2020.4.1~2020.4.15

 夜が明けた。立ち上がる『嘘』の手には大きな旗があった。そこにはあらゆる言語でこう書かれている。


「この悲しみは永遠だ」


『嘘』は旗を高く掲げた。旗は拡がる、地平線の果てへ、水平線の果てへ。彼は声の限りに叫んだ。

「認識しろ!認識しろ!嘘を嘘にできるのは貴方たちだけだ!」

(2020.4.1)



 Allegroの得意な作曲家がいた。一方でAdagioの得意な作曲家がいた。プロデューサーは双方の作品を繋いでひとつの作品に仕立てた。音楽による『フランケンシュタインの怪物』は批判の的となった。同時に二人は引退を表明した。作風が混じり、何を書いても同じものになってしまったという。

(2020.4.2)



 夜の水族館――いるかの水槽が騒がしい。通路に埋め込まれた窓を覗き込むと、水音と共に何がガラスにぶつかった。白と赤が混じった球体……嘴や脚の断片……かつて海鳥だったもの。いるかたちは肉塊を玩びながら、けたけたと笑い声を上げている。剥がれた肉と羽が、雪のように水底に降りしきる。

(2020.4.3)



 桜は満開を迎えていたが、そよぎはざわざわと泣いていた。鴬が声をかけた。

「どうしたね」

「こんなに見事な散り際なのに、誰もあたしを見ちゃくれないの」

「はは、人間みたいなことを言うね。散り際なんて、よそ様に見せるもんじゃないよ」

 ほけきょと鳴いて、鴬は飛び去っていった。

(2020.4.4)



 ある青年が鏡に向かい「お前は誰だ?」と問い続けた。彼は精神を病み入院した。同じ頃、謎の男が鏡に映る現象が多発した。男は己の名を訊ね、知らないと答えると残念そうに、適当な名を答えると満足そうに消えた。一方、あの青年は、

「思い出した、俺は○○だ」

 それは彼の名ではない。

(2020.4.5)



 あまりに、あまりに多くの人が死んだ。初めは商売繁盛と軽口を叩いていた墓掘り人も、今は機械的にシャベルを動かすばかりだ。整然と並んだ十字架が空を睨んでいる。それはデフォルメされた死者の群れ。雨を浴び風を浴び、今か今かと離陸の時を待っている。天国は……まだ合図をくれない。

(2020.4.6)



「空の上には何があるの?」

「天国さ。良いことをした人だけが行けるんだ」

「じゃあ地面の下には?」

「地獄があるよ。悪いことをした人が放り込まれるんだ」

「良いことも悪いこともしなかったら、いつまでもここにいられるの?」

「ああ、そうだよ」

 僕みたいにね――もう、うんざりだ。

(2020.4.7)



 銀河を眺めていた宇宙人は、ふと目を止めた。水と緑に溢れ、灯の絶えない美しい惑星……それが暗く沈んでいた。宇宙人は住人たちから深い怯えの念を感じ取った。憐れに思った彼は自らの“知恵”を送ることにした。手から放たれた小包は瞬く間に光速に達する。地球に届くまで、あと○○日……。

(2020.4.8)



 渾身のひと振りがボールを捉え、快音と共にライトスタンドへ運ぶ。がんっ――椅子の悲鳴が球場にこだまする。佐竹さたけはこの音が嫌いだった。ホームランはファンの喝采で迎えられるものだ。無観客試合は虚しい。

(もう少しの辛抱だ)

 佐竹はダイヤモンドを回る。瞼の裏に満員のスタンドを描いて。

(2020.4.9)



 今こそ、過ぎ去った日々に置いてきた“やさしさ”を拾い集めてみませんか?すべり台の足元、階段の踊り場、スクランブル交差点……あの日、ほんの小さな勇気が足りず、手からこぼれて、色あせた情景に転がったままになっている……きっと、誰か一人くらいは幸せにできるような気がするんです。

(2020.4.10)



 背中合わせで「愛してる」と叫んでも、想いは1グラムも伝わらない。けれど首筋にほのかに感じる体温と、偶然響いた和音が僕たちを致命的に誤解させ、すれ違ったままの“愛”はどこかへと歩き出す。ひと足ごとに二人の距離は遠ざかり、気づいたときには独りぼっち、帰り道すらも分からない。

(2020.4.11)



 囚人の男が、独房の窓から夜空を眺めている。地平線から立ち昇る天の川――それは故郷の光景と似ているように思えた。確信が持てないのは、夜空などまともに見たことがなかったからだ。興味は常に地上にあった。酒、金、女、そして血。男は静かな混乱の中にある。星がひりひりと鳴いている。

(2020.4.12)



『オール・アクロス・ザ・シティ』、ビル・エヴァンズとジム・ホールのデュオ。まろやかにくぐもった音色が60年代の景色を描く。喧騒、煙草、暴力、セックス……どれも体験の欠けた虚構、つまりにせものだ。しかし美しいにせものだ。にせものを愛すことができる僕たちは、幸福な生き物だ。

(2020.4.13)



 深呼吸――しっとり濡れた森の空気が肺に満ちていく。私はそこに動物の糞のにおいを嗅ぐ。アスファルトだらけの街中なら、きっと鼻を摘まんだだろう。しかしここでは違う。あたりまえに存在している。排泄物は森を育てる。生命の大いなる循環を感じながら、木陰ににおいの源を発見する……熊?

(2020.4.14)



 村瀬むらせ浩樹ひろきは出世に命を懸けている。役員部長におべっかを使い、出来る同僚は叩いて潰す……にも関わらずの万年課長だ。上に辞令を出す気配は無く、叩き損ねた下が昇進していく。彼は気づいていない。己を省みることなく周りばかりに目を向けるあまり、身の丈が1ミリも変わっていないことに。

(2020.4.15)

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