【短編】昏と揺【完結】
月山 馨瑞
A章(矢口アキ)
九月の中頃日曜日。
いつものように賑わう片田舎のショッピングモール。
その一角でアタシは偶然、志田ミズキという同級生に遭遇した。
問題点を一つ上げるとすれば、その同級生の男子は、上から下まで完璧に女の子の格好をしていたってところだった。
ショッピングモールの雑貨エリア。
日曜日だからか人が多い。小学生くらいの子供と親子連れもいて、商品棚を通るのに身体を横にして人を避ける事もしばしばだ。。
店内にはアイドルグループの有名曲をアレンジしたBGMが流れ、おだやかな休日の昼下がりを演出している。
その雰囲気の中に女装した青年は、意外にも馴染んでいた。
志田ミズキは、まるで、お花畑から迷い出てきた妖精のような格好をしていた。所謂ロリータ服ってやつだった。
トップスはふりふりのレースが入った長袖シャツ、胸にはちょっとした赤いリボン。どっから仕入れたのか知らないけど、下半身には黒いニーハイソックスにふんわりと膨らんだフリルスカートを履いている。頭にはちょこんとちいさい帽子。
いわゆるロリータ服というものだろう。髪は栗色のセミロングをなびかせてた。
カツラ、
最近ふうに言えばウィッグ。
普通の女の子に見えた。
化粧もそれほど濃いわけではなかった。元々端正な顔つきだったんだ――細く丸まった眼光、薄い唇にちょっと手を伸ばす時の仕草――最初勘違いだと思おうとした。
でもソイツは、見れば見るほど志田ミズキそっくりだったんだ。
がさり、と音がした。
志田ミズキがアタシの方を見ていた。
会計に向かうため、こちら側を振り向いたのだ。
ひっ、と喉から音が漏れて、慌てて商品棚の影に隠れた。
気付かれちゃいけない。
何となくアタシはそう思って、身体が勝手に動いてた。
なんでか、心臓がバクバクと鳴っていた。
隠れる必要なんてないのにな。普通に声をかければいいんだ、「よぉ、志田。カわったカッコウしてるな」ってな。でも、無理だった。
物陰から首を伸ばす。
そろり。
幸い、アイツは気付いていないみたいだった。
軽やかな足つきで、別の商品棚の方へ向かっている。
やれやれ、気付かれなかった。
アタシは胸を撫で下ろす気分で、改めて志田ミズキを目で追った。
振り向いた時に、彼の顔が一瞬はっきりと見えた。
ちゃんと化粧してるみたいだった。肌が白く見えて、茶色がかった目はどきりとするくらい大きかった。眉毛はぱっつんの前髪で隠してて、リップは少し色が薄めで弱弱しい印象を受けた。チークはちょっと入れすぎって感じだったけど、逆に男っぽさがごまかせてたよ。
その時の志田ミズキは、見るからに年頃の女のコだった。
想像と丸っきり違っていた。
アタシが思っていた志田ミズキは、女装なんて絶対にしない、堅物な男子だったからだ。
普通の同級生。
ただの顔見知り。剣道部の同級生である。
クラスは違うけど、アイツは剣道初心者でアタシは経験者だから、彼に指導する機会が多くて、それで仲良くなった。仲良くなったといっても、高校を入学してから半年ちょっとだし、ちょっと顔を合わせたら挨拶するくらいだけどな。
性格は一言でいうなら無口で真面目。
友達と話す時は聞き役にまわるタイプで、口を閉ざす代わりに頭の中で色々考えてるタイプ。
最初、彼の事を物静かで怖い人間と勘違いするが、話しているうちに思慮深く優しい人間であると理解される、そういう、人間。
志田ミズキとはクラスが違うからよくはわからないけど、噂によれば勉強ができる優等生らしかった。友達もいないというわけでもなく、昼休みの時にはいつも他の友達と一緒に、中庭で弁当を食べているのをみる。
体格は結構チビだ。アタシと同じ一五五センチくらい。でもその小柄な身体が功を弄して、女装の際にはオトコ特有のゴツさとかがうまく誤魔化されていたのだろう。
髪型とかファッションに気を使っていて、いつも髪をワックスで固めていた。剣道部の稽古で、面を付ける時に全部無駄になると思うんだけど、それでも彼は身なりに気を使っていた。
顔も美形の部類。そんなんだから、アタシの周りの女友達には、志田ミズキのファンというやつが結構多い。
頭がよく、無口だが優しく、そして真面目。
基本的には異性同性両方から、人に好かれるタイプの男子だった。
だから、志田ミズキが女装をするというのは、天地がひっくり返るくらい私を驚かせたのだ。
志田が会計に向かうのを、アタシはどぎまぎしながら追った。
志田は普段とは似ても似つかない姿だった。
会計を済ました志田は内股気味にしゃなりしゃなりと歩いて、雑貨店を出るみたいだった。
アタシは隠れて見つからないようにしながら志田の後を追った。
足音を立てないように(それはまるで意味が無い)そろそろと雑貨店から出ると、歩いていく志田の後ろ姿を目で追いながら、すぐ隣の女性下着服コーナーまで早足で行って、ブラが飾られてる棚に身を隠した。
もちろん目は志田の背中を追跡するまま。
傍から見れば変人だ。
でもその時のアタシの気分は、まるで不倫調査をする私立探偵みたいだった。
ちゃんと距離は十メートルは空けて、時折隠れながら、尾行の鉄則ってやつ。
我ながらというか、それとも志田が不注意なためか、幸いにもアイツはアタシの存在に最後まで気づかなかった。
志田ミズキはエスカレータまで行って、乗った。
一階分上がると少し行って、本屋のコーナーに入った。
沢山並ぶ本棚の洞窟に、アイツはずんずんと奥へ踏み込んでいった。
アタシはたまに立ち読みをするふりをして、隠れながら彼の後を追う。
志田はやけにうきうきしてるみたいだった。
足取りがさっきと全然違った。
アイツは文庫本? があるコーナーで右折して、本棚を辿っていった。
アタシは興味もない「社長、辞めます!」というタイトルの自己啓発本を元の場所に積んで、さらに志田を追跡した。
志田の様子が見えて、かつ彼に気付かれない位置に陣取って、アタシは志田の様子を観察する。
アイツは単行本を手にとって立ち読みしては、にやにやして数歩うろうろと移動していた。
アタシは活字アレルギーだし文字を読むとそれだけで乗り物酔いみたいな気分になるんだが、どうやら志田は小説を買いにここに来たみたいだった。なるほど、学校での様子を思い出すと、確かに志田は休み時間や稽古終わりに、文庫本を片手に携えていた覚えがあった。
志田はそこで監査官みたいに何冊も立ち読みしていた。
十五分くらいだろうか、
結局、志田は文庫本を、三冊手に取ると会計に向かて購入の手続きを始めた。アイツが金を払ってる間、アタシは何とかバレないように「夫婦のススメ」と題打たれた雑誌で顔を隠した
本を買ったあと志田ミズキは、本屋の隣にあるフードコートに出向き、サーティワンアイスクリームに行った。
それでチョコとミントのダブルを頼んで、空いている席に座った。アタシは依然本棚で雑誌を読みながらその様子を偵察した。
志田ミズキはアイスをのんびりと食べながら、今さっき買った文庫本を一冊、袋から取り出した。
読み始める。
なるほど。アタシは雑誌を本棚に戻した。
どうやらそれが、志田ミズキの休日の過ごし方のようだった。
本屋で好きな本を買って、アイスクリームを食べながら、買ったばかりの小説を読む、そういう趣味。
なかなかいい趣味だろう? 女装しているって一点を除けば。
それで、本に夢中になり始めたのを見計らって、アタシが何をしたと思う?
アタシはスマホを取り出したんだ。
カメラを起動させる。そしてのんびりと本を読んでる志田ミズキにフォーカスをあてる。
それから、カメラでアイツの写真を何枚か撮った。
位置を変える。
アングルを変えて、さらに適当枚撮る。
その女が志田ミズキだと分かりやすいように撮る。
十枚くらい撮って、アタシは十分だと判断した。アタシはアイツに見つからないよう、そそくさとその場を去った。まるで何事も無かったかのように家に帰った。
翌日の月曜日、アタシは志田にその写真を見せた。
「話ってなに? 部活の事って聞いたけど」
廊下のベンチに呼び出して、志田は、やっぱり女装している時とは全然違った。髪はワックスか何かでうまくいじってるみたいだし、制服も同級生と同じように着崩してる。どこにでもいる十代の男のコ。
そんな志田にアタシは間髪入れず、その盗撮写真を見せた。
女装した彼自身が、はっきりと写ってるその姿を。
自身の女装姿を見て、まずアイツは耳を真っ赤に染めあげた。
それからアイツは表情筋を限界まで駆使して顔を思いっきりしかめて、それから慌てて無表情を取り繕った。
顔は真っ青なままだった。
まったく、信号機みたいだった。
状況が違えばアタシは腹をかかえて笑ってたと思うよ。
「何、だよ。その、写真」
声を震わせてアイツは言った。アタシはゆっくりと、状況から説明する。
「オマエさ、昨日××駅のイトーヨーカドーにいたよな。アタシもその時いて、写真を撮らせてもらったんだ」
「いなかった」
「いたよ」
「いなかったってば!」
立ち上がって逃げようとしたので、アタシは慌ててアイツの細い腕を掴んだ。
「待って。話を聞いて!」
「何だよそいつ。矢口の友達? 人を盗撮だなんて、あんまり褒められた趣味じゃない。まず、そいつは俺じゃないし、なんでそんな事言えるんだ」
顔を真っ青にして今にも泣き出しそうだった。
アタシも一緒に動揺してしまうくらいだ。
正直なところ、志田ミズキがここまで動揺する姿は初めて見た。こいつはクラスでは冷静沈着、クールで頭のいいてキャラだったから。
「理由だけどさ、お前が日曜日に身に着けてたバッグ。あれ、お前が土曜日にたまに使ってるバッグと同じものだろ? そんないつも使ってるわけじゃないけど、ほら、ここに赤いリンゴのアクセサリーがついてる。これが特徴的だから覚えていたんだ。それにアタシは何となく気付きやすかったんだ。化粧も濃かったし」
「け、ま、スマホの女は女に見えるだろ。下手じゃない!」
「いや下手とは言って――」
その時こつこつ、と足音が廊下の向こうから聞こえてきて、アタシたちはまるでのどを締め付けられたみたいにむぐりと口を閉ざした。
こんな話、他の誰かに聞かれるわけにはいかない、お互いに。
やがて一人の男子生徒がアタシたちをちらりと見ながら通りすぎた。
ソイツが階段の向こうに消えると、志田は俯きながら小さく呟いた。
「……で、その写真をばら撒くのか? クラスにヘンタイがいますって」
「違う! そんなことしない!」
アタシは慌てて手を振った。志田は眉を吊り上げて、
「じゃあなんでそんな写真を見せてきたんだよ!? 何か卑しい気持ちがあるに決まってるからだろう? それとも何かしてほしいって――」
「アタシも、その、してたんだ」
「何を?」
アタシは顔を伏せて、ちょっと言い淀んだ。
秘密がバレる事が怖かったんだ、志田と同じようにね。
でも覚悟は決まってた。
「……男の恰好だよ。アタシもこの時、男装してたんだ。お前と同じように」
アタシが男のカッコをして外を出歩くようになったのはいつごろだろうか。
たぶん、ずっと前、小学生のころからだと思う。
アタシは小学生の時、よく外で土まみれになって遊んでた。
ほかの女子たちとかくれんぼするよりも男子たちとサッカーして土にまみれるほうが、性に合ってた。
カッコウもジーンズだったりパーカーだったり男のコっぽいカッコウで、スカートなんか大嫌いだった。
中学にあがって、制服を着る事にものすごく抵抗があった。
アタシが入学する中学校は、女子の制服がスカートだけだった。
今までろくに着たこともないスカート姿で外に出る、というのは、アタシにとってとても違和感がある事だった。
すごく、嫌な事だった。
自分にそのカッコウは、合致していないのだ。
パズルのピースがはめ合わないように、あるいは太陽が西からのぼり東へしずむような不条理性。
アタシの世界に合致していなかった、女子の制服と着て女子として生活する事に。
成長、つまりアタシが子どもから女になる過程で、アタシは自分が女になる事が嫌でしょうがなく感じるようになったし、自分にはかみ合ってないと思った。
女子同士で、どの男のコが好きかという会話に、なぜかなじめなかった。修学旅行で女子と一緒に風呂に入る時、なんだかとても恥ずかしかった。女の子のとなりで寝ていると、時折彼女の両手首を押さえて、馬乗りになって征服したい欲望にかられた。
何より生理が始まった時が一番アタシに噛み合ってなかった。
アタシのそれは普通より結構ひどいものだった。
始まるたびにこの世の終わりのような気分になった。
まるでそれは身体の中で戦争が起きているみたいだった。
それが始まると世界には黒いカーテンがかかって、ベトナム戦争のゲリラ兵が罵詈雑言を喚きたてて、アタシの子宮を中からナイフを突き立てるのだ。生理が始まって数日間は、痛みと吐き気にさいなまれ、ガッコウに行けない事もしばしばだった。
アタシの身体が男であればいいのに、と思った。もしそうなら、アタシは本当に合致した世界へと行けるのだ。
ショッピングモールで女装した志田を見た時、アタシは確かに男のコみたいな恰好をしていた。
ファッション誌に載っているような男物のロングコートを着て、ゆったりとした青いジーンズを履いていた。ごつごつとしたベルトもパパのものをくすねて巻いていた。アタシのショートカットの髪もヘアジェルで後ろの方にまとめて、上から真っ黒なポロキャップを目深にかぶった。靴は厚底のスニーカーを履いていて、身長は一六五センチくらいには見えていたと思う。
自慢じゃないが、周りからはきっと『あんまり目立たない、中性的な青年』とみられていたと思う。
女装した志田を見つけて、アタシは複雑な嬉しさに心臓はバクバクと、沸き立たせていた。
アタシと同じ人がいたんだ!
こんな気持ちを、なんて表せばいいんだろう!?
剣道の個人戦決勝で、今まで一緒に練習してきた友達と戦う事になったあの感覚?
それともインターネットで一緒に同じゲームをやっていた人が、実は別のクラスの全然話したこともない男の子と知った時のような感じ?
自分と同じ種類の人間がいる!
それはアタシにとっては驚きとともに、とても嬉しい事だったんだ。
でも、ダメだった。
男のコの恰好をしたままで、女のコの恰好をした志田に、話しかけるのはものすごく躊躇した。
今すぐに話しかけに行きたい!
でも、脚はそれに逆らって動こうとしなかった。
アタシは怖かったのだ。
自分の姿をみられるのが。
そういうわけで結局アタシは、隠れながら志田の様子を、まるで好きな人に話しかけられない男のコみたいに尾行したってわけ。
許される事じゃないと分かっていたけれど、あとでこの話を持ち出すのに便利なように盗撮をした。
「今週の土曜日、同じようにあの場所に来てよ。アタシも同じカッコで行くからさ!」
「信じられない」
表情を強ばらせたまま志田は言った。至極当然のことだと思った。
「……許される事じゃないとは分かってる。でも、アタシ達、結構イイ関係になれると思うんだ」
「何それ」
「勘違いするなよ。なんつーんだ……協力関係? アドバイスできると思うんだ、互いのカッコウに。アタシだって、志田に色々教える事ができる」
「馬鹿馬鹿しい。帰る」
もはや止められるような空気じゃなかった。志田カバンを背負って踵を返した。
「絶対だよ!」
代わりにアタシはそう叫んだ。アイツは足を止めず聞こえてないふりをした。
こうして、月曜日の気だるい放課後の時間は終わった。
不安だった。
あいつは最後までOKサインを出さなかったからだ。
でも結論から言うと週末、志田は女装してアタシに会ってくれた。アイツってクールぶってるけど、なんだかんだで優しいんだよな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます