第十四幕 悪党死すべし
その頃エロイーズは、ゲオルグに引っ立てられるままに村から連れ出されて、彼の『隠れ家』とやらに続く道を歩かされていた。
両手は後ろ手に縛られ首に縄を掛けられて、前を歩くゲオルグがその縄を手に持ってエロイーズを無理やり歩かせていた。
普段戦いは愚か激しい運動をした事も無い柔弱な女性がこのような体勢で強行軍を強いられているだけでも相当の負担である事は想像に難くないが、それに加えて……
「ぬふふ……ほれ、さっさと歩かんか、この愚図が!」
「……っ」
ゲオルグが乱暴に縄を引っ張ると、その縄に首を曳かれたエロイーズは只でさえ弱っている状態で到底抗えずに、無残に転倒してしまう。しかしゲオルグは一片の容赦もなく無情に縄を牽引する。
首が締まる苦痛に耐えきれずに、後ろ手に縛られた不自由な体勢で必死に立ち上がると、休む間もなく再び歩かされる。
着ている高価な絹服は既に見る影もない程に汚れて、土や泥にまみれていた。綺麗に梳かされていた豊かな金髪も無残に乱れ放題となっている。
ゲオルグに乱暴な扱いをされても、最早反駁する気力もない程に彼女は消耗しきっていた。まして普段から暴力に全く耐性の無い彼女は、ゲオルグの情け容赦ない『男の暴力』に晒されたショックで、普段の気の強さも完全になりを潜めて、ただ暴力に脅えて男に従順に従う無力な女性に成り下がっていた。
「ぐふふ、今頃はあの異邦人共も片付けられている頃だな。これでもうお前を助ける者は誰もおらんという訳だ」
「……っ!」
ゲオルグの指摘にエロイーズの身体が震える。その目から涙が零れ落ちた。それは暴力による恐怖の涙だけではなかった。
(ジュナイナさん……リュドミラさん……。わ、私のせいで……)
普段知恵者を気取っていながら、ゲオルグの罠を見抜く事が出来なかった。そしてむざむざ敵の罠に嵌った結果がこれだ。
彼女の失態でジュナイナ達が死ぬ事になれば、ソニアは彼女の事を一生許さないだろう。後悔と悲しみと罪悪感から、彼女は増々打ち沈んでしまう。
しかしそれによって歩く足が止まってしまった事で再びゲオルグを苛立たせ、彼に『仕置き』の理由を与えてしまう。
「愚図愚図するなと言っとるだろうが、馬鹿女が!」
「げふっ……!」
彼女の柔らかい腹にゲオルグの武骨な拳がめり込んだ。余りの激痛にエロイーズは立っていられずにその場に両膝を落として、地面に激しくえずいた。涙や涎が零れ落ちる。
だがゲオルグは、そんな彼女の髪を鷲掴みにして強引に立たせる。
「ぬふふ、どうせお前の護衛も全滅して、早く行かねばならん理由も無い。儂に絶対に反抗できんように、もう少し念入りに『調教』してやるか」
「ひっ……!」
嗜虐心に満ちたゲオルグの顔と言葉に、エロイーズは恐怖に息を呑む。身体がガタガタと震え出して涙が止まらなくなる。
(い、嫌……もう、嫌……! た、助けて……。助けて、マリウス様ぁ……!)
エロイーズは心の中で敬愛する主君に助けを求める。もうそれしか彼女に出来る事は無かった。
そしてゲオルグが嗜虐的にエロイーズを嬲りながら『調教』を行っていると、村の方角から土埃を上げながら駆けてくる一騎の騎馬が目に入ってきた。ゲオルグが目を細める。
「ふん……ロルフの奴、ようやく片付けたのか。あの程度の連中を相手に随分時間を…………っ!? な、何!?」
余裕ぶっていたゲオルグの目が驚愕に見開かれた。
「エロイーズ様ぁぁぁっ!!」
「……ッ!?」
ゲオルグに拷問されて意識が朦朧としていたエロイーズは、自分を呼ぶ聞き覚えのある声に意識を覚醒させて振り向く。
馬に乗って追い縋ってきたのはロルフではなく……南蛮の女戦士ジュナイナであった。だがその身体は死闘の後も生々しく傷だらけであった。しかし彼女は苦痛に顔を歪めながらも気丈に馬を操り、ゲオルグとエロイーズの前までやってくると馬から飛び降りた。
「エロイーズ様! 申し訳ありません。すぐにお助けしますので、もうしばらくお待ち下さい!」
「あ、ああ……ジュナイナさん……よ、良かった……。で、でも、リュドミラさんは……?」
追い縋ってきたのはジュナイナだけで、リュドミラの姿は見当たらなかった。問われたジュナイナは悲痛な表情でかぶりを振った。
「……私1人でもあなたを救ってみせます」
「っ!? そ、そんな……! あぁ……何て事! ごめんなさい、リュドミラさん。私のせいで……」
ジュナイナの表情から全てを察したエロイーズは、拷問の痛みや恐怖も忘れて悲嘆に暮れる。一方ゲオルグは他に追手がいない事を悟ると途端に余裕を取り戻した。
「ぬ、ふふ……ロルフめ。とんだ役立たずだったが、最低限の役割は果たしたらしい。手負いの女1人程度、儂自ら止めを刺してくれるわ」
嗤いながらエロイーズの手綱を手放して、代わりに腰に提げた剣を抜き放つ。これがもしボルハやミハエル等であったら迷わずエロイーズを人質に取っただろうが、なまじ自らの剣の腕に自信がある彼は、傷だらけのジュナイナ1人なら充分勝算があると見て迎撃を選択した。
立っているのも辛そうなジュナイナだが、それでも何とか短槍を構える。
「ゲオルグ……お前だけは許さない!」
「ぬかせ! 死にぞこないがっ!」
ゲオルグが斬り掛かってくる。当然ロルフほどではないが、それでもジュナイナが例え万全の状態だったとしても全く油断は出来ない鋭い剣閃。ましてや今のジュナイナにそれを完全に受けられるはずもなく……
「ぐっ……!」
槍で受けようとしたが、反応に傷ついた身体が追いつかずに受けに失敗。胴体に横一直線の傷が入る。思わず怯んだ所にゲオルグの追撃。回避しようとしたがやはり完全には躱しきれずに片脚を斬り裂かれる。
激痛と出血から堪えられずに片膝を着いてしまうジュナイナ。既に身体中傷だらけだ。
「ジュナイナさん!!」
エロイーズが悲鳴を上げるが、ゲオルグは容赦なく追撃を掛ける。振りかぶった斬り下ろしがジュナイナの頭を叩き割らんと迫る。彼女は咄嗟に槍を掲げてそれを受け止める。
今度は受けが間に合ったが、激痛と出血で消耗し、片膝を着いた不自由な体勢では碌に抗う事も出来ずにどんどん押し込まれてしまう。
「ぐ……うぅ……!」
「ぬふふ! 苦しそうじゃなぁ! ほれ! ほれぇっ!!」
その様子にゲオルグは増々嵩に着て、嗜虐心に顔を醜く歪めながら剣を押し込んでくる。今、彼の頭には目の前の女を嬲って殺す事以外に何も無かった。そしてジュナイナはそれを見て取ると……
「……ソ、ソニア、私に力を貸してぇっ!」
唐突にこの場にいないはずの親友ソニアの名を叫んだ。すると……
――ヒュンッ!!
風切り音と共に高速で飛来した一本の矢が、ゲオルグの背中に突き刺さった!
「ごぁぁっ!?」
ジュナイナとの鍔迫り合いに集中していたゲオルグはその矢を躱せなかった。背中に突如激痛を感じて反射的に仰け反る。そしてそれは
「ゲオルグゥゥゥゥゥッ!!!」
全身全霊の力を振り絞って放たれた槍撃は、正確にゲオルグの心臓を刺し貫いた!
「お……ご、あ……? ば、馬鹿、な……。儂は、ま、だ…………」
信じられない物を見るような目で、自分の胸に穿たれた穴を見つめたゲオルグは、そのまま白目を剥いて地に沈んだ。そして二度と起き上がってくる事は無かった。
「……ふぅ。終わったわ、ね。エロイーズ様、大丈夫でしたか!? すぐにお助けしますね?」
「え……あ……リュ、リュドミラ、さん……?」
ゲオルグの死を確認してから、道沿いにある木立から姿を現したのは……弓を携えたリュドミラであった。急いで駆け寄ってきてエロイーズの拘束を解いてくれる。彼女が死んだとばかりに思っていたエロイーズは目を丸くする。
「ど、どうして……」
「……私達が2人で追ってきたら、ゲオルグは必ずやあなたを人質に取ったはずです。それを防ぎ奴を油断させ、あなたから引き離す為の方便です。申し訳ありませんでした」
「……!」
自らも傷の痛みに呻きながらその場に膝を着いたままのジュナイナが事情を説明して謝罪した。解りやすい合図だとゲオルグに察知されて警戒されてしまうので、ソニアの名を叫ぶのを射撃の合図としたのだ。全てを聞いたエロイーズが息を呑んだ。
それから先程までとは異なる涙がポロポロとその目から零れ落ちた。
「よ、良かった……! わ、私、てっきりあなたが死んでしまったのかと……!」
安堵と安心で腰を抜かしたようにその場に座り込んで、幼児のように泣きじゃくるエロイーズ。それを見ていたリュドミラが悪戯っぽく笑った。
「ふふん……
「――――」
リュドミラとしてはこの村に来る前に『冗談』で脅かされた事への軽い意趣返しのつもりであった。だがエロイーズの目が限界まで見開かれたかと思うと、そこから急激に表情を失くす。同時に何か冷たい空気のような物が彼女に纏わりついたように感じた。
「あ、馬鹿……」
ジュナイナが注意しようとした時にはもう手遅れだった。リュドミラも遅ればせながらエロイーズの様子がおかしい事に気付く。
「え、あの……エ、エロイーズ、様……?」
「ふ、ふふふふ…………リュドミラさん? 言っていい冗談と悪い冗談がある事くらいはお解りになりますよね?」
「あ、あの、いえ…………は、はい」
顔だけはにっこりと笑いながら、ワナワナと肩を震わせる彼女の謎の迫力に、リュドミラは思わず青ざめて半歩後ずさった。場の空気を読まずに軽口を叩いてしまった事を後悔したが後の祭りだ。
「あなたが死んだと聞かされて、私がどんな気持ちだったと思いますか? 悲しみと後悔と、そしてソニアへの罪悪感から私の胸は張り裂けそうになりました!」
「うっ……」
「或いは自らの命を絶ってしまいたいと思う程に……。そんな私の気持ちを『冗談』などと言って茶化すなど――」
「――わ、解った! 解りました! 私が悪かったです! 反省してますから本当に勘弁して下さい!」
自らの気持ちを滔々と訴えるエロイーズに、リュドミラは両手を挙げて降参に意を表する。しかしある意味で興奮したエロイーズは無情にも『投降』を認めなかった。自らの惨状や苦痛も忘れてリュドミラに詰め寄る。
「いいえ! まだ言いたい事の半分も言っていません! そもそもあなたは普段から不真面目で、マリウス軍の将の1人たる自覚が……」
「ジュ、ジュナイナ! 助けてぇ!」
堪らずジュナイナに助けを求めるリュドミラ。彼女にとってはロルフやゲオルグよりもエロイーズの方が余程恐ろしい敵かも知れなかった。だが『援軍』を求められたジュナイナは呆れた表情でかぶりを振った。
「いい機会だからその軽口を直してもらいなさい」
「そ、そんな無体な……!」
救援を拒否されたリュドミラが本気で泣きそうな表情になる。だがエロイーズは容赦しない。いつの間にか話は普段のリュドミラの態度等の問題にまで及んでいた。
「リュドミラさん! 聞いているのですか!?」
「は、はいぃぃっ! ……う、うぅ」
逃げられないと悟ったリュドミラが悲壮な表情で説教を受け続けていた。それを眺めながら、ジュナイナはボソッと呟いた。
「……彼女がマリウス軍で怖れられている本当の理由が解った気がするわ」
その後流石に見兼ねたジュナイナが、自らの傷の痛みを訴えて村での療養を提案するまで、エロイーズの説教は止まる事がなかった……
こうしてゲオルグの企みはジュナイナ達の活躍によって潰えた。ゲオルグの支配から解放された村は、喜んで3人の治療と療養を買って出てくれた。
この事件で互いの友情を確かな物としたジュナイナとリュドミラは、その後も更に連携能力を高めてソニアやマリウス軍に貢献し続けていくのであった……
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