とどのつまりは

護道 綾女

第1話

 重苦しい静寂がこの部屋に訪れて一時間ほどになる。最初こそざわつきもあったが、今は誰も声を出すことなく、身動きもしない。

 そんな中一人の男が口を開いた。名前はマイケル・オーレント、刑事である。正確には巡査部長。

「お前はトドのつまりはゾウアザラシという言葉を知っているか?」

 彼は少し離れた椅子に座っている男に落ちついた口調で語りかけた。

「何の話だ?」男は訝しげに顔を歪めた。

 男の向かい側に並ぶ男女たちもお互いに顔を見合す。誰もそのような言葉は知らず、なぜこのような状況で、オーレントがそのような話を始めるのか困惑している様子だった。

「少し悲しい昔話さ」

 

 オーレント自身もこのような話をする予定など全くなかった。ここは郊外にある公民館で、彼は相棒のスミスと共に先日起きた事務所荒らしの件で職員に事情を聞きに来ただけのことだった。一通りの仕事を終え引き上げようとした時、なにやら騒ぎの気配を感じた。十人ほどの男女が血相を変えて出口へと向かって走っていく。その中の男一人を半ば強引に捕まえ事情を聞いた。

 男によると二階の一室が爆弾らしき物を持った男が押し入って来たとのこと。自分を含めた何人かは逃げ出すことはできたが、まだ多数の人々が囚われているかもしれないと話した。

 二人は応援要請を済ませた後に男に教えられた二階の部屋に駆け付けた。残念ながら男の話は正しく、そこには爆弾と称する物を携えた男がその居合わせた不運な男女と共にいた。

 爆弾は男の手作りでヘアアイロンを起爆装置として回路に組み込んでおり、派手なトングのような見た目のそれを片手で握り締めれば即起爆する仕様となっている。つまり、男はいつでも爆弾を爆発させることができ、何かのはずみで暴発もありうるということだ。男の折り畳み式テーブルにはヘアアイロンに繋がれた爆弾本体が置かれている。本体は粉コーヒーの缶程の大きさでこの部屋を吹き飛ばすほどではないにしても、男は当然ながら彼の前に並ばされている人質達を殺傷するには十分な力を持っていると思われる。

「一九六四年のことだ」オーレントは静かに話し始めた。「サンディエゴの水族館でトドを展示することになり、施設が整備された。しかし、やってきたのはどういうわけかミナミゾウアザラシだった。なぜそうなったはかわからない。容姿は似てないでもないが、大きさがまるで違う。ミナミゾウアザラシはトドより遥かに大きく、トドが住んでいる場所も北太平洋とベーリング海など対しミナミゾウアザラシは亜南極圏の島とあってまるで生活圏は重ならない。なぜこんなことが起きたのか。水族館の混乱しきっていた。そこへ誰かが言った。いっそのこと体格が大きなトドとして飼ってはどうかと、アシカ科の特徴である耳介に見える物を頭部に貼りければなんとかなるのではないかと。

 言った本人がどこまで本気だったかはわからないが、その馬鹿な試みは実行されることとなった。結末は悲惨な事となった。ミナミゾウアザラシの頭部に耳介を模した装具を貼り付けようとした飼育員は気分を害したゾウアザラシの攻撃を受けることとなった。彼は命は取り留めたが酷い怪我を負った。

 この言葉はこの顛末を戒める言葉だ。彼らがやるべきことは、やって来たのがトドではなくミナミゾウアザラシであることを認め、世話をしてやることだったんだ。彼らのやることは無理やり進むことではなく退くことだったんだ。今のお前のようにな」

 次の瞬間、爆弾魔はすぐ傍にオーレントの相棒が立っていることに気が付いた。オーレントの話に聞き入り注意が散漫になっていたのだ。人質達も同様だったようで声一つ上げる者はいなかった。

 スミスは彼が手にするヘアアイロンの鋏の間にボールペンを押し込み、右手ごとテーブル上で拘束した。そして空いた手で爆弾魔の顎を殴りつけた後、テーブルの盤面に叩きつけた。男は昏倒しそれっきり動かなくなった。

 

 ほどなくオーレントの連絡により外で待機していた警官隊が室内になだれ込み、人質達は速やかに解放された。

「事件が解決したのはいいが、結局ゾウアザラシはどうなったんだ?気になって仕方がない」

「どうにもなってないさ」

「どういうことだ?」

「俺も話を聞いた時は気になってしかたなかったんだが、ゾウアザラシは親父の頭の中で作られた生き物だったんだ」

「つまり……嘘か」

「そういうことだ。まぁ、いまになってそれが役に立つとは思いもしなかったがな」

 オーレントは大声で笑った。

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