続々と人が来る
多羅尾光俊が京から戻ってきたのだが、出立したときより人が増えていた。先触れはあったが、高位の公家も連れておる。
高位の公家の方たちは、権大納言の久我邦通殿と内蔵頭の山科言継殿がいらっしゃった。
亜相殿や山科卿とは、都にいた頃に何度か面識がある。
いらっしゃった目的は、嫁いでくる弾正忠家の妹君を久我家の養女として、わしに嫁がせるためらしい。当家、弾正忠家、公家のそれぞれにとって利のある申し出である。
山科卿は朝廷の財政の最高責任者である。朝廷への献金を求めて諸国を回っているため、わしにも余裕があったら献金をしてくれと暗に言われた。まぁ、当家はまだ領地が小さいから、はっきりとは頼めなかったのだろう。
それに、実家の近衛家との繋がりがあるから、献金をするなら実家を通じてになるだろう。
二人は勝幡の弾正忠家に行きたいそうなので、先触れを出すが、受け入れまでに少し時間がかかるだろうな。まさか、亜相がいらっしゃるとは思ってなかっただろう。
「平井先生、よくいらっしゃいました」
「多幸丸殿、いや庄五郎殿になられたのでしたな。領主になられたこと、誠に目出度きことです」
平井宮内卿信正殿は、都にいた頃に軍術を習っていた師である。
平井家は地下家ながらも、その才能から宮内卿まで昇りつめておられた。
話を聞くと、軍術に長じていると自負しているのに、このままその才能を活かせないと悔しく思っていたところ、教え子である、わしが美濃で小領主をしていて、貧乏公家を雇っていることを聞きつけ、仕官しにやって来たという。
官を辞するにあたって、平井家は嫡子に譲り、息子の綱正とともに仕えたいらしい。
まぁ、軍学に長じた人物も家臣で欲しかったので、二人には仕えてもらうことにしよう。
取り敢えず、平井親子にも当家のやり方を覚えてもらう必要があるので、大島甚六に預けることとした。
宮内卿には、基本的なことを覚えてもらったら、参謀として側に仕えてもらおう。
多羅尾光俊に京での報告を受けると、父は一応祝ってくれているとのことであった。父からの書状にも祝いの言葉が書いてある。
谷野一栢についても、交渉は上手くいったようで、京での始末をつけたら、美濃に来てくれるそうだ。
光俊の話では、美濃に行くのを渋っていたそうだが、人体解剖を秘密裏にやらせてあげるといったところ、承諾してくれたとのことだった。
この時代、人体解剖なんてやったら、高名な医者とは言えどんな目に遭うか分からない。ましてや、権力者も協力してくれないだろう。
しかし、医者として、知識欲から人体の構造について知りたいに違いないのだ。
だから、罪人や敵方の戦死者を御倉所で解剖させてやると言ったら了承してくれたらしい。
平井宮内卿は後世において「参謀の父」と言われる。
正義に初めて仕えた参謀であり、正義によって伝授された戦術や戦略などの軍事学を参謀勤務の実地に落とし込むとともに、他の参謀たちとともに昇華させた。
彼は正義の初期の勢力伸長に多大な貢献をしており、彼なくして、正義の躍進は無かったとも言われている。
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