第九幕 破戒の老剣士
それから程なくして……遂にヌゴラの部族が襲撃を仕掛けてきた。
「き、来た! ヌゴラの部族だ! 300人以上はいるぞ!?」
「……!」
高い見張り塔に詰めていた集落の見張りが、慌てふためいて警戒の銅鑼を鳴らす。
「……遂に来たね。敵は約3倍か。面白いじゃないか!」
ソニアが青龍牙刀を抜き放ちながら不敵に逸る。その頼もしい姿と言動にジュナイナ達も落ち着きを取り戻す。
「皆準備はいいわね!? 迎え撃つわよ!」
ジュナイナが大声で号令を掛けると、戦士達は一様にいきり立って武器を構えながら雄叫びを上げる。
敵部族もまた雄叫びを上げながら湿地を抜けてこの集落に迫ってきている。これが中原の戦なら罠や伏兵の一つでも仕掛けておく所だが、このアマゾナスにおいてそれらは『邪道』とされている。
卑怯な罠や計略に頼って戦うのは戦士の闘いではなく、臆病者のやる事だとされており、それらを用いて勝利したとしても、誰もその勝利を認める事はなく、他部族からも卑怯者と後ろ指を差され続ける事になる。
なので基本的にアマゾナスでの部族同士の戦いは全て正面衝突の潰し合いだ。弓矢の類いも狩りで使う物とされ、戦に用いられる事はない。ソニアとしてはむしろ望む所であった。
「いくよ! アタシに続きなぁっ!」
ソニアは先陣を切って敵に突撃する。
「私達も行くわよ! 彼女に遅れを取るな!」
ジュナイナもまた愛用の槍を構えて部族の戦士達に号令を掛ける。この期に及んで臆する者はおらず、全員が武器を構えて2人の女傑の後に続いた。
ここに2つの部族の存続を賭けた闘争の火蓋が切って落とされた!
「おおりゃあぁぁっ!!」
勇ましい掛け声と共に、ソニアの青龍牙刀が唸りを上げて煌めく。その度に敵が血しぶきを上げて倒れ伏す。しかしその屍を乗り越えるようにして次々と敵が押し寄せる。
ソニアは縦横無尽に暴れまわるが、流石に四方八方から攻められれば対処できない。今も右側の敵に対処している隙に、反対側の敵がソニアの背中を狙う。だが……
「ふっ!」
鋭い呼気と共に放たれた一閃突きが敵の心臓を貫く。
「ソニア! 背後が疎かになってるわよ!」
ジュナイナだ。取り回しの軽い短槍を振るい、ソニアに負けず劣らずの剛勇ぶりで敵を打ち倒す。ソニアは刀を振るいながら歯を見せて笑う。
「はっ! アンタが援護してくれるって分かってるからこそだよ! 背中は任せたよ!?」
「ふぅ……相変わらずね!」
やり取りの間にも敵を倒す2人。数に劣るジュナイナの部族はジュナイナの指揮の元、各個撃破を避ける為に極力一箇所に纏まって敵と斬り結ぶ。円陣を組むようにしてしぶとく抵抗するジュナイナの部族。
そこに2人の女傑が当たるを幸い敵を斬り倒し、死体の山を築いていく。彼女らは抜群の連携で互いの隙を補い合い、多数の敵に囲まれても物ともせずに奮戦する。その豪勇ぶりを見た味方は奮い立ち、敵には動揺が走る。
戦において士気は非常に重要だ。一旦士気が崩れると、自軍の半分にも満たない敵に掃討される事もあり得るのが戦の怖い所だ。
「どうやら敵さん、浮足立ってきたみたいだねぇ! おら! 一気に押し潰すよ!」
「ええ、今が好機ね! 皆、反撃に転じるわよ!」
ソニアとジュナイナは反撃のタイミングを正確に読み取り、一気に攻勢を仕掛ける。
浮足立ったヌゴラの部族は敵を攻めきれずに、逆に自分達が返り討ちの危機に瀕する羽目になった。焦ったのは敵の部族長ヌゴラだ。
「く、くそ! 何だあの女共は!? ジュナイナの奴が腕が立つとは聞いてたが、もう一人いるなんて聞いていないぞ! しかもアイツ、帝国人か!?」
ソニアの姿を認めたヌゴラが目を細める。
「まさか、奴等
小声で呟きながらヌゴラは自分の後ろを振り向く。そこには外套を被った1人の人物が佇んでいた。今まで戦闘には参加せずに、ヌゴラと共に戦の推移を見守っていたようだ。
「
――最初に「ソレ」に気付いたのはジュナイナだった。
「……っ!?」
彼女の野性的な一種の勘のような物がソレを察知すると同時に、背筋が凍るような感覚を覚えた。
同時に彼女の部族の戦士達が固まっている向こう側で血しぶきが舞った。尋常ではない量。明らかに1人の物ではない。恐ろしい悲鳴が轟き、麾下の戦士達が算を乱して陣形を崩す。
「っ! 何だい!?」
この段階でソニアも気付いた。何か……いや、誰かがジュナイナの部族の戦士達を殺戮している。
「何をしてるの!? 逃げないで踏み止まりなさいっ!」
ジュナイナが声を枯らして叫ぶが、部族の戦士達は恐慌状態に陥ったように逃げ惑っている。やがて視界を遮っていた味方の戦士達が皆いなくなる事で、2人にも事態が把握できた。
「……!」
彼女らの視界に映っていたのは、10人近い味方の戦士達の屍と、その中心に佇む1人の
「ふん、ようやく出番か。待ちくたびれたわ。……ギュスタヴ・ボドワン・アザールだ。精々儂を楽しませてみろ」
帝国風の鎧兜を身に着け、その両手にはそれぞれ直剣が握られていた。帝国でも珍しい二刀流だ。2人にはすぐにこの人物――ギュスタヴが、ヌゴラの部族に雇われた『猛将』とやらだと解った。名前からするとフランカ人のようだ。
思わぬ苦戦に、ヌゴラが虎の子の傭兵を投入したのだ。だが……
「……何だい? アンタが噂の『猛将』とやらかい? はんっ! 只の
ソニアが鼻を鳴らす。ギュスタヴの兜から覗く顔には深い皺が刻まれ、白く染まった前髪と髭を備えていた。そう……ギュスタヴと名乗った剣士は明らかに老齢の域に達していたのだ。
「どんなに御大層な奴かと思ったら、拍子抜けだねぇ。そいつらを斬ったのでもう息切れしちまって、まともに剣が振るえないんじゃないかい?」
あからさまに馬鹿にした様子になるソニア。だがそれは老剣士の心にさざ波さえ起こす事が無かったようだ。
「小鳥のように
「……!」
逆に挑発し返されたソニアの目が吊り上がる。
「……上等だよ。戦場に立った以上、爺いだって容赦しないよ。もう後悔しても手遅れだよ!」
「――ま、待って、ソニア! そいつ、何かヤバい……!」
ジュナイナの戦士としての本能が盛んに危険を訴えていた。咄嗟にソニアを制止しようとするが、その時には既に頭に血が昇った彼女は刀を構えてギュスタヴに突撃していた。
「うおぉ……りゃあぁぁっ!!」
気合と共に青龍牙刀が唸りを上げて振り下ろされる。並の相手ならこの一撃だけで斬り伏せられそうな鋭い斬撃だった。が……
「ふん……」
ギュスタヴはつまらなそうに鼻を鳴らして、身体を僅かに半身逸らした。たったそれだけの動作でソニアの渾身の一撃を躱してしまった。
「な……!?」
ソニアには老剣士の動きが全く見えなかった。気付いたら斬撃が外れていた。そんな感覚。
「ん? 何だ、もう終わりか? まさか今のが本気ではあるまい?」
「……ッ! こ、この……!!」
手加減は一切していなかった。その斬撃を難なく躱されたソニアは内心で焦りながらも、今度こそ正真正銘の全力で斬りかかる。
横薙ぎの払い斬り。下段からの斬り上げ。返す刀での斬り下ろし……。全てが空を斬った。ギュスタヴはやはり最小限の動作だけで、余裕を持って全ての斬撃を回避してみせた。かすり傷一つ負っていない。
「そ、そんな……」
ギュスタヴは両手に持っている双剣で受ける事さえしていない。その事実にソニアは激しく動揺する。
彼女がこれまで戦ってきた相手は賊や兵士などの、言ってみれば雑魚が殆どで、強敵との戦闘経験が不足していた。マリウスがしてきたような強敵とのせめぎ合いの経験が無いのだ。
明らかにこれまでの相手とは格の違う敵の存在は、彼女を軽いパニックに陥らせた。動きが止まって、どうしていいか分からなくなる。
「ふん……やはりこの程度か。ま、大して期待もしておらんかったが」
ソニアの動揺を容易く見抜いたギュスタヴは、心底つまらなそうに嘆息した。ずいっと一歩前に出る。するとソニアが目に見えない圧力に押されたように一歩後ずさる。
「つまらん仕事はさっさと終わらせるに限るな」
そして初めて双剣を構えた。途端にその身体から老齢とは思えない程の闘気が噴き上がる。
「ひっ……」
その闘気をまともに浴びたソニアが青ざめ硬直する。と、次の瞬間、ギュスタヴの姿が彼女の眼前に
――ガキィィンッ!!
「……っぁ!」
気付いた時には刀に物凄い衝撃が加えられ、あっさりと彼女の手から刀が弾き飛ばされていた。間髪を入れずギュスタヴの蹴りが彼女の腹に叩き込まれた。
「げ……ぐぅ……!」
途轍もない衝撃に、堪らず両膝を着いてその場に崩れ落ちるソニア。
「ソ、ソニア……! くっ……」
同じくギュスタヴの闘気に呑まれていたジュナイナだが、親友の危機に自らを奮い立たせ、短槍を構えて吶喊する。
女性としては鍛え抜かれた体躯から繰り出される剛撃。しかしギュスタヴは片方の剣を円を描くような挙動で動かし、容易く一閃突きをいなしてしまった。
「くそ……!」
ジュナイナは次々と連続突きを放つが、やはり掠りさえしなかった。
「ふん……」
老剣士は退屈げに口を歪めると、目にも留まらぬ速さでもう一方の剣を跳ね上げる。それはジュナイナの突き出した槍の穂先に正確に打ち当てられ、衝撃で槍を跳ね上げられた彼女の身体がガラ空きになった。
「……!」
その隙を逃さず、ギュスタヴの剣の柄がジュナイナの鳩尾にめり込んだ。
「がはっ……」
一瞬で肺の空気を全て絞り出され、意識を失った彼女の身体が地に倒れ伏す。
「ジュナイナ……!」
腹を押さえてうずくまったままのソニアが呻く。痛みも勿論あるが、それ以上に圧倒的な実力差を前にして闘志が萎えてしまい、足に力が入らず立ち上がる事さえ出来なかった。
ギュスタヴがそんな彼女をゴミでも見るような目で見下す。
「お前達を捕らえて直接処刑したいという雇い主の希望があるので大幅に手加減したというに……それでもこの体たらくか。全く、つまらん仕事だったわ」
「……!!」
やはりこの男は全く本気では無かったのだ。その事実がソニアを打ちのめした。
「お前も寝ておれ」
ギュスタヴの振り上げた爪先がソニアの顎を打った。衝撃に脳を揺さぶられた彼女は、容易く意識を暗転させた。
(マ、マリウス……)
意識が闇に閉ざされる寸前思い浮かんだのは、この事態を警告してくれていた主君たる男の顔であった……
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