第四十一幕 トランキア大戦(Ⅶ) ~戦神の帰還

 西側、ヨハニス街道。両軍の主力同士がぶつかり合う主戦場。


 解き放たれた凶獣ガレスの武が猛威を振るい、その圧倒的な武力の前に立ち塞がった者達は一溜まりも無く、戦局は一気にガレス軍優位に傾きつつあった。そんな凶獣の餌場・・と化した戦場。


「はぁ! はぁっ! はぁ!! ふぅ!! はぁ……!」


 大きく息を乱し、汗に塗れた身体をふらつかせるのは……二刀を構えた女剣士オルタンス。普段はどちらかと言えば感情に乏しいその面貌は、苦痛と苦悶と……そして絶望とに歪んでいた。


「ふ……女にしてはそれなりの強さだが、所詮はこの程度か。1人で俺の相手をするには役不足だな」


「……っ」


 嘲笑うでもなく淡々と事実・・を突きつけながら一歩を踏み出す……魔人ガレス。オルタンスはその圧倒的なまでの剣気に押されるようにして一歩後ずさる。



 周りでは友軍の兵士達が戦っているが、敵も勢いを盛り返している為、こちらに加勢する余裕はない。いや、加勢になど来られても無駄に犠牲が増えるだけだ。逆にこれ以上兵士達への犠牲を出さない為に、オルタンスがこの化け物を辛うじて抑えているというのが現状なのだ。


 敵も味方もそれを理解しているのか、この戦いに巻き込まれる事を怖れてむしろ意図的に距離を取っている節がある。結果ガレスとオルタンスが向き合う場所は、そこだけ戦場にポッカリと穴が空いたかのように無人のフィールドとなっていた。


 しかし曲がりなりにも『戦い』と呼べたのは最初の何合かだけで、その後はひたすらオルタンスがガレスの猛攻に一方的に押されるだけとなっていた。


 あの恐ろしい大剣の攻撃を一撃でもまともに受けたらその時点で即死だ。それでいてガレスはその巨大な剣を、断じて力任せなどではなく、まるで熟練の剣士が扱うかの如き剣術を駆使して攻め立ててくるのだ。


 まさに化け物であった。オルタンスはあの大剣より遥かに取り回しの軽い二刀を携えながら、全く反撃の糸口が掴めずに追い詰められていた。しかも奴は大剣をあの勢いで振り続けているというのに全く疲れるという事を知らないかのように、その勢いや剣閃は衰える事が無い。


 全神経を集中させて回避に徹するオルタンスの方が精神的にも肉体的にも確実に消耗しており、このままでは遠からずあの凶刃が彼女を捉えるのも時間の問題だろう。



 正直ここまでとは思っていなかった。勿論話には聞いていた。無双の天才剣士であったらしい・・・、君主マリウスの右腕を斬り落としたという逸話も勿論聞かされていた。


 しかしそのマリウスの強さにした所で、ヴィオレッタ達に聞かされただけで直に見たわけではないし、今の隻腕で戦いを女性任せにする情けない・・・・姿しか知らないので、ヴィオレッタには悪いが本当にそんなに強かったのだろうかと疑問に思っていた。


 ヴィオレッタはマリウスに心酔していて男女関係にもあるようなので、恐らくその色眼鏡が入っているのだろうと決めつけていたのだ。


 だからそんなマリウスの腕を斬り落としたと聞いても、正直彼女はガレスに対してそこまでの脅威を感じていなかった。自分なら戦い様によっては充分勝ち目があるだろうとすら思っていたのだ。


 だが……それが大いなる思い上がりであった事を、彼女は現在痛感させられていた。ガレスが戦場に現れた際の圧倒的な剣気を感じた段階で、オルタンスは自分には絶対に勝てない相手だと悟ってしまっていた。


 そして実際に剣を交えてみてその予感は確信に変わった。まさかあの父ギュスタヴをも上回る剣士が存在していようとは夢にも思わなかった。



 完全に気圧されて後ずさるオルタンスの姿にガレスは嘆息する。


「つまらん。貴様などマリウスの足元にも及ばんわ。やはりもうここには俺を楽しませてくれる奴はいないようだな」


「……っ!」

 まるで今の彼女の内心を見透かしたような侮蔑の言葉に、オルタンスの眦が吊り上がる。


「く……な、舐めるなぁっ!!」


 屈辱を怒りに変えて、その怒りを原動力に自らを奮い立たせて再び挑みかかる。マリウスがどれだけ強かったか知らないがそれはもう過去の話だ。今は自分こそがマリウス軍最強なのだ。その矜持にかけて、こんな侮蔑を許しておく訳にはいかない。


「はぁぁっ!!」


 鋭い踏み込みからの薙ぎ払い。しかしガレスはあの大剣を軽々と掲げてその斬撃を受ける。オルタンスは怯まずに、流れるような動作でもう一方の剣を突き出す。ガレスは身を捻らせるようにして突きを躱した。


 オルタンスは一切動きを止める事無く、そのまま更に追撃の刃を振るおうとして…… 


「……っ!?」


 風を切る轟音。オルタンスが生存本能で身を屈めたすぐ真上を、ガレスの大剣が唸りを上げて通り過ぎた。


「ふんっ!」


 そしてオルタンスが反撃に移るよりも早く、馬鹿げた膂力で強引に慣性を殺したガレスが、今度は垂直に大剣を打ち下ろしてくる。オルタンスに出来る事はただ身を投げ出すように回避する事だけだった。


 ガレスは容赦なく追撃してくる。オルタンスは必死になって地面を転がりながら剛剣から逃げ惑う。地面を這い回り、土と汗に塗れた酷い有様となっていたが、そんな物に気を取られている余裕などなかった。


 恐らくはガレスが敢えて仕切り直した事によって、折角一度は反撃のチャンスに恵まれたのに、結局再び追い詰められて無様に逃げ惑う羽目になっている。ガレスは最早戦いというよりは逃げ回るゴキブリ駆除といった風情で、淡々と機械的に剣を振り下ろし続けていた。


 そして何回目かの振り下ろしを転がって躱したオルタンスだが、その腹にガレスのつま先がめり込んだ。大剣だけに意識を取られていて、その蹴りを回避できなかった。


「げふっ!」


 激痛と肺の空気を絞り出される感触。蹴られた勢いで地面を転がったオルタンスは、そのまま激しく嘔吐した。若干血が混じっている。たった一発、しかも鎧の上から蹴られただけでこれだ。



 大きなダメージを負ってしまったオルタンスは何とか立ち上がろうとするも、激痛と疲労と足の引き攣りによって立ち上がる事さえ覚束ない。これではガレスの剛剣を躱す事さえ到底不可能だ。


 遂に終わりの時が来た。最初からこの結末は決まっていたのだ。オルタンスに出来た事は、ただ僅かな時間稼ぎのみだった。


「く……ふっ……う……」


 その目から悔し涙が零れ落ちる。10年以上も必死に修行してきた。それで自分は比類なき強さを手に入れたと思っていた。しかしそれはこの化け物相手には何の意味も無い錯覚の強さに過ぎなかったのだ。


 これまでの自分の人生の全てを否定された心持ちになったオルタンスは、絶望と悲嘆に虚脱して涙が止まらなくなっていた。


「…………」


 ガレスはそんなオルタンスの姿に何ら感慨を抱いた様子もなく無慈悲に近付いてくる。最早その顔には失望すら浮かんでいない。全ての関心が失せた無表情。恐らく最初から全く本気ではなかったのだろう。


 ただの遊び……いや、それ以下の退屈な作業・・を終える為に、ガレスは大剣を振りかぶった。


「……っ!」

 オルタンスは死を覚悟して思わずギュッと目を瞑った。



*****


 

 時は僅かに遡る。オルタンスがガレスの足止めの為に突撃してすぐの事。


 何とか戦局の立て直しを図るヴィオレッタの元に伝令が駆け込んでくる。この戦場に迫ってくる騎兵の一団を確認したとの事であった。


「騎馬隊ですって? しかもセルビア側・・・・・から?」


 ヴィオレッタが怪訝な表情になる。セルビア側から駆けつけてくるなら間違いなく増援・・という事になる。マリウス軍の旗が掲げられているらしいので、イゴール軍が越境してきた訳でもなさそうだ。


「でも、一体誰が……」


 動員できる将は軒並み動員しての決戦である。アーデルハイドら東軍も今頃は激戦のさなかにあるはずで、とてもこちらに援軍を送る余裕などないだろう。ヴラン山脈に送り込んだキーアにしてもセルビア側から現れるのはおかしいし、そもそも騎馬隊を率いていない。


 国に残っているエロイーズやその弟子達は論外だ。そこまで考えた時、ヴィオレッタの脳裏に1人の人物の顔が浮かんだ。


(いる……1人だけ……。まだ出撃していない人物・・・・・・・・・が……! でも、まさか、本当に……!?)


 ヴィオレッタが信じられない面持ちで呆然としている間にも、距離を詰めてきた騎馬隊はその勢いのまま後陣をすり抜けて、激戦を繰り広げる中軍に突撃していった。突然参戦してきた敵の援軍に大混乱に陥るガレス軍。


「……っ!」


 騎馬隊がヴィオレッタの指揮する後陣の脇を通過していく際に、彼女ははっきりと見た。その騎馬隊を率いている人物の姿を……!


(ああ……やっぱり! やっぱり、あなた・・・だったのね……!)


 ヴィオレッタは感極まって思わず涙ぐんでしまい……同時にこれまで軍師として全軍を統括するべく、一手に引き受けていた重圧が消えていくのを感じた。


 彼女はこの時……絶大な安心感に包まれ、自軍の勝利を確信したのであった。

 


*****



 自らを両断する大剣の刃を覚悟してオルタンスは目を瞑った。しかしその直後……


「……!」


 彼女は気付かなかったが、いつの間にか周りの戦場がかなり混乱をきたしていた。どうやら何か不測の事態があったらしい。



 そしてその混乱を割るようにして、一騎の騎馬がフィールドに駆け込んできた。そしてその馬に騎乗していた人物が、鞍の上から跳躍・・した。


「ふっ!」

「む……!?」


 その人物は跳躍の勢いも利用して、今まさにオルタンスに止めを刺さんとしていたガレスに対して、左手・・に持つ剣を薙ぎ払った。


 オルタンスにも殆ど見えないような鋭い斬撃で、彼女との『戦い』の間中一切無感情であったガレスが、初めて表情を引き締めて大きく飛び退ってその斬撃を躱した。


 その人物はガレスからオルタンスを庇うように間に立ち塞がった。


「あ……あぁ……あ、あなたは……」



「ふぅ……何とか間に合ったようだね。良く頑張ってくれたね、オルタンス。後は僕に任せてくれ」



「……!」

 オルタンスの目が大きく見開かれる。そしてガレスの目もまた驚きに見開かれていた。しかしその驚きはすぐに喜び・・に取って代わる。


「く……くく……くははは! そうか、やはりお前か! お前が俺の前に立ち塞がるのだな!? そうでなくては面白くない! これでこそ、決戦のし甲斐があるという物だ! そうだろう? ……マリウス・・・・よ!!」


「やれやれ……相変わらずの戦闘狂ぶりだね、ガレス」


 狂笑するガレスの闘気をまともに受けながら、些かも動揺する事無く苦笑してのける人物。それは紛れもなく……オルタンス達の君主・・にしてセルビア公たるマリウス・シン・ノールズその人であった!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る