第八幕 仁義と責務の狭間で

「……駄目だよ。許可できない」


 次の日。登城したソニアは楽観的な気持ちで執務室にいるマリウスを訪ね、事と次第を打ち明けて許可を仰いだ。


 事情を聞いたマリウスの第一声がそれであった。ソニアは自分の耳を疑った。


「は? ……今のはアタシの聞き間違いかい?」


 思っても見なかった反応に動揺したソニアは無意識に声が低くなる。だがマリウスは態度を変えずにかぶりを振った。


「アマゾナスは遠すぎる。今のこの国の状況で君にそんな長期間の出向を認める訳にはいかない。君はもう一侠客ではなく、この国の将なんだよ? もう少しその自覚を持って欲しい」


「……!」


「それにその雇われた猛将とやらの情報も不明なんだろう? 不確定要素が多すぎる。そのジュナイナさんには申し訳ないけど他を当たってもらうしか……」


 ――ダンッ!


 マリウスの机に拳が打ち付けられる。ソニアが肩を震わせながら身を乗り出してきた。


「……アタシに親友を見殺しにしろってのかい!? ええ!?」


 侠客の元締めの子として育ち、自身も女だてらに侠客として名を馳せてきたソニアだ。彼女にとって仁義を通すという事は、自らのアイデンティティにも等しい基本原理となっていた。


「ソニア、君は……」

「くそっ! 見損なったよ、マリウス!!」


 何か言いかけたマリウスを遮るように怒鳴ったソニアはそのまま踵を返して部屋を飛び出していってしまった。マリウスが呼び止める間も無かった。


 部屋に残されたマリウスはしばらく黙っていたが、やがて盛大に嘆息して悲しげにかぶりを振った。


「……望んだ事とはいえ、君主になるというのも考えものだね。この僕が、美しい女性が困っているというのに助けてあげられないなんてね……」


 その自嘲気味の呟きは誰にも聞こえる事なく、部屋の壁に当たって霧散していった……



****



 そしてまたその翌日……


 ディムロスから南に伸びている街道を疾走する2頭の騎馬があった。


「……頼んだ私が言うのもなんだけど、本当に大丈夫だったの? あなたの立場がマズくなるんじゃ……?」


 疾走する騎馬の一方。黒い肌と露出鎧に毛皮の外套を纏ったジュナイナが、並走するもう一方の騎馬に声を掛ける。するとその人物は鼻を鳴らした。


「ふん、いいんだよ! マリウスの奴……国を持ったからって守りに入りやがって……。失望したよ」


 それは愛馬シルヴィスに跨るソニアであった。彼女は宮城を飛び出した後、ジュナイナに事情を伝えて準備を整えると、次の日には屋敷の使用人にだけ言付けて、ジュナイナと共に街を飛び出してしまった。


 マリウスの理解が得られない以上こうする他なかった。もたもたしているとマリウスに監視を付けられてしまう可能性があった。


「何も軍隊で行軍する訳じゃない。アタシとアンタの2人だけだったら、急げばアマゾナスでもそこまで長期間は掛からない。要は国防に影響がなきゃいいんだろ? 早く行って早く勝って、早く帰ってやりゃマリウスだって文句は言えないはずさ!」


 行軍より時間が掛からないというのは確かに正しかったが、それでも1日2日でたどり着ける距離ではない。


 マリウス軍が既に大きく周辺に目立った敵が居ない状況ならまだしも、いつ周辺勢力と戦争になるか予断を許さない状態である。また発足から間もなく人材も揃っていない状況であり、将1人に掛かる比重が大きいのが実情であった。


 その状況で短期間とはいえソニアが抜ける事で生じる仕事の穴や、他の者に掛かる負担のしわ寄せなど様々な問題を彼女は軽く考えていた。


 それよりは自分を頼ってきた旧友への仁義に応える事の方が、彼女には何倍も大きな問題であったのだ。そういう意味では確かにマリウスが言った通り、ソニアにはまだ侠客であった頃の気分が抜けておらず将としての自覚が足りていないようであった。


 だがそれに気付いていない彼女は、ただマリウスへの不満を募らせ、挙げ句にこのような周囲の迷惑を顧みない突発的な行動に走ってしまった。


 一方、外の人間であり未開の蛮族であるはずのジュナイナの方が、自分達がしている事の是非に関して正しい認識を抱いていた。


 だが彼女は元々無茶を承知でソニアに頼み事をしにきた立場だ。自分が何かを言えた義理ではない。それにこのまま何も言わなければソニアの力を借りられるという打算も僅かにあった。


「……ありがとう、ソニア。恩に着るわ。ならせめて急ぎましょう!」


 結果都合の悪い事実には蓋をして、ソニアを促すような言動を取ってしまう。


「ああ! その猛将って奴ごと敵部族をぶっ倒してやるよ!」


 旧友の複雑な思いには気づかずに気勢を上げるソニア。2人は土埃を立てながら、更にスピードを上げて街道を南下していくのであった。



****



 アマゾナス。トランキア州から更に南西に下った先にある、広大な熱帯地域の総称である。どこまで続いているのか、またその先に何があるのか……。少なくとも中原で確かめた者はいない。


 いや、正確には居ない事はなかったのだが誰も生きて戻っては来なかった、が正しい。


 オウマ帝国が安定期に入っていた頃、さらなる領土の拡大に努めようと、時の皇帝は幾度か中原の外に探索隊を派遣している。 


 北の広大な原野『ノーマッド』然り、東の死の砂漠『ザハラーゥ』然り、そして西の大海『セリオラン海』然り……


 南の深き樹海『アマゾナス』にも当然探索隊は送られた。しかし他の異境に送られた探索隊はそれなりの成果があったり、生き残った者が帰還を果たしたりしたが、アマゾナスは遂に只の1人も生存者が戻らなかった。


 その為アマゾナスに関しては噂に尾ひれが付き、奥地には不死の女王に率いられた女人国があるだの、動く鉄像に守られた遺跡があるだの、働かなくても無限に生る果実を食べるだけで生きていける楽園があるだのといった滑稽無糖な噂から、迷い込んだ人間を殺してその肉を喰らう食人族の王国や、底なし沼や燃える沼、猛毒の果実や危険な獣、蟲の類いなどの現実的な恐怖の噂も絶えず、中原では人外魔境としての地位を欲しいままにしていた。


 だが一言でアマゾナスと言っても色々あり、鬱蒼とした樹海の奥はまさに人跡未踏の地であったが、樹海の外縁部に当たる地域では「比較的」相互理解がしやすい諸部族が割拠する湿地帯が広がっており、そうした地域は樹海と区別して『南蛮』と呼称され、細々ながら中原の都市との交流があった。



 トランキア州最南端……つまり帝国最南端のムシナの街を越えると、そこはもうアマゾナスの一部、広大な湿地帯が広がる未開の大地だ。


 だが正にこの湿地帯出身であるジュナイナの先導の元、ソニアは驚くほど速い日数でジュナイナが率いる部族の集落に到着した。


 因みに湿地帯では騎馬は不向きであるとの事で、ソニアは愛馬シルヴィスをムシナの旅人宿に預けていた。そこから2人は徒歩で集落までの道のりを下ったのだ。


 ジュナイナの部族は非戦闘員まで入れれば総勢500人程で、木造の柵に囲まれた簡素な集落であった。住居も中原ではまず見られない高床式の住居であった。


 住人は総じてジュナイナと同じ黒い肌にスラッとした体型の人種だ。ジュナイナは集まってきた部族民にソニアの事を敵部族――ヌゴラという族長が率いる部族らしい――に対する助っ人として紹介した。



「族長。あんたの腕は知ってるが、正直文人気取りのひ弱な帝国人など当てにならん。ヌゴラに雇われたとかいう帝国人もどうせ大した事はあるまい。そんな奴の助けなど不要だ」


 100人程いる戦士の中から一際大柄な男性が進み出てきて発言した。他の戦士たちも大多数が頷いている。


 族長のジュナイナが女だからか、性別ではなく帝国人である事をあげつらってくる。ジュナイナが何か言おうとするのをソニアは手で制した。彼女の口元はニンマリと吊り上がっていた。


 この手の展開は旗揚げの時に何度も経験している。むしろこの方があれこれ御託を並べるよりも遥かに手っ取り早い。彼女の性にも合っていた。


「いいねぇ、分かりやすくて。ならこっちも遠慮はなしだよ。アタシの実力が信用できないってんなら、手っ取り早く確かめる方法があるだろ?」


 不敵に笑いながら手招きして相手を挑発するソニア。黒い大男が肩を怒らせる。


「こいつ……ひ弱な帝国人が俺達に勝てると思ってるのか?」


「はん! 威勢よく吼えるしか出来ないなら、アンタもそのひ弱な帝国人とやらと同じだね!」


「……! 貴様ぁ!」


 男が襲いかかってきた。言うだけあって街のやくざ者などより余程速く力強い動きだ。だがそれでも見切れない程ではない。マリウスと比べれば雲泥の差だ。


「ひゅっ!」


 男の拳を危なげなく避ける。男は今度は薙ぎ払うように拳を横から打ち付けてきたので、それを身を屈めて躱す。すると間髪を入れず下から膝蹴りが迫ってきた。


「……!」

 ソニアは一瞬目を瞠ったが、直後に仰け反るようにして膝蹴りを回避する事に成功した。


「何……!」


 男が動揺。その隙に腰を落として男の軸足に足払いを仕掛ける。


「ぬおっ!?」


 何とか転倒は免れたものの、大きく体勢を崩す男。ソニアの追撃。苦し紛れに振るわれた腕を掻い潜って、男の顎を殴りつける。


 怯んだ隙に腕を取ってそのまま強引に背負投を決めた! 体勢が崩れて怯んでいた隙を突かれた男は踏ん張りきれずに、その巨体が見事に宙を舞った。


「ぐえっ!」


 悲鳴と共に倒れ伏す男。打ち所が悪かったらしく呻いたまま起き上がってこない。その光景を見た他の戦士たちが動揺する。



「さあ、まだアタシの実力に納得できない奴はいるかい!?」


 啖呵を切ってやると、残りの戦士たちは低く唸りながらも誰も進み出て来る者はいなかった。掴みは充分のようだ。様子を見ていたジュナイナが拍手している。


「ふふ、流石はソニアね! 見込んだ通り……いえ、あれから更に腕を上げたようね」


「はっ、当然だろ! あれから何年経ったと思ってんだい! アンタこそ腕は上がってるんだろうね?」


 ソニアが挑発的に返してやると、ジュナイナは自信ありげに頷いた。


「勿論よ。他の部族との小競り合いはしょっちゅうだったし、ここの族長になるに当たってそれなりに修羅場を潜ってるわ。実戦経験ならあなたより上かも知れないわよ?」


「へぇ……そいつは凄いね。何ならこの場でどっちが強いか試すかい?」


 ソニアの半分本気のような申し出に、ジュナイナは苦笑しつつかぶりを振った。


「魅力的な誘いだけどやめておくわ。あなたとやり合ったらお互いに怪我じゃ済まなそうだし。ヌゴラの部族を無事に撃退出来たら、その時は試してみたいわね」


 ジュナイナも好戦的な性格ではあるようで、そんな風に付け加えた。


「あはは! そりゃ楽しみだ! それじゃさっさとお役目を果たしちまおうかねぇ!」


 ソニアもまたジュナイナの肩を叩いて豪快に笑った。

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