本篇最終、星影のワルツ

増田朋美

第一章

星影のワルツ

第一章


別れることはつらいけど

仕方がないんだ君のため

別れに星影のワルツを歌おう

冷たい心じゃないんだよ

冷たい心じゃないんだよ

今でも好きだ死ぬほどに、、、。


「今日一週間で、三月も終わりですか。」

店の中に貼ってある、カレンダーを眺めながら、ジョチは感慨深そうに言った。

「あれれ、兄ちゃんがそんなせりふを言うとは、年寄り臭くなってきたな。」

ジョチの義弟、チャガタイが、そういって彼をからかった。さすがにもう、60歳を超えた兄ちゃんも、そのくらいの年になれば、ノスタルジーを持つようになるのだろうか。普段、そのようなセリフは、全く口にしたことのない人だったのに。

「年寄りとか、そんなこと言わないでくださいよ。僕はまだまだ、現役でやるつもりですし。まだ、目標達成すらしてないんですよ。」

「そうだよなあ。一人だけでも立候補者を立てて、当選させることが、兄ちゃんの最大の目標だったもんな。まだまだそんなせりふを言うには早すぎるぜ。」

ジョチの反論にチャガタイは、にこやかに笑った。

「でも確かに、今年は、特別な年であることはいなめませんね。昭和天皇が崩御された時もそうでした。そのころはまだ、駆け出しのひよっこみたいなものでしたけど、やっぱりなにか、新しいことが始まるんだなって、うれしいと同時に悲しい気持ちにもなりましたねえ。今、其れと同じことをもう一回体験することになるでしょうね。」

「そうか、兄ちゃんも、それについては敏感だな。」

まあ確かに、政治活動をやっていると、そういうことに対しては、非常に敏感になるらしいのだ。それに合わせて、新しい活動を始めるということも、かなりあるからである。

「平成ももう少しで終わりですね。とにかく、災害続きの30年だったような気がします。まあ、それ以外でも災害はありましたが、日本列島のあちこちで災害が発生したのは、平成だったのではないでしょうか。」

「まあなあ、其れについて、多くの人が傷ついたよな。でも、それによって兄ちゃんのプロジェクトに人があつまってくれるようになったじゃないか。たぶん兄ちゃんがやっていることって、そういう災害でもなきゃ、今の時代、支持者が集まらないよ。これからの社会、何でもどんどん一人でできていくようになっちゃうから、それができない奴らを救おうなんて活動する気は、しなくなるよ。」

「そうですね。」

ジョチは、チャガタイの発言に静かに答えた。

「まあ確かに、共生することの大切さは、そういう災害でも起こらないと、わからないでしょうね。それにしても、スマートフォンなるものが登場したら、世の中はさらに悪化したような気がしますよ。余計に、一人でなんでもできるようになって、余計に人付き合いが煩わしくなって。余計に金儲けしか価値を見出せなくなって、自殺していく若者が続出していくでしょうね。それに、それを使いこなせなくて、支援を受けられずに寂しく死んでいく年寄りも。」

「そうだなあ。兄ちゃんの言う通り、やることなすことはどんどん短縮されて、暇な時間ばっかり増えちゃうんだろうね。それで余計なこと考えてさ。人間もともと体動かして働くのが、一番人間らしい生活だったのにな。」

「全くです。たまには、敬一もいいこと言うんですね。」

ジョチがそういうと、

「あれ?俺は、今までバカな発言ばっかりしていただろうか?」

何てチャガタイは、すっとぼけたことを言った。

「そんなことありません。でも、これからIT関係が発達しすぎて行けば、より人間は、人間ではなくて、利潤を上げるだけの道具になってしまうのではないかと心配でならないのですよ。そうなると、本来あった人間の能力というのかな、其れが全部なくなって、ただ、怒りと憎しみしか残らなくなるんじゃないでしょうか。その証拠に、相模原の障碍者施設殺傷事件のような事件も頻繁にあるでしょう?」

「そうだなあ。俺も、その事件については、すごくびっくりしたよ。俺たちの店に働きにくる子も、障害のある子ばかりだし。あの犯人の言うセリフも、一部は共感することもあったからな。」

「そうでしょう。ですからね、僕はきっとあの犯人のような日本人がこれから先は続出するのではないかと思うんです。幼い時から便利すぎるものばかり与えられて、そのころから、知らないうちに、僕たちは邪魔だという感情が身についてしまうのが一番いけない。そうなれば、自分どころか、他人すら愛せなくなりますから。そして、他人の明らかな欠落を面白がったり、他人が明らかに自分より有利だった場合、尊敬をしないで、憎むようになる。それが、精神疾患とか、ああいう凶悪な事件の原因なのかと思うのです。災害も多かったけど、大量殺人も爆発的に増えたのが、平成という時代だったのではないかと思います。」

「兄ちゃんすごいなあ。俺、そういう考えは絶対に持てないよ。俺は、其れよりも、この店の後継者がないことが一番今つらい。」

ジョチがそういうと、チャガタイは頭を掻いた。

「まあそれはしかたないでしょうね。人間にはどうしてもできない事もありますからね。それは、人間にできることで対処するしかないと思います。」

「そうだけどさあ、俺、君子さんに、申し訳ないことしちゃった。あいつを攻め立てるような言い方してさあ。どうしても俺、後継者が欲しかったからなあ、、、。」

「それは血縁者にこだわりすぎたから。そうではなくても、平和を維持することは十分にできますよ。歴史的な人物だって、そうじゃないですか。シーザーとアウグストゥスは、血縁関係はないけれど、実の親子以上に仲がよかったでしょ。誰かが批判するのなら、歴史上でも同じことは頻繁にあったと言って、対抗すればいいのですよ。」

「そ、そうだねえ。さすがは兄ちゃんだ。そういう歴史的なことで満足しちゃうんだから。」

と、チャガタイは言った。まあ確かに歴史上では、そういうことは多いのであるが、それをやっている当事者は、歴史的なことでは満足しないようである。そして、歴史的な発言をする人を偉ぶったダメな人として、バカにする。でも、答えはそうするしかないのである。

「ごちゃごちゃしたことを考えるからおかしくなるんです。実子に恵まれないけれど、どうしても後継者を作らなければならないのであれば、店の従業員から有力なものを養子、或いは養女として取り、後継者として指名することしかできないでしょう。それに、血縁がかかわってきちゃうから、おかしくなるんですよ。まあ確かに、実子でなければいけないという時代が、少なからずあったことは確かですよ。ですけど、古代にはそれはなかったこともありますし、今は歴史観が崩壊している時代なので、何を例にとっても、おかしくないんですから。」

「なるほどねえ、、、。ありがとな、兄ちゃん。なんだか兄ちゃんこそ、何でも知っているし、問題を解決する能力もあるんだから、アウグストゥスに近いんじゃないかな。色んな企業を買収して、大企業にさせたりして。俺は店を何とかすることしかできないのに。」

チャガタイが素直な感想を言うと、

「何を言うんですか。」

と、ジョチは言った。

「健康面に関しては、数段上でしょ。人間誰でも完全無欠なんてことはありませんよ。」

「はい、すみません。」

と、チャガタイは言った。ジョチは、右手にはめていた腕時計を見て、

「さて、そろそろ約束の時間なので出かけてきますよ。敬一も、もうちょっとしたら午後の営業でしょ。しっかりやりなさいよ。」

と、椅子から立ち上がる。

「はい、わかりました。俺も俺にできることを精一杯やります!」

「よろしい。」

二人は、母親は同じだが、父親違いの兄弟だ。ジョチの継父、チャガタイにとっては実父は、それを非常に意識していて、二人が仲が悪くならないように、いつも考慮してくれていた。その結果として、二人は、大きな喧嘩を起こすこともなかった。大人になっても、兄のジョチが名ばかりの理事長になって、弟のチャガタイが、社長になることで内紛は起こらなかったし、二人の役割はしっかり固定されている。

「まあ、平成は終わるでしょうけど、僕たちの暮らしはとめどなく続くでしょう。そこだけは変えてはなりませんよ。そこまで変わらなければならないのは、僕たちがどうしても対抗できない事例に直面した時です。それは何のことなのか、わかりますね?」

「はい。わかりました。俺、バカだけど、それだけはわかる。」

「それでは行ってきます。」

ジョチはそういって店を出て行った。杉ちゃんが、このあだ名を面白がってつけてしまったというが、

部外者という意味のジョチではなくて、英雄アウグストゥスと変更してもらえないかと、チャガタイは思ってしまうのであった。


一方そのころ、製鉄所では。

「本当に、よくせき込むな。」

と、杉ちゃんだけではなく、ほかの利用者も認めるほど、水穂がせき込む音が鳴り響いていた。

もう布団に座ってせき込むことが難しくなり、横向きになって寝たまま、背中をたたいてもらうことしかできくなっていた。顔つきも何となくぼんやりとしており、生きいきとしたきりっとした顔からは、ほど遠い顔をしていた。筋肉も完全に委縮してしまっており、動かせる力はもうなくなっていた。そのまま寝ていると、床ずれができるというので、二時間おきに体の向きを変えてやる、なんていう役目を背負わされる介護人が現れたほどである。その代表選手が、毎日やってきて、時には製鉄所の空き部屋に泊まり込んで看病をする杉三であった。こういうことに関しては杉三は抜群の人材であり、不満を漏らしたことは一度もなく、喜んで世話をしたので、みんな杉三に任せきりにしていた。杉三は料理の才能もあり、何でも作ってやれたし、栄養価の知識もほかの人以上にあるので、杉ちゃんに任せて置けばいいとみな思っていたようである。後の細かいところは、ジョチや、そのほかの人が、たまにやってきて手伝った。利用者たちは、杉ちゃんのその手際の良さや、料理の上手さに感動していた。何よりも、文句を言わないことが杉ちゃんのすごいところでもあった。

「おーい、今日もいい天気だぜ。蕎麦がゆ作ったからよ。ほら、食べよう。」

と言って、杉三が四畳半にやってくると、いつまでも寝ているのかと思われていた水穂が、今日はなぜか目が覚めていて、天井を見つめていた。もはや骨と皮という表現がぴったりな顔になっているが、それでも、いわゆる美形男子という表情は、しっかり残っていた。

「何だ、今日は目が覚めてたのか。今まではずっと寝ていたのに。」

にこやかに笑って杉三はその顔を観察する

「よし、今日も顔色よさそうだな。それじゃあ、もうちょっと力つけるために食べような。食べないと体力はつかないからな。」

と言って、杉三は、その口元に、おかゆの入った匙を突き出した。

「悪いね。」

と、水穂も中身を口に入れるが、飲み込もうとすると、できなくなってしまうようで、すぐにせき込んで吐き出してしまうのである。吐き出すと時には同時に血液もでた。

「あーあ、まただめだあ。でも、頑張って上澄み液だけでも飲んでみような。コメと違って蕎麦だから、栄養価だけはあるぞ。」

水穂は、うんうんと頷いた。

「よし、頑張ってみような。」

それではと杉三は、蕎麦がゆの上澄み液を入れた匙をもう一回、水穂の口元へもっていく。これであればまだ何とかのどを通る、と確信していた。だいじょうぶだと安心していた矢先、またせき込む音がしてきて、また少し血液が口の周りを汚した。あーあ、とため息をついて、杉三は口元を拭いてやった。

「おい、大丈夫かい?今までご飯粒やそばの粒が痞えることはよくあったが、まさか上澄み液まで痞えるとは、、、。」

水穂は答えようとしなかった。代わりにせき込んで中身をだすしかできなかった。杉三が、急いで、口元にタオルをあてがって中身で布団が汚れないようにしてやった。

「もう、しょうがないなあ。薬飲んで眠る?もう大変でしょう?」

結局こうなってしまうのである。それで止血の薬を飲んでしまえば、数時間眠ってしまうことになり結果として、ご飯を一食逃してしまうのだ。そういう訳で、深刻な栄養失調となってしまい、骨と皮ばかりの体になってしまうのである。

「もうしょうがないなあ。まず第一に、咳き込むのを何とか止めなきゃいけないから、薬飲んで寝よう。」

ところが、水穂は静かに首を横に振る。

「なんでだよ。」

と、聞くと、

「ずっとこっちにいて。」

と、静かに、でも訴えるように言うのである。

「そうはいってもよ。もう大変じゃん。薬んで眠らなきゃ。」

それでも、首を横に振った。

「だ、だけどねえ。咳き込んだらどうするの?止まらないでしょ?」

事実、隣ではもう、咳き込み始めているようであった。

「もう、、、。之じゃあどうするんだよ!だったらせめて食べてよ!」

返答はなく、咳き込んで返事をしていた。

でも、それに対して文句を言わないのが杉ちゃんである。黙ったまま、口元に着いた内容物をふき取り、背をたたいたり、そんなことをしてやっている。


そうこうしている間に、玄関の戸がガラッと開く音がした。鴬張りの廊下が、きゅきゅとけたたましい音をしてなり、ジョチが四畳半にやってくる。

「どうもこんにちは。具合いかがですか?」

ジョチが杉ちゃんに聞くと、

「いや、見ての通りだ。もうせき込んだまま止まらんよ。」

と、答えが返ってきた。

「いつ頃から?」

「いつって、朝飯を食わせようとしたんだけど、食べるどころか飲み込めずに吐き出してしまってからずっとそう。」

「そうですか、、、。」

ジョチは少し考えて、水穂の枕元に座った。

「水穂さん、わかりますか?」

そっと声をかけると、咳き込みながらも、二人のほうを向いてくれたので、まだ正気であるという事はわかった。

しかし、これまでよりせき込んで、内容物が噴出した。ジョチさんが、すぐにタオルを当ててくれなかったら、確実に枕を汚してしまうに違いなかった。こういう時には、やっぱり立って歩ける人間の協力が必要である。

「とりあえず、薬を飲んで眠りましょうか。とにかく出血を止めるのが一番でしょうからね。」

「わかったよ。」

杉三に渡された吸い飲みをジョチは水穂の口元に近づけ、そっと中身を流し込んだ。そうすると、あれほど苦しんでいた咳がやっと減少していき、まもなくすっと静かになった。やがて、静かに寝息が聞こえてきて、ジョチも杉三もほっとする。

「ああびっくりした。やっと静かになってくれたよ。だけど、これからどうしたらいいんだろう。このままでは、飯も食えなくなってしまうぞ。」

「どのくらいご飯を食べてないんですか?」

杉三がでかい声でそういうと、ジョチはそう聞いた。

「もうさ、何時から食べてないのかわからないくらい。大体食べようとすると、飲み込めなくて吐き出しちゃってよ。そうなると、咳き込んで止まらないから、仕方ない、薬で眠ってもらうが、眠っていると、数時間は寝ちゃうから、次のご飯のときまで一食ご飯が食えなくなる。そしてまたご飯を食べようとすれば、こうして、咳き込んで吐き出しちゃうし。その悪循環だぜ。」

杉ちゃんの発言は正確だった。それによって、どういう状態か、的確に察することができた。

「そうですか。そうなってしまいますと、もう気管切開に踏み切るべきかもしれませんね。僕はよく知らないですけど、たぶん食道が硬化したんですよ。まあ、言ってみれば使えなくなったという事ですね。そうなりますと、自身で食事は取れなくなりますし、声帯の機能も失われますので、そうなると、筆談という事になるんですが、おそらく筆を持つことはできないと思います。」

「ええー困るう。僕、字が読めない。」

ジョチの提案に杉三は困った顔をしていった。

「そうですね。確かに、そうなってしまえば僕も困ります。そうなると、誰かに通訳をお願いしなければなりませんね。ですけど、このままでは気管切開をして、人工呼吸器により、自動的に肺にたまりすぎた血液を取る作業も必要になりますし、たぶんきっと消化管も使用できないでしょうから、高カロリー輸液でも使って、栄養を補わないといけないのではないでしょうか。」

「うーんそうだなあ。僕は、そういうのは好きじゃないよ。」

杉三は、腕組みをして、そういい始めた。

「どうもそういうのは、苦手だなあ。其れだったらちゃんと意思のあるうちに逝かせてやって、ちゃんと送り出してやりたいな。その難しい言葉はよくわからんけど、そんな機械に振り回されて、その機械に管理されっぱなしの最期なんて、可哀そうでたまらんと思わないか?其れよりも、ちゃんと、人間らしい最期っていうのかなんというのか、そっちを優先させてやるべきなんじゃないの?」

「そうですか。杉ちゃんがそういうのなら、生前葬という形になるかもしれませんね。どっちにしろ、言葉もそのうちでなくなってくるでしょうから。青柳先生もそういってましたよ。」

「よ、余計に嫌だなあ。」

ジョチの話に杉三は嫌そうに言った。

「まあ、葬儀のことも、これからは話さなければ、ならないでしょうね。亡くなってから分かった、では、遅すぎますよ。まあ、もし取り乱すことがあれば、影浦さんにも立ち会ってもらうなり、工夫が必要だと思いますが。」

「いや、僕は、自然通りに逝かせてやるのが一番だと思う。影浦先生がどうのではなくてさ、みんなてんやてんやの大騒ぎ、というのが当たり前じゃないのか。変な機械にくっつけられてさ、その電源が切れるまで生きているって、どうもなあ、、、変だよな。なんか、周りのやつらがさ、勝手に生かしてやりたいって、勝手に思って、勝手にいい気になっているだけじゃないか?」

「そうですね、確かに倫理的に言えば、それはあっているかもしれないんですが、どうしても人間には変な人が一人か二人は出るものですからね、、、。」

ジョチは、杉三の発言に対して、どうしたらいいのかわからなくなってしまったのであった。たしかに杉三のいう事もわからないわけではなかった。

そうなると、やっぱり人間は、いくら機械化されても、そういう気持ちがあってほしいなと願わずには言えられなかった。

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