母の責務

第八幕 母の責務(Ⅰ) ~ガルマニアの山賊

 トランキア州を抜けて延々と街道を北東に向かって進んでいく10騎ほどの騎馬があった。彼等は一見すると行商人風の集団であった。しかし野盗などを警戒して周囲に視線を走らせる様は堂に入っており、ただの雇われ傭兵とは比較にならない鋭さを秘めていた。


 その集団は北東に向かって進み続け、ガルマニア州へと入り州都であるハルシュタットまで到達していた。街へと入った彼等を一人の女性が出迎える。エキゾチックな顔立ちをした浅黒い肌の砂漠人・・・の女性であった。彼女はその集団の先頭にいる人物に立礼する。


「お待ちしておりました、ビルギット殿・・・・・・。……今更ですが本当にあなたの私兵だけで宜しいのですか? 相手の事を考えたら、我が軍の精鋭部隊を動員した方が良いのではないですか?」


 彼女がそう問いかけたのもやはり女性。もう決して若いとは言えないが、壮年の女性にしか出せない成熟した落ち着きを醸し出す女将軍ビルギットであった。ビルギットは不敵に笑う。


「その懸念は尤もだよ、ファティマ・・・・・。けどこれは言ってみれば私の私闘・・なんだ。私闘に軍の力を借りる訳には行かないでしょ? それに下手に正規兵を使うと『奴』に警戒されて逃げられてしまうかも知れないしね。相手が自分達と同数程度の私兵だけなら、奴は絶対に逃げない。それにそもそも正規軍を動員したらあの子達・・・・に気付かれちゃうでしょ? 今の私はあくまで父祖の命日に里帰り・・・してるだけなんだから」


「……あくまでご自身の手で『奴』を倒すおつもりなんですね?」


 ファティマが溜息を吐いた。ビルギットは神妙な表情になって頷いた。


「ああ……マリウス軍は、そしてあの子達はこれからどんどん天下に躍進していくんだ。これ以上あんな奴の事で気を揉ませたくない。奴はもうあの子達にとって汚点でしかない」


「だから彼女達には知らせずに、ご自分が決着をつけると?」


「それが義理とはいえ親である私の役目さ。それに私自身、奴を許せないからね」


 ビルギットはその顔に固い決意を漲らせていた。



 ガレス軍は滅亡したが、その麾下の将達は殆どが逃げ延び、各々再び野に下って好き放題暴れていた。ここ最近娘達が立て続けに危難に見舞われた、ギュスタヴやボルハなどの件もその一例だ。


 そんな状況の中ビルギットは、情報収集が得意なファティマに依頼してとある人物・・・・・の行方を探ってもらっていた。そして有力な情報を掴むと、丁度イゴール軍との戦いが小康状態となっているタイミングを利用して、マリウスに父祖の墓参りの為の里帰り・・・を要請したのであった。



「ふぅ……決意は固いようですね。解りました。ただし私もこのまま同行させて頂きますよ? あなたは今や我が軍にとって重要な戦力。万が一にもこんな事で失う訳には行きませんからね」


 ファティマがそう言うと、ビルギットは少し悪戯っぽい表情になった。


「ふふ、マリウス殿にそう言われたのかな?」

「……っ! そ、それは……」


 いきなり言い当てられて柄にもなく動揺するファティマ。ビルギットは盛大に笑う。


「あははは、いいんだよ! やっぱりあの方にはお見通しだったみたいだね。それじゃマリウス殿のご厚意はありがたく受け取らせてもらうよ。宜しくね、ファティマ」


「……ふふふ、全く、あなたには敵いませんね。こちらこそ宜しくお願いします、ビルギット殿」


 ファティマも諦めたように小さく笑うと、開き直って頭を下げた。




 ガルマニア州はまだ諸侯の力が拮抗しており、トランキア州におけるマリウス軍や、ハイランド州で帝都ロージアンを占拠して天子を手中に収める事に成功したサディアス軍、フランカ州で州都ヴィエンヌを本拠とし既に二郡を擁するリクール軍、そしてリベリア州でやはり大きな戦を勝ち抜いて州都エトルリアを制した【戦乙女】ディアナ軍などのような突出した躍進勢力は現れておらず、まだ都市単位での奪ったり奪われたりの混沌とした戦乱が続いていた。


 つまり……山賊・・にとってはまだまだ仕事がしやすい、旨味のある土地という事でもあった。


 終わりの見えない戦乱や山賊の横行などを反映してか、州都でありながらハルシュタットの街並みはディムロスに比べて遥かに暗い雰囲気であった。



「……予想はしていましたが、ここだけでなく他の街や村々も・・・・・・・あまり活気があるとは言い難い雰囲気でした。まあ現在進行形で戦乱に巻き込まれているのですから当然と言えば当然ですが」


 大通りに面した宿の一室から通りを見下ろすファティマは、行き交う人々の表情を見ながら呟く。部屋の寝台に腰掛けたビルギットが嘆息しつつ頷く。


「そうだねぇ。特にこの州は山賊や盗賊の被害なんかも大きいから余計にだね。ま、そういう意味では私達がやろうとしている事はこの地の民にとってはいい事だよね」


「そうですね……」


 ファティマもそれは認めた。これから自分達がやろうとしている事は、この地の民の安寧に寄与するはずだ。しかしそれをもたらせるかどうかは彼等自身にも掛かっているのだ。


 彼女はビルギットの要請で一早くガルマニア入りして、工作活動・・・・に従事していた。それが済んだ所でビルギットと改めて合流したのである。



 翌日になって2人は同行している10人程の私兵と共にハルシュタットを出立して(名目である父祖の墓参りは前日の内に済ませてあった)、ガルマニア州と最北端のスカンディナ州を隔てるグラファス山岳地帯へと足を運んだ。


 奇妙な事に街道を外れて進む彼等の元に次々と、旅人や行商人の風体をした男達が合流していき、最終的にその数は300近い集団となっていた。


「……ん。ここまで来ればもういいだろう。よし、皆! 集まってくれてありがとう! 奴等の縄張りに踏み込む前にここで準備を整えてくれ!」


 300人程の集団が全員集まったのを確認してビルギットが合図を出す。ここはもう街や街道からも離れているので諸侯の軍を刺激する心配も無い。


 彼女の合図によって私兵達・・・が隠し持っていた武装を手際よく整えていく。しばらくの後、そこには300人の武装した私兵部隊が出現していた。ビルギットとファティマも鎧姿となっていた。ビルギットは蒼を基調とした麗武人風の鎧。ファティマはパルージャ風の鎧を女性用に改造した鎧だ。


 当然ながら他勢力が支配する地域を何百人もの部隊が武装したまま行軍する事は出来ないので、ビルギットを含めて私兵達は皆市井の人間に変装して、各々散り散りにガルマニアを目指して現地で集合する形を取ったのだ。輜重部隊はなく糧食は各自携帯している物だけだ。なので身軽だがその分軍隊として行動できる時間が限られている。ここからは迅速な行動が必要であった。


「よし、皆、準備はいいね!? 敵の所在は解っている! このまま奴等の元まで一直線に進むよ!」


 応っ!! と兵士達から気勢が上がる。行軍を再開したビルギット達は翌日には目的の場所に到達していた。



 グラファス山岳地帯。大小様々な丘や岩山が点在するこの地域は、ガルマニアとスカンディナの両州の州境としての役割も果たしていたが、その地形的な利点によって官憲の目を逃れて無法者達が隠れ潜む場所としても悪名高かった。


 といってもここ最近までは精々小規模な賊がいくつか根城にしていた程度で、そこまで脅威でもなかったのだが、最近になってそれらの山賊を容易くまとめ上げて大規模な山賊団を作り上げた人物がいた。


 その人物こそがビルギットが狙っている対象でもあった。罠や奇襲を警戒して進むビルギット達だが、やがて開けた場所に自分達と同数ほどの山賊達が待ち構えているのが見えてきた。


「……ビルギット殿の予測が当たりましたね。奴等逃げずにこちらを迎え撃つ気のようです」


 ファティマがビルギットの方を振り向くと、彼女は不敵な笑いを浮かべて頷いた。


「思った通りだね。こっちが正規兵でもない私兵の集団と見て舐めてるのさ。その余裕が命取りになるよ…………ドラメレク・・・・・!」

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