9.『夕日』と『黄昏』
お昼の12時前、俺たちは三軒茶屋駅に到着する。貞子とメリーはこの前買った、一張羅を着て、異様に張り切っているのが見て取れる。
夏、というのは、その暑さや、天気の良さがあって、人は涼める場所や、薄着になれる場所を多いに好む。だからこそ、人は海に行きたがる。そんな俺たちも、海に向かうために集まっているのだが。
三軒茶屋駅から、海に向かうためには、電車を3回程、乗り換える必要がある。さらに、電車で約40分程度。正直、メリーと貞子が何か粗相をしでかさないか不安が募りに募るが、今は考えないようにしておこう。
そんなこんなで、ひろと夏葉も集合する。おはよー。と、二人は手を挙げて俺たちに駆け寄ってくる。ひろは一度大きなあくびと伸びをして、目をこすっていた。どうやら、二人が一緒に来たのは、夏葉がひろを叩き起こしてきたかららしい。そんなひろの元へ歩いていき、お前が言い出しっぺだろが、と少し笑いながら小突くと、ひろはまあ起きたからいいだろ。と、苦笑いで返した。
そんな談笑をしていると、夏葉のもとにメリーが駆け寄り、何か話をしているようだった。
勢いよく頭を下げるメリーと、慌てて手を振る夏葉。どうやら、先日のことを謝っているらしい。
「大丈夫そうだな」
と、俺は無意識にぽつんと呟いた。ひろがなにが?と疑問そうに聞いて来るが、適当にあしらい、俺は3人の元へ駆け寄った。
それから50分程度して、俺たちは海についた。お昼頃だと言うのに、人はそれなりに多い。
ここに辿り着くまで、何もなかった。びっくりするぐらい何もなかった。電車の乗り方を覚えた貞子とメリーは、どや顔で切符を買い、どや顔で電車に乗っていた。まあ、どや顔で電車賃を要求されたときは、流石に置いてけぼりにしてやろうかと思ったけれど。ああ、ゆりかもめに乗ったときはテンション上がってたな。と、俺は思い出して少し笑う。モノレールと言うのは、どうやら心が躍るようだ。気持ちは少しわかる。
海だー!と叫び走るメリーと、追うように走る貞子。俺たちも行くか。と夏葉と一歩砂浜へと踏み出そうとした瞬間、俺たちはひろ、佐々木 大輝に襟を掴まれた。
「何故こんな朝早く、俺がわざわざ1時間くらいかかる海に行こうって言ったかわかるか?」
ざわざわ、と胸が異様に騒ぎだす。不安が頭を過る。不用意な行動を、後悔する。しかしながら、時すでに遅しとはこのことだ。
恐る恐る、俺と夏葉はひろの方へと顔を向ける。ひろは満面の笑みを見せを親指を左の方向へと向け、こういった。
「バイト。しようぜ」
閑話休題。
きゃっきゃ。と笑いあい海で遊ぶ貞子とメリーを横目に見て、俺たちは海の家へと足を運ぶ。
如何せん騙された。と、落ち込みたいところではあるが、別段海が好きというわけでもなければ、海を見てのんびりするのも好きではない。だからまあ、いいのだ。海の家での仕事がどんなものかはわからないし、まさかこんなドラマのような出来事が起きるというのも、やや期待が膨らむ。
数人の列が出来ている、その一概にも綺麗とは言えない仮家に辿り着くと、白いタオルを頭に巻いて、焼きそばを作っているおじさんが、こちらに気が付く。
「遅いじゃねえかひろ!てめえ遅刻は絶対許さねえって言ったよな!?」
「まあまあおっちゃん。助っ人連れてきたから勘弁してくれ」
「助っ人だあ……?やるじゃねえか。がはははは!」
ちょっと待っとけ。とパパっと数人いた列は忽然とその姿を消した。消したのではなく、手際のよい仕事で、その数人は各々食べ物や飲み物を持って、どこかへ行ってしまっただけだが。
ふう。と一息ついて、頭のタオルを取り、おじさんはこちらに近づいてくる。
「悪かったな。待たせて。お前ら二人が助っ人か」
ニッと笑い、おじさんは俺たちを互いに見る。そして、ふうん。と一言呟くと、再度頭にタオルを巻く。なんで一旦外したのか、ちゃんちゃら疑問である。
「俺の名前は剛史≪つよし≫ってもんだ。今日は店長とでも呼んでくれ」
「あ、淡島 夏葉です」
「小松 涼です」
おう。と、おじさん……店長はにこっと笑い、お店に戻っていく。戻っていく途中で、手を挙げて、期待してるぞ。と後ろ姿で、そういった。
地獄だった。あえて言うならば、そう言わざるを得ない。遅刻したひろが、どうしてお昼頃、到着するよう、設定したのか、理解できた。そして、地獄は今も続く。もし、ここが天国だと言うのであれば、世間一般に言う普通とは、俺にとっては血の池や針の山まさしく、地獄であると、そう言わせざる様な場所だった。
「おい!焼きそばはまだか!」
「もう出来上がります!かき氷メロン味出せます!」
「かき氷イチゴ二つフランクフルト一つ入りまーす!」
「「「あいよー!」」」
鉄板の暑さに身を焦がし、噴き出る汗が焼きそばに入らないよう、こまめにタオルで汗を拭う。現在15時過ぎ、海の家で働き始め、2時間くらい経過しただろうか。この仕事に慣れていて、容姿もそれなりに良いひろは客引きもかねて受付とレジを任され、夏葉はかき氷メインでその他の仕事も手伝う立場。おっちゃんは全体を見て、間に合わなさそうなとこをフォローしつつ、焼き鳥やフランクフルト等、炭火で焼くものを担当している。そして俺は
「焼きそば二つ出ます!」
鉄板でただひたすら焼きそばを作っていた。無心に焼きそばを見つめ、肉を焼き、がっしゃがっしゃとかき混ぜる。仕事はとても簡単なのだが、何分、暑さと、全人類が食べに来てるのではないかと言うくらい、焼きそばの消費量が速いため、異様なスピードを求められる。
「あと5個で終わるよ!頑張って!」
たびたび、夏葉が焼きそばを容器に入れる手伝いと共に、励ましの言葉をくれ、冷たいポカリを差しいれしてくれる。
気が利くやつだと。つくづく感じた。
怒涛のラッシュがそれからさらに1時間程続き、現在15時頃、一度客足にきりが付いたところで、店長は休憩と称して、焼きそばと、焼き鳥、そして飲み物を俺と夏葉に渡して、客からは見えない席へと誘導する。えっ!俺は!?とひろが喚くが、遅刻してきた分、働かされていた。可哀そうである。
「しんどー!海の家しんどー!」
たった3時間程度ではあったが、座ったらドッと疲れが体中を蝕む。本当に、全人類70憶人が、この海の家に来ているのか。と言うくらい、怒涛の3時間だったと、改めて考えて、大きくため息をついた。
「ほんとお疲れ。涼。暑いのに頑張ったね」
同タイミングで、席に着き、一度飲み物を口に入れてから、夏葉は笑みを浮かべねぎらいの言葉を俺にかける。疲れているのは夏葉も同じだと言うのに、彼女はなんて優しいんだ。と、心の中で感激した。
俺もさらっと夏葉を労い、散々見飽きた、焼きそばへと手を伸ばす。それを一口、口に入れたところで、なんだか海の家が混む理由も、焼きそばが大量に注文される理由も、すべて理解出来たような気がした。
例えば、冬に食べるアイスなんかと同じで、暑いからこそ、熱いものを食べたくなることが、誰しもが感じたことがあるのではないだろうか。後は、この外で食べるという特殊な環境が、海という環境が、屋台に売っているという環境が、そのただの焼きそばのうまみを何倍にも増幅させ、買っていった人の喉元を通っていく。
これだけで、この焼きそばはただの焼きそばから、唯一無二の黄金焼きそばへと変換されるのだ。端的に言えば、美味い。ただこれだけに尽きる。
「おい涼!お前にお客さんだぞ!」
その魅惑的なおいしさに、焼きそばをもう一度口に運ぼうとしたところで、店の方から店長の声が響いた。一体だれが俺の至福の時を邪魔するのだろうか。焼きそばを掴んだ箸を一度置き、渋々と店へと顔を出す。
そこには、麦わら帽子をかぶった髪の長い女性と、対比して金髪の髪を揺らす、二人の姿があった。
すっかりと忘れていた。
「すっかりお前らのこと忘れてたわー」
「ひどっ!僕たちをほっておいてこんなとこで美味しそうなもの食べてるなんて悪魔!鬼!悪霊!」
「……おいしそうなものじゃなくて、現においしいですよ、この焼きそば」
悪霊はお前らだろ。と心の中で突っ込みを入れ、俺は勝手に食べている貞子から箸を奪い取る。ギッとにらみつける貞子を、どうどう、と夏葉はなだめていた。
「それで、二人は何をしてたの?」
美味すぎる焼きそばを一心不乱に食べている俺と、それを恨めしそうに見ている貞子とメリーに対して、気を利かせたのか、夏葉は問いかける。
「うーんとねえ……」
その問いに、メリーはうーんと頭を悩ませ、ゆっくりと口を開いた。
俺たちと別れた後、二人は海に足をつけたらしい。メリーは海というものを見たことがなく、濡れるなんてことは雨以外では感じたことがない。それどころか、風呂にも入ったことがないのだ。そりゃあまあ人形だからな。と、俺は当たり前のように話を聞いていたが、途中で夏葉がええ!?と声を大にして驚いていたため、メリーはもちろん冗談だよ。と付け加えて話を進めた。そのあと、彼女たちは1時間程水遊びをしていたらしい。水を掛け合っては、少し深いところまで海へと歩みを進めてみたり、それなりに海を楽しんでいたらしい。しばらくして、二人は俺たちがいないことに気が付き、探そうとしたところ、子供たちが砂浜で山を作っているのを見つけてしまい、その誘惑に勝てず、砂で城を作ってしまったとのことだった。その出来は上々で、見た人が一度は目を惹かれてしまう程立派な城だったそうだが、現実は無常であり、完成直後に一際大きな波が彼女たちを、城を襲い、その城はまるで無残に、他国に襲撃されて不覚にもおちてしまったように、残骸だけを残して波に連れ去れてしまったらしい。
その残骸をメリーは数十秒程放心状態で見つめ、おもむろに立ち上がり、海のバカヤロー!と大声で叫んだという。その姿は、さながら青春ドラマに出てくる、思春期丸出しな男子中学生、あるいは男子高校生の様に、立派に叫んでいたらしい。俺はその時一心不乱に焼きそばを焼いていた訳だから、その現場を見ることは叶わなかったが、見たかった気持ちと、その場にいなくてよかったという気持ちが、心の中で混ざりあっていた。
「全く、見つからないと思ったんだから~!」
そのあと彼女たちは、改めて俺たちを探しに、海を歩いたらしい。途中で二手に分かれ、再び合流するとき、貞子がナンパされており、にやにやとその場面を見ていたら、途中で男たちが泣きながら土下座していたらしい。ドンびいた。と、メリーは言っていた。一体何があれば、ナンパするようなパーティーがピーポーしている人種を泣きながら土下座させるような事態に陥れることが出来るのか、怖くて聞けなかった。
余談だが、その話をしているときに、へえ、にやにやと見ていたんですね、黙って。へえ。と、貞子がメリーに対して笑顔で言っており、今までの怖い思いがまるで笑い話に代わってしまうかのような、そんな寒気がした。後日僕の都市伝説って、あの笑顔と比べたら、もはやネタだよね。とメリーが悟ったように語っていた。
それから、彼女たちは海の家で働いているひろを見つけ、今、合流できた。というわけだ。
フランクフルトを手に取り、ガブリ。と大きな口で、メリーは被りついた。うまあ~。とメリーはボソッと呟く。話しているうちに、時間は16時頃になってしまい、急いで冷め切ってしまった焼きそばを食べきり、店長が俺たちを呼ぶと同時に、店に戻った。
どうやら、貞子とメリーも手伝いたいらしく、店長に志願したところ、快く承諾してくれた。
メリーは店頭で、呼び込み。貞子は俺の補佐ということで、焼きそばを詰める係。ということで、俺はまたあの熱くて暑い鉄板と向き合う形となってしまったわけなのだが。
客足は昼と比べ、比較的落ち着いていた。それでも、メリーの呼び込みあってか、客足が遠のくことはなかった。というか、金髪少女が海の家で呼び込みしている。という噂が広まり、それなりに集まった。
「よし。お前ら上がっていいぞ。大輝は片付け手伝え」
「おっちゃん殺生な~」
ええ~と嫌そうな顔をして俺たちの方を見るひろに負け、俺と夏葉も手伝うことになった。貞子も手伝おうとしてくれたが、慣れない仕事で疲れているだろうと思い、やり切った顔をして砂浜に寝そべるメリーの面倒を見るように伝えた。
それから1時間くらい片づけを行い、大体片付いたところで、ふと、夏葉が綺麗。と呟いた。
時刻は17時少し過ぎて、日は落ち始め、海の地平線に、一際大きな金色に輝く夕日が、俺たちを照らしていた。
なんだかそれに目を離したくなくて、しばらく立ち止まって見ていると、店長に名前を呼ばれる。慌てて振り向くと、店長の手から缶の飲み物が手放されるのが見て取れた。
「夏葉もひろも、涼も。今日は上がっていいぞ!お疲れさん。助かったわ」
その飲み物を慌ててキャッチすると、奥に飯も用意しといたからなー!と店長は笑い最後の片づけに取り掛かっていた。
「終わったー」
「お疲れ二人とも」
「もうくたくたで動けねえ」
ふらふらと、俺たちは砂浜の方へと足を進め、しばらくしたところで、電池が切れた機械のように、砂浜へと尻をつけた。
「悪いな。二人とも」
ニシシと笑うひろにほんとだよ。と、悪態をついて、俺と夏葉は缶ジュースに口を運ぶ。なんとなく、バイト代ちゃんとでるんだろうなあ。と冗談交じりでひろに聞くと、えっ……出ないって言わなかったっけ……と呆然としていたので、ひろから缶ジュースを奪い取ってやった。糞がっ!
「そういうことはちゃんと先に話しなさいよ」
「さーせんっした!」
そんな茶番を夏葉とひろは繰り広げていたので、俺はスッとその場を離れ、海の家にある食べ物を取りに行こうとしたところ、呆然と、なんだか読み切れない表情をしているメリーを見つけた。
なにやってんだ?あいつ。と少しの疑問ののち、手に持っているひろから奪い取った缶ジュースがあることを思い出し、メリーの元へ駆けよろうとした瞬間。待ってください。と貞子が俺に声をかける。
「おー貞子。お疲れ」
「お疲れ様です」
短い時間とはいえ、働いていたにも関わらず、顔色を変えず、いつも通りの表情で貞子は俺に近づくと、おもむろに手を伸ばし、俺の持っていた開いていない方の缶ジュースを奪い取る。
「えっ……そんな強奪するほど飲みたかったの?」
少し引いた。ごくごくと缶ジュースを飲んでいく貞子を呆然と見つめていると、貞子は缶ジュースから口を離し、ふう。と一息ついてから、
「黄昏時ですね。」
と、夕日を見ながら一言呟いた。
たそかれどき、なんだか聞いたような言葉だな。と、少し頭を捻らせる。少しして、ああ、映画にでてたセリフだな。と、俺が理解したのを知ってか知らずか、彼女は再度口を開いた。
「黄昏って、もとはたそかれって言って、昔の人が、誰ですか?って意味で使ってた言葉なんですよ」
へえ~。と俺は相槌を打つ。誰ぞ彼からたそかれ、そしてたそがれへと変化していった訳か。
「黄昏るなんて言葉、なんか落ち込んだ時にボーっと夕日を見ている状態だとか思ってたけど、全然違ったんだな」
ポリポリと頭を掻き、俺は恥ずかしい感情を乗せてそう呟いた。ふふ。そうですね。と貞子は少しばかりの笑顔を見せた後、彼女はメリーを見た。
「あの子は、今日が楽しかったようですね」
「まあ、なかなかあいつが体験するようなことじゃないことばかりだったからな」
友達と遊ぶのも、店の手伝いをするのも、なんなら海にくることだって、彼女にとっては新鮮なことだったと思う。そりゃあ俺も小さいころは、見るもの全て、新鮮で楽しかった。
「それもあるかとは思いますが、彼女がもともとそういう体験をしてこなかったからといって、必ずしも楽しい。なんてことがあるのでしょうか」
いやにまじめな顔をして、貞子はジッと、こちらを見つめる。
「どういうことだよ」
俺は彼女の言葉を理解出来なかった。新鮮だから、楽しいのであって、それ以外の可能性なんてあるのだろうか。
「それじゃあまるで、やり飽きたことでも楽しい。みたいに聞こえるぞ」
俺の問いに答えず、ジッと見つめる貞子に向かって、なんだかバツが悪くなって再度質問を投げかける。強い風が吹き、帽子を押さえながら貞子は、ふふ。と再度笑い、口を開いた。
「涼さんは気が付いてないかと思いますが、私たち、涼さんを殺そうなんて一度も思ったことないんですよ」
「はあ!?」
そういう反応になりますよね。と貞子は続ける。
「本気で殺そうとしていたら、お互いがお互い、相手に気が付かないうちに殺すことが出来てましたからね」
じゃあなんで今まで殺すふりなんか……と、反論を投げかけようとしたところで、俺の口は止まる。
「ただ、あなたのそばにいれば、現世を楽しめると思ったんです」
俺の心を見透かしたように、彼女は俺の顔をジッとみて、そう答えた。
「私なんかは、元は人間でしたから、ある程度のことは知っているつもりです。勿論、知らないこともありますが。ただ、私は私が私だったころより、今の方が楽しいですよ」
その言葉の真意が、よくわからなかった。そりゃあ、貞子は人間だったころ、つらいことも多かったし、昔より今の方が色々と発展しているからこそ、楽しいことも倍増していることだろう。何を当たり前なことを言っているのだろうか。
「まあ、メリーは、私の何倍も楽しい時間だったでしょうね」
「んーまあそんなもんかね」
と、俺はクエスチョンマークを頭に出しながら、そう答える。そんな俺の顔を見て、貞子は少し呆然とした後、小さく呟いてから、もう一度メリーの方を見つめた。
「彼女は人形でしたからね。今日であった一つ一つが、いや、涼さんと出会ってからの一つ一つが、新鮮で、楽しかったことでしょう。最愛の人を殺し、誰にも愛されないまま、彼女は都市伝説として世へ語り継がれ、その存在を保ってきている。だからこそ、普通の日常が、普通の人としての人生が、人間としてみるこの世のすべてが、新鮮で、綺麗で、溜まらないのでしょう」
貞子の長い髪が揺れる。波の音が、異様に耳に入った。
「まあ人間でいるうちは、これから汚いものもたくさん見なければいけませんんし、綺麗なだけの人生なんてありはしないんですけれど。この世界が美しいなんて、私からしてみれば口が裂けても、言えることではありません。結局、その人生が豊かなものかどうかなんて自分でしか決められないのかもしれませんね」
どこか寂しそうに貞子は笑う。俺は年々、人生が楽しいと思えることが少なくなってきていた。そりゃあそうだ。何もない平凡な日々。生きるために人生を費やしている感覚。無駄に消費している感覚。見慣れた光景。いつもの日常。楽しいと思えることなんて、そうたくさんあるわけではない。
だから、少し貞子とメリーが、見るものやること全てに新鮮な彼女たちが、うらやましく感じた。
「それはそうと、先ほど、涼さん言いましたよね?『黄昏る』の意味」
あっ。と思いついたように彼女は俺に問う。ああ、ボーっと何かを見ているときのことだよな。まあ間違ってるけど。と、俺が答えると、彼女はメリーの方を向き、いやいや。と否定する。
「メリーは、人形でありながら持ち主を殺し、そして涼さんに出会うまで殺すことでしか自分を保ててませんでしたから。最近楽しかったことがありすぎて、やや困惑してるんだと思うんです」
そうか?と俺は相槌を打つ。
「はい。だから、彼女は、自分に問いただしてるんですよ。今まで殺してきた人のことや、それでしか保てなかった自分のこと、そして、楽しかった今日までのこと。どれが本当の自分なのか、どれが正しい自分なのか、わからなくなってるんだと思います」
彼女はそういうと、俺に背を向け、メリーの方に近づく。5歩ほど進んだところで、彼女はまた、思い出したかのようにこちらに振り向き、俺を呼びかける。
「彼女は自分を見つめなおしている。自分が誰なんだと。問い正している。もしかすると、ボーっと海を見ている人や、夕日を見ている人は、誰しもが問い正しているのかもしれませんね。『黄昏る』も、自分自身に問うていると考えれば、間違いではないのかもしれません」
彼女はそう付け足すと、今度こそ、メリーの元へ歩いていく。
夕暮れ時に、夕日を見て自分を見つめなおす……か。
俺は段々と眩しさを鈍らせていく夕日を見て、ふふっと笑った。夕刻に夕日をみて黄昏る。ね。なんだか少し黄昏が好きになりそうだった。
はっと我に返り、俺は暴れているメリーといなしている貞子の元へ駆け寄ろうとするが、違和感を感じ慌てて目をこする。
一瞬、本当一瞬だが、あの二人が、透けたような気がして、ならなかった。
ボーっと二人のことを見ていると、ひろに頭を叩かれた。そして、ほれ、帰るぞ。という言葉と共に、俺たちは彼女達の元へと向かっていく。
二人が透けていたことも、なんとなく気を抜いてしまって、実体が解けかけたとか、そんな理由だろうと。自分の中で結論付けた。
合流したところで、メリーがこっちを見つめる。先ほど、貞子と話していたこともあって、一瞬心臓の鼓動が速くなったが、彼女の、私たちのナイスバデーの水着姿が見れなくて残念だったね。といじの悪そうに笑われたから、担いで海にぶん投げてやった。担がれたとき、
「嘘!嘘だから!おに!悪魔!大悪霊!うおおおお海の馬鹿ああああああ!」
と、叫んでいたことを、忘れることはないだろう。
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