序章 ~13~

「一人でですかっ!?」

 無理だ無理!

 仰天ぎょうてんするトリシアの言葉をハルは無視した。

「あいつらさえなんとかすれば、乗客は助けられるだろ。ったく……なんでことしなきゃいけねーんだよ」

 ありえねぇ……と、彼はぼやく。

「おい! あそこにいたぞ!」

 声が聞こえてきて、トリシアは反論する間もなく黒い霧につつまれて車外に押し出された。心構えも何もありはしない。

 連結場所がある引き戸を目指し、なるべく壁にそって歩く。

 黒い霧の中では、車内の叫び声や混乱した動きが伝わってくる。この騒ぎにじょうじてなんとか機関室を脱出したトリシアはハっ、としてこちらにまだ向かって来る男たちの姿に身をかがめた。

 こんな狭い場所では逃げるところもない。仕方なく、車両の壁に張り付いて進むことにした。すでにハルの作った霧は消えている。

(まさかこんなことまでする羽目はめになるなんて……!)

 大昔、えんとつ掃除を手伝っていたことが役立つなんて!

 教会で暮らしていた時、小遣こづかいをかせぐためにえんとつ掃除の手伝いをよくしていたトリシアは、車両のくぼみに足をかけて、窓から見られないように進む。

 風圧がすごい。これでも速度はゆるやかになっているので、振り落とされないで済む。

 手でつかむ場所が少ないため、爪を立てるようにして、ゆっくりと足を横に動かした。少しでも失敗すれば、落下して打撲だぼく……で済めばいいが……。

 次の連結部分までなんとか到着し、やっと一息ついて車内をうかがう。盗賊たちがいないので、安堵あんどの息がれた。素早く車内に移動する。

(ここからどうすれば……ルキア様もラグも、捕まってるのは二等食堂車なのに……)

 いくらなんでも、ここからでは遠すぎる。

 考えていると、ぐらり、と列車が揺れた。何かを破壊する音だ。

(えっ、なに? なんなの?)

 驚愕きょうがくして、反射的に窓から顔を外に出してうかがっていると、どごん、とにぶい音がして一つの車両がバラバラにくだけた。

「っ!」

 あまりのことに声を失っていると、それは闇夜でだけで、本当は車両の天井部分がり裂かれたのだとわかった。

 だが天井部分だけではない。車両の上半分が被害にっている。

(な、なにあれ……)

 顔に容赦ようしゃなくぶつかってくる風に逆らって、目をらす。

 すると、突っ立っている人物が見えた。

 長身で、黒い外套がいとうが激しい風に揺れている。その下の、肌にぴったりとしたシャツ。少しぶかぶかしたズボンと、軍靴ぐんかに近い編み上げのブーツ姿の男は……。

(! ラグ!?)

 彼の肌をおおっていた黒い封印包帯ふういんほうたいがはずれ、風にさらわれるようにばたばたと暴れていた。

 うつろなひとみのラグはうっすらと笑う。

 そんな笑みの後に哄笑こうしょうをあげるラグは右手に大剣たいけんを持っている。あんな大きな剣を外套がいとうの下に隠していたとは驚きだ。

 片刃かたはつるぎ斬首ざんしゅのためにひいでたような形をしている。ゾッとするトリシアは急いで駆け出した。

 車両と車両をつなぐ引き戸を開ける。向かう先にはきっと乗り込んできた敵もいることだろう。だがあの様子では……。

下手へたしたら、死人が出てるんじゃ……)

 無我夢中で向かうトリシアは、次々と引き戸を開けて進む。そして、そこに辿たどり着いた。

 天井のない車両。そこに立っている長身の青年。すみに固まっている同僚や他の乗客たちは、畏怖いふの目で彼を見ている。

 床に転がっているものは、盗賊たちのようだった。彼らは皆、うめき声をあげている。その中には『雲わた』のメンバーもいる。

 暗い瞳で立っているラグが見据みすえているのは、同じくただ一人だけ立っているルキアだった。

 長い髪をはためかせ、ルキアは右手の人差し指と中指だけを立てて攻撃態勢に入っている。

「ルキア様!」

 声を大きくして叫ぶと、彼は肩越しにこちらを見遣った。同様にラグもこちらにちらりと視線をってくる。

「……トリシア、無事だったのですか。安心しました」

 軽く微笑むルキアは、視線をラグに戻した。ラグもまた、ルキアに注意を戻す。

「盗賊たちがラグを痛めつけた際に、彼の封印具ふういんぐを破損させてしまったようなのです。そこから動かないように、トリシア」

 剣を構えるラグに、素早くルキアが指先を向けた。

「『走れ、疾風しっぷう』」

 短い詠唱えいしょうと共に、細長い風のやいばがラグを襲う。乱暴に剣を振り回すラグだったが、鋭い一撃に剣を手からはじかれてしまった。

(す、すごい、ルキア様!)

 戦い慣れをしているルキアはラグとの距離をちぢめようとはしない。近距離戦闘に持ち込まれると不利だとわかっているのだろう。

 逆にラグは距離をめようと間合いをはかっている。揺れる包帯は、まるで彼に縛りついている鎖を連想させた。

 ドアにもたれながらトリシアはごくりとのどを鳴らした。その時だ。大きく車体がかしいだ。

(あっ、わ、ああ!)

 よろめきつつ、トリシアはドアにしがみついた。きっと機関室で何かがあったのだ。

(……ミスター!?)

 振り返り、戻るべきかを考える。

 だが自分が向かっても足手まといにしかならないだろう。

 しかし、と思って視線を戻す。ざっくりとなくなっている天井を見上げると星が見えた。

(これ……ラグがやったのかしら……)

 状況からしてそうだろうが……人間業にんげんわざではない。一体どうやってこれほどの破壊力を出せたのだろう?

 あの黒い包帯がきっと理由なのだろうが……封印するほどのをラグがかかえているということだ。

 はじき飛ばされた剣の位置を目だけ動かして確認したラグは、静かに距離を開いていく。ルキアは動かない。

 どちらも仕掛けるタイミングを待っているようだ。

「『くだれ、天上てんじょう業火ごうか』」

 先に仕掛けたのはルキアだった。彼は素早く呪文をとなえ、腕をぐるりと自分の周囲めがけてまわす。炎のが彼をつつんだ。

「『おどれ、炎陣えんじん』」

 ごうっ、とルキアを囲んでいた炎が火柱ひばしらのようになり、一気に燃える勢いを増す。そしてラグの足元からも同じ火柱があがった。

 驚いて身を固くするラグが周囲を見遣る。戸惑いを隠せない彼は低くうなった。

「もう大丈夫ですよ、トリシア」

 声をかけられて、見入みいっていたトリシアが驚愕きょうがくする。見れば、ルキアのまわりの火柱だけ消えうせていた。

 彼はその場で肩越しにこちらを見遣り、微笑んだ。

「あのまま燃え続ければラグは酸欠になって意識がとびますから、このまま放置しておきましょう。

 盗賊たちを縛り上げるのを手伝ってくれますか?」

「え? あ、は、はい」

 呆然としたままそう答えると、ルキアがくるりとこちらに体全部を振り返らせた。この場に不似合いな、可愛らしい動きだった。

「大丈夫。自分がついていますよ、トリシア」

 その言葉に、苦笑いがつい、口元くちもとに浮かんでしまう。



 無事に盗賊たちは捕まえられ、次の駅で軍に引き渡すことになった。手引きをしたのは『雲わた』のメンバーだったことが判明。

 列車はトラブルも起きたが、なんとか奪還だっかんできた。

 次の駅では二等食堂車を切り離し、修理に出すことになった。二等食堂車は帝都に着くまではないことになり、二等客室に泊まっている客たちは一等食堂車で食事をすることになった。

 ラグは意識を失い、その後ルキアがなにやらしていたおかげか、傷だらけではあったが元気になった。

 ハルのほうは車掌のジャックに散々感謝されていたが、あまり他人と関わりたくないのか、不機嫌そうに鼻を鳴らして自室へと戻ってしまう。

 一連いちれんの出来事を思い起こし、トリシアは溜息ためいきをつくしかなかった。

(今回の旅は、一筋縄ひとすじなわではいかなさそう……)

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