第二十二幕 闇夜に踊る者(Ⅴ) ~狼貪の暴君ゲオルグ

 モルドバの街。繁華街にある酒場の一角にマリウス、ヴィオレッタ、そしてキーアの3人の姿があった。ここでヴィオレッタの言う所の『諜報員』……ファティマと待ち合わせているのだ。


 エストリーではゲオルグの膝元な上にキーアの顔も知られているので落ち合うには適当とは言えず、モルドバを待ち合わせ場所としたのだ。


 そう待つ事もなく、マリウス達のいる席に1人の女性が近づいてきた。


「やあ、待たせてしまったかな? その様子だと首尾は上々みたいだね。流石はヴィオレッタだ」


 ファティマであった。砂漠人の外見は人目を引きやすいせいか、ショールのような物を被っている。ヴィオレッタは鼻を鳴らした。


「当たり前でしょう? 私を誰だと思ってるの。あなたこそ首尾はどうだったの?」


 相変わらずのヴィオレッタの態度に苦笑しながら、ファティマも同じ卓の席に座に着く。


「中々の用心深さだったけど……大丈夫。何とか当たりは付けたよ」


「……! あ、あの……」


 ファティマの言葉に真っ先に反応したのはキーアだ。ファティマは笑顔を向けて手を差し出す。


「やあ、あなたが例の女義賊さんね? こうして直に会うのは初めてね。ファティマ・ジブリールよ。宜しく」


「あ……キ、キーア・フリクセルです。あの、母の居場所が分かったんですか!? 母は無事なんですか!?」


 握手には応じたものの、挨拶もそこそこにファティマに詰め寄るキーア。


「ええ、大丈夫。彼女は無事よ。少なくとも今の所はね」


「……っ!」

 キーアが戦慄いた。だがヴィオレッタが立ち上がって彼女の肩に手を掛ける。


「落ち着いて、キーア。母親を直接助けに行きたいだろうけど、それはこちらに任せて頂戴。あなたにはその間、ゲオルグの注意を引き付けるという大事な役目があるのを忘れないで」


「……!」


 モルドバへの道すがらで大体の作戦内容は打ち合わせ済みだ。ヴィオレッタに諭されたキーアは、唇を噛み締めギュッと目を瞑った。それから決心するように目を開いてから頷いた。


「……はい、解っています。私は私の役目を果たします。……どうか母の事、宜しくお願いします」


 万感の思いが込められたその言葉に、他の3人が大きく頷く。マリウスが代表して手を叩く。


「よし! それじゃ皆、準備ができ次第早速始めるとしようか!」


 酒場で最低限の腹ごしらえだけした一行は、それぞれの役目に従って三々五々に散っていった。



****



 エストリーの街。モルドバと隣接したやや東寄りの位置する街だ。これより東に行くとフランカ州の北端に差し掛かる。街の人口は約2万人程度と、ディムロスと似たり寄ったりの規模だ。


 現在の太守は、イゴール公より任命されたゲオルグ・ハンス・クレメント。ガルマニア人であり、元々はガルマニアのとある勢力に仕えていたが、ジェファスなどと同じく高待遇でイゴール公に引き抜かれて転籍した過去を持つ。


 引き抜きを受けただけあって能力面ではかなり優秀との評判であったが、反面性格面ではあまり良い噂を聞かず、気分次第で民を折檻したり、気に入った娘を拐かして乱暴しているなどという噂まであった。



 そんな太守ゲオルグの屋敷。夜になってキーアは人目を忍ぶように屋敷の裏門の戸を叩く。すると門衛がキーアの顔を見てから裏門を開けた。彼女が中に滑り込むと、すぐに門は閉じられた。


「…………」


 そのまま屋敷に入り、廊下を静かに進むキーア。やがて屋敷の奥にある、一際立派な部屋の扉の前で立ち止まった。そして緊張を解くようにフゥッと一息ついてから、意を決したように扉をノックする。



「た、太守様、いらっしゃいますか? キーアです。只今戻りました」



「……よし、入れ」


 しばらくして中から低い声で応えがあった。


「は、はい。失礼します」


 扉を開けて中に入る。かなり広いスペースの私室であった。奥には天蓋付きの寝台まである。それより手前の部屋の中央辺りに、大きなテーブルとソファのセットがあり、1人用のソファにゆったりと腰掛けている男がいた。


 太守のゲオルグだ。ゆったりとした高級な絹服に身を包んでいるが、かなり背が大きく、短く刈り込んだ髪と濃い髭、そして角ばった剛毅な印象の面貌。はっきり言って文官用の官服が似合っておらず、戦場で鎧でも来て兵士を指揮している方が似合っていそうな風貌であった。


「……首尾はどうだ?」


 ゲオルグはキーアを対面の椅子に座らせる事もなく、立たせたままで報告を促した。キーアはぐっと唇を噛みしめる。


「は、はい。今回も成功です。追跡は振り切りました」


「そうか……。ふふふ、奴らめ。じわじわと苦しめてやる」


 追跡を『振り切った』という事は、つまり危うく捕まりそうになった所を必死に逃れてきたという事。だがゲオルグにそれに対する労いなどは一切なく、ただ自分勝手な感情だけで暗い悦びに浸っている。


 キーアはその様子に我慢できなくなって口を挟む。


「あ、あの! それで、母には……」


 悦に入っていた所を中断されて、ゲオルグの剛毅な顔が不快げに歪む。


「ふん、言ったはずだ。儂の目的が果たされたら解放してやるとな。お前は黙って儂の言う事に従っておれ」


「い、いつなのですか、それは!?」


「……何?」


 キーアがはっきりと問う。母親を人質に取られて従わされてから、初めての事であった。ゲオルグが不思議な物でも見るように彼女を見てきた。その視線に気圧されそうになりながらも、辛うじて堪えるキーア。


「こ、こんな事を繰り返していてもあの国は……街は揺らぎません! あなたの目的は永遠に果たされません! 母を一生監禁する気ですか!?」


「貴様……」


 ゲオルグがユラっと椅子から立ち上がった。高さだけでなく横幅もある巨体の威圧感に思わず怯みそうになるが、やはりすんでの所で堪えた。


「あなたのやっている事は、ただの自己満足の陰湿な嫌がらせにしか過ぎません……!」


 遂に客観的な事実をはっきりと言葉にする。ゲオルグが瞬間的に激昂した。


「黙れぃっ!」

「……ッ!」


 大きな手で殴りつけられたキーアは、勢い余って床に倒れ込む。しかし殴られた頬を庇いながらも睨むようにしてゲオルグを見上げるキーア。その視線に更に不快感を刺激されたゲオルグは、もうこの女は使い物にならないと判断した。


「儂に意見するとは生意気な……。母親の命が惜しくないと見えるな」


「……っ! や、やめて!」


 キーアは一転して顔を青ざめさせる。だがゲオルグはそれを嗜虐的に笑って見下す。


「もう遅いわ。お前の替わりなどいくらでもおる。儂に楯突いた事を後悔するがいいわ!」


 ゲオルグは呼び鈴を鳴らして家令を呼ぶと、キーアの母親を殺すように命じる。だが……




「――悪いけど、キーアの母君ならもうあそこにはいないよ。僕達が助け出したからね」




「……っ!?」

 窓から聞こえてきた声にゲオルグがギョッとして振り向く。窓の鎧戸を割って部屋の中に滑り込んできた影があった。それは今までキーアとは別行動を取っていたマリウスであった!



「……! 良かった……!」

「な、な……!?」


 それぞれ正反対の反応を返すキーアとゲオルグ。即ちキーアは安堵、ゲオルグは驚愕を。


「貴様ぁ……一体何者だ!? それに今、こいつの母親を助けたと言ったか!?」


 マリウスはあっさりと肯定する。


「そうだよ。ついでに言っておくと、僕がディムロス伯マリウスだよ。僕達に恨みがあったみたいだから、こうして直接来てあげたんだよ。この方が手っ取り早いでしょ?」


「何ぃ!? き、貴様が……!?」


 ゲオルグがその目をひん剥かんばかりに見開いた。だが辛うじて持ちこたえて態勢を整えようとする。


「儂を暗殺にでも来たか!? だ、だがここは貴様の国ではない! 儂に手を出せばイゴール公と戦争になるぞ!? そうなれば今の貴様らなど一溜りもあるまい!」


 かつて相対したミハエルやジェファスなどと同じような使い古された脅し文句を口にするゲオルグ。彼等は何故、マリウス達が当然その可能性を考慮した上で、事前に対策して乗り込んできていると考えないのだろう。


 否、恐らく余りにも予想外の事態に気が動転して、咄嗟に思いついた口上に逃げるしかないのだ。


「その点に関しては心配ご無用だよ。今頃は僕の頼れる軍師・・が、イゴール公に事情を説明して説得してくれているだろうから。それも……証言者・・・付きでね」


「……っ!!」

 ゲオルグが再び目を剥いた。

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