2019.1.16~2019.1.31

「生き急ぐのを悪いとは思わん。若いうちは手当たり次第に挑んでみるべきだ。しかし年をとって初めて分かる楽しみもあるもんさ。昔はつまらんと思った事に今一度手を付けてみるのも面白いぞ。まあ何にしろ、健康でおるのが肝心よな」

 そう言って肉汁滴るステーキを頬張る祖父、御年92歳。

(2019.1.16)



 荒木あらきの清廉潔白な性根は、生き馬の目を抜く政界の中で折れかけていた。進退に悩み、慣れぬ酒を呷る日々を重ねていた。

 そんな彼の肩を叩く者がいた。

「清濁合わせて為政なら、お前は清い水でいろ。汚い水は俺が被る」

 高房たかふさ幸介こうすけ、後に荒木内閣の元で『もと一の盾』と呼ばれる男である。

(2019.1.17)



「飴を一つ」

 そう言って女はお代を置く。店主は包みを渡す。彼は知っている。女が彼岸の住人であることを。赤子のために飴を買っていることを。そして、赤子は既に荼毘だびに付されていることを。

 あの世にも知らぬ方がいいことはあろう。女の姿が消え、店主は『お代』の小石を箱に仕舞う。

(2019.1.18)



 予算書を眺めていたら、見覚えのない部署に光熱費が組まれているのに気が付いた。先輩に訊ねると、ある部屋の鍵を渡された。


 無人のオフィスにパソコンの載ったデスクが置かれ、意味不明な文字列が延々と入力され続けている。


 私は静かに扉を閉めた。知らなければよかったと後悔した。

(2019.1.19)



 伊勢屋いせや藤兵衛とうべえは胸に突き立てられた脇差しを訝しげに眺めた。その眼前に、甚助じんすけは潰れた紙風船を差し出す。

「てめェの命の値段だ」

 手籠めにされた女は首をくびった。形見の品を依頼賃として、甚助は殺しを請けた。

 藤兵衛のかおが歪む。

「安いもんだな」

 吐き捨てて、甚助は刃を引き抜いた。

(2019.1.20)



 乙姫は寝室で独り、浦島太郎を思っていた。今頃、玉手箱を開けてよぼよぼの爺になっているだろう。もう女に欲情することもあるまい。

 あの方の子種は、私だけのもの。

 愛しげに撫でる腹部が呼応するように脈打つ。波に揺らぐ髪は海蛍うみほたる行灯あんどんに照らされ、名状しがたい影を竜宮城に落とす。

(2019.1.21)



 闇夜に浮かぶ山の影は、巨大な獣がうずくまる様に似ていた。風の轟きは咆哮か。峰に盛り上がる雲は首をもたげているようで、

 ――違う。雲じゃない。雲は風に逆らって動かない。『それ』は裾野の木立を掠めるように延びてきて、私の頭上を越えていく。

 全てが通り過ぎたとき、山の影は消えていた。

(2019.1.22)



 料理できない僕が台所に突っ立ってるのにはワケがある。食材にやさしく添えられた指、出汁だしの味見をするときに見せる白い喉、会心の出来に浮かぶニヤリ、そういうのを間近で見たいからなんだ。君は恥ずかしがるから言わないけどね。そう睨まないで。邪魔しないからさ、ここにいさせてよ。

(2019.1.23)



 思いきって、ばっさりいった。ベリーショート。教室に入ると始まる囲み取材、適当に回答しながらあいつの姿を窺う。ちらちらこっちを見ている。目が合って……頷いた。何それ。良いの?悪いの?何か言ってよ。黙ってちゃ伝わんないよ。「言わなくても分かるだろ」なんて通じないんだから。

(2019.1.24)



「目立ちすぎ」アンナは呆れ顔で助手席に乗り込んだ。

「尾けられたらどうするのよ」

「されたら撒くよ。それに君を乗せるには、このくらいじゃないと釣り合わないと思ってね」

「口の巧いこと」

 僕は笑ってアクセルを踏み込む。マセラティは品良くいなないて、湾岸線を滑らかに駆けてゆく。

(2019.1.25)



 アグレッシブな彼女に国境という概念は無い。世界各国縦横無尽、宇宙にだって飛び出しそうだ。そんな彼女の活躍を俺は日々更新されるSNSで追う。二ヶ月だけの仕事相手。向こうはきっと覚えちゃいないだろうけど。


 彼女の待ち受けが俺になっていることを知るのは、まだまだ先の話である。

(2019.1.26)



 思春期のお前は口を利いてくれなくて、ひどく寂しい思いをした。そのうちお前から話しかけてくれるようになったのに、幼稚な意地が俺の口を重くした。意趣返しのつもりだったのか……すまなかった。

 こんな情けない父親だけど、今日まで一緒に暮らしてくれてありがとう。花嫁姿、綺麗だよ。

(2019.1.27)



 牛川うしかわ雅子まさこは肥満を恐れる。余分な栄養を摂取したくないあまり、食べて空腹が満たされればすぐに嘔吐する。あるいは排泄する。綱渡りの栄養補給を繰り返して、今や体重は30キロを割っている。鏡の前で全裸になり満足げに微笑む雅子の姿は、骸骨が人間のふりをしているようにしか見えない。

(2019.1.28)



 続3:遂に迎えた最終決戦。山羊達の決死の特攻により『鋏』と『石』を撃ち込まれた狼は、海溝深く沈んでいった。多くの犠牲の果てに訪れた結末。これで終わりとは思えない――ただ独り生き残った末弟の心は暗い。しかし今は兄姉達の安らかな眠りを祈り、弔いの鐘を静かに鳴らすのだった。完。

(2019.1.29)



『浅倉勇太』

 納骨堂の棚扉たなとびらに掲げられた、赤の他人の名前。肉を持たない単なる記号に、私は恋をした。

 日がな一日呟き続け、手近な紙に書き付ける。それだけで身体は疼き、芯がはしたなく痺れる。狂っているのは分かっている。それでも私は『浅倉勇太』を口の中で、ペン先で犯し続ける。

(2019.1.30)



 パパが好き。高い高いしてくれるから。ママが好き。お歌を聴かせてくれるから。ポチが好き。ちっちゃくて可愛いから(ぺろぺろはくすぐったいけど)。

 あと、この白くてふわふわしたのも好き。いい匂いがするから。

 パパやママは、まだお名前を教えてくれない。何て言うんだろう、これ。

(2019.1.31)

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