Barkarole!

ともやいずみ

序章 ~01~

 

 今日も独特の揺れで目が覚める――。


 薄手の、上質ではないカーテン越しに太陽の光が差し込んでいる。

 トリシアはいつもの時間に目を覚まし、二度ほど瞬きをして上半身を起こした。

 使っているタオルケットも上質とは言えず、使い古してぼろきれのようになっている。それでもトリシアは文句など言わない。

 手早く支度をし、慌しく乗員の集まる一室に向かう。揺れは細かく続き、トリシアは慣れた動きで歩いた。

 ここは弾丸ライナー「ブルー・パール」号の中。現在、帝都ていと「エル・ルディア」に向かっている最中だ。



 帝国政府の政策により、13歳以上の者は職業登録をすること、となっている。そのため、一度は誰もが職に就くが、長続きするかどうかは本人次第だ。

 職業斡旋の組合によって、孤児だったトリシアも教会から就職した一人だ。現在の年齢は17歳。見習いとして3年勤めて、現在は添乗員として1年経過している。それでもまだまだ至らない点があるので、反省することも多い。

 列車の旅は苦にならないので、トリシアにはこの職業が向いていた。多くの箇所を旅する、というのも彼女は好んでいる。

 世界のあちこちに、人間の血液と同じように根を張っているレール。その上を走るのが、異界いかいからもたらされた技術の一つ「列車」だ。

 列車は魔術によって稼動しており、各駅でエネルギーを魔術師が補填する。

 中でも、長距離と速さで有名なのが弾丸ライナーだった。弾丸ライナーは最速の列車とうたわれるのも真実だからこそだ。

 弾丸ライナーは荒野の続く世界をずっと旅している。ブルー・パール号もその一つだ。

 世界の大地の半分以上は荒野に飲み込まれ、人は、その荒んだ大地を嘆いた。荒野には獣がうろつき、人は傭兵なくしては旅ができない。だからこそ、列車を使う者が多いのだ。

 荒野をうろついている獣たちはみな獰猛で、人間の血肉を好む。貧しい旅人は傭兵も雇えず、徒歩の旅では死を受け入れる覚悟をするしかない。

 だからこそ、自分は恵まれているとトリシアは思っていた。きちんと寝床を与えられ、職に就き、衣食住に困ることもない。

 ブルー・パール号の職員たちが集まっている一室にやって来たトリシアは、素早く息を整え、引き戸を開けた。重い引き戸の向こうでは、早起きの者たちが揃っている。

 伝達がおこなわれ、今日も1日が始まる。

 トリシアの仕事はそれほどない。添乗員としての彼女は、補佐に専念している。なにせまだ正式な添乗員としては1年しか経っていないのだから。

(えーっと、今日のお仕事の手順は……)

 あれこれと思い返していると、ふいに横の客室扉が開いて誰かが出てきた。

 ぬっ、とした黒い影にトリシアは驚いて足を止める。長身で細身の青年は、こちらの視線に気づいて顔を向けた。

 傭兵ようへいギルド「わたどり」の紋様が大きく描かれた黒い外套で全身をくるんでいるような印象を受ける。褐色の肌に、白い髪。この外見特徴は、南の島々「セイオン」特有のものだ。

 しなやかな肉体はどこか獣のような素早さを思い描かせたが、それよりも、その肉体のあちこちに黒い包帯が巻かれているほうが気になった。

(……封印の包帯?)

 薄い金色の糸で縫われた魔術文字を、トリシアは知っている。読み書きは一通りできるし、魔術文字もある程度は習っているのだ。

 青年の全身をおおう黒い包帯には魔術文字が縫われ、なにかの秘密を匂わせた。

 彼はトリシアを数秒見てから、にこっと愛想の良い笑みを浮かべる。笑うと幼くなり、トリシアとほとんど年齢が変わらないように見えた。

「……食堂車、もう開いてる?」

 尋ねられた事柄に、トリシアは瞬きをし、慌ててうなずいた。

「はい、用意できております、お客様」

「…………お、客」

 呆然とする青年は、またにこにこと笑顔を浮かべた。

「そうだった。なんか、照れる」

「…………」

 変な客。

 そう思いつつ、トリシアはお客様用の笑顔を浮かべていた。三等客室にいるということは、この青年はそれほど裕福ではない。

 傭兵ようへいギルドに所属しているということは傭兵だろうが、セイオン出身ならば腕もいいだろう。セイオンは身体能力が高い者が生まれるというから。

「ありがとう」

 そう礼を述べて自分の横を通り過ぎる青年を、トリシアは不思議そうに見てしまう。あまりじろじろ見ると失礼にあたるので、視線はすぐに逸らした。

 まるで大きなカラスのようだ。それなのに、嫌な雰囲気がない。

 三等客室が並ぶ場所から、二等客室の並ぶ場所へと行くと、そこでも妙な客とかち合った。

 弾丸ライナーを使う客はよほどの金持ちか、急用がある者がほとんどだ。だから客とはあまり接触しないようにしている。

 二等客室では、イライラしたように懐中時計の蓋を開け閉めしている男がいた。

 平均的な体格ではあるが、顔立ちは整っている。茶色の瞳と髪からして、トリッパーではないかとトリシアは思った。

 トリッパーとは、異界からこの世界へとやって来る異邦人いほうじんの総称である。彼らは新たな技術を運んでくるため、「幸運の種」として政府が身柄を保証しているが、身分はあってないようなものだ。

 異界からの扉をくぐる際に、肉体に変調をきたすのが通例のため、この男もきっとそうなのだろう。一見、学者風のよそおいをしているが、学者ほど身なりに無頓着ではないようなので、違うはずだ。

 こちらに気づいた男は眉間に刻んでいた皺をもっと深くし、ぷいっと顔をそむけてさっさと部屋へと戻ってしまう。

 展望室から外を見ていたはずなのに、景色に不愉快なものでもあったのかとトリシアは外をのぞいた。……べつだん、変わったものはない。いつも通りの景色だ。どこまでも続くと思われる荒野だ。

(……帝都まではまだ数日かかるのに、せっかちなのかしら?)

 うーんとうなり、トリシアは一等客室へと向かう。今日はそちらに行って、掃除をすることになっていたのだ。

 一等客室へ行くための引き戸を開いた瞬間に、胸元にどんっ、と何かがぶつかってきた。

「うわっ」

 びっくりして思わずそう声をあげ、尻餅をつきそうになるが、腕をつかまれた。

 驚いて瞬きを繰り返して、腕を掴んだ相手を見遣る。そこに、妖精がいた、等身大の。

 ぎょっとして慌てて姿勢を正したトリシアに、妖精は微笑みかけてくる。

 美しい顔立ちに、淡い青色の長い髪。燃えるような赤い瞳に、金縁きんぶち片眼鏡モノクルをつけ、帝国軍の軍服を着ているのは、トリシアよりも幼いであろう小柄な少年だった。

 少女のような顔立ちと体格ではあるが、先輩添乗員たちから聞かされていたため、トリシアからはすぐに男と認識できた。

 彼が、帝国軍の魔法部隊の一人であることは、もうブルー・パール号の職員たちに知らぬ者などいない。

「大丈夫ですか?」

 声まで綺麗だとトリシアが唖然あぜんとする。世の中は不公平にできているとは思うが、ここまで揃っていたら、羨ましいどころか天上の天の使いにしか思えない。

「大丈夫です、お客様。失礼しました」

「そうですか」

 丁寧に微笑する彼は手を離し、また微笑んだ。とろけるような甘い笑みに、トリシアは圧倒される。

 帝国軍人、ルキア=ファルシオン。「紫電しでんのルキア」という別の名で呼ばれることの多い彼は、皇帝直属部隊「ヤト」の一員だ。

 この若さで、と誰もが口にし、また噂の真偽に踊らされる者も多い。トリシアも、目にするまでは信じていなかった。これほど幼いとは。

 本物だろうかと、今でも思ってしまう。それほどまでに、彼は背も低く、華奢だった。

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