2020.10.1~2020.10.15
ふらり寄ったバーは周年記念だった。常連が入れ替わり立ち替わり、祝いの言葉を届ける。
「騒がしくてすみません」
マスターが頭を下げた。
「いいえ。愛されてますね」
「ありがたいことに。私は酒を注ぐくらいしかできませんが……本当に……」
マスターは言葉を呑む。また来ようと思った。
(2020.10.1)
キャンバスに筆を走らせる画家。油絵具は見る見るうちに絵に変わっていく。この瞬間、彼の手に意志はない。手癖に任せるままに筆を動かしているだけ、謂わば慣らし運転だ。しかしこういった作業は無意識に潜む闇を浮き上がらせる。仕上がったのは、さなぎ。亀裂からは黒い腕が伸びる……。
(2020.10.2)
カシャッ――電子音は手元からでなく、正面から聞こえた。はっと身を起こすと、
「機密情報流してたの、課長だったんすね」スマホの画面を突きつける。部長宛、送信済み。
「絶対に許しませんから」
(2020.10.3)
「必ず成就する恋に価値はありますか?」
「思春期の彼らにとっては。付き合い始めの二人には滑稽なだけですけど」
「必ず報われる愛に価値はありますか?」
「付き合い始めの二人にとっては。思春期の彼らには滑稽なだけですけど」
「貴女にとって恋とは?愛とは?」
「下衆どもの営み」
(2020.10.4)
「……少々お待ちいただけますか」
青ざめた看護師は、健診結果を持って裏へ消えた。そんなに悪かったのか……肝臓がヤバいの間違いないが。そのうちざわざわ言う声とドタバタ駆け回る音が大きくなり、
「動かないで!」
防護服の機動隊が盾を構える。おいおい、俺が何したっていうんだよ……。
(2020.10.5)
姉の彼氏を寝取った。簡単だった。怒鳴り込んできたので、情事の次第を詳細に話し聞かせる。猿のようにわめく姉は醜い。長年の胸の支えが取れていく。少し早く産まれたからって、私から何でも奪ってきた女―だがもう憎しみは無い。脇腹に突き立った包丁も、安らかな気持ちで見ていられる。
(2020.10.6)
政界のドンが臨終に残した言葉。
「わしの金はあの世まで持っていくぞ……」
ドンの言葉は絶対だ。側近たちは東奔西走、隠し口座から金を引き出した。
苦難の末、霊廟には札束が山と積まれた。胸を撫で下ろした側近たちの目の前で、壁に亀裂が走った。
それはこう読めた。
ま だ あ る ぞ
(2020.10.7)
横断歩道の白線――普通はそこだけ踏むところ、K市は逆だ。ある交差点で、白線に触れた人間の消失が起きている。何度か撤去を試みたが、そのたびに地面から白い“何か”が染み出して復元されてしまう。道路を閉鎖することもできないので、市は「白線踏むな」という看板を立てて対応している。
(2020.10.8)
国際的文学賞。有力候補の小説家は今年も受賞を逃した。ファンは落胆と諦め半々だ。
「残念でしたね、先生」編集者は笑う。
「まあどれだけ人気でも、こっちで受賞はできませんけど」
「皮肉なもんだ」
「さて、では原稿を」
「あいよ」
パソコンがメールを受信する。300年後の未来から。
(2020.10.9)
遠州灘から発せられた救難信号。御前埼海上保安署のモニターに表示された光点は灯台へ移動……速すぎる。船舶ではない。付近に航空機はない。次長は困惑しつつもその動きを追い、
「上陸する……?」
しかし寸前、光点は西へと転換した。渥美半島付近で消失すると同時に救難信号は途絶えた。
(2020.10.10)
黒い仮面――モレッタの女は呻いた。隠しきれない淫靡な響き。ペティコート下での痴態は容赦なく喉を突いてくる。だがモレッタを顔に留めているのは彼女自身の歯だ、口を開いた瞬間、その顔は観客に晒されてしまう。女は耐える。堪えられない快楽が仮面の端から糸を引き、胸元に染みを作る。
(2020.10.11)
“みんな”と同じものを持っていないから仲間外れにする。
“みんな”と違うものを持っているから仲間外れにする。
何を持つべきで、何を持たざるべきなのか。満杯の右手と空の左手を前にして途方に暮れる。都度見せる手を替えることが、賢く生きる術なのだろうか。他人を――自分を欺いてまで。
(2020.10.12)
ベッドに倒れ込む。のぼせているのは風呂のせいだけではない。目蓋に焼き付いた後輩の顔。どうかしている……相手はひと回りも下だ。こんなおばさんになんて興味の欠片もないだろうに。
スマホが震える。
「お疲れ様です。いま大丈夫ですか?」
秒で反応する指。だめだ、完全に落ちている。
(2020.10.13)
悪魔に連れられ地獄を巡る。亡者で溢れる大釜を前に、
「彼らは何をしてここに?」
「最愛の人と添い遂げられず、未練を残して死んだのさ」
「哀しいですね……おや、あれは去年亡くなった大統領だ。おしどり夫婦で有名だったはず……」
「つまり、そういうことさ。そんな奴らばっかりだよ」
(2020.10.14)
道端に咲く花を摘んだら、先生に叱られた。
「あなたのために咲いているのではないのですよ」
そんなことは分かっている。私は美しいと思ったから摘んだのだ。美しいものを手元に置きたいという欲求は罪なのか。命を奪ったことを責めるなら、私たちは生まれたときから虐殺者じゃないか。
(2020.10.15)
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