第四十六幕 灰燼に消ゆ
そこからの展開は早かった。マリウスとヴィオレッタは、ガレス軍に立て直しの余裕を与えず電撃的にスロベニア領を占領していった。
キュバエナを制圧したマリウス軍はその勢いを駆って南下を続け、最南端の都市ムシナにまで迫った。
東側のグレモリーに関しては、東軍の援軍にビルギットが駆けつけるとマリウス達の予想通りドラメレクは戦の趨勢を悟って、あっさりとガレス軍を見限り自らの手勢だけを連れて何処かへと落ち延びていった。
そして砦の死守を果たしビルギットとも無事合流したアーデルハイド達は、軍の方針に従ってそのままグレモリーへと侵攻。殆ど防衛戦力らしい戦力も残っていなかった手薄のグレモリーをあっさりと制圧する事が出来た。
これで残るはムシナのみとなった。といっても軍としての体裁がほぼ残っていないガレス軍を蹴散らす事は容易い。ミハエルが金で雇った私兵達が城門を閉ざして籠城で抵抗していたが、それも数や士気が違いすぎて陥落は時間の問題であった。
遂にスロベニアのガレス軍は……最後の時を迎えようとしていた。
*****
「くそ! くそっ! くそがっ!! こんな事になろうとは! あの忌々しい女狐めがっ!!」
ムシナの城の離れにある悪趣味な外観の宝物庫。そこには悪態を付きながら自らの集めた金や財宝をかき集めているミハエルの姿があった。
彼は残りの私兵達に城門を閉ざして時間稼ぎをさせておいて、その間に蓄えた財を持てるだけ持って逃走を図ろうとしている最中であった。
既に彼の周りには誰もいない。ドラメレクだけでなく、キュバエナまでは確かに随伴していたグ=ザンやロルフら武官達もいつの間にか姿を消していた。先に退却していたギュスタヴも同様だ。最早ガレス軍の滅亡は避けられないと悟って、沈みゆく泥船からいち早く脱走したのだろう。
ジェファスやボルハら文官にしてもそれは同様で、ミハエルが戻ってきた時には既に連中は、今の彼と同じように持てるだけの財を持って消えた後であった。
一度情勢が傾けばあっさりと見限る。所詮は金や暴力だけで纏まっていたような連中だ。崩れる時は一瞬である。ミハエルもそれを解っているので、逃げた連中を敢えて探すような時間の無駄はしない。
「ガレスの奴も消えていたな。ふん! 折角燻っていたのを引っ張り上げてやった恩も忘れおって、存外使えん奴だったな!」
ミハエルは吐き捨てた。ガレスはキュバエナに戻る時点で既に姿を見なくなっていた。もしかしたら戦いに熱中する余り最後まで戦場に残って、マリウス軍に呑み込まれて戦死したのかも知れない。
「まあ、それならそれで構わん。だが俺はこんな所では終わらんぞ。奴等に復讐するまではな! ここから逃げ出したらまた野に下って、腕っ節だけが取り柄の脳筋を見つけて、唆して旗頭にしてやる。くくく……マリウス共。貴様らに安息の日は来ないと思え!」
今の彼を突き動かすのは最早天下への野心ではなく、マリウスやヴィオレッタ達への身勝手な復讐心のみであった。
昏い怒りと悦びに支配された彼は、その言葉通りここから逃げ出したら命尽きるまで延々とマリウス達を付け狙う事だろう。だが……
「――ほう。腕っ節だけが取り柄の脳筋とは俺の事か?」
「……っ!?」
聞き覚えのある声にミハエルはギクッとして目を剥いた。
いつからそこにいたのか……。宝物庫の入り口に身をもたれさせたガレスがそこに佇んでいた。戦死どころか、特に大きな傷も負っていない壮健そのものの姿であった。
「ガ、ガレス!? お前、生きていたのか!? 今まで何処に――」
「……人を散々祭り上げて国まで作らせておいて、いざとなったら自分だけは逃げる気か?」
ユラっとした動きで近づいてくるガレス。その妙に静かな挙動と口調が彼の内心を物語っているような気がして、ミハエルは思わず後ずさった。
「お、おい、待て。俺達は相棒だろう? ならお前も一緒に逃げればいい! お前だってマリウスに復讐したいだろう?」
「……!」
ガレスの動きが止まる。手応えを感じたミハエルは口の端を吊り上げる。
「そうだ、そうしよう。俺の力があれば何度だって再起は可能だ! 奴等は俺達を倒したと思って油断しているはずだ。隙を突くのは容易い。今度こそ奴等に一泡吹かせ――」
――ザシュッ!!
ミハエルの言葉は……
ガレスが腰に差していた小剣で、喚くミハエルの腹を貫いたのだ。剣を引き抜くとそこから大量の血液と臓物が零れ落ちる。明らかに致命傷だ。
ミハエルは腹を押さえてヨロヨロと後ずさる。その口からも血が溢れ出る。
「お……お……ガ、ガレス……貴様……」
「……最早我が事は終わった。復讐など下衆のやる事よ。俺達の戦いとその勝敗を汚させはせん」
血に濡れた小剣を携えながらも、ガレスの口調は静かなままであった。その胸に去来する感情はどうのような物であったか。しかしミハエルにはそんな事を考えている余裕はなかった。
床に這いつくばった彼は、致命傷を受けながらも這いずって自らの財宝に手を伸ばす。
「い……いや、だ……。俺は、こんな……終わ、ら……」
それが稀代の詐欺師にして辣腕の軍師でもあったミハエルの最後の言葉となった。伸ばした手は遂に財宝には届かず、虚しく空を掴んでそのまま下に落ちた。既にその目は何も写していなかった。
「…………」
手を下したガレスは、やはり静かな表情で『相棒』の死に様を見届けた。そして顔を上げると、自分が先程入ってきた宝物庫の入り口に視線を向けた。
「……いるのだろう? 出てくるが良い。安心しろ。お前を殺したりなどせん」
「…………」
入り口から姿を現したのは……独特の装束を身にまとった異邦の女王ラン=リムであった。ガレスは穏やかとさえ言える表情を向けた。
「ふ……これでお前は自由だ。シャンバラに戻るなり好きにするが良い」
「……句根国ニ戻ルツモリハ無イ。ムザムザ悪漢ニ誘拐サレ国ニ混乱ヲ齎シタ妾ニ、女王タル資格ハナイ。句根国ハ……モウ
かぶりを振るラン=リム。ガレスは目を治してもらった返礼として、ラン=リムの妹であるササを人質から解放してシャンバラに帰していたのだ。
「そうか……。ならばマリウスに保護を求めろ。奴ならばお前を無下には扱うまい。それが『夫』としての最後の勧めだ」
「……! ナ、ナラバオ主モ共ニ……」
「それ以上は言うな。生き恥を晒す気はない」
投降を勧めるラン=リムの言葉を遮るガレス。彼は天を仰ぐように視線を上に向けた。
「……好敵手と巡り合い、国を作り、全力で戦い、そして敗れた。最早この世に何の未練もない。それだけではない。俺を倒した事でマリウス軍はより団結し、結束を高め強くなるだろう。それもまた敗者の務めよ」
「ガ、ガレス……オ主ハ……」
「だが俺にも戦人としての矜持はある。無様に敵軍に囚われて処刑される最後は望まん。戦で死に損なった以上は、終わらせるのであれば……自らで終わらせる」
「……!」
「ここには火を掛ける。俺も、ミハエルも……そして奴のこの忌まわしい遺産も全て灰燼と帰すのだ。それが俺の最後の義務でもある」
「…………」
ガレスの意思が固い事を悟ったラン=リムは目を閉じると自らの腹に手を当てた。そして再びゆっくりと目を開く。
「……妾ノ『中』ニハ、既ニオ主ノ『子』ガ宿ッテオル」
「……!」
ガレスが僅かに目を見開いた。だがそれを聞いても尚、彼は自らの意思を変える気はないようだ。そしてラン=リムも彼を翻意させる為にそれを伝えた訳ではない。
「コノ子ハ妾ガ責任ヲ持ッテ生ミ育テヨウ。ソレガ……『妻』トシテノ最後ノ務メジャ」
「……感謝する」
ガレスは万感を込めてそれだけを呟いた。そして未練を断ち切るように、身体ごと振り返って彼女に背を向けた。
「さあ、もう行け! じきに城門を破ったマリウス軍がここまで到達しようからな。その前にここを焼き尽くす。最後に一つだけ……お前の『力』、もしマリウスが望むのであれば奴の腕も治してやれ。それが俺から奴に贈る『戦勝祝い』だ」
「……! 相分カッタ。 ……サラバジャ」
ラン=リムもそれ以上言葉を重ねる事なく、未練を断ち切るように背を向けると、宝物庫から走り去っていった。
「ふ…………さらばだ、ラン=リムよ!」
彼女の足音が遠ざかっていくのを確認したガレスは、ついぞ面と向かっては一度もまともに呼ぶ事のなかった彼女の名を最後に叫んだ。
それから程なくして……ミハエルが金に飽かせて作らせた宝物庫は、その主人の亡骸や財宝と共に激しい炎を上げながら崩れ落ちていった。
こうしてトランキア州を揺るがした、二郡による総力を上げた大戦は終息を迎えた。ガレス軍は滅亡し、君主ガレスもまた炎の中に消えていった。
マリウスは正式に戦の終焉を宣言。セルビアとスロベニアの二郡を治める大君主となった。
そしてまたガレス軍に
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