Barkarole!
ともやいずみ
序章
序章 ~01~
今日も独特の揺れで目が覚める――。
薄手の、上質ではないカーテン越しに太陽の光が差し込んでいる。
トリシアはいつもの時間に目を覚まし、二度ほど瞬きをして上半身を起こした。
使っているタオルケットも上質とは言えず、使い古してぼろきれのようになっている。それでもトリシアは文句など言わない。
手早く支度をし、慌しく乗員の集まる一室に向かう。揺れは細かく続き、トリシアは慣れた動きで歩いた。
ここは弾丸ライナー「ブルー・パール」号の中。現在、
*
帝国政府の政策により、13歳以上の者は職業登録をすること、となっている。そのため、一度は誰もが職に就くが、長続きするかどうかは本人次第だ。
職業斡旋の組合によって、孤児だったトリシアも教会から就職した一人だ。現在の年齢は17歳。見習いとして3年勤めて、現在は添乗員として1年経過している。それでもまだまだ至らない点があるので、反省することも多い。
列車の旅は苦にならないので、トリシアにはこの職業が向いていた。多くの箇所を旅する、というのも彼女は好んでいる。
世界のあちこちに、人間の血液と同じように根を張っているレール。その上を走るのが、
列車は魔術によって稼動しており、各駅でエネルギーを魔術師が補填する。
中でも、長距離と速さで有名なのが弾丸ライナーだった。弾丸ライナーは最速の列車と
弾丸ライナーは荒野の続く世界をずっと旅している。ブルー・パール号もその一つだ。
世界の大地の半分以上は荒野に飲み込まれ、人は、その荒んだ大地を嘆いた。荒野には獣がうろつき、人は傭兵なくしては旅ができない。だからこそ、列車を使う者が多いのだ。
荒野をうろついている獣たちはみな獰猛で、人間の血肉を好む。貧しい旅人は傭兵も雇えず、徒歩の旅では死を受け入れる覚悟をするしかない。
だからこそ、自分は恵まれているとトリシアは思っていた。きちんと寝床を与えられ、職に就き、衣食住に困ることもない。
ブルー・パール号の職員たちが集まっている一室にやって来たトリシアは、素早く息を整え、引き戸を開けた。重い引き戸の向こうでは、早起きの者たちが揃っている。
伝達がおこなわれ、今日も1日が始まる。
トリシアの仕事はそれほどない。添乗員としての彼女は、補佐に専念している。なにせまだ正式な添乗員としては1年しか経っていないのだから。
(えーっと、今日のお仕事の手順は……)
あれこれと思い返していると、ふいに横の客室扉が開いて誰かが出てきた。
ぬっ、とした黒い影にトリシアは驚いて足を止める。長身で細身の青年は、こちらの視線に気づいて顔を向けた。
しなやかな肉体はどこか獣のような素早さを思い描かせたが、それよりも、その肉体のあちこちに黒い包帯が巻かれているほうが気になった。
(……封印の包帯?)
薄い金色の糸で縫われた魔術文字を、トリシアは知っている。読み書きは一通りできるし、魔術文字もある程度は習っているのだ。
青年の全身を
彼はトリシアを数秒見てから、にこっと愛想の良い笑みを浮かべる。笑うと幼くなり、トリシアとほとんど年齢が変わらないように見えた。
「……食堂車、もう開いてる?」
尋ねられた事柄に、トリシアは瞬きをし、慌てて
「はい、用意できております、お客様」
「…………お、客」
呆然とする青年は、またにこにこと笑顔を浮かべた。
「そうだった。なんか、照れる」
「…………」
変な客。
そう思いつつ、トリシアはお客様用の笑顔を浮かべていた。三等客室にいるということは、この青年はそれほど裕福ではない。
「ありがとう」
そう礼を述べて自分の横を通り過ぎる青年を、トリシアは不思議そうに見てしまう。あまりじろじろ見ると失礼にあたるので、視線はすぐに逸らした。
まるで大きなカラスのようだ。それなのに、嫌な雰囲気がない。
三等客室が並ぶ場所から、二等客室の並ぶ場所へと行くと、そこでも妙な客とかち合った。
弾丸ライナーを使う客はよほどの金持ちか、急用がある者がほとんどだ。だから客とはあまり接触しないようにしている。
二等客室では、イライラしたように懐中時計の蓋を開け閉めしている男がいた。
平均的な体格ではあるが、顔立ちは整っている。茶色の瞳と髪からして、トリッパーではないかとトリシアは思った。
トリッパーとは、異界からこの世界へとやって来る
異界からの扉をくぐる際に、肉体に変調をきたすのが通例のため、この男もきっとそうなのだろう。一見、学者風の
こちらに気づいた男は眉間に刻んでいた皺をもっと深くし、ぷいっと顔をそむけてさっさと部屋へと戻ってしまう。
展望室から外を見ていたはずなのに、景色に不愉快なものでもあったのかとトリシアは外を
(……帝都まではまだ数日かかるのに、せっかちなのかしら?)
うーんと
一等客室へ行くための引き戸を開いた瞬間に、胸元にどんっ、と何かがぶつかってきた。
「うわっ」
びっくりして思わずそう声をあげ、尻餅をつきそうになるが、腕を
驚いて瞬きを繰り返して、腕を掴んだ相手を見遣る。そこに、妖精がいた、等身大の。
ぎょっとして慌てて姿勢を正したトリシアに、妖精は微笑みかけてくる。
美しい顔立ちに、淡い青色の長い髪。燃えるような赤い瞳に、
少女のような顔立ちと体格ではあるが、先輩添乗員たちから聞かされていたため、トリシアからはすぐに男と認識できた。
彼が、帝国軍の魔法部隊の一人であることは、もうブルー・パール号の職員たちに知らぬ者などいない。
「大丈夫ですか?」
声まで綺麗だとトリシアが
「大丈夫です、お客様。失礼しました」
「そうですか」
丁寧に微笑する彼は手を離し、また微笑んだ。とろけるような甘い笑みに、トリシアは圧倒される。
帝国軍人、ルキア=ファルシオン。「
この若さで、と誰もが口にし、また噂の真偽に踊らされる者も多い。トリシアも、目にするまでは信じていなかった。これほど幼いとは。
本物だろうかと、今でも思ってしまう。それほどまでに、彼は背も低く、華奢だった。
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