第三十三幕 開戦の狼煙

 西軍。タナトゥスを撃退した後は、ギエルとキュバエナを結ぶヨハネス街道をひたすら南下していたソニア達だが、斥候から北上してくる大部隊を発見したという報告が入り、いよいよの衝突に備える。


 事前に決めてある布陣を整えて万全の態勢で待ち構える。この辺りは比較的広い平野が広がっており、敵軍に迂回されて挟撃を仕掛けられる心配も無い小細工なしでの正面衝突が可能となっている。


 西軍に戦力を集中させているので、基本的にこちらの方が戦力は上のはずで、ならば正面衝突が最も効率的であるとヴィオレッタが判断した為だ。ソニア達には勿論異存はなかった。



 やがて街道を北上してきた敵軍が姿を現す。ガレス軍の旗を掲げており、間違いなくスロベニア郡の連中のようだ。


「ふぅ、おいでなすったかい。いよいよだねぇ」

「ソニア、変に意識して奴等に呑まれたりしないようにね?」


 敵軍の姿を認めて自らを鼓舞するように肩を怒らせるソニアを見て、ジュナイナが心配げに忠告する。それを受けてソニアは苦笑する。


「大丈夫だって。ディムロスに召集された際に、マリウス達からしっかり薫陶は受けてきたからさ」


 そう言って笑う顔は確かに無理をしているようには見えなかったので、それを認めてジュナイナも安心する事ができた。


「まあそれにガレスかギュスタヴが現れたらビルギット殿が対応してくれるっていうんだから、私達はそれ以外の奴等を相手にすればいいだけだし、そう考えれば気が楽よね」


 リュドミラが殊更気楽な様子で会話に入ってくる。ジュナイナは溜息を吐いた。


「リュドミラ、緊張し過ぎない事と油断する事は全く別の話よ。ガレス達以外の武将だって強敵なんだから絶対気を抜かないようにね?」


 小言を言われたリュドミラが顔を顰める。


「解ってるわよ、もう。ちょっと緊張を解す為に言ってみただけじゃない。相変わらず真面目ちゃんねぇ」


「戦なんだから真面目すぎなくらいで丁度いいでしょ」


「お、おい、お前ら。今は目の前の敵に集中しろ!」


 こんな時にも関わらず言い合いを始めた2人をソニアは慌てて仲裁する。一方中央にいるヴィオレッタ達は……



「……ヴィオレッタ殿。これはちょっとマズいかも知れないよ?」


「ええ……予想より敵軍の数が多いわね。これはもしかすると……」


 側までやってきたビルギットの言葉にヴィオレッタも難しい顔で頷く。敵軍の兵力は明らかに5000以上はいるように見える。いや、下手をすると戦力を集中させているはずのこちらとほぼ同数はいるかも知れない。


 それが何を意味するか……


「敵もこちらに戦力を集中させている?」


「その可能性が高いね。こっちの作戦が先読みされていたのかも知れない。そのミハエルって軍師の仕業かな」


「……!」

 ヴィオレッタは歯噛みする。まだ完全にそうだと決まった訳ではないが、だとするとまたしてもミハエルとの読み合いに負けた事になる。


「……どの道ここまで来て引き返す事はできない。こうなったら敵がどれだけ多くても、決戦を挑んで打ち破るまでよ」


「……ふぅ。ま、それしかないよね」


 ビルギットも覚悟を決めた様子だ。それが西軍の役目である以上、退くという選択肢はない。


「でも考えようによっては、ここで敵の主力を打ち破ればそれでこの戦は終わるって事だしね」


「そうね。この一戦でガレス軍を滅ぼすつもりで臨むわよ」


 無論条件はこちらも同じだ。この西軍が敗れればもう後は無い。図らずもこの戦闘が両国の命運を決する一戦となりそうだ。






 一方、ガレス軍の本陣……


「タナトゥスの奴は失敗したようだな。あの女狐も存外やりおるわ」


 タナトゥスに付けていた伝令兵から報告を受けたミハエルは顎鬚を撫でながら呟く。戦場という事もあっていつもの高価な絹服姿ではなく、鎧を身に着けている。そして隣にいる君主であるガレスに視線を向ける。


「……という訳だ。向こうも主力を集めている。お前さんの望み通りの総力戦となりそうだ。だがいきなりお前が突撃するのは無しだぞ? お前はこの国の君主であり、切り札・・・でもあるんだからな。出るのはここぞという時だ。タイミングは俺が指示する。いいな?」


「……一々何度も念を押されんでも解っておるわ。どの道マリウスのいないマリウス軍などさして興味も無い。ギュスタヴ達だけで充分だ。だがもし奴等の手に負えんとなれば、その時はこの俺が直接手を下すのも吝かではない」


 威風堂々たる大剣士の姿がそこにはあった。質の良い鎧兜に身を包み、その面貌にかつて左目を覆っていた眼帯が…………無い・・。ガレスはその両の目・・・で、相対するマリウス軍を見据えていた。



「…………」


 隻眼に慣れていた事もあって、治ってから・・・・・しばらくは急に広がった世界に戸惑った。だが優れた剣士であるガレスの事。すぐに順応した。


 ガレスはムシナに残してきているラン=リムの事を思い出していた。今はボルハやシン=エイが見張っているはずだが、あの小心者共がよもや手を出したりする事もあるまい。


 ガレスは自分の左目に触れた。あの初夜・・以降、何度もラン=リムを抱いた。それこそ貪るように。いや、溺れていたといってもいいかも知れない。


 金で買った女なら何度も抱いた事がある。決して初心という訳でもない彼が、何故かあの女には溺れた。あの女にはそうさせる何かがあった。


 そうして何度も身体を重ねる内に、ガレスだけでなくラン=リムにも何らかの感情の変化があったらしい。彼女はガレスからは決して言い出す事つもりが無かった『神通力』を自発的に使用して、1か月程で完全に喪失していたはずのガレスの目を再生・・してしまったのである。


 その奇跡の御業の恩恵を直に受けたガレスは、ラン=リムの為にある約束をした。そしてミハエルの目を盗んでその約束を実行した。ガレスと婚姻・・した彼女をジャンバラに帰す訳には行かなかったが、それが彼のせめてもの感謝の表し方であった。



(ふん……つまらん感傷だ。今は他に集中すべき事柄がある)


 ガレスは意図的に意識を切り替えた。彼等の見ている先では倒すべき敵であるマリウス軍が完全に臨戦態勢となって待ち構えていた。


 戦の時だ。


 ガレスはラン=リムの事を頭の隅に追いやり、代わりに戦の空気を全身に吸い込んで気分を高揚させる。彼は悪鬼の如き壮絶な笑みを浮かべた。


「さあ……精々この俺を楽しませてみせろ、雑魚共が」


 彼はミハエルに開戦の合図を出した。ここにトランキア州の覇権を掛けた戦の火蓋が切って落とされた!

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