2021.4.16~2021.4.30
離婚が決まり、張っていた気が緩んだのか、心に余裕が生まれてくる。何となく日々の行為を数えるようになる。見れば、相手も同じようす。やはり我々は夫婦だったんだと思い知る。言わないけれど。
食卓に着き、揃って手を合わせる。
「いただきます」
あと24回。ただただ、減るばかりで。
(2021.4.16)
壁部隊――魔法による障壁で、兵や砦を防御するのが任務だ。重責だが華はない。隊員の顔は一様に暗かった。
そこへ、新しい隊長が赴任した。隊長は言った。
「私は諸君らの活躍があって、ここに居る。もう壁などと呼ばせはしない。諸君らは、命を守る盾である!」
一同の眼の色が変わった。
(2021.4.17)
キュリー夫人の所持品はいまだ放射能を持ち、ノートの見学は防護服着用が必須だ。
こんな都市伝説がある。
毎日のように見学に来る男がいた。防護服を脱ぐと、目元に涙の跡がある。司書が問うと、
「触れないのに、見ずにはいられないのが悲しいのです」
男はいつしか姿を消したという。
(2021.4.18)
疫病に侵された都……そこへ流浪の法師が現れ、祈祷を行うとたちどころに病は癒えた。民は金品を尽くして報いた。
宴の夜は更け、寝所で寛ぐ法師。その傍らに置かれた壺の中で、妖怪邪魅(じゃみ)は嘆息した。法力に縛られ、疫病を撒いた張本人だ。
「欲のためなら何でもしやがる。震えがくらァ……」
(2021.4.19)
ライヘンバッハの瀑布では、もつれながら転落する二つの影が目撃されるという。言うまでもなく名探偵と犯罪王の最期だが、もちろん幽霊などではない。人々の思いが凝ると、架空の存在でもかたちを成すことがあるのだ。ちなみにロンドンの博物館でも、パイプを燻らす影が見られるそうな。
(2021.4.20)
春が町を包んだ朝、あざやかなツツジが歩道に満ちた。そよ風に揺れながら、ひとかたまりに空に向かって花開いている。どこか懐かしい気持ちになり、足どりは軽やかになる。
と。
空を見つめる姿。
似ている。
別れたあの人に。
春の朝に失われた恋が溢れている。
瞬間、世界は反転した。
(2021.4.21)
どんなにつらいことかあった日でも、負けるもんかと頑張れる。だって冷蔵庫でこいつが待っているから。キンキンに冷えた缶を握りしめ、プルタブを引き抜く。このひと手間も大好きだ。泡の冠を頂いて、琥珀色の幸せがグラスに満ちる。プリン体とかどうでもいい。飲みたいから、飲むんだ。
(2021.4.22)
弱者を守れ、そのための力を持て――父の教えに従い、僕は自分を鍛え、いじめを粉砕した。しかし下された判決は両成敗。さらに助けた相手からは非難を浴びた。社会で立ち位置を確保する方法はさまざまだと気づいたのはずいぶんと経ってからで、そのときにはもう道を踏み外してしまっていた。
(2021.4.23)
「結婚してください」
シャイでぶっきらぼうなあなたが、まっすぐに私の目を見て言った。言葉はじんわりと胸に染み込んで、押し出されるように涙があふれた。返事を……だけど口が動いてくれない。目の前もにじんでしまう。あなたは待っている。ああ、どうか伝わって。
わたし、幸せです。
(2021.4.24)
「殺したくなんかなかったんです。私は、あの人に命じられて仕方なく……」
女は言った。いままで数多の犯罪者の口から出た言葉。醜い責任転嫁だ、罪が消えることはないのに。
「だって言うことを聞かないと――」
聞かないと?
「嫌われてしまうから」
そっちか。いちばんたちが悪いやつだ。
(2021.4.25)
芸人が与党の幹事長に訴えられた。インチキ交じりの時事ネタが逆鱗に触れたのだ。芸人は二度と流言蜚語を語らないことを誓わされた。
復帰公演にて、
「真実だけを語ります」
前置きして語り出したのは、幹事長のスキャンダル。政権は転覆した。
「これからも真実だけを語っていきます」
(2021.4.26)
「お前が殺したな」
「証拠はあるのか?」
警察が取り出したのは、私のボールペン。
「これに指紋が付いていた」
「だから?私が貸したものだぞ」
「いや。これは3Dプリンターで作られたものだ。作成履歴は、被害者が亡くなる直前だ」
――面白いもの買ったんだ。
最後まで聞けばよかった。
(2021.4.27)
「二度と話しかけないで」
吐き捨てて女は席を立った。おれは動けない。初めての敗北。どんな美人も醜女も落としてきたこのおれが……。その日以来、女の顔が頭から離れない。渦巻く憎しみの中心で、侮蔑の視線を寄越してくる。憎悪は愛の変型と言った作家がいた。違う。憎悪は殺意の蛹だ。
(2021.4.28)
未知の病気が蔓延し、オリンピックは幾度も見送られてきた。しかし人類は諦めなかった。ついに実現の方法を生み出したのだ。競技は仮想空間で行われ、選手の分身となるアバターには運動能力が忠実に反映される。正直とまどいはある。だが希望が背中を押す。行こう。聖火台は燃えている。
(2021.4.29)
あるラッパ吹きが臨終に、愛器と一緒に焼いてほしいと頼んだ。望みは叶えられたが、火葬場の職員が加減を間違えたため、骨は燃え尽き、ラッパだけが残ってしまった。仕方なくそのまま埋葬され、墓碑には伝説的な風味付けのために、こう記されている。
『第八のラッパはただ神のために』
(2021.4.30)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます