凱旋 そして天下へ
第四十四幕 最強の剣士
「…………ふぅぅぅぅぅ……! つっかれたぁぁ……!!
退却していくガレスの背中を見送ったマリウスは、詰めていた息を大きく吐き出すと、全ての緊張が解けたようにその場に座り込んだ。ガレスとのせめぎ合いは天才剣士の彼をして、そこまで精神力の消耗を強いる物だったのだ。
その周りでは決戦の勝利に兵士達が鬨の声を上げていた。
「「マリウスッ!!」」
そんな戦勝ムード真っ盛りの戦場跡に、半分泣き声が混じったような女性の叫び声が響く。見ると本陣から妖艶な女軍師、ヴィオレッタが全速力で駆け付けてくる所だった。左翼からもソニアが駆け向かってきていた。
「やあ、ヴィオレッタ。よく――――うおっと!?」
「――マリウス! マリウスッ!! 本当にあなたなのね!? ああ、良かった! もう、身体は大丈夫なの!? ほ、本当にまたあなたと一緒に戦えるの!?」
マリウスに体当たりする勢いで取り縋って、大声で泣き崩れるヴィオレッタ。マリウスの負傷以来ずっとマリウス軍全体を統括してきた辣腕の女軍師の姿はそこにはなく、ただ愛しい人の無事とそして復帰とに感涙する1人の女がそこにいた。
そのギャップに周囲にいた者達は唖然とした様子になっていた。出遅れた形のソニアも頭を掻きながら気を遣って目線を逸らしていた。
「ヴィオレッタ……今まで本当にご苦労様。ずっと心配を掛けてしまったね。でももう大丈夫だ。これからはずっと君や皆と一緒だよ」
「……っ!! ああ、マリウスッ!!」
ヴィオレッタは感極まってマリウスの胸に顔を埋めて泣き出してしまう。そんな彼女の頭をマリウスは優しい表情で撫でる。ヴィオレッタはしゃくり上げていて顔を伏せたままだ。
「あー……マリウス? やっぱりアンタは凄い奴だよ。安心するのと同時に増々惚れ込んじまったよ」
ヴィオレッタに遠慮しながらもソニアが声を掛けてくる。
「ありがとう、ソニア。でも本当に凄いのは君達さ。僕が不在の間にも決して止まる事無く、大きな戦果を挙げ続けてくれた。本当にご苦労様、ソニア。そして勿論これからも宜しくね?」
「……! ああ、勿論さ! 任しときなよ!」
ソニアがその豊かな胸を張って力強く頷いた。丁度その時、右翼からもジュナイナとリュドミラが駆け付けてきた。そして本当にマリウスがいる事に驚いていた。
「マ、マリウス様……。嘘、本当に……?」
「あ、あの隻腕であの化け物を抑えていたって訳? ……この人も充分化け物ね」
驚愕するジュナイナの脇で、呆れたようにボソッと呟くリュドミラ。マリウスは彼女達にも笑いかける。
「やあ、ジュナイナ、リュドミラ! 君達も本当にご苦労様! よくソニアを支えてくれたね。これからも宜しく頼むよ!」
2人はあっけらかんとしたマリウスの態度に苦笑しながら、肯定の意を込めて一礼した。ビルギットは他の兵士達の取り纏めを担っているらしく、この場には駆け付けてこなかった。そしてその代わりに……
「…………ヴィオレッタ様」
戦勝ムードとマリウス復帰の喜びに湧くこの場には全く相応しくない、暗く陰鬱に淀んだ声が聞こえてきた。
明らかに場から浮いたその声に、その場にいた全員が振り向いた。そして瞠目した。
「オ、オルタンス……あなた……」
マリウスの胸から顔を上げたヴィオレッタが動揺したように声を震わせる。そこには生気の無い表情をしたオルタンスが佇んでいた。
恥辱、後悔、憂慮、煩悶、そして屈辱……。様々な負の感情に苛まれた女剣士は暗く染まった表情のままフラフラと幽鬼のようにマリウス達の前まで歩いて来た。周りにいた者達は何となく触れてはいけないような物を感じ、無意識の内に脇に避けていた。
そしてマリウスとヴィオレッタの前まで歩いて来たオルタンスは……その場で地面に両膝を着くと、躊躇う事無く
「……!?」
「――ヴィオレッタ様から仰せつかった役割を全うする事が出来ず、結果としてこの戦で何一つお役に立つ事も出来ずに、挙句にこうして生き恥まで晒す始末……。この責任、如何様にもご処罰下さい。いえ、お許し頂けるのならば今この場で自らの命を絶って、この恥と失態を贖わせて頂きたく存じます」
「な…………」
ヴィオレッタは思わず絶句してしまっていた。しかしオルタンスが何を言っているのかを理解すると、その眦が怒りに吊り上がった。
「何馬鹿な事言ってるのよ!? 相手はあの化け物よ!? あなたは充分よくやってくれたわ! 何一つ恥じ入る事なんてないのよ?」
怒鳴るヴィオレッタ。それを聞いていたソニア達もウンウンと頷く。
「ヴィオレッタの言う通りだよ。これがアタシらだったら、あの化け物相手に時間稼ぎすら出来なかっただろうさ。結果としてアンタがいたからこそ、マリウスが来るまでの間持ち堪えられたんだ。アンタの果たした役割はアタシらなんかよりよっぽど大きいよ」
ジュナイナとリュドミラも同意するように頷いている。だがオルタンスは激しくかぶりを振った。
「それでも……! 私は……私が、やらなければいけなかったんです! なのに……なのに……! う、うぅぅ……!!」
その目から涙が零れ、彼女は激しく嗚咽を漏らしてしまう。
「オ、オルタンス……」
ヴィオレッタは彼女が何を気にして、こんなに頑なな態度を取るのか解らずに困惑してしまう。ソニアの言っている事は紛れもない事実なのだ。オルタンスがいてくれなければ、マリウスが駆け付ける前にガレスによってもっと甚大な被害が出ていたはずだ。或いはこちらの士気が完全に崩壊してしまう程の……。
それを考えれば彼女の果たしてくれた役割は非常に大きい。確かにソニア達のように部隊を率いて派手に敵将と斬り結んで退却に追い込んだ訳ではないので、地味と言えば地味ではあるが、そんな事を気にするオルタンスではないはずだ。
「ヴィオレッタ、ここは僕に任せて」
するとマリウスがそっとヴィオレッタの肩に手を乗せて前に進み出た。彼は困惑しておらず穏やかな笑みを浮かべていた。どうやら彼にはオルタンスの態度の理由が解っているらしい。
マリウスは額ずいているオルタンスの側に屈みこんだ。
「オルタンス……実はね。君が内心で僕の事をどう思っていたかは気付いていたんだ」
「……っ!!」
オルタンスは弾かれたように顔を上げた。その顔が青ざめ、動揺に目が泳ぐ。だがマリウスは笑ってかぶりを振った。
「いや、いいんだよ。実際に君が加入した時期から今までの僕は、自分は安全な所にふんぞり返って女性ばかりを戦に立たせる最低のクズ男そのものだったからね」
「……っ!! オルタンス……あなた!」
それを聞いていたヴィオレッタやソニアが眦を吊り上げる。マリウスが利き腕を失った
「ひ……!」
ヴィオレッタの怒りにオルタンスは可哀想な程に青ざめて、ビクッと身体を震わせて喉の奥で小さな悲鳴を漏らす。マリウスはしかし左手を上げてヴィオレッタを制する。
「ヴィオレッタ、僕に話をさせて?」
「……っ」
ヴィオレッタの動きが止まったのを確認して、マリウスはオルタンスに向き直る。
「そんな状況だから……君は
「……っ!」
オルタンスの身体が再び大きく震える。
「だから、悔しかったんだよね? ガレスではなく……
「……!!」
マリウスが言葉を重ねる毎にオルタンスの震えが大きくなる。
「僕は君が思っていたよりも強かった。そんな僕が復帰したら……自分が最強でなくなったら、自分の存在価値がなくなってヴィオレッタから見放されてしまう。それが怖くて、悲しくて、悔しくて…………
「――――っ!!!」
自分でも完全には理解できていなかった心の動きを見透かされ言葉にされて、オルタンスは羞恥の余り瞬間的に顔が真っ赤に染まり上がる。
自分を罰してくれと頼んだり、命を絶つと言ったり……。それは、そうすればヴィオレッタが必ずそれを必死になって止めてくれると……彼女が
そんな心情を見透かされたオルタンスは、恥の意識で消え入りそうな心持ちとなる。
「オルタンス……」
だがそんな彼女を見下ろすヴィオレッタは、先程までの怒りは鳴りを潜めて毒気を抜かれた様子となっていた。マリウスは穏やかに微笑んだままヴィオレッタを振り返る。
「ねえ、ヴィオレッタ。彼女は本当に君を慕っているみたいだね。凄く可愛いし、健気じゃないか。そう思うだろう?」
「え、ええ……それは、まあ……そうね」
ヴィオレッタは認めた。策略を用いて彼女を勧誘したという意識が後ろめたさとなって、オルタンスがそこまで自分を慕っていた事に気付いていなかったのだ。
家族を失い、父親とは憎しみ合い殺し合う関係で、10年余も独り隠れ潜んで暮らしてきた。そんな彼女を、例えその武勇が目的であったとしても、積極的に勧誘し重用してくれたヴィオレッタに対する尊敬と思慕は、彼女が思っていたよりもずっと深い物であったのだ。
「オルタンス……。例えマリウスが復帰したって、それによって私があなたを無下にする事なんて絶対にないわ。マリウスだって1人で何もかも出来る訳じゃない。あなたの武勇は、これからも私にとって必要であり続けるわ。それは確かよ」
「ヴィ、ヴィオレッタ様……」
オルタンスが額づいていた顔を上げた。マリウスもまた大きく頷いて彼女に手を差し出した。
「そうだよ、オルタンス。僕は決して完璧じゃない。君が抱いていた印象だって当たっている部分もあるんだ。それに僕も、自分を
「……!」
オルタンスは目を見開いた。そしてしばらく何か葛藤と戦っていたらしく、マリウスの差し出した手を眺めていたが……やがて一息つくと、その手をしっかりと握り返した。
そしてマリウスに引っ張られてではなく、自分の足で立ち上がった。
「……マリウス様。私の今までの態度を心より謝罪させて頂きます。あなたは心身ともに私など比較にならない程優れた戦士です。1人の剣士としてあなたを尊敬します」
そう認めたオルタンスの表情は、鬱屈した感情から解放された晴れやかな物となっていた。しかし同時にその目が挑戦的な光を帯びていた。
「尊敬するのと同時に
マリウスとの握手に力を籠めるオルタンス。マリウスもまた不敵に笑って握り返す。
「楽しみにしているよ、オルタンス。改めて、これから宜しくね?」
2人の剣士は改めて
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