2020.8.16~2020.8.31

 クラスメイトに告白した日の夜、私は初潮を迎えた。いちごのショートケーキで喜ぶような年頃は終わったのだの知った。薄暗い脱衣場で裸になり、身体をなぞる。肉の内側で、どろどろと渦巻く熱いかたまりを感じる。私は、さなぎだ。いつの日かこの殻を破り出てくるのは、蝶か、それとも。

(2020.8.16)



 カーテンを開ける。地上170メートルから下を覗けば、通勤ラッシュでごった返す丸ノ内が一望できる。

「気持ち悪い」

 倉崎くらさきは呟く。それは砂の上に蠢く蟻を見る感覚だ。学生時代に起業し、電脳空間を戦場にしてきた彼にとって、額に汗して靴底をすり減らす人間は虫に等しく見えるのだった。

(2020.8.17)



 貧しかった。金銭的にではない、心が、である。万事に無感動で、鼓動すら作り物と思えるほどに。この世に私以上に心の貧しい人間はいないと信じてきた。

 社会に出た私は、私以上に心の貧しい人間に出会った。安堵ではなく嫉妬が身のうちを灼いた。自己診断は間違っていなかったと知った。

(2020.8.18)



 正義を為した者の墓碑には、生前の功績を称える詞が刻まれている。

 英雄。

 名君。

 一方で、裏側に走る亀裂は血に濡れた詞を描き出す。

 虐殺者。

 独裁者。

 よく肝に銘じておくことだ。正義を為すとは天秤に分銅を載せるに等しい。右が下がれば左が上がる。均衡の中に、正義は在り得ない。

(2020.8.19)



「つきあっちゃおうぜ!」

 そんな暴力的な告白を受けるには、ぼくの心は幼すぎた。固まり、喘ぎ、吐き出したのは、

「ど、どうせ誰にでも言ってるんだろ?」

 きみの顔から血の気が引く。

「ばか!」

 張られた頬が鳴って、少女は走り去る。蝉の音がきりきりと途絶え、少年の夏は終わった。

(2020.8.20)



 ずっとついてくる。同い年くらいの知らない子供。ついに玄関まで辿り着いてしまった。母が出迎えて、

「おかえりなさい」

 と、子供は脇をすり抜けて家に飛び込んでしまった。呆気にとられるぼく。母はぼくを見て、

「あなたも早く帰りなさい。ママが心配してますよ」

 ドアが閉められる。

(2020.8.21)



 朝起きて、花を生ける。真っ白なカサブランカ。涼やかな面立ちの一輪を選んで、茎を切る。透明なガラスの瓶に水を満たしていると、悲しい夢に涙した記憶が清められていくような気持ちになる。リビングに飾る。凛とした佇まいに自然とほほえみが浮かぶ。今日も、いい日になりますように。

(2020.8.22)



 下段に構えた師範の剣先が持ち上がり、緩慢な動きの後に鞘に納まった。巻藁がぐらりと傾いで、地面に落ちた瞬間、三つに斬れた。

「これが一之型だ。解ったか」

「はっ」

 応えただけだった。何をしたのか全くわからなかった。神童と持て囃された過去が崩れていく。冷や汗が脇を凍らせる。

(2020.8.23)



 せっかくおばけになったんだから、ひとをおどろかしてみようとおもっただけなんだ。でもこのおじさん、おどろくどころか「ゆうと、ゆうと」ってぼくをだきしめた。しんだむすことおもいこんでしまったみたい。にげようにもにげられない。だれかたすけて。もういたずらなんてしないから。

(2020.8.24)



 きれいなことだけ考えよう、骨が水晶になるくらいに。どうせ長くない命だ、汚い身体で死にたくない。現実に目をつむり、空想の世界にあそぶ……すると、身内の遺産争いすら愛しく思えてくる。生臭い人の欲に触れられるのも今だけだ。心配するな、火葬が済んだあと、私の骨でも売ればいい。

(2020.8.25)



「国旗掲揚!」

 踵を鳴らした兵士たちの前で、忠誠の証がするすると登っていく。勇ましい風を浴びて、雲の駆ける空へと向かう。ひたと見据える若人の目。

 その目が、次第に困惑で揺らぎ始める。

 国旗は微動だにしない。そよぎすら見せない。

 思えばこの時、結末は決まっていたのだろう。

(2020.8.26)



 愛してる、愛してる、それしか言葉を知らないから、繰り返し、繰り返す。きっと、本当の気持ちとはどこかずれている。ずれているから、次第にすれ違って、すれ違っていく。その果てに待つ涙の予感に怯えながら、それでもぼくたちは、繰り返し、繰り返す。それしか、言葉を知らないから。

(2020.8.27)



 その日、全ての猫が“停止”した。眠ったまま、飛び跳ねたまま、毛繕いのまま。触ろうにも身体をすり抜けてしまう。調査の結果、彼らが他の世界線に移動していることが分かった。こちら側にあるのは云わば残像なのだ。猫たちの影だけが躍る世界は、ぽっかりと穴が空いてしまったようで……。

(2020.8.28)



 赤い封筒――道端に落ちていたそれを拾った男を、血走った目の人々が取り巻いた。この地域には“冥婚”という、生者と死者を無理矢理結婚させる風習があるのだ。

 数ヵ月後、花嫁の親族に手紙が届いた。

『家族が増えました』

 一葉の写真。男と花嫁、その周りには、形容しがたい異形がずらり。

(2020.8.29)



 好きになるのは一瞬だったのに、嫌いになるまでは長い時間がかかった。あなたのちょっとした仕草や言葉づかいが目について、じわりじわりと心は壊死していった。だから別れたあとも、ありもしない可能性を夢見てしまうのだ。あなたが消えたリビングで、腐り始めた愛を埋められずにいる。

(2020.8.30)



 強盗が博士を脅して、

「金庫の中身を寄越せ!」

「好きにしろ。だが開けたら人が死ぬことになるぞ」

「へっ、誰が死のうと知ったこっちゃないね」

 強盗はノブに手をかけた。途端、その場に倒れて死んでしまった。

「ほら見ろ。いやしかし、触れただけで死ぬ毒ってのは恐ろしいもんだね」

(2020.8.31)

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