第二十五幕 魔人と神妃(Ⅰ) ~詐欺師の暗躍

 中原最南端の都市ムシナ……。現在スロベニア郡の首都・・ともなっているこの街の、宮城の奥にある太守の私室。その部屋の中で2人の人物が向き合って座っていた。


 1人は現スロベニア公でもあるガレス・ヴァル・デュライト。当然今は平服姿だが、その恵まれた体格、はち切れんばかりの筋肉は服の下からでもその存在を誇示していた。同時に抑えていても無意識に発散させているのであろう、剣呑な覇気や闘気の類いも。


 だがその剛毅な面貌の左側には大きな傷痕が走り、左目は黒い眼帯によって覆われていた。そのガレスが対面の人物に対して口を開いた。



「……ミハエルよ。お前の妨害工作・・・・は悉く失敗したそうだな?」


 その言葉に対面の人物――ミハエル・フェデリーゴ・チェーザリは忌々しそうに鼻を鳴らして、目の前の卓に置かれた酒杯を呷った。痩身に高価な絹服、綺麗に整えられた黒髪と長い顎鬚。どこから見ても有能そうな商人か官吏に見える男だが、その目だけはまるで猛禽か狼のような鋭さである。


「ふん! 全く相変わらず忌々しい女共だ! 俺の邪魔ばかりしおって。だが……失敗はしたがドラメレク達は充分にその役目を果たしてくれたよ」


 ミハエルは一転して、長い顎鬚を擦りながら嫌らしく笑う。その言葉と様子に、ガレスはピクッと右の眉を上げる。


「……また何やら企んでいるのか?」


「企むとは人聞きの悪い。……知っているか? セルビアの奴等、モルドバのイゴール軍との再同盟を果たしたらしいぞ? あの生意気な女狐軍師の働きだそうだが」


「ほぅ……」


 ガレスの知る限りでも、あの2国は完全に拗れていたはずだ。ミハエルがそれを見越して、イゴールにスロベニアとの挟撃を提案していたらしいが、どのような手段を用いたのかセルビア側に先を越されたようだ。


 ガレスは以前に一度だけ会った妖艶な女軍師の姿を思い返していた。そしてその口の端を吊り上げる。


「くくく、面白い。どの道マリウス軍を滅ぼしたら次はイゴール軍の番だったのだ。雑魚共がいくら群れようが俺の敵ではない。まとめて磨り潰してやる」


 絶対の自信を滲ませて断言するガレス。ミハエルは苦笑して肩を竦めた。


「ま、お前ならそう言うと思ったが、単純な数の力というのも存外あなどれん。味方は多いに越した事はない。実は俺も奴等に倣って同盟工作・・・・に精を出してたんだよ。ジェファス達の妨害工作は、マリウスやあの女共の目をそこから逸らしておくという目的もあったのさ」


「同盟だと? ここ最近お前が動いていたのはそれだったのか。だが俺達と同盟を結ぼうなどという酔狂な勢力がこの中原にいるとは思えんが?」


 ガレスとて自分達のやっている事の是非くらいは理解している。謀反による簒奪。能力面だけを優先して揃えた犯罪者スレスレのゴロツキ集団。そして山賊略奪や麻薬流布などの実際の犯罪行為。


 自分達と同盟などすれば、その悪名も共にひっかぶる事になる。そんなリスクを背負ってまで自分達と同盟する勢力など存在するはずがない。


 刹那的な性分で、負けて死ねばそれまでと割り切っているガレスは今の現状に一切不満を抱いていなかったが、ミハエルはまた違う考えなのだろう。



「確かに中原にはいない。中原にはな……」


 ミハエルは意味深に笑う。


「セリオラン海を渡った先にある神秘の島国シャンバラの事はお前も知っているだろう?」


「シャンバラだと? 勿論知っている。実際に行った事はないがな。……まさか?」


 ガレスが少し目を見開くと、ミハエルは再び笑いながら頷いた。


「ああ。ボルハの奴が元々イスパーダで手広くやってたのは知ってると思うが、あいつ金に飽かせて腕利きの【案内人】と契約しててな。シャンバラとの独自の航海ルートを開拓していやがったのさ」


「……!」




 西の大海セリオラン海……。オウマ帝国が唯一面している海であり、彼等が船で大海に漕ぎ出す理由は漁業以外では、専ら【神秘の島国】シャンバラとの行き来で占められている。


 中原にはない珍しい資源が豊富に眠るシャンバラは別名【黄金の島国】などと呼ばれる事もあり、貿易で生計を立てる全ての商人を虜にしてきた。


 そんな宝の山が眠る島に、普通であれば欲深い商人や軍人達が大挙して押し寄せそうなものだが、シャンバラは未だに大きな混乱もなく自治性を保ち続けていた。


 その理由は極めて単純。帝国とシャンバラとの間に横たわるセリオラン海が、【中原四大魔境】の一角という悪名をほしいままとする、恐ろしい地獄の大海であるからだ。


 陸地が見える程度の浅海で漁業を営むくらいならそれ程問題はない。だが一度遠洋へと漕ぎ出せば常に荒れ狂う大嵐や渦潮の洗礼を受ける事となり、また極めて複雑かつ日々変化する潮流によって海の迷路へと迷い込み二度と出て来られなくなる。


 だがそれくらいならまだマシ・・・・だ。海の迷路の奥深くには、潮の流れが完全に止まり周囲は濃霧に包まれ方向すら分からなくなり、そこで多くの船が朽ち果てた姿を晒しているという【船の墓場】があるとされる。


 またそうして無念の内に朽ち果て船員も悲劇的な死を遂げた船が、夜の大海を彷徨い生者を仲間に引き入れようと襲い掛かってくるという【幽霊船】の噂。


 そして何よりも帝国人を怖れさせるのは、深淵の海の中に潜む幾多の巨大生物の噂だ。曰く巨大な商船を真っ二つに割って船員を海に引きずり込む島と見紛う巨大蛸【クラーケン】、曰く人の何倍もの大きさの肉食巨大魚【レモラ】の群れ、曰く人間の肉が大好物の超巨大海蛇【リヴァイアサン】、曰く大商船を上回る大きさの極めて獰猛な【鮫の王】、曰く下半身が魚で上半身が美しい女性の姿で、心地良い歌声で男を惑わし海に引きずり込む【セイレーン】など、その噂の数々は枚挙に暇がないほどである。


 勿論大半は人間が持つ深い海への根源的な恐怖が生み出した噂であろうが、座礁、沈没した船の生き残りなどで、実際にこれらの怪物を見たと証言する者も数多くおり、セリオラン海の魔境ぶりに拍車を掛けていた。


 これらの事情によってそもそもシャンバラとの交易を物理的に・・・・成功させられる船が殆どおらず、結果シャンバラは帝国にとって手付かずの【黄金郷】であり続けた。



 だが並みの航海士では匙を投げるこの魔海の複雑な航路を読み解き、安全にシャンバラまでの航海を成功させる事の出来る特殊な才能を持った者達がいた。


 彼等は【案内人】と呼称され、シャンバラとの交易を望む貿易商達に高額の報酬で航海士として雇われる。【案内人】の数自体が極めて少なく希少な存在である為、時として商会同士で【案内人】との契約を巡って血で血を洗う抗争が繰り広げられる事も珍しくないという。


 ボルハはそんな血生臭い抗争を制して、【案内人】との独占契約を成し遂げていたのだろう。




「そこで奴の伝手を利用して、シャンバラに対して『同盟』と『協力』を持ちかけたのさ。……実は既にシャンバラからの『友好の使者』がこの城に到着しているんだ」


「……何だと?」


 初耳の話にガレスは隻眼を剥いた。とはいえ外交や計略に興味はないと自分でミハエルに丸投げした経緯があるので、事後承諾自体を責める事は出来なかった。


「彼等はお前に謁見を求めている。色々興味深い提案が聞けるはずだぞ」


「ふん……裏でコソコソ動いていたのは気に食わんが……。神秘の島国シャンバラか……」


 ガレスは一旦顎に手を当てて考え込むような姿勢になったが、不快感よりも好奇の感情の方が勝った。


「面白い。……いいだろう。会ってやる」


「そうこなくては! すぐに手配するので先に謁見の間で待っていてくれ」


 ミハエルは手を叩いて彼を促した。頷いたガレスは、戦や訓練以外では重い腰を上げて謁見の間へと向かうのだった。

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