氷の魔女と炎の騎士

名取

The 3rd anniversary!




 人生には節目というものがある。



 それは、単調な日々があまりに長く続くことで、人類が己の人生の無意味さを悟ってしまわぬように作られた、いわば人類救済のためのシステムである。結局人間の一生なんて「生→死」の一直線でしかなく、だから人間は知恵を振り絞り、意味のない線にちょきちょきとハサミを入れては、なんとか楽しく生きようと努力してきたのである。


「ごきげんよう、氷の魔女様。今日もなんともお麗しい」


 そんなわけで、私も、そんな人類の叡智にあやかろうと思ったわけだ。つまり私のお気に入りのVRオンラインゲーム「エールデ・ドッペル」の三周年記念イベントに、こっそり参加してみようと思ったのだ。そう、こっそりと。

 にもかかわらず、日曜日の午後、私のアバターである【氷の魔女・スノードロップ】がのっそりと氷の棺から起き上がったその瞬間、目の前にはすでに、一番会いたくなかったアバターがしれっと立っていた。スノードロップの前で恭しく紳士的なお辞儀のモーションをする彼は、【炎の騎士・ストレチア】……神出鬼没で執着心が大変強く、しかもある悪癖を持つ厄介な騎士である。

「また貴方ですか。貴方の異常性癖に付き合ってる暇はありません」

 空色のローブ・ア・ラングレーズをゆったりとひらめかせ、私はひきつる頬を無理やり酷使して笑いかけた。

「今日はお祭りなのでしょう? こんなおめでたい日くらい、貴方も剣をお納めになったらどうです?」

「何を言ってらっしゃるんです、氷の魔女ともあろう方が。祭りだからこそ我らは戦うべきではありませんか」

「わ、私は、もうやりません、あのような戯れはもう……」

「勝ち逃げをなさるつもりですか? この炎の騎士に対して」

 騎士は大げさに驚いた顔になり、えんえんと泣き真似さえしてみせた。

 正直、面倒臭い。

 私はスマホを取り出し、メッセージを打った。もちろん送り先は、ストレチアの中の人……私のバイト先の先輩である。

「私は今や、平和なエンジョイ勢になったんですよ、先輩。もうそういう厨二なノリは、ちょっとキツイんですよ……すいません」

 しかしいつまで待っても、SNSの方のチャットは返ってこない。私は机に拳を叩きつけた。いつものことだが、仮想の世界を現実の何億倍も愛してしまっているあの人は、あくまでゲーム内でしかやりとりしようとしないのだ。端的に言えば、クソワガママネットストーカー野郎ということである。

 コミュ障の騎士は私の足元に跪き、神妙な面持ちで言った。

「無理を言って申し訳ありません。しかし、今回は、どうしても戦っていただきたい理由があるのです。今回戦っていただけたら、今後一切貴方には干渉しないとお約束します」

 ……。

 仕方ない、と私はゲームに戻って答えた。

「一体なんですか。その理由というのは」

「はい。この『エールデ・ドッペル』では今、三周年記念のイベントが多々行われておりますが、その中の一つに、期間限定仕様のコロシアムがあるのはご存知ですか?」

 ご存知でない。知りたくもなかった。

「その舞台で、最後の決闘をしたいと?」

「はい。もしよろしければ」

 ストレチアがこちらに手を差し伸べてくる。私はため息をつき、その手を取った。次の瞬間、周囲の景色は変わり、闘技場になっていた。

「わあ……」

 思わず感嘆の息が漏れた。

 目の前に現れたのは天井のない古風な円形闘技場だった。空を見上げれば、三周年を祝うように満天の星と月が光っている。時々ポップに「三周年おめでとう!」の花火が上がったり、やたら多く流れ星が流れたりするあたりに遊び心も感じられるが、しかしバーチャルとは思えない再現度である。

「では、早速お手合わせいただきたい」

 彼は言うが早いが火の剣をスッと抜き、こちらに向けた。私も雪と氷でサーベルを生み出し、交戦する。闘技場には通常5分という時間制限がある。ここも例外ではないようで、剣と剣とが触れたその瞬間、遠くで決闘開始を告げる鐘が鳴った。

 剣を合わせながら、私はからかい混じりに言葉をかけた。

「あらあら、そんなに焦って。騎士ともあろう方が格好悪いわ」

「普段であれば騎士道精神で、レディーファーストを徹底するのですが、ここは戦いの場です。隙を見せる方が悪い」

「殿方はこれだから。二面性のある男は嫌われますわよ」

 私は長らく一人で別のモードを遊んでいたので、しばらくは防戦一方だった。相手の攻撃を防ぎ、戦いの勘を取り戻すのにつれて、過去の記憶も思い出されてきた。

 このゲームを始めたばかりの頃、私は、ただ鬱憤を晴らすためだけに、ひたすら闘技場で【決闘】をプレイしていた。自分で言うのもなんだが、私には才能があった。でも、たかがゲームの世界でいくら強かろうが、意味がない。技術があっても、別にゲーマーになるつもりはなかった。あの頃、私はゲームが大嫌いだったからだ。




『なんか女の子らしくないんだよね、お前って』




 というのが、私を振った元彼の、最後の言である。

 考えうる限りの誠意を持って付き合っていたはずだった。失敗を繰り返しながらも、恋人のために栄養バランスのとれた美味しい料理を作れるようにもなったし、高身長なので諦めていたお洒落な服も、彼と付き合い始めてからはできるだけ着るようにした。そんな私の心遣いが、相手には何一つとして伝わっていなかったことに、別れ話を持ちかけられた瞬間にようやく気づいたのだから笑えない。

 その夜、私は料理本とワンピースを残らず破いて捨て、空っぽになった暗い部屋の隅でVRマシンを起動させた。選んだのは、ちょうどリリースされたばかりのファンタジー系ゲームだった。

「さすが氷の魔女。余裕がある」

「余裕? そんなものありませんよ?」

 真剣な表情のストレチアに、ほほほ、と笑ってみせる。

 それから来る日も来る日も、当時まだゲーム内ではマイナーだった氷結魔術で闘技場中を凍らせ続けていた私は、いつしか【氷の魔女】という二つ名で呼ばれるようになった。氷魔法の威力は他に劣るところがあるものの、その自由度の高さと見栄えの良さはゲーム内トップクラスを誇る。使い手次第では、本物の魔法のように扱えるというわけだ。

 私はサーベルを捨てると、さっと両手を広げた。魔法陣を組み、頭上に氷塊を作り上げる。

「この綺麗な舞台は名残惜しいけれど、そろそろおしまいにしてしまいましょう」

 大きな氷が出来上がると、そこへすかさずパキン、と亀裂を入れる。切っ先鋭い無数の破片になったそれは、きらめく流星群のように騎士の上へ降り注ぐ。


「さあストレチア。避けられるものならやってみなさい!」


 私はそう言いながら、反面少し気の毒かな、とも思った。なぜならこの氷の流星群、周りで見ているぶんにはフツーに美しいのだが、攻撃される側にはトラウマ級の恐怖を与える術でもある。実質、幾万本の巨大な刃物が自分の方に向かってくるのと同じことなので、術の中でも最高にえぐいと評判だったものだ。

 しかし炎の騎士たる彼は怯まなかった。それどころか、玩具を手に入れた子供のような、至福の笑みを浮かべてこう叫んだ。

「嗚呼、そうこなくては!」

 言うが早いが、彼は跳んだ。

「……!」

 私は思わず息を飲み、彼の行方を目で追った。

 軌跡は、一筋の光となって夜空に昇る。淡く瞬く星明かりとも、冷たい青の月光ともまた違う。熱を伴って激しく燃えるオレンジ色の輝きは、流星群を足場として蹴り飛ばし自らを炎で包みながら、上へ上へと昇っていく。私はハッとして魔法陣を新たに組み始めたがあまりに遅く、その勢いは止まらない。彼は十分に加速したところで反転魔法を使い、同じ加速度で下降を始める。

 夜空に浮かぶ、眩い太陽。

「火の鳥、」

 私は状況も忘れて呟いた。

 月を背にしたストレチアは、一直線に狙いをつけて、こちらへと斬りかかる。





 私が闘技場を去ったのは、単に、気が済んだからだった。





 ぶっちゃけ、もういいかな、という気分になったのだ。一方的に無双して、気分がスッとして、冷静になってみると恥ずかしくもなってきて、さあもう引退しようと思った矢先、ある人物から決闘を申し込まれた。それがストレチア……バイト先の先輩だった。バイト休憩で世間話の最中、ついエールデ・ドッペルのことを口走った私に、先輩は「そのゲームを自分もやっているから、ぜひ決闘してほしい」と言ってきた。決闘を申し込むくらいだから強いのかと思えば、そんなことはなく、やるたびやるたび私の勝ちで、そんなつまらなさもあって、私は徐々に決闘からは離れていたのだった。

 決闘を終えた後、私はゲームからログアウトし、スマホでメッセージを送ってみた。

「すごかったです、先輩。強くなりましたね。三周年祝いに、今度一緒にリアルで食事でもしませんか?」

 そう送ってしまったあとで、まあどうせ返信くるわけないかと思い、私はスマホをテーブルに置いてベッドにダイブした。久々に戦ったので、疲れがすごい。そのままうとうとと、少し昼寝をしてしまって、メッセージを送った記憶は忘却の彼方へ葬られてしまった。



 だからスマホに「よろしくお願いします」というそっけない返信がきているのに私が気づいたのは、翌朝になってからのことだった。


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氷の魔女と炎の騎士 名取 @sweepblack3

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