猿啄城攻略までの内政の発展

 美濃の内乱に乗じて猿啄城を陥落させた訳だが、そこに至るまでにも、その後も内政などは執り行われている。


 今年の田植は、志摩獲得により塩の生産を確保出来たことから、黒田下野守を通じて、塩水選別を一部導入させている。

 また、新規開墾した田は灌漑を作り、乾田として作ってみたので、実際に利用してみて、改善点などを出し、逐次、灌漑と乾田を増やしていき、将来的には全てを乾田にしたいと思っている。


 志摩の産物については、徐々に成果が出ているものや、開発中のものが多々ある。

 元々生産していた干物や塩については変わらない。

 新たに始めた海苔の養殖や板海苔、細工物の生産は徐々に増えつつある。

 志摩や美濃で細工物作りに興味のある者を下に付け、技術も学ばせているところだ。

 真珠や茶栽培は、未だ生育途中であり、まだ成果は出ていないが、数を増やしていた。


 志摩においては、建設ラッシュも始まっていた。

 志摩海軍の訓練も終わり、志摩海軍の拠点を答志島に建設中である。

 答志島は、戦国時代に九鬼水軍の本拠地があった場所であり、志摩海軍の拠点を築くのに適地と判断した。

 同時に、志摩の船大工を送り、造船所も建設している。

 倭寇狩りで手に入れたジャンク船を参考に、志摩でも新規のジャンク船を建造するつもりだ。

 また、志摩海軍との連携を含め、志摩海域の海上警備を委託している佐治水軍の拠点も建設していた。

 鳥羽湊も当家の商業拠点として活用するために、町並みを整備している。

 鳥羽や答志島の施設建設の木材などは、伊勢湾商圏の木材価格を高騰させないことを含め、薩摩帰りの船に日向や土佐の木材を購入させ、持ち込んでいた。


 薩摩から少数ながらも、火山灰を取り寄せていたので、御倉衆の甲賀者を使い、ローマン・コンクリートかシラスコンクリートが出来ないかどうかの研究もしている。

 わしの前世の頃の研究では、ローマン・コンクリート火山灰と石灰と海水を混ぜた物と言う話であったが、ネットで見た配合比率、養生期間、使用用途などを伝え、地道に研究して開発してもらう。

 生石灰は、妻木の窯で石灰を高温で焼いてもらい、手に入れている。



 武家官僚を増やす中で、考え方の齟齬の様なものが出ている。

 当家では行政文書は楷書で、誰でも読みやすい文字で書く様に指示しており、元々は公家官僚ばかりだったので、すんなりと導入出来ていた。

 しかし、武家出身者や牢人が増えてくると、この時代の崩し字がどうのこうのと文句を言ってくる奴も出てくる訳で、正式に文書で規則化することにした。

 また、当家では、衆道も禁止している。建前上は衆道の痴情の縺れで刃傷沙汰を防ぐためとしている。

 本音を言えば、男性同士の性交なんて気持ち悪いし、子供が出来る訳でも無く、生産性も無い。ましてや、性病の蔓延等の感染症の危険もある。

 これについても、武家出身者や牢人から、危惧の声が上がったが、過去の刃傷沙汰の事例など出して黙らせた。

 結局、当家の文武官の心得や規則を纏めた「掟書」を作ることになってしまった。


 そんな武家官僚の中から、数名を新たに琉球へ送り、馬路正頼の下でマレー語を学ばせている。

 馬路正頼に頼んでいた金貨や銀貨はまだ手に入っていないようだ。



 堺から戻ってきた谷野一栢や弟子たちも、妻の出産に備えて、領内の女性を診ることで、経験を積んでいる。

 うろ覚えながら、ラマーズ法や出産時の体位についてなどを、明の書物で読んだ気がすると助言をしたが、谷野一栢は訝しげにしつつも、あまり専門ではないのか、深く追及はされなかった。


 こうして、正義たちは、猿啄城攻略するまでに、少しずつではあるが、内政を発展させていた。

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