2020.4.16~2020.4.30

 一杯のコーヒーの中には、同じ分量の安らぎがある。それは“飲む”という作法を通じてもたらされる。カップを持ち、香りをかぎ、口に含み、味わう……ひとつひとつが、またとないひとときを生むのだ。そしてコーヒーと同じく安らぎにも鮮度がある。おいしいうちにいただくのも大切な作法だ。

(2020.4.16)



 秘剣の名は『とらつぐみ』――その言葉は不穏な羽ばたきのように、薄灯りの部屋に響いた。

「それは……鳥の名でござるか」

「左様、鳥じゃ」家老石田いしだ芦名あしなの鼻先に扇子を突きつけた。

「我が大計のため、貴様にはその秘剣を会得してもらう」

 芦名の額に汗が流れた。引き返せぬ――そう思った。

(2020.4.17)



 春まだ薫る宵の口、粋なおまえと枝見酒。揃いの茶碗に酒を注ぎ、昔ばなしがさかなの代わり。名残惜しいや散る桜、最後のひとひら水面に浮かべ、ぐびりとひと息飲み下す。おかわり求めて立ち上がり、すってん転んで空見れば、

「あンれえ、お月さまも、酔っぱらってらア」

 まんまる、ゆらり。

(2020.4.18)



 ふと思い立ち、口座の残高を全て引き出してみる。百万円の札束が二つ。五千円札、千円札が一枚ずつ。あとは小銭が少々。これに財布の中身を加えても、コンビニの小袋に収まるくらいの量だ。通帳を眺めていたときの高揚感は全くない。可視化された途端に変化する価値、実に奇妙なことだ。

(2020.4.19)



『従業員専用』

『関係者以外立入禁止』

 そういう空間に惹かれる。通用口の扉や本堂の障子の隙間から微妙に中が窺えたりすると、これがたまらない。侵入しようとか覗いてやろうとかいう気は毛頭ない。世には一般人の世界と地続きの“異界”があり、そこに空想を巡らせることが楽しいのだ。

(2020.4.20)



 じいちゃんは山のことなら何でも知っている。

「いいか、山の中で名を呼ばれても絶対に返事をしちゃならんぞ。そいつは天狗のかどわかしだ。わしもガキの頃に連れて行かれそうになった」

 じいちゃんは腕まくりをしてみせる。そこには五本指の痣がある。懐かしい、“私”が50年前に掴んだ跡だ。

(2020.4.21)



 在宅勤務のWeb会議。通信環境の悪さも相まっていつも以上にピリピリムード……。

『おい、子供が映ってるぞ』

 気づくと3歳の息子が画面を覗いている。ぎこちなくお辞儀して、

「パパが、おせわになります!」

 全員が吹き出した。仏頂面の部長までもが相好を崩した。息子よ、ナイスプレー。

(2020.4.22)



 胸に突き刺さる出逢いはいつも突然で、それゆえ衝撃も大きい。ぎゅっと感覚が鷲掴まれ、一点に収束する。トミー・エマニュエルの『ザ・ハント』もそんな一曲だ。熱い、とにかく熱い。猛烈な疾走、一瞬の安らぎ……絶妙だ。この3分間のエネルギーに小難しい解釈は必要ない。とにかく、聴け。

(2020.4.23)



 焼きたてのパンケーキにバターを塗って食べる、日曜日の朝。カーテンの隙間から射し込む陽の光が、コーヒーの水面にきらきらとまばゆい。テレビはつけず、秒針の音に耳を傾ける。忙しなく出勤の支度をする平日では味わえない、贅沢な時間。ただひとつだけ欲を言えば……あなたが足りない。

(2020.4.24)



 茶碗に注いだ酒を乱暴にあおる。味はしない。酔いだけが蛇のようにのたくる。それもこれも、

(あいつのせいだ)

 みゆき。男と男のあわいを蝶のように飛び回る女。どれだけ可愛がっても、ひとところに留まることはなく、金ばかりが吸い上げられていく。

 胃が裏返り、ゴミ箱に吐く。惨めだ。

(2020.4.25)



 ネオンの灯に縁取られ、僕たちは二枚の影絵になる。暗すぎるよ、僕は言った。いいのよ、きみは答えた。本当の私に幻滅されたくないの。するもんか。それと私も幻滅したくないの。ならいいや。そして二人は吠えながら幾度も交わる。四つの手足が艶かしく泳ぎ、人ならざる本性を闇に描く。

(2020.4.26)



「せ、先生がハーレム系ラノベで有名な『泡野あわのそうぷ』!?」

 終わった。定年間近の慰みにと書いた小説がまさかの新人賞、アニメ化。それが今、教え子にバレた。青ざめる私に彼女は、

「実は……」

「えっ、きみが官能小説界の寵児ちょうじ、『張形はりかた権太ごんた』!?」

 我々は大変な秘密を共有してしまった……。

(2020.4.27)



 討ち取った領主の首を掲げると、村人は歓声を上げた。どの眼にも知恵の光はない。金貨の詰まった袋を手に村を去る。5年もすれば、“横暴な領主”と“虐げられる民”が出来上がるだろう。また収穫に来ればいい。ここはいい畑だ。種を蒔けば必ず実が成る。俺も誰かと同じ、“己のための”英雄だ。

(2020.4.28)



 雨戸を開けると、朝日が複雑な影を畳に描いた。週に一度、和枝かずえはこの空き家を掃除しに来る。家出中の家主の孫がいつでも使えるようにとのことらしい。雇われの身で何だが、和枝は憤りを感じている。放置された家具が憐れでならないのだ。物言わぬ忠臣を、だから彼女は丁寧に磨き上げる。

(2020.4.29)



「な、何故だ、金ならちゃんと払っただろう!?」

「一回こっきりで終わりだと思ってるのかい?」青ざめた“元”飼い主に銃口を向ける。

「あんたの言うとおり、俺は野良犬だからな、旨い目を見せてくれるやつには、どこまでもついていくのさ……中途半端な気持ちで飼おうとするんじゃねえよ」

(2020.4.30)

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