いつもと変わらない最高の目覚め

白川 夏樹

ありふれた目覚め

 頭の奥からカチコチと部屋の目覚まし時計の秒針が時を刻む音が聞こえてくる。

 無意識から有意識に切り替わる瞬間。

 僕はもうまもなく起床するのだろう。

 たまにそういうことが「分かる」時がある。

 しかし、今回はいつもと若干違った毛色であるようだ。

 いつもよりもっとこう……心地よいような。

 なんだかこれから極上な目覚めを体験できるような、そんな予感に駆られたのだ。

 はて、なにか特別なことをしたかしらんと、僕は昨日起きてから寝るまでに起きたことを思い出すようにしてみた。


 昨日は確か、母さんに起こされて目が覚めたはずだ。

 いつもは僕より遅くに起床する母が珍しく早起きして、朝食に僕の好物の明太子おにぎりとあさりの味噌汁、牛乳にたっぷりひたったコーンフレークを作ってくれたのだ。


 上機嫌で靴紐を下手くそな蝶結びで仕上げ、玄関を出たあと、庭でまだ眠そうにしている飼い犬のペロを三回撫でて歩き出した。

 通学路途中の三叉路で親友のマサトと合流し、先日のサッカー代表戦の話や部活のレギュラーや練習の話など、ありふれた会話をしながら学校に着いた。


 と、ここまで思い出してみたが母が珍しく早起きしたこと以外はいつもと同じだ。

 これだけでは極上の目覚めの予感の裏付けとはとても言えない。

 では、原因はまだ先にあるのだろうか。

 起床が目前に迫っているのを尻目に、僕はもう少し昨日のことを思い出してみることにした。


 教室に入ると、まだホームルームまで時間があるというのに全体がザワザワしていた。

 教卓付近では僕とマサトが話していたように男子がサッカーの代表戦の話。

 教室の後ろの方にあるロッカー付近では、女子が、最近流行っているドラマに出演しているイケメン俳優の話で盛り上がっているようだった。

 あいにく、僕は健全な男子で、しかもサッカー部のキャプテンであるから女子の話ではなく、男子の話に参加することにした。

 先日の代表戦は、チームの昇格もかかった大事な試合だったこともあって、いつも以上に議論がヒートアップしていた。


 先生が教室に入ってきたのを見計らって世間話を打ち切り、席に着いたのもつかの間、後ろの席から背中を指でつつかれ、振り返るや否や無遠慮に折り曲げられた紙を渡された。

 これはなんだと抗議の目線を送ったが、後ろの席の奴こと河野はあごでその手紙を開けるように示した。

 何事かわからず、首をかしげながら開けてみると、そこには可愛らしい文字が綴られており、要約すると放課後体育館裏で大切な話があるという内容であった。

 意図を確かめようと河野の顔を振り返ったが、奴はまだホームルームの途中であるというのに机に突っ伏しておりその顔色はうかがい知れなかった。


 そんなことがあったからであろうか、そのあとの授業は全く頭に入って来ず、さらにその日の数学の小テストはさんざん対策をしたにも関わらず散々な結果となった。

 ただ、五時間目の体育の時間はその前の給食を満腹になるまで食べたおかげで、クラス対抗バレーに見事1位に輝くことが出来た。

 その瞬間は手紙のことなど忘れて、クラスみんなで円陣や胴上げなんかもやってみたりした。

 そしてなんと、担任から僕がクラスのみんなをまとめたことについて表彰までされたのだ!


 その事もあってウキウキ気分であったが、一日の終わりの清掃の時間中に我に返ってしまい、おそるおそる手紙の意図について考えてみたりした。

 だが清掃の時間が終わっても納得する答えが決まらず、約束の時間になってしまった。


 マサトに部活の練習に遅れる旨を伝え、一度下駄箱に行って靴をはきかえる。

 不安と期待がごちゃまぜの胸を抱え、約束の体育館裏へ到着すると、既に陸上部のジャージに着替えてこちらを待っている河野が見えた。

 早々に目が合ってしまったので、それを誤魔化すように手を振りながら近づき、簡単な挨拶をすませる。


 適度に会話をした後、河野が本題に入る合図をするように咳払いをし、熟れたリンゴのように赤い顔で僕に告白をした。


 その日、僕達は恋人になった。


 それまでいがみ合っているふりをしていた二人が実は両思いだったなんてよくある話だ。

 僕達はきっと上手くいく。

 お互い部活が終わったあと待ち合わせして、そのまま手をつないで一緒に下校しながらそう思った。

 途中、重い荷物を背負ったお婆さんの手伝いや八百屋さんのおじちゃんの昔話を共有しながらこれからのことも話し合い、名残惜しさも振り払ってその日は彼女と別れて帰宅した。


 玄関でただいま帰ったことを告げると、父と母、そして僕より早めに帰宅していたであろう姉から返事をもらった。

 その日の夕食は扉の前での匂いから予感していた通り、焼肉であった。

 僕は部活の疲れに加え、河野からの手紙の心労もあって空腹の限界を迎えていたので、素早く自分の席に座り、毎日欠かさずやっている命への感謝の意を述べた。

 僕は心境の変化からか、いつもは遠慮していたわさびを使って肉を食べてみることにした。

 それははじめての刺激で、どうしても涙が止まらなかったけど、父が褒めてくれたことと、少しだけ大人になった気がしたから良い経験になったのだと思う。


 明日が休日であるからだろうか、いつもはあまりお酒を飲まない父も既に三本缶を開けており、上機嫌で大相撲の番組を見ていた。

 母はママ友、姉も友達と電話しながら心なしか浮き足立ったふうでいる。


 しばらく時間が経って若手漫才師のコントに大笑いしている父と明日の準備をしている母に就寝の挨拶を終え、既に寝ているであろう姉がいる部屋の向かい側にある僕の部屋に入り、電気もつけずにそのまま布団にダイブした。

 そうして携帯電話を開き、今日交換したアドレスを使って河野と二、三回やり取りした後、満ち足りた気持ちで毛布を被って目をつぶった。




 ここまで思い当たったと同時に脳から起床準備が出来た体に命令し、いつもより心持ち軽い瞼を開け、ベッドから起き上がると、僕は思い切って部屋のカーテンをバッと開いた。

 そのまま締め切った部屋の窓の鍵を開け、ガララッと全開にしてみると、三月も終わりかけの快い涼風と雀の微笑ましい掛け合いが頬を通り抜ける。

 大きく伸びをして数回深呼吸をし、極上の目覚めを全身で甘受する。

 一階でトースターの焼き上がる音が聞こえた。香ばしい匂いに期待を膨らませ、本日の朝食の予想をしつつ、ふと思う。


 今日も幸せだなぁ。







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