三周年という謎

足袋旅

妻と駆け引き

 仕事を終え、帰宅した俺はインターホンを押して妻が鍵を開けてくれるのを待っていた。

 

「おかえりなさい。今開けるわ」


 モニターでこちらを確認した妻からの応答があって、ほどなく玄関の鍵がカチャリと開く音がした。

 扉が開き、出迎えてくれた妻はなんだか機嫌良さげだ。

 ニコニコと何か嬉しい事でもあったかのように笑っている。


「どうした。何だか嬉しそうだけど」

「当然じゃない。だって3周年の記念日よ」

「そっか。3周年の記念日か」


 ちょっと待て。

 何だ。

 何の記念日だ。

 結婚してまだ1年だ。絶対に結婚記念日じゃない。

 なら交際記念か。

 確かに結婚の2年前から付き合い始めたが夏祭りでデートをした帰りに俺が告白したのが切っ掛けだった。

 それは間違いない。

 今は冬。絶対に違う。

 ならなんだ。

 初めて出会ったのは知人の紹介。

 それは確か冬だったはず。

 それか。それなのか。


 高速で思考を巡らし予想を立てながら、玄関で靴を脱ぎ、妻にコートを渡す。


「先にお風呂に入るわよね。夕飯もすぐに出来上がるわ。ちょっと奮発して高いお肉を買ったの。楽しみにしててね」

「そっか。うん、それは楽しみだな。3周年だもんな」

「そうよ。3周年よ。月日が経つのって本当に早いわ。初めは貴方が切っ掛けだったのよね」


 しみじみと語る妻の言葉を、俺は必死に解読していく。

 俺が切っ掛け。

 なんだ。

 出会った記念日じゃないのか。

 知人の紹介ならそんな言い方にならないはずだ。

 初めての出会いを思い出せ。俺。


 友達に誘われて行った合コン。

 あまりそういった場が得意じゃなかった俺は、盛り上げることに協力できるわけもなく静かに酒を飲んでいた。

 積極的に話しかけていく友達のことを、『凄いなこいつ』と感心しながら眺めていると、女性陣の中で俺と同様に場の空気に馴染めていない子がいた。

 それが妻だった。

 大人しげで、積極的な男性が苦手そうだった妻。

 必然的に席替えという段になって、俺の隣を宛がわれた。

 さて何を話していいものか。

 とりあえず先ほどあった質問タイムとやらで、彼女が読書が趣味だと言っていたのを思いだし、「自分も読書が趣味なんだけど」と会話を始めた。

 意外に男性向けのものを彼女が好んで読んでいることを知った俺は、そこから話が弾み、友達の強引な手助けもあって連絡先を交換した。


 それが切っ掛けで、デートをするような仲になった。

 とすると、初めてデートに誘った記念日か。

 いや初めて手を繋いだ記念。

 キスをした記念。

 家に呼んだ記念。

 このどれかだと思う。

 どれだ。どれが正解だ。


 

 落ち着け。

 まずは風呂だ。

 そこで一旦冷静になるんだ。

 答えは必ず見つかる。

 そう信じて。


 脱衣所で服を脱ぎ、お風呂場へ。

 まずはシャワーで汚れをざっと流す。

 髪を洗い、湯船に浸かり、一日の疲れを癒す。

 落ち着く。


「はあ。気持ちいい」


 って何を落ち着いているんだ。俺は。

 全く答えが見つかっていないではないか。

 どうする。

 もうこのままお風呂から出ずにいられたらどんなにいいか。

 現実逃避をし始めた俺だったが、脱衣所に入って来る妻の気配がしたため風呂場のドアに目を向ける。

 

「あなた。お料理もうできてるから、早く戻ってね」


 タイムリミット。

 もうここにはいられない。

 湯船から上がり、部屋着に着替え終え、食卓へと向かう。

 気分は断頭台へと向かう罪人が如く。


「折角おいしいご飯を作ったんだから、早く食べましょう。ちょうど煮立って良い頃合いよ」

「ああ、ありがとう」


 部屋の中にはすでに肉と醤油の良い香りが広がっていた。

 テーブルの上には鍋とごはんと味噌汁の他に卵がある。

 この匂いとその卵。

 今日は、すき焼きか。

 

 肉料理は嬉しい。

 すき焼きだというのも嬉しい。 

 だがそこまでの祝い事だと言うことが恐ろしい。


 どうする。

 当たり前だがプレゼントなんか買ってないぞ。

 だがこれは買っていないと駄目なレベルなんじゃないのか。

 額に汗が浮かぶ。

 どうする。

 会社に忘れ物をしたとか言って、取りに行くふりでプレゼントを買いに走るべきなのか。

 だが既に夕食は完成している。

 ここで会社に戻るなんて言い出す方が妻は怒るんじゃないのか。

 きっとそうだ。

 大人しく席に着こう。


 うまい。

 白滝、春菊、豆腐、白ネギがうまい。

 だが断然、生卵が絡んだ肉がうまい。

 ああ、今はこの幸せを噛みしめよう。


「食後にはケーキもあるからね」

「なっ!?ゲホゲホゲホッ」

「ちょっと汚いわよ」


 まさかすき焼きだけでなくケーキもあるのか。

 いったい3周年でそこまで祝うってなんだ。

 これまでそんなに祝う記念日なんてなかったじゃないか。

 待てよ。

 ケーキ。

 これはチャンスではなかろうか。

 祝い事のケーキといえば、上に乗ったチョコプレート。

 そこに答えが書かれているはず。

 良かった。

 これで答えが分かる。

 プレゼントは用意できないが、後日一緒に買いに行くために買ってないと言えばいいのだ。

 助かった。

 安心して食事を楽しめる。


 食後、一服するために食器の片づけを請け負いながら、換気扇の下で煙草に火を点ける。

 煙が換気扇に吸い込まれていくのを眺めていると、妻が冷蔵庫へと向かって行くのが横目に見えた。

 冷蔵庫から取り出されたのは小さな箱。

 ホールケーキではない大きさ。

 見誤った。

 夫婦二人の家なら当たり前ではないか。

 二人でホールケーキは多い。

 いや問題ない場合もあるだろうが、夕食後だ。

 それならケーキピースになるのが当然。

 そうなるとチョコプレートなどあるはずがない。

 また答えが振り出しに戻ってしまった。

 妻はコーヒーを入れる準備を始めた。

 煙草の火を消し、妻の元へ。


 テーブルの上にはケーキとコーヒー。

 もちろん答えが書かれたチョコプレートはない。


「ショートケーキとチョコケーキがあるけど、どっちがいい」

「先に好きな方を選んでいいよ」

「そう。なら私はショートケーキにするわ」

「うん。じゃあチョコの方をもらうね」

「ええ。でもちょっとそっちも味見させてね」

「ああ。いいよ」


 こんな和やかな会話も、この後壊れるんだろう。

 達観してそんな冷めた風に心の中で思ってしまう。


 ケーキはうまかった。


 コーヒーを飲み、一息吐く。


 さあ答えあわせの時間だ。

 正直に分からないと伝えた方が楽になるかもしれない。


「あのさ、3周年のことだけど」

「ええそうね。早速なんだけどこれをきっかけに私も小説を書いてみようと思うの。どう思う?」


 妻は何を言っているんだ。

 3周年と小説を書くの間に何の関係がある。


「私たちが話すきっかけになったカクヨムも3周年。あっという間よねぇ。今までは読む専だったけど、書くことにも興味があったからいい機会でしょ」


 カクヨムってあれか。小説サイトの。

 それの3周年?


「あ、ああ。そうだね。いいんじゃないかな。家事の合間に出来る趣味としてもいいんじゃないか」


 まさか本当にそれだけなのか。

 それだけのためにすき焼きやケーキを用意したのか。


「そうよね。じゃあ頑張って書いてみようかしら。お題が出るコンテストもあるみたいだし、張り切ってやってみるわ」

「ああ。書いたら見せてよ。それにしてもカクヨムの3周年のためだけに、こんなに用意するなんて、ちょっとおおげさじゃないか」


 苦笑を浮かべて、そんなことを言ってしまった。


「は?」


 妻の顔がまるで表情を無くしたかのように素の顔になる。


「私たちの交際の切っ掛けよ。それに今の私には欠かせない存在のカクヨムよ。朝起きたらカクヨム。お昼にカクヨム。夜にもカクヨム。暇を見つければカクヨム。それをそんなこと呼ばわりするの?」


「ごめんなさい」


 油断した。

 油断してついいらないことを言ってしまった。

 まさか妻がこんなに嵌っているなんて。


「なに。聞こえないんだけど」

「すみませんでした」

「私にじゃないでしょ。カクヨム様に謝りなさいよ」

「すみませんでした」

「もっと心を籠めなさいよ。パソコンの画面に誠心誠意、謝罪しなさいよ」

「カクヨム様すみませんでした」

「お祝いもして」


「カクヨム様。3周年おめでとうございます」



 その後なんとか妻には許してもらえた。

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