カラフル
かるまる
第1話 引きこもりの親友
街を東西に分断するように流れる黒田川を沿うように走る国道には、桜の花びらが絨毯のように落ちている。車が走る度、舞い上げられる花びらはまるで夢のような景色を演出する。日が落ちると、尚のこと幻想的な風景に変わる。
私、結城美波が住む街、黒田市の桜はほとんどが散っていき、新しい春が本番を迎えたことを否が応でも意識させられる。
この春、私は県立黒田高校の生徒となった。黒田高校は一応、進学校にカテゴライズされるものの、特別偏差値が高いわけでもない。受験勉強も大変だったが、「それなりに」と頭に付く程度だ。とりあえず、ここに行っておけばいいというような立ち位置にある高校である。
私は放課後、黒田高校から川を挟んで南西側にある栗山という場所を目指して自転車を漕いでいる。
栗山は小高い丘になっていて、住宅街が広がっている。黒田市の中心街は水害を受けやすい地形になるが、栗山は別だ。そのためか、栗山の辺りは比較的大きな家が多い。
その家々の中にひときわ目を引く住宅がある。白と黒を基調に、すっきりとした印象を受けるスタイリッシュな住宅。私の親友、早乙女琴音の住まいである。
私は早乙女家の駐車場の端に自転車を停め、インターフォンを押した。
「はい?どなた?」
インターフォンからは、若々しい声が聞こえて来た。声の主は琴音の母親、美琴さんだった。
「こんにちは。結城美波です」
「ああ、美波ちゃん。いらっしゃい。今開けるね」
30秒程すると、美琴さんが玄関扉を開け、門の鍵を解錠してくれた。美琴さんは30代後半のはずなのに、いつ見ても20代半ばに見える。琴音の将来もこんな感じなのだろうか。羨ましい。
「いつもごめんね、美波ちゃん」
「いえいえ。好きでやってますから」
「さあ、入って」
「お邪魔します」
私は琴音の家に上がると、一直線に琴音の部屋に向かった。琴音の部屋の前に着くと、ひとつ息を吐いて、部屋のドアをノックした。
「琴音?美波だけど」
呼びかけても返事はない。はあ、またか……。
「琴音?入るよ?」
私はそう断りを入れてから、部屋のドアを開けた。
琴音の部屋には、大量の本が大きさごとに綺麗に積まれている。普段はもっと生活感のない部屋だから、多分、地下の書庫から持って来たのだろう。これだけ大量の本を持ち込んでも散らかさないのが琴音らしい。
本には『ガウス理論の全て』『abc理論の考察』『谷山志村予想』など、聞いたこともない本が大量に積まれている。今日は何をしているのやら……。
部屋を見渡すと、奥の机に少女がパソコンで何かをやっているのを見つけた。肩まで伸ばした綺麗な黒髪。黒い太縁の眼鏡がトレードマークの少女。彼女が早乙女琴音である。
その琴音はヘッドフォンをしているため、私の声には気付かなかったらしい。いつものことだ。
私は琴音の後ろに立つと、琴音のヘッドフォンを外した。
「琴音!」
「っ!」
琴音はびくりと肩を震わせ、目にも止まらぬ速度で振り向いた。
「何!?」
琴音は私の顔を見ると、呆れた顔をした。
「何よ。美波じゃない。驚かさないで」
「うん。驚かさないように何回か呼びかけたんだけどね」
琴音は都合の悪いことは無視して、くるりとパソコンに向き直った。
「で、何のようかしら?今忙しいのよ」
「何してるの?」
「ミレニアム懸賞を解いてたの。
あと、ヘッドフォン返して」
「いいけど、話聞いてね」
「はいはい」
私はヴィヴァルディの『春』が漏れ聞こえるヘッドフォンを琴音に渡した。
「で、ミレニアム懸賞って?」
「2000年にクレイ数学研究所が発表した、7問の数学の未解決問題よ。解けたら1問につき1億円」
「いっ、1億……!」
「そ、1億。まあ、そんなお金、いらないけれど。興味ないし」
琴音はこういう人である。自分の興味のあること以外は、それが例え1億円であろうと無関心だ。
「1億円いらないなら、なんで解こうとするの?」
「解きたいから」
うん。これ以上聞いても無駄だ。
「既にポアンカレ予想だけはペレルマンに先を越されているからね、他のものは私が解きたい」
ポアンカレ予想もペレルマンもなんのことか知らないが、聞いてもわからないだろう。
「それに必要なのが、この大量の本だったってこと?」
私は呆れ顔で周りを見渡した。
「そう。どれが役に立つかわからないしね。手当たり次第に読み漁ってるの。
解けるかどうか、わからないけれど」
「そんなもの解いてないで、学校来てよ」
そう。琴音は入学してから1週間、学校に来ていない。いや、それどころか、去年の秋頃から殆ど学校に来ていない。琴音が学校に来たのは、高校受験と中学の卒業式。黒田高校の入学説明会と入学式と最低限だ。
「嫌よ」
「私を教室で1人にする気?」
感情に訴えかけようとする私を、琴音がこちらに向き直り、呆れた目で見つめる。
「私じゃあるまいし、美波が教室で孤立なんかしないでしょう?同情させようとしても無駄よ」
今の自虐ネタ、ツッコむところだろうか?
「私は別に、高校なんて行かなくていいわ。得るものがない」
私はそんなことを言い始める琴音に少し腹が立った。琴音がこんな憎まれ口を叩く時は、本心が別にある。
「挑発しようとしても無駄よ。琴音と何年一緒に居ると思ってるの?」
琴音の顔に、少し翳りが見えた。
「あれは琴音のせいじゃないって言ったじゃない」
私の一言に、琴音は再びパソコンの画面に向き直った。
「うるさい。帰って」
「琴音!」
「帰りなさい!」
琴音はそう怒鳴ると、ヘッドフォンを付けた。こうなると、琴音は話を聞かない。
「……また来るから」
私は琴音の背中にそう言うと、部屋を出た。
琴音がこうなってしまったのは、去年の10月半ばに起きた、とある大事件が原因だった。
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