚引き剥がして、力任せにぶん投げた。当然のように瓦は菖蒲を守る結界によって阻まれて、パンッ!! と粉々に砕け散る。いらない労力を使っただけだった。


「あらあら。もう終わりですか?」


 余裕綽々といったような風の菖蒲に、ユフィーリアは再度舌打ちすることで応じる。

 援軍が到着する気配は、いまだない。たかが人数を呼びに行くだけでこれほど時間がかかるのかと思ったのだが、確認してみたら三〇秒も経過していなかった。

 すると、ユフィーリアとショウが足場にしている社の屋根が、急激に傾き始める。見れば成長した悪夢の繭が手足である根っこを伸ばしてきていて、めりめりと傾く社に食らいついていた。このままでは飲み込まれてお陀仏だ。


「クッソ、どんどん後退させられる!! ショウ坊、本当に燃やせねえのかよ!!」

「不可能だ。あれが本当に生物であると断定できる要素がない!!」


 徐々に悪夢の繭へ飲み込まれていく社から飛び退ったユフィーリアとショウは、今度は桟橋の上に着地する。さらさらと橋の下を小さな川が流れていくが、瓦礫のせいで途中で水の流れを堰き止められていて、軽く氾濫はんらんしていた。

 次々と社や桟橋や大地を削って飲み込んで、悪夢の繭は成長していく。その付近を悠々と菖蒲が飛び回り、子供の成長を喜ぶ親のように穏やかな表情を浮かべて悪夢の繭を観察している。背後から狙えるだろうが、結局は結界に阻まれるのが見えている。

 その時だ。


「――――。――――」

「――――、――――」

「――、――、――――」

「――――、――、――――」


 幾重にもなって聞こえてきた、不可解な単語の羅列。それらは一つの文章となって形を成し、中心で急速に成長しながら暴れていた悪夢の繭が徐々に大人しくなってきている。

 弾かれたように周囲を見渡すと、悪夢の繭を囲むようにして狐巫女たち全員が同じ印を結び、同じ速度で同じ詠唱の言葉を紡いでいる。その筆頭となっているのは、崩壊したこの『斗宿』の国主――八雲神やくもがみだ。

 八雲神の姿を認めた菖蒲は、それこそ親の仇でも見るような目を詠唱する彼へ向ける。それまでの穏やかな表情はどこへやら、犬歯を剥き出しにして背後の尻尾をざわつかせる。


「おのれ……貴方様はまだわたくしの邪魔をするのかッッ!!」


 菖蒲は、そこで初めて攻撃の姿勢を示した。彼女は素早く印を結ぶと、ひたすら悪夢の繭を鎮める詠唱を続ける八雲神めがけて闇色の火球を放つ。

 禍々しい雰囲気をまとって燃え上がる火球を、ユフィーリアは八雲神に触れる前に切断する。切断術を受けた火球は上下に分断されると、あっという間に消えた。


「この、小猿如きが思い上がるなァッ!!」

「口調が乱れてるぜ、もしかして怒ってるゥ?」


 今度はユフィーリアが挑発する番だった。不敵に笑んだユフィーリアは、抜き放ったままの大太刀を黒鞘に納めて菖蒲を睨みつける。

 大人しくなりつつある悪夢の繭を見上げて舌打ちをした菖蒲は、その両手に禍々しい黒い炎を生み出しながら絶叫した。


「いいでしょう……邪魔をするのであれば、わたくしは容赦は致しません。今まで羽虫の攻撃だと思って見過ごしておりましたが、貴女様から先に潰させていただきます!!」

「やってみろよ、アバズレ。俺は簡単に倒れねえぞ」


 おどろおどろしい声音で言う菖蒲に対して、ユフィーリアは飄々とした態度を貫いた。

 菖蒲はユフィーリアの軽薄な態度を挑発と受け取ったのか、その両手に生み出した禍々しい炎へさらに力を込める。ボボボ、ボボボ、と炎の勢いは増していき、大きさも膨らんでいく。


「舐めるな、小猿が!!」


 口汚く罵って、菖蒲は生み出した火球をそれぞれユフィーリアとショウめがけて放った。

 めらめらと燃え盛る火球を視線の先に置き、ユフィーリアは切断術を発動する。神速の居合は確かに二つの火球を、それぞれ上下に分割した。


「すまない、ユフィーリア!! 一分ほど時間を稼いでくれ!!」

「おう、任せろ!!」


 一分ということは、広範囲を焼き払う大技の『紅蓮葬送歌グレンソウソウカ』の詠唱でもするのか。ショウの頼みを二つ返事で引き受けると、ユフィーリアは飛んできた闇色の火球を大太刀で払い落とす。

 詠唱を開始したショウを守るように立ち、ユフィーリアは外套の内側から一挺のマスケット銃を引き抜いた。飛んできた火球に大太刀を叩きつけ、空いた方の左手でマスケット銃を構えると、虚空を漂う菖蒲に狙いを定めて引き金を引く。撃鉄部分に埋め込まれた赤い石が砕け散り、銃身に刻まれた幾何学模様の溝を赤い光が流れていくと、銃口に光が収束して解き放たれる。一条の光となって放たれた赤い光線は、ちょうど浮いていた菖蒲の右足を貫いた。

 触れたものを爆発させる赤い光は、菖蒲のほっそりとした右足の膝から下を爆破させる。細かな肉片が飛び散り、血潮が弾け、菖蒲の絹を裂くような甲高い絶叫が響き渡る。


「おのれ、おのれェ!!」


 唾を飛ばしながら激昂する菖蒲だが、もとより攻撃手段をそれほど持ち合わせていないのだろう、黒い火球を生み出して投げつけるという芸当以外はしてこない。だから攻撃の軌道も読みやすい。

 すると、ユフィーリアとショウが立つ桟橋のすぐ近くで、パシャンと水を打つ音がした。

 一陣の風がユフィーリアの外套の裾を揺らし、僅かな水飛沫が舞う。視界の端で捉えたものは、真っ直ぐに菖蒲めがけて駆けていくだった。


「な、狼なんてどこから……ッ!?」

「よそ見してる暇があんならよォ!!」


 ユフィーリアは桟橋を蹴飛ばす。

 菖蒲が走り回る狼に注目してくれたおかげで、接近することができた。陽動に成功した狼は瓦礫を器用に飛び越えて、自慢げに高い鼻をふんすと鳴らしていた。

 紫眼を見開いて固まる狐巫女を捉え、ユフィーリアは大太刀を叩きつけた。かろうじて残った右腕で菖蒲はユフィーリアが振り下ろした大太刀を防ごうと試みるが、天魔最強と名高い【銀月鬼ギンゲツキ】の剛腕に勝てる訳がなく、真下にあった崩れかけの社めがけて落下する。


「ギ、あがッ」


 社をさらに崩した菖蒲は、大の字で転がる。呻き声を上げて彼女は上空を見やると、大太刀を逆手に持ち替えたユフィーリアが重力に従って菖蒲の上に落ちようとしていた。

 回避しても遅い。彼女が結界を張ろうと印を結んだところで、ユフィーリアの構えた大太刀は菖蒲の薄い腹に突き立てられた。


「ぁ、があああああああああッ!?!!」


 口の端から血の混じった唾を飛ばし、菖蒲はなんとか腹に突き刺さった大太刀を抜こうと懸命に薄青の刃を掴む。だがユフィーリアの力に敵わず、ずぶずぶとさらに大太刀は菖蒲の腹の中に潜り込んでいく。

 巫女服を血で汚し、顔色も悪くなっていく菖蒲は、激痛によって涙が滲む紫眼でユフィーリアを睨みつけた。逆にユフィーリアは不敵に笑うと、瓦礫の上に縫い止められた狐巫女に言ってやる。


「おう、どうした。もう終わりか? 攻撃の種類が一つしかねえから欠伸が出そうだぜ」

「ご、ぉ、のれ……ッ!! おのれェ……ッ!! ご、ろずゥ……ごろじで、ゃるゥ!! 八雲神諸共、殺じでやる!!」

「最初の優雅さは一体どこに行ったんだろうなァおい。――お、喜べ菖蒲とやら。葬儀の熟練者がお前の葬儀を執り行ってくれるそうだ」


 ユフィーリアは腹に突き刺さった大太刀を乱暴に引き抜くと、菖蒲など構わずに逃げ出した。

 腹に風穴を開けられ、四肢を欠損した満身創痍の菖蒲を出迎えたのは、この世の終わりかと錯覚するほどの大量の炎だった。これより燃やされる本人はおろか、はた目から見守る側のユフィーリアでさえ地獄のような光景だと認識する。

 大量の炎を、さながら指揮者のように巧みに操る喪服姿のショウは、厳かに告げる。


「――紅蓮葬送歌」


 菖蒲を包み込む大量の炎が形を成していき、骸骨がいこつの巨大な手のひらとなる。

 ゆらりと持ち上がった炎の手のひらは、呆気にとられて動けずにいる菖蒲を握り込んだ。ごうごうと燃え盛る炎の中から、少女の断末魔が聞こえてくる。


「いつ見ても壮観だなァおい。――あとお前は大丈夫か」

「むり」


 大量の炎を使ったことによって極限まで空腹となってしまったショウはその場にへなへなと座り込み、空腹を訴える腹をさする。悪夢の繭討伐に際しては彼の術式が通じない為、菖蒲を討伐するこの瞬間に少し本気を出しすぎたのだろう。

 ユフィーリアは外套の内側を漁り、「悪い、携帯食料レーションしかねえんだけど」と言って直方体の固形物を引っ張り出すと、彼は奪うようにしてユフィーリアの手から携帯食料を掻っ攫い、もそもそと食べ始めた。絶対に口の中の水分が奪われると思うのに、飲み物すら飲まずによく食べようと思ったな。


「ユーリ、これって一体なんなのぉ?」

「おう、エド。お疲れさん。なんか知らねえけど悪夢の繭って言ってものすげえでかい怪物らしいぜ」


 一瞬でも菖蒲の注意を逸らすことに貢献した灰色の狼――エドワード・ヴォルスラムが、やはり器用に瓦礫を飛び越えてユフィーリアの元までやってくる。毛並みのいいエドワードの頭をわっしわっしと撫でてやると、彼は口先では「ちょっと、毛並みが乱れるじゃないのよぉ」と不満げではあるものの、尻尾は正直なようで嬉しそうにパタパタと振られていた。

 その隣でもっそもっそと携帯食料を頬張っていたショウは、そろりそろりと振り回されているエドワードの尻尾に手を近づけさせていく。ちょうど尻尾が触れるか触れないかの位置まで近づいて、パタパタと揺れる尻尾に触れると「もふもふだ……」と呟いていた。


「やだねぇ。この前だって大きな敵を相手にしたばかりだってのに、今回のは規格外じゃない?」

「まあな。でもこれどうにかしなきゃ、俺らの生活はマジで危ういぞ。酒飲んでぐーたらできなくなっちまう」

「だからってこの大きさはナシでしょぉ?」

「文句なら悪夢の繭にでも言えよ」


 菖蒲という障害が消えたことで少しだけ余裕を取り戻したユフィーリアは、外套の内側から煙草の箱を取り出す。狼状態のエドワードに興味津々な相棒を横目に、箱から直接煙草を咥えた。

 火を灯していない煙草を口の端で器用に揺らしつつ、


「で? 援軍はお前だけ?」

「あとからくるよぉ。俺ちゃんはほら、第一索敵強襲部隊の隊長さんだからさぁ?」


 職務を全うしなきゃでしょぉ、とエドワードはそんなことを言って行儀よくユフィーリアのすぐそばでおすわりしている。礼儀正しくおすわりしている姿を見ていると、普段の強面の巨漢が嘘のようだ。

 振り返れば、空間の歪みから次々と同僚がおっかなびっくり這い出てくる光景が飛び込んできた。元々は現実からかけ離れた神の世界とされていた景観が、悪夢の繭のせいで台無しにされていて、奪還軍に所属する同僚たちは「ここが『斗宿』か?」「本当にあったんだな……なんか荒れてるけど」と口々に言い合っていた。


「問題はこっちだよなァ。うちの最高総司令官殿は、一体どうやってこいつを倒すのかね」

「さてねぇ。あの人の考えてることは、俺ちゃんたちには到底理解できないからねぇ」

「それもそうだな。言われた通りにしてりゃ、生還率一〇割なんだからな」


 呑気に構えるユフィーリアとエドワードはヘラヘラと笑い、そのすぐそばでは携帯食料を胃袋に収めたショウが小声で「足りない……」と漏らしていた。

 その時だ。



「――――



 背筋が凍るような悍ましい声が、雑音を掻き分けて確かにユフィーリアの耳朶にまで届く。

 弾かれたように顔を上げたそこには、大人しくなっている悪夢の繭を背にして、体の大半を焼け焦がした黒髪紫眼の少女が浮かんでいた。

 あり得るはずがなかった。

 ショウの術式をまともに食らってもなお生きているなど、あり得るはずがなかった。


「は、やっぱり他人の獲物は横取りするべきじゃなかったな」


 ユフィーリアは口の端から煙草を滑り落とし、苦笑を浮かべて言った。

 八雲神は彼女のことを、自分の敵だと言った。それは自分が倒さなければならない相手ではなく、だからだったのだ。

 黒い狐巫女――菖蒲は、紫色の瞳をキュッと歪めて、うっそりと笑う。


「みぃつけた」

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