第十九幕 新時代の幕開け(Ⅱ) ~渡海人の確執

 イゴール軍との戦が終わり、マリウスがトランキア王の称号を得てから間もなくの事。ディムロスへと戻ったヴィオレッタは、宮殿の奥にあるとある一室を訪ねていた。そして部屋の扉の前に立つと、その扉をノックした。


ラン=リム・・・・・? いるかしら? ヴィオレッタよ」


 するとすぐに中から応えがあった。


『ム……? ヴィオレッタ殿カ? ドウゾ、入ッテクレ』


「……失礼するわね」


 扉を開けて中に入る。そこは宮殿内にいくつかある来客用の居室の内の一つで、現在はガレス軍から保護・・された異邦の女王ラン=リムに充てがわれている部屋だった。



「コレハヴィオレッタ殿。今日ハ妾ナドニ何用ジャ? モウマリウス殿ノ治療・・ハ済ンダハズジャガ……」


 拙い帝国語と共に、ゆったりとした安楽椅子に腰掛けていたラン=リムが立ち上がった。艶のある長い黒髪に黒い瞳。帝国人にはない異邦の美しさ漂う面貌。その衣装も帝国とは異なる様式の装束であったが、大分腹部・・にゆとりのある形状となっていた。


「ごめんね、突然お邪魔して。そのマリウスがあなたを呼んでいるのよ。会わせたい人達がいるからって」


「妾ニ会ワセタイ人? マア、オ召トアレバ妾ニ否ハナイ。今カラ行クノカ?」


「ええ、ありがとう、ラン=リム。じゃあ案内するわね」


 何故か少し複雑そうな表情を浮かべたヴィオレッタに促されて、ラン=リムは装束の上から少し厚手の肩掛けを羽織って部屋の外へと出た。





「あなたがここに来てからもう半年程経つけど……ディムロスには慣れたかしら?」


 宮殿内のマリウスの執務室に続く廊下を進む2人。ヴィオレッタが問い掛けるとラン=リムは小さく笑みを浮かべて頷いた。


「ウム……オ陰様デ大分慣レタト思ウ。皆ガ良クシテクレテ、妾ナドニハ勿体ナイ程ジャ」


「それは良かったわ。でも謙遜しなくていいのよ。あなたのお陰でソニア達の怪我も普通よりずっと早いペースで治ったし、それに何より……マリウスの治療・・の事も。あなたが我が軍に果たしてくれた貢献は計り知れない程に大きいわ。それを思えばむしろこの程度の待遇で申し訳なく思うくらいよ」


「ヴィオレッタ殿……アリガトウ。ソウ言ッテモラエルト気ガ楽ニナル」


 ラン=リムはホッと息を吐いた。ヴィオレッタは視線を下げて彼女のお腹に目を向ける。



「大分大きくなってきたわね。後2、3か月という所かしら?」



 同性ならではの忌憚のない見立てにラン=リムは苦笑して頷く。


「ウム、大体ソレクライジャロウナ。アヤツノ……ガレス・・・ノ血ヲ引イテイルダケアッテ、既ニ活発ニ動イテオルワ」


 愛おしそうな表情で自らの膨らんだ腹を撫でるラン=リム。ヴィオレッタは若干羨望の混じった視線でその光景を眺めた。彼女は軍師として激務をこなさねばならない身の為、そうした女としての幸せを封印する事を自らに課しているのだった。



「……ガレスの事はもう吹っ切れた?」


 かぶりを振って雑念を払ったヴィオレッタはラン=リムに問い掛ける。ガレスの子を身籠ってそれを大事に産もうとしている事から解るように、彼女はガレス軍にやってきた経緯・・からすれば信じがたい事に、ガレスとはかなり深い仲になっていたらしい。


 外からは完全に形式上の夫婦・・と思われていた2人だが、マリウスによると意外にもガレス自身もラン=リムの事を憎からず思っている節があったらしい。


 結果としてガレスとミハエルの最後を見届けた彼女の証言によって、マリウス軍は彼等の死を正式に確認する事が出来たのだ。


「……コノ子ノ事モアッテ今デモアヤツノ事ヲ良ク思イ出ス。アアナル前ニ何カ他ニヤリヨウハナカッタノカト自問スル事モナ。アヤツハ死ナセルニハ惜シイ男ジャッタ」


「そう、ね。私も時々似たような事は考えるわ。マリウスとガレスは出会い方さえ違っていれば、互いを認め合う友になれたんじゃないか、とね」


「……! 友、カ。確カニソウカモ知レヌナ。アヤツハ最後ニ、コレガ自分ノ役目・・ダト言ッテオッタ。自分ガ死ヌ事デオ主等ハヨリ団結シテ強クナル、ト」


「……!」

 ヴィオレッタは少し目を見開いた。ガレスの死の事実は聞いていても、その最後の言葉を聞いたのは何気に初めての事だった。


「そうだったのね……。なら私達は尚更負けられないわね。ガレスの遺志に応える為にもね」


「アリガトウ、ヴィオレッタ殿。アヤツモ浮カバレルジャロウ」


「いいのよ。……さ、着いたわ、ここよ」


 話している内にマリウスの執務室の前までやってきた2人。ヴィオレッタはノックしてから扉を開けてラン=リムを中に促した。



「やあ、ラン=リム。悪かったね、急に呼び出したりして」


 部屋の奥から掛かる声は、この部屋の主にしてマリウス軍の君主、そして今やこのトランキア州全体を治める【トランキア王】でもあるマリウス・シン・ノールズその人。


 奥の立派な椅子に腰かけて、執務机に肘を着いて両手・・を組んだ姿でラン=リムを出迎えた。


「……ッ!?」

 しかし……この部屋で彼女らを出迎えたのはマリウスだけではなかった。他にも2人・・の人間が先客として既に部屋にいたのだ。その2人の姿を見たラン=リムの目が驚愕に見開かれる。


「ヴィオレッタから聞いてると思うけど、君に会ってもらいたい人達がいてね。彼等・・の事は君も良く知っているよね?」


 マリウスが促すと、その2人の先客が応接用のソファから立ち上がった。そしてラン=リムに向かって……シャンバラ・・・・・式の礼を取った。


『おお……我等が美しきラン=リム女王! こうして再び麗しのご尊顔を拝謁できて恐悦至極に存じますぞ』


 拘根国語・・・・で恭しく挨拶をしてきたのは……拘根国の【官白】シン=エイ=インであった。


『…………』


 そしてその隣でうっそりと無言で頭を下げる巨体は、同じく元拘根国の【近衛】グ=ザン=ウ。


 2人ともラン=リムと同じシャンバラ出身の渡海人で、元は彼女の側近の地位にあった人物だ。だがミハエルの誘いに乗って莫大な賄賂と引き換えにラン=リムを裏切って誘拐し、ミハエルに彼女の身柄を売り渡したのだ。それだけでなく彼女が逆らえないように大切な妹のササも人質に取った。


 そしてガレス軍に協力して、グ=ザンは先のトランキア大戦にもガレス軍の一員として参加していたらしい。


 そんな卑怯卑劣な裏切り者共が……敵対していたはずのマリウスの居城で、何食わぬ顔でかつて裏切ったラン=リムに礼を取っているのだ。



『ば、馬鹿な、何故お主等が……!』「マリウス殿! コレハ一体ドウイウ事ジャ!?」


 ラン=リムは動揺するままにマリウスを問い詰める。しかしマリウスは彼女を宥めるように落ち着いた表情で肩を竦めただけだった。


「彼等は自分達のやった事をいたく反省しているみたいだよ? その償い・・の為に僕達の軍に入って協力させてもらいたいって申し出られてね」


「ナ……マ、マサカソレヲ鵜呑ミニシテ、コヤツラヲ受ケ入レル気デハアルマイナ!?」


 この卑怯者共が反省などしているはずはない。何か企んでいる事は明白だ。マリウスの言葉にラン=リムは信じられないという風に目を見開き、逆にシン=エイ達はこぞって身を乗り出してくる。


「オオ……女王陛下! 我等心ヲ入レ替エテ、コレヨリハ粉骨砕身マリウス軍ノ為ニ働カセテ頂キマスゾ!」


「……必ズ、ヤ」


 マリウスやヴィオレッタにも聞こえるように片言の帝国語に切り替えて抱負を語るシン=エイ達。マリウスが頷いた。


「という訳さ。彼等も本当に反省しているみたいだし、汚名返上の機会くらいは与えてやってもいいんじゃないかな?」


「……ッ!」

 本心で言っているらしいマリウスの様子に愕然としたラン=リムは、後ろに控える軍師のヴィオレッタを振り返る。


「ヴィオレッタ殿! コレハヨモヤオ主モ承知ノ事カ!?」


 そんなはずはないという願望を込めての確認であったが、ヴィオレッタは無情にもかぶりを振った。


「……私はあくまでマリウスの臣下よ。彼の決定に従うわ」


「ッ!!」

 ラン=リムの切れ長の目が限界まで見開かれ、衝撃に身体をよろめかせる。そして間を置かずその相貌が憤怒に燃え上がった。


「ソウカ……オ主等ハ所詮ソノ程度ノ人物ダッタノジャナ。見損ナッタゾ! ガレスモ妾モ、オ主等ヲ買イ被リ過ギテイタヨウジャ!」


 それだけを言い放ったラン=リムは、そのまま荒々しく扉を叩き開けて退室していってしまった。



 それを黙って見送ったマリウスは、ラン=リムの気配が遠ざかったのを確認して嘆息した。


「ふぅ……。さて、それじゃ君達ももう行っていいよ。これからの働きに期待しているよ?」


 マリウスが促すとシン=エイは帝国式に一礼した。


「ハハッ! 非才ノ身デスガ精一杯働カセテ頂キマスノデ、ゴ期待下サレ!」


「……デハ」


 うっそりと一礼したグ=ザン。そして彼等が意気揚々と退室していくと、部屋にはマリウスとヴィオレッタだけが残った。



「……これで良いんだよね?」

「ええ、後は手筈通り・・・・に行くわよ」



 それだけを短くやり取りして、ヴィオレッタもまた執務室を後にしていった……。

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