第十幕 妖花詭計(Ⅳ) ~父娘対決

「ほぅ……まさかお前の方からわざわざ出向いてくれるとはのぅ。手間が省けたわ」


 確実に10年は会っていなかったであろう実の娘の姿を認めたギュスタヴは、嬉しそうに笑いながら殺気・・を向けた。


「……っ。ギュスタヴ、退きなさい! 私はお前に殺されるつもりはないし、この人達も殺させはしない!」


 オルタンスは実の父親から混じり気の無い殺気を向けられ怯みそうになる身体を意思の力で抑え込んで踏み止まる。



 好むと好まざるとに関わらず鍛えに鍛え抜かれた彼女の鋭敏な感覚は、何か非常に不快で恐ろしいモノが迫っている事を察知した。そしてそれが丁度客人であるヴィオレッタ達が去って行った方角から向かってきている事を悟ったオルタンスは、考えたり悩んだりする前に身体が動いていた。


 彼女達が自分を勢力に勧誘したいという目的で通い詰めている事は勿論承知している。だがそれでも人との交流を避けて孤独に暮らしてきた彼女にとって、ヴィオレッタ達との交流は自分もまた人である事を思い出させてくれる心温まるものであったのだ。


 理由はそれだけで充分だった。


 素早く常に手入れを欠かさなかった武具を身に着けて、一路ヴィオレッタ達の後を追った彼女は、10数年ぶりに頭の中の記憶や想像ではない現実の肉体を持った『鬼』の姿を認めたのであった。



「ぐふふ……がらくた風情が大きく出たな。お前にこの儂を退けられるか?」


 『鬼』が闘気と殺気を発散させながら向かってくる。『鬼』に虐待され殺されかけた恐怖の記憶が甦り彼女の心臓を締め上げる。呼吸や動悸が乱れる。顔や身体中に冷や汗が滲む。


 今すぐ回れ右をして駆け逃げたくなる。いや、それ以前に足腰に力が入らなくなって、何もかも投げ出してこの場にうずくまって震えていたい衝動に駆られる。


 だが自らが後ろに庇うヴィオレッタ達の存在がそれに歯止めを掛けた。


(ここで私が逃げたら、いえ、負けたら……この人達が殺されてしまう。それだけは……絶対にさせない! 母上、私に勇気を……!)


 彼女達を守らねばという意識がオルタンスに一時、『鬼』への恐怖を忘れさせた。


「やるわ! お前を……倒す!」


 決然と踏み出す様子に、ギュスタヴは意外そうに目を見開いた。だが次の瞬間には悪鬼の形相となった。



「ふぁはは! ぬかせぃ! がらくた如きが!」


 立っている地面が抉れる程の踏み込み。先のキーア相手の時のそれとは比較にならない速さだ。一瞬でオルタンスの前に出現したギュスタヴは、そのまま目にも留まらぬ速度で剣を薙ぎ払う。


「ふっ!」


 だがオルタンスはその強撃を剣で受け流した。ただ受けるだけでは膂力の差で強引に破られてしまう可能性が高い。オルタンスは相手の剣撃に合わせて正面からは受けずに逸らせるようにして受け流したのだ。


 それはつまりオルタンスには相手の……剣鬼ギュスタヴの斬撃が見えていた、という事。


「かぁっ!!」


 だがギュスタヴもさる者。即座にもう一方の剣で流れるように追撃を加える。だが二振りの剣を扱うのはギュスタヴだけではない。オルタンスもまたもう一方の剣を掲げ、再びギュスタヴの攻撃をいなした。


「何!? 貴様……」

「私はもう……がらくたじゃない!」


 叫んだオルタンスが反撃に転じる。幼少期からギュスタヴに鍛えられてきた彼女の剣術もまたフラガラッハ流双剣術である。しかもその後10年以上の間、ただ恐怖を乗り越えギュスタヴを殺す事だけを考えて死に物狂いでその剣術を昇華させ続けた。


 その成果・・が如何なく発揮されようとしていた。



「はぁっ!」


 その首筋を狙う剣閃はキーアなどとは比較にならない速さ、鋭さだ。しかもそれでいて彼女の剣はもう一本あるのだ。


「しゅっ!!」

「ちぃ!」


 最初の剣撃を防いだギュスタヴだが、間髪を入れずに今度は脇腹に迫る刃に思わず舌打ちしてそれを受ける。


「貴様ぁ!」


 がらくた・・・・相手に図らずも受けに回らされたギュスタヴは、怒りに燃えて猛然と逆襲に転じる。遊びは一切なしの完全に殺す気での攻撃だ。だがオルタンスは並外れた動体視力と反射神経でそれらの軌道を見切って、二刀を巧みに操り全ての攻撃を捌いた。


「何じゃと!?」


「おおぉぉぉっ!!」


 目を剥くギュスタヴ。気合と共に再び攻勢に出るオルタンス。ギュスタヴのお株を奪うような二刀流による怒涛の攻め。それもただの力任せの連撃ではなく、全ての攻撃が次の攻撃に繋げる為の布石であり、二振りの剣は互いの隙を補うように、まるで一つの生き物であるかのように縦横無尽に煌めく。


 それはまさにフラガラッハ流の真髄であった。オルタンスは父から叩き込まれた技術を元に独力でそれを研ぎ澄まし、道場があればとうに免許皆伝となっているであろう実力を身に着けていたのだ。



 並みの武芸者であれば一溜まりもなく血の海に沈んでいるであろう凄まじいまでの連撃。だがギュスタヴは並みの武芸者ではない。


「図に乗るな!」


 オルタンスの連撃の僅かな空隙を縫って反撃の刃を閃かせる。オルタンスはそれにすら反応して受けるが、再びギュスタヴの攻勢となり攻守が逆転した。


「ふぁはは! 所詮儂には勝てんのだ!」


「く……ギュスタヴゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」


 中原では廃れた幻の二刀流派同士の……それも父娘の戦い。互いに鎬を削りながら一進一退の攻防を繰り返す超常の戦いを、周囲にいる者達・・・・・・・は呆然と見守る他なかった。





「う、嘘でしょ……。本当にあのギュスタヴと互角に戦っている……!?」


 ファティマは目の前で繰り広げられている光景が俄かには信じられなかった。強いとは感じていたが、現実はその想定の尚上を行っていた。これ程とは思っていなかった。


「す、凄い……」


 戦闘を避けてファティマ達の近くまで退避してきていたキーアも、その戦いを唖然と見つめるばかりだった。なまじ武芸の腕があるからこそ、オルタンスの次元の違う強さをファティマよりも実感しているのかも知れない。


 同じ女がここまで強くなれるのか。妙に熱っぽい目で、戦うオルタンスの姿を追っていた。



「……素晴らしい。期待以上だわ」


 そしてキーア以上に食い入るような目でその戦いを見守るヴィオレッタの口から、思わず漏れ出た呟き。ほんの小さな呟きだったが、隣にいるファティマはそれを聞き逃さなかった。


 しかしファティマがそれを問い正そうとする前にヴィオレッタが口を開いた。


「キーア! 何を突っ立ってるの!? オルタンスを援護しなさい! 後方から挟撃を仕掛けるのよ!」


「え!? あ……は、はいっ!!」


 怒鳴り付けられたキーアは、思わずビクッと身体を震わせながらも慌てて指示に従った。確かに徐々にだがギュスタヴが押し始めている気配があった。このままではどうなるか解らない。



 キーアはオルタンスを援護する為に剣を取って、斬り合う2人の近寄るとギュスタヴの背後を取るような位置に移動する。


 いかにキーアが気配を殺して忍び寄ろうと通常であればギュスタヴの背後を取る事など不可能だっただろうが、今はオルタンスと斬り結ぶギュスタヴも周りに注意を向ける余裕が無かった。


(……今だっ!)


 オルタンスとの戦いに集中しているギュスタヴは、至近距離まで迫ったキーアに気付かない。絶好の機会と見たキーアは引き絞った剣を一気に突き出す。


「ぬっ!?」


 だが恐るべきは双剣鬼ギュスタヴ。僅かな殺気に反応して、背後からのキーアの一撃を危うい所で躱した。そのままであれば反撃でキーアが斬られていただろう。しかし目の前で斬り結んでいるオルタンスがそれを許すはずがない。


「はぁぁっ!!」


 キーアの奇襲に意識が逸れた一瞬の間隙。それはオルタンスほどの使い手にとって極めて大きな隙として映った。裂帛の気合と共に放たれた一閃。それは狙い過たずギュスタヴの首を刎ね飛ばす――


「ぬがっ!?」


 ――寸前で驚異的な反射速度によってギリギリ躱され、首の皮一枚を切るに終わった。


「くっ!」

 オルタンスが歯噛みして追撃を繰り出そうとするが、ギュスタヴは二刀を大きく薙ぎ払うようにしてオルタンスとキーアを牽制した。彼女らが思わず飛び退ると、ギュスタヴもまた距離を取るように後ずさった。



「ちぃ……忌々しい……!」


 オルタンスの腕前は予想外だったが、それでもあのまま戦っていれば自分が勝っていたという自信はあった。だが流石にそれと戦いながら横槍にまで対処する余裕は無かった。


「……この場は退いてやる。だが貴様ら戦場ではこうは行かんぞ! 覚えておれよ!?」


 この場で戦い続けるのは不利と判断したギュスタヴは、捨て台詞と共に身を翻して走り去っていった。



 殺す事は出来なかったが、オルタンスは見事ギュスタヴを撃退したのであった。

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