クエスト04:《???》を倒せ


 ガリウスに叱られたばかりだっていうのに、また防具なしで飛び出しちまったな。

 いやでも、『こいつ』相手じゃデッドウェイトになっていただろうから、むしろファインプレーだったかも……?


 朦朧とする意識の中、つい余計な考えごとをしてしまう。

 その隙を見透かしたように、飛来するギロチンめいた半月状の刃。

 かろうじて剣で弾き飛ばすが、衝撃を受け止め切れない。

 地面をゴロゴロと転がる俺に降りかかる、最悪に耳障りな嘲笑。


『ハハハハハハハハ。弱い。弱い。なんて無様な。なんて無残な』


 半月の刃が、黒い触手のようなもので引き戻される。その先にいるのは、俺がこの世で最も忌避する姿であろう『影』だ。

 白に近い灰色の髪。暗い赤の瞳。精悍には程遠く柔弱そうな、そのくせ誰も彼もを敵視するように目つきだけは悪い顔。

 すなわちそいつは俺、タスクと全く同じ顔をした怪物だった。


心鏡の影身ミラー・シャドウ》――塔の地下三〇階層。その最奥に位置する部屋。つまり俺が現在いるここだけに出現する、他のマモノとは不自然なまでに毛色の異なる怪物だ。


 一度に一人しか入れないよう結界が施された、この家具一つない殺風景な部屋に唯一鎮座する鏡。そいつが対面した者の姿を映すと、映った虚像が『鏡の中から』出てくる。そして嫌悪感を禁じ得ない淀んだ目で、ニタリと口を裂いて笑いかけるのだ。

 顔も体格も服装も瓜二つ。ただしこちらが右利きであれば、向こうは剣を左手に。

 まさしく鏡合わせ、左右正反対の歪な分身だ。


《暗黒騎士》が《聖騎士》へと至るための、最後の試練として立ちはだかるマモノ。

 己の闇を打ち破り、聖なる光を掴む儀式としてはうってつけだろう。

 暗黒騎士を続けている俺は、一度ならず何度も戦い、打倒してきた相手だ。


 しかし……今、対峙している影身は、俺が知るソレとはあまりに姿が変貌していた。

 首から下がインクで塗りたくったように黒く染まった体。背中から伸びるのは自在に変形し、いくら切断しても生えてくる触手。手足も鈍器のように肥大化し、俺の姿を真似ることを九割方放棄していた。

 顔だけそのままなのが余計におぞましいし、なによりイラつく!


『憐れだなあ。滑稽だなあ。いつまで無駄な努力を繰り返す気だ?』

「いい加減に黙れ! いや黙らせる! 【ブラッドウェポン】!」


 声も同じなのか自分じゃ判別し難いが、とにかく不快感を煽る哄笑に怒鳴り返す。

 俺は暗黒騎士の固有スキルを発動。体中にできた傷から赤い蒸気が噴き出し、手にした剣に纏わりつく。刃の部分が、禍々しい赤光を帯びた。


【ブラッドウェポン】は血を対価に支払って、一時的に武器を強化するスキルだ。

 負傷によって零れる自分の流血を有効活用できる。また対象となる血は自他を問わないため、刃にこびりついた返り血を消費することで、武器の切れ味を保つ利点もあった。

 傷を通して体内の血も捧げれば、より強化の倍率を上げられる。ただしそれだけ血を消耗するから、加減を誤れば失血死に繋がる諸刃の剣だ。


「【ダークスラッシュ】……!」

『無駄だって言ってるだろうがよお!』

「う、ぐああああ!」


 最後のチャンスだった突撃は、失敗に終わる。

 次々と襲いかかる触手の刃を捌き切れない。流体でありながら鋼を超える硬度に、巨獣の尾が激突したかのような衝撃。痛めた左腕がここにきて災いし、必殺の威力を込めた斬撃は、影身に届く前に潰えてしまった。


 赤光を失った剣ごと弾き飛ばされて、また地面を転がる。剣を杖のように突き立て、老いぼれのような死に体を無理やり立ち上がらせた。


 どうなっていやがる……《心鏡の影身》は、常に写し取った相手より一段上の強さになるはず。しかしこいつの強さは、滑稽な外見に反して異常だ。まるで影身の姿を借りた別物。昼に戦ったミノタウロスとも全く比較にならない。

 こいつは一体……ああ、どうも血を流しすぎたようだ。

 視界が霞む。意識が朦朧とする。


「クソ――クソクソクソ! このクソガァァァァ!」


 叫ぶ俺の苛立ち、憤りに呼応して、全身に纏った《闇》が質量を増大していく。俺の怒りを表すように猛る闇が四肢に力を注ぎ込み、再び両の足で大地に立たせた。

 しかし……その一方で憤りがどんどん膨れ上がり、俺の思考を真っ赤に塗り潰そうとするのがわかった。

 思考停止して衝動のまま暴れたいという欲求に、歯を食い縛って耐える。


『ムカつくか? そうだよなあ。ムカつくよなあ。お前を見下して馬鹿にする聖騎士どもが。お前の憎しみを否定し蔑んだ教団が。お前の怒りを理解していない馬鹿な幼馴染が。お前の苦しみも知らないくせに、馴れ馴れしく知った風な口を叩くエルフやトカゲやサカナが! 自分の思い通りにならない世の中の全部が! 煩わしくて! 鬱陶しくて! なにもかも滅茶苦茶にぶっ潰したくてしょうがねえんだよなああああ!』


 ケタケタ笑う影身に、俺は答えない。答えるまでもない。

《心鏡の影身》は姿ばかりでなく、相手の心まで写し取る。そうして相手が直視したくない負の側面を暴き立て、暗黒面に引きずり落とそうとするのだ。

 影身が口にしたことは、確かに俺が胸の奥底に沈めている本心。

 それでも、呑まれてはいけない。拭い去れない邪心だからこそ、自分の意志でその手綱を握らなければならないのだ。


 どうにか精神の均衡を取り戻し、眼前の敵について分析する。

 影身が写し取った姿からこんな異形に変わるなんて話は、今まで聞いたこともない。

 もしや、俺が暗黒騎士を続け、闇の力を磨き続けてきたことで、なんらかの条件を満たし変化が? だとしたら、これはなにかが変わる前兆なのではあるまいか。たとえば、こいつを倒すことで新しい力に目覚めるとか……。


『分析? 希望的観測、願望の間違いだろう? 「凡人の自分がある日突然、秘められた力に覚醒!」とか。そんなご都合主義が現実に起こるだなんて、本気で思ってるのかよ。お前、そうやって何年人生を無駄な努力に費やしてきた?』

「――っ」


 その言葉は、先程の挑発より遥かに鋭く俺の心に斬り込んできた。

 五年。五年だ。

 俺が聖騎士への道を蹴り、闇の力を極めると決めて五年の月日が経つ。


 あのときから俺に、どれだけ進歩があった? 俺はどれだけ前進できた?

 あとどれだけ歩けばたどり着ける? そもそも俺は前に進めているのか?

 進んだ先にゴールはあるのか? 払った犠牲に釣り合う対価が手に入るのか?

 本当は……本当は、ただ無為に時間と人生を浪費しているだけなのでは?


『そうさ。お前の五年間は無意味だった。人生の限りある時間を無駄にしただけだった。くだらない意地なんて張るべきじゃなかったんだよ。暗黒騎士を続ければ新しい道が開かれるなんて、最初からなんの確証もない話だったじゃないか』


 これまでとは打って変わった、穏やかな声音。

 影身が諭すように言葉を重ねるほどに、俺の中で不安と迷いが膨張していく。

 俺の力となるはずの暗黒が、淀み濁りで心を蝕んでいく感覚。

 このままではまずい。払いのけなくては――そう訴える理性の声が酷く遠かった。

 気づけば影身を構成する《闇》が、俺の纏う《闇》と混じり合って、汚泥のように俺の体を呑み込もうとしていた。

 しかし、それに抵抗しようとする気力も最早湧いてこない。


『なあに、安心しろ。なにも今更、聖騎士になれとは言わないさ。闇の力を意志で制するなんて、半端な真似がいけないんだよ。力は欲しい、でも自分を見失いたくない。そんな都合の良い話が通るわけないだろ? 世界は理不尽と不条理でできている。なにかを得るには、なにかを犠牲にしなくちゃいけない。それが真理ってモンだ』


 体が重い。全身に絡みついた呪縛が重くて、もう剣も持ち上がらない。

 腕が重い。足が重い。腹に詰まった内臓が重い。頭に詰まった脳が重い。

 瞼も重くて、眠い。痛い。辛い。苦しい。しんどい。


 体中からミシミシ、キシキシと軋むような、ひび割れるような音が響く。

 もう眠ってしまいたい。もう倒れてしまいたい。もう諦めてしまいたい。


『いいとも。なにも考えず俺に、闇に全てを委ねて眠っちまいな。後はぜーんぶ俺が引き受ける。お前の嫌いなものも好きなものも、なにもかもぶっ壊してやるよ。そうすれば失うモノなんて何一つなくなって、それはもうスッキリと自由な気持ちになれるぜ? 闇に捧げる怒りと憎しみ以外は全部捨てちまえ。どうせ、全部無駄だったんだから』


 ああ、そうだ。全てが無駄だ。なにもかもが徒労だ。

 俺がやってきたことなんて、なんの意味もなかったんだ。

 だから、もう、アキラメテシマオウ――





「フ ザ ケ ル ナ」





『!?』


 心臓の位置から俺の全身を、黒い雷が迸る。

 空気との摩擦熱で生じた赤色に縁どられた黒。俺を呑み込みかけた汚泥のごとき淀んだ《闇》よりも、圧倒的に純粋で澄んだ黒。

 黒より黒く、眩い漆黒の輝きで世界を照らす闇――《闇黒》の雷電が、粗悪で劣悪な汚泥の闇を焼き払う。


『なぜだ!? お前は確かに絶望し、諦めたはず……!』

「そうだ。お前が暴いた通り、俺は《暗黒騎士》として戦い続けることに不安を抱えていた。積み重ねたこれまでの全てが無駄に終わるんじゃないかと、怯えていた。確証のない確信を信じられなくなって、全てを投げ出したくなっていた。そしてお前の誘惑に屈して一度は全てを諦めた。――だが、その諦めこそが俺の原点を呼び起こした」


 諦めた自分に対する怒り。自分の弱さ、無力が赦せないという怒り。

 この憤りこそが原点。俺が暗黒騎士の道を踏み出した理由。


「俺は捨てない。諦めない。そのために闇の力を選んだんだ!」


 怒ることは悪だ。憎むことは悪だ。

 怒りを捨てろ。憎しみを捨てろ。それこそが聖なる光を得る正義の道。

 ……そう周りの大人から、同じ子供からも諭されて、しかし俺はただの一度も納得できなかった。承服できなかった。


 ――大切なモノを踏み躙られて怒りも憎みもせず、涙一つ流さないことが『正しい』だなんて、俺は絶対に認めない!


「この怒りを! 憎しみを! 悲しみを! 俺は決して屈さないし投げ出さない! 大切なモノを忘れないために! 信じたモノを曲げないために! 弱さも醜さも脆さも愚かさも……半端で不完全な俺の全てを抱きしめて、前に進む!」

『そんなこと、貴様ニデキルモノカァァァァ!』

「やって見せる!」


 とうとう顔までが黒い異形に変じた影身が、全身より無数の刃を出して突進する。

 俺も、片手半剣を構えてそれに応じた。


 猛り狂う闇の力で動けこそするが、肉体はとうに限界だ。

 軋む音がどんどん大きくなる。致命的な崩壊の予感。一太刀を放った次の瞬間には、身体が粉々に砕け散るかもしれない。


 だが、怯むものか。臆するものか。負けてたまるか!

 揺るがぬ決意を剣に込めて、全身全霊ありったけをぶつけるだけだ!


「俺はこの闇を抱いて――明日を勝ち取る!」





 バッキャアアアアアアアアッッッッ!





 粉々に砕けたのは、俺の身体ではなかった。

 俺の全身に絡みついていた鎖……軋み、ひび割れ、ついに砕け散ったのは、暗黒騎士に課せられた呪縛の方だったのだ。


『ア、ギ』


 そして、全ての枷より解き放たれし身体で繰り出した剣の一閃。

 それは手応えらしい手応えもなく、影身を胴から二つに両断していた。あまりの剣速で結果が遅れてきたかのように、上下に爆ぜて霧散する影。影身が破壊されたところで影響を受けないはずの、本体である鏡まで割れてしまった。


 夢から覚めたように、静寂が部屋を満たす。

 しかし夢でないことは永遠に沈黙した鏡と、ボロボロの俺自身が証拠だ。

 一方で俺はかつてない解放感、そして胸の奥底で新しい力の脈動を感じていた。


「これは、一体……」


 血も体力も枯渇した肉体に、それ以上の思考は不可能で。

 ロウソクの火を吹き消すように、俺の意識はプツリと途絶えてしまった。



◆◇◆



 タスクが倒れた後、部屋に蠢く影があった。

 床や壁を突き破るように現れたソレは、マモノ。

 この部屋には《心鏡の影身》がその異能を発揮するため、単独のヒト族以外はマモノさえ侵入者不能とする結界が張られていた。

 しかし本体の鏡が機能停止したことで、結界も消失したのだ。

 部屋を埋め尽くさんばかりの数のマモノが、眠りから覚めない極上の獲物を前に舌なめずりする。


「――駄目よ。こいつに手は出させない」


 炎が奔った。

 黒い炎。タスクが生み出した黒雷にも見劣りしない、眩き闇黒の業火が一瞬にしてマモノの群れを焼き尽くす。


 炎が消えるとマモノは一匹残らず焼却され……未だ眠ったままのタスクの傍らに、一人の少女が立っていた。雪のように白い肌。氷のように冷たい輝きを放つ銀髪。薔薇のように鮮やかな深紅の瞳と唇。儚げな美貌を、しかし眼に宿した苛烈な輝きが裏切る。

 一糸纏わぬ裸身を恥じる様子もなく、表情に浮かぶのは――燃えるような憤怒だ。


 少女はタスクの背と膝裏に腕を回すと、軽々と抱きかかえた。

 疲労の色濃い寝顔を見つめる目に、憤怒とは違った火が灯る。


「馬鹿な男。あんたが選んだ道は、地獄に直通の下り坂。たくさんのモノを傷つけて、自分自身を傷つけて、最期は自ら炎に飛び込んで灰になる。諦めてしまえば、忘れてしまえば、いくらでも楽な道に逃げられるのに。でも、そんなあんただから、私は……」


 そのまま部屋を出ようとした少女は、ふと足元で光るモノを見つけ、拾い上げた。

 これはステータスプレート……持ち主の魂からジョブやスキルの状態を読み取り、文章として可視化する魔道具だ。タスクが倒れた拍子に落としたらしい。

 そこには、こう記されている。


〔【報告】:条件【試練の踏破】【内なる影への回答】【悲憤の担い手】【■■との接触】の達成を確認。

 異能【真なる闇の力トゥルー・ダークネス】を獲得しました。

 覚醒条件を満たしたことにより、

 職業《暗黒騎士》は《真ナル闇黒騎士》に覚醒しました。

 全呪縛の解除、及び身体機能と異能を更新中……

【緊急警告】:権能【七の■罪災■】の第一封印が破壊されました。

 封印の再構築を実行。失敗。失敗。失敗。失敗……〕


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