眠れぬ世界のフォークロア

Sanaghi

—— Folklore ——

「あ」

 と、私は思わずつぶやいた。茶柱ちゃばしらが立っていたからだ。確か、この茶葉を買ったのは三日前。それでは、「幸運」が届くのは明日頃かしら、なんて考えながら私は夜をいでいた。


 ——ひっく。


 科学的な、話すのもはばかれるほど長い行程の処理によって生み出された「必ず立つ茶柱」が、非常に低い確率で商品に封入ふうにゅうされているのはよく知られていることだけれど、まさか本当に存在するなんてね。生まれてから何度も茶葉を買う機会はあったが、一度も茶柱など立ったことはなかったから。誰もいない部屋で私は思わず声を出してしまった。

 茶柱が立つと幸運が訪れる。具体的には茶葉を購入してから四日から五日後、製造会社から「幸運」という名の「御礼金おれいきん」が届く。

 嬉しくて、珍しく口笛なんて吹きたい気分になったけれど、今は夜もけにけているのでやめておこう。蛇がどこからか、私を睥睨へいげいしているような気がしたから。


 ——ひっく。


 ああ、そう。そうだ。今、何をしているか。私は説明しなければならない。事の発端ほったんは今夜の流星群。私はとある事情で、星に願い事を叶えてもらおうと考えている。

 ただ、一つ問題があった。昼の天気はあいにくの曇天どんだったのだ。しかし、幸いなことに、遠く西の空は晴れている。迷信だけれど、天気は西から東に変わるというので、夜には遅くとも真夜中には晴れているだろう、と予想したのだ。

 夜更かしが苦手な私だけれども、今夜ばかりは、うたた寝して、「This man」に出会うわけにはいかなかったし、夢電車の中で猿と戯れるわけにもいかなかった。

 そこで、私は迷信にすがることにした。本当か嘘かは知らないが、お茶を飲むと眠れなくなるらしい。そして茶柱が立って、今に至る。


 ——ひっく。


 短針は十二を示そうとしていた。テレビは砂嵐か、気だるい報道番組。砂嵐を見れば安楽死、もう現実にきてしまった方にオススメ。報道番組を見れば、最新の知識。まだ、現実を知り足りない方に。

 別に、ニュースが好きというわけではないけれど、現実に飽きてしまったわけでもなかったので、報道番組を見ることにした。「信頼できない語り手」が、一礼をすると、ちらり下へと視線を移す。


 ——ひっく。


「それでは最初のニュースです。SCP財団エージェントが『ゴミ箱に捨ててしまい遺失いしつした』とされていたSCP-048ですが、今日、同社の公式会見から、ゴミ袋の下とゴミ箱の間に放置ほうちされていたことがわかりました」


 私はお茶を飲みながら、「へえ、見つかったんだ」と一人つぶやいた。誰もいないのに、ひとごとを言うなんて、悪いくせかもしれない。


「この騒動によるオブジェクトクラスの変更は無いそうです。この騒動について、関係者のS博士は『適切な収容がなされなかったことについては全くもって遺憾いかんである。ただ見つかってよかった、安堵あんどした』とコメントしました」


 確保Secure収容Contain保護Protect。何一つ出来ていないじゃない。いや、収容はある意味していたのかもしれない。ただ、それはコンテナの中ではなくて、ゴミ箱とゴミ袋の間だなんて、全く愉快ゆかいな話だと思うわ。ねえ、そうでしょう? と私はに問いかけてみる。


 ——ひっく。


 それにしても、あんなにお騒がせなことをしても、あの財団の地位が失墜しっついしないのは、同業者がいないからだろう。寡占かせん市場って恐ろしいのね。 


 ——ひっく。


「次のニュースです。全国の書店員が選ぶ、いま一番売りたい本を決める「本屋大賞」。受賞作が決定しました。

 ノミネート作品から選ばれたのはウィルフリッド・ヴォイニッチ氏によって発表された『ヴィオニッチ手稿しゅこう』でした。全国の書店では、華やかなポップがえられて平積みになっている本書を見ることができます。

 これについてヴィオニッチ氏は『非常に喜ばしく、名誉あることだと感じている。これを機に、この手稿に記された驚くべき事実を周知にしていきたい』と熱意を持って語りました」


 やっぱり、「ヴィオニッチ手稿」だったのね。私はあれを心の中で「あれは大賞を獲るだろうな」と薄々感じていた。内容は知らない。まだ読んでいないからだ。しかし、あれが今年のベストセラーだろうと出版関係者から注目視されていることは、本をあまり読まない私でもよく知っていた。

 きっと別の世界線でも、あの本はベストセラーだろう。


 ——ひっく。


「以上、ニュースの時間でした」


 ニュースが終わり、時計の短針と長針は仲良く揃って十二を指した。

 アポカリプティックサウンド。七人の天使によって作り出される、不規則で大音量なラッパの響きが、終焉――ただ、これは「世界の」というよりは「一日の」と付けるべきかもしれない――と新たな世界の始まりをしらせる。


 ——ひっく。


 そろそろ、第四の壁をぱらうべき時じゃないの? と思ったけれど、それはやめておこう。せっかくの雰囲気が台無しになってしまうから。


 ——ひっく。


 第四の壁といえば。私はほんの一週間ほど前の思い出を回想しながら考える。

「不信の宙づり」って素敵だと思う。

 この前、サン・ジェルマンと見に行った映画。彼――もしくは彼女――には伝えなかったけれど、あれはダメだった。映像の隅にカメラマンの影が映っていて。

 そこで私は初めて気付いた。ああ、私は映画に入り込めていたのだと。集中と想像力によって、私は映画の世界を追体験ついたいけんできているのだと。そうでなければ、カメラマンの影に気づいた時、「ああ、ダメだわ」とは思わないから。


 ——ひっく。


 ねぇ、あなた。つまり、私の言いたい事はこういうことなのよ。創作物には必ず、本質がかくされている。創作物、例えば映画。例えば小説。例えば迷信。そういったものの裏側には何かが隠されているに違いない、と。

 隠されているもの、例えば悪意。例えば善意。熱意、プロパガンダ、教訓。そういうものが隠されているに違いない。それを読み取る力が、この物語の世界でも、私が元居た世界でも必要なのだということ。


 ——ひっく。


 ああ、これで九十九回目。そろそろ死が怖くなってきた。この「しゃっくりを百回すると、死ぬ」っていう迷信でさえ、死を連想れんそうさせて、怖くさせて、びっくりさせて、しゃっくりを止めるためっていう本質が隠されている。

 フォークロアは、ただ怖がらせたいだけではない。まあ、この世界は迷信フォークロアこそが全く疑いようのない真実なのだけれどね。信じようと、信じまいと。


 ——ひっく。


 これで、百回目。なんとか星に「しゃっくりを止めて」と願いを込めたかったけれど、雨も、しゃっくりも、止まなかった。

 せめて、狐が嫁入りしていればよかったのにね。なんて、私は自嘲じちょうしながら、意識はゆっくりと闇にさらわれた。微睡まどろみ、泥のように。音もなく、静かに。誰も気付かない。ああ、さようなら。フォークロア。美しき、フォークロアよ。










 P.S.

 私は不思議なことに。清々しい朝が来た。窓を見ると、スレンダーな彼が手を振り笑っている。私はきょとんとしながらも、手を振り返す。

 そういえば、あれからいくら待っても茶葉の製造会社から「御礼金」は私の家に届かなかった。迷信フォークロアには、本質があるものなので。


(了)


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