第二幕 ミリアム・ウィールクス

 翌日。少女を看病していた女官から少女が目を覚ましたとの報告を受けて、マリウスは政務に切りを付けてからアーデルハイドと共に客室へと向かった。


 既に昨日の出来事についてはアーデルハイドより報告を受けていた。2人がノックをしてから部屋に入ると、寝台に身を起こした少女が、看病役の女官が持ってきた重湯と消化に良い刻み食を丁度食べ終えた所だった。


「やあ、目が覚めたようだね」

「あ……」


 入ってきたマリウス達を見て、少女が慌てて寝台から出ようとする。マリウスは手を上げてそれを制する。


「ああ、いいいよいいよ、気にしないで。まだ病み上がりみたいなものなんだから安静にしていなきゃ駄目だよ?」


「あ……は、はい。あ、ありがとうございます。それにその……お食事まで」


 少女が恐縮しながら頭を下げる。どうやら年の割にはかなり律儀と言うか礼儀正しい性格のようだ。女官が食器を片付けて一礼しながら退室する。



 マリウスは少女の方に視線を戻す。


「さて……一応自己紹介しておこうか? 僕はマリウス・シン・ノールズ。こう見えてこのディムロスを治める君主なんだ。そしてこっちがアーデルハイド。君を助けてここまで運んでくれた人だよ」


 マリウスの紹介を受けてアーデルハイドが一歩進み出る。


「アーデルハイド・ニーナ・ヴァイマールだ。君が無事で本当に良かった」


「あ……」


 少女はアーデルハイドの事を憶えていたらしく、寝台の上で深々と頭を下げた。 


「あ、あの、私……ミリアムです。ミリアム・ウィールクスと申します。あの時は本当にありがとうございました。アーデルハイド様は私の命の恩人です」


「……もう二度と君をあのような目には遭わせない。どうか安心してくれ」


「え……あ、あの……?」


 アーデルハイドの真剣な眼差しと口調に、少女――ミリアムは若干戸惑った様子になる。あのような場面で助けたとはいっても、ほぼ初対面の相手に対する態度としては少し違和感がある。


 少女の戸惑いはある意味当然と言えた。ハッとしてそれに気付いたアーデルハイドがちょっと気まずそうにする。


「あ……す、済まない。続けてくれ、マリウス殿」


 ミリアムの年格好と救出した時の状況、そしてアーデルハイドの態度からおおよその理由を把握したマリウスだったが、それには言及せずに本題に入る。



「……それで君は何故追われていたんだい? 僕の領内で起きた事だし、事情を把握しておきたいんだけど?」


「は、はい……」


 ミリアムは寝台の上で居住まいを正した。


「あの刺客は……私の祖父が放った者です」

「な……」


 マリウスもアーデルハイドも絶句する。


「そ、祖父だと!? 自分の孫娘を殺そうとする祖父がいるのか!?」


 アーデルハイドの驚愕にミリアムは悲しげに目を伏せた。


「私の……ウィールクス家は代々オウマ帝国政府の高官を輩出している家柄でした。私の祖父もまたかつては帝国の大臣を務めた事もある人物でした。でも帝国が腐敗していくに従い、祖父もまた闇に魂を売り渡しました。祖父は公金を横領して私財を蓄え、その金で秘密裏に……賊を雇いました」


「賊だと……? 一体何のために?」


 賊という単語にアーデルハイドがピクッと眉を上げる。


「祖父は衛兵の巡回ルートや山賊討伐作戦の情報を横流しし、比較的巡回の甘い村などを教える事で、その上がり・・・の一部を受け取るという恐ろしい取引を行っていたのです。祖父の雇った賊は残忍極まりなく、襲われた村は女子供に至るまで皆殺しになった所が殆だったとか。しかし祖父は何ら気にした様子はありませんでした」


 ミリアムが痛ましげな表情になる。だが女子供まで皆殺しという話を聞いて、アーデルハイドは別の事が気になった。


「……念の為聞いておきたい。君の祖父が雇ったという賊の名前は解るか?」



「……? 賊の名前、ですか? ええと……確か…………! そう、ドラメレク・・・・・とかいう名前だったかと」 



「――――っ!!!」


 アーデルハイドが息を呑んで硬直する。その目が大きく見開かれワナワナと肩が震える。


 マリウスもまたその数奇な偶然に驚いていたが、アーデルハイドの様子が気になって声を掛ける。


「アーデルハイド……大丈夫かい?」


「あ、あの……その賊が何か?」


 アーデルハイドの尋常ならざる様子にミリアムも不安げになる。


「……!」

 2人から声を掛けられた彼女は、ミリアムの不安そうな様子に気づいた。そして一度グッと目を閉じ唇を噛みしめると、ふぅぅ……と息を吐いて気持ちを落ち着けた。


 ゆっくりと目を開いた彼女は、元の落ち着きを取り戻していた。


「いや……何でもない。済まなかった。話を続けて欲しい」


「は、はい……。その後祖父は形骸化した帝国に見切りをつけて、このトランキア州の州都モルドバを治めるイゴール公に仕えました。それで、私の父もイゴール公に仕える武官だったのですが、ある時祖父の悪行を知ってしまったのです。父は祖父を反面教師にしており正義感が強い性格で、当然それを見過ごしませんでした。全てを白日の下に晒し祖父を断罪すると宣言したのです。賊と結んで無辜の民に手を掛けていたなどという事がイゴール公に知られれば処罰は免れません。闇に取り憑かれていた祖父は、実の息子である父を口封じする為にあの刺客に襲わせたのです……! 父だけでなく母もまた奴の手に掛かって殺されました……」


 その時の事を思い出したのか、ミリアムの肩が震える。彼女の祖父は、事情を聞いた可能性のある全ての者を暗殺の対象としたのだろう。そしてそれは孫娘とて例外ではなかった。


「私も父から話を聞いていた為、祖父は私にも刺客を放ってきました。祖父がいるモルドバには居られませんでしたし、このディムロスは最近多くの移民難民を受け入れてると聞いていたので、何とかそこに紛れ込もうと逃げてきたのですが、あと一歩の所で追いつかれてしまい……」


「……なるほど。そこにアーデルハイドが居合わせたという訳だね?」


 マリウスの確認にミリアムが頷く。


「祖父は執念深い性格です。私の事情を聞いた上で保護した事を知ったら、きっと皆さんにも被害が及んでしまいます」


 彼女が何を言いたいのか察したマリウスは、皆まで言わせまいと被せるように発言した。


「そうならないようにしっかりと対策を立てないとね。大丈夫。小さいとはいえ君主なんだ。事情を聞いたからって、いや、聞いたからこそ君を見放すような事は絶対にしないよ」



 と、その時、難しい顔で話を聞いていたアーデルハイドが急にきびすを返した。


「……大方の事情は解った。マリウス殿。私はここで失礼させて頂く。……ミリアム。君に絶対手出しはさせない。安心して休んでいてくれ」


「ア、アーデルハイド様……?」


「……ああ、ご苦労さま。後でヴィオレッタ達も交えて対策を考えよう」


「うむ……では」


 呆然とした様子のミリアムと、逆に何かを悟ったようなマリウスに見送られて、アーデルハイドは客室を後にした。


 ミリアムが不安そうにマリウスを見上げる。


「あ、あの、太守様。アーデルハイド様は随分深刻なご様子。やはりご迷惑をお掛けする訳には……」


 マリウスはかぶりを振った。


「ああ、いや違うんだ。彼女は……別の事・・・に対して怒っているんだと思うよ」


「別の事……?」


「うん……。そうだね、君も事情を話してくれたし、知っておいてもらった方がいいか」


 そうしてマリウスはアーデルハイドの事情を、掻い摘んでだが語って聞かせた。彼女が10年前に賊に村を襲われ妹と死に別れた事、そしてその賊がドラメレクであったという事などだ。


 聞いている内にミリアムの顔が青ざめていく。


「そ、そんな……それではアーデルハイド様にとっては……」


「うん……君の祖父もまた『仇』の1人と言えるかも知れないね」


「――っ!!!」

 ミリアムが目を見開いて硬直する。


「それだけじゃなく、どうも君に妹の面影を重ねているようだね。だから彼女が君を見放す事は絶対にないと断言出来るよ」


「そんな……そういう事だったんですね……」


 ミリアムは衝撃を受けたようでまだ青白い顔をしていた。悪いのはあくまで祖父だと言うのに、やはりかなり律儀な性格のようだ。


「勿論それはこっちの都合だし、君は被害者なんだから何も気に病む必要は無いよ。今君が気にするべきなのは、きちんと休養して体力を回復させる事だけだ。いいね?」


「は、はい……。ありがとうございます、太守様」


 諭すようなマリウスの言葉に、ミリアムは素直に頷いた。だが俯いた彼女の目が悲壮な決意に固められていた事に、流石のマリウスも気づかなかった……





 その日の夜……


 密かにディムロスの城門を抜ける小さな人影があった。この街は積極的な移民難民政策を取っている為、かなり遅い時間まで城門が開いているのだ。


 人影は完全に街の外に出ると、一度城の方を振り返った。


「……やはり皆様にご迷惑を掛ける訳には行きません」


 それはミリアムであった。客室で着ていた清潔な寝衣ではなく、元のボロボロの格好に着替えていた。夕刻になってから抜け出して街で、なけなしの財産をはたいて買い込んだ携帯食の袋を背負っている。


「アーデルハイド様、申し訳ありませんでした。身内の犯した罪は私が償います。……例え刺し違えてでも!」


 その表情は悲壮と……懺悔に満ちていた。そして彼女は後は振り返る事なく、夜の闇へと消えていった……

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