1-8 逆転


 ♠♥.


 人と人との中身が入れ替わるなどまるで出来の悪い御伽噺ファンタジーのように思えた。第三者としてそれを目の当たりにしている桜よりその感覚を共有する当人達が一番そう感じていたことであろう。


 「あー・・・お前。いやさぁ・・・入れ替わったとかマジで言ってんのか?」


 そわそわとして涙目になっている眼帯の少女と先程までの怯え方からは想像もつかないほど落ち着き払った様子の制服の少女を交互に見ながら怪訝そうな顔をして桜が言う。


 「まあ、そうとしか言えないな。なんか足がベトベトして気持ち悪い。君、強姦されたのか。未遂ならいいが事後なら最悪だ。妊娠してないか明日にでも検査を・・・」

 「いや、なんでおまえはそんなに落ち着いてられんだよ!?ありえねーだろ!こんなの!!普通!」

 「なんでって、こうなってしまったらこうなってしまったんだろう。受け入れるしかない」


 桜はもう一度首を左右に動かして“ジャックだった”少女と“ジャックになってしまった”少女を見やると、頭を抱えてため息を吐いた。今出会ったばかりの見知らぬ少女は悔しい程に挙動も、その話し方も、短くない間側にいた相方と変わらなかった。


 「あー・・・ジャック?とりあえずお前はもういい。で、そこのジャック。いや・・・君はどういった経緯でここに?」


 そう問われると眼帯の少女は返す言葉も無く下を向いて暗い表情をした。恐らくこうなる前はこの手のトラブルとは無縁で平穏な世界で育ってきたのだろう。この一夜での経験はラフでタフ過ぎた。


 「あちゃちゃ、ごめんな。傷口抉っちゃって・・・それじゃあまず君の名前を教えてくれないか?」


 少女はゆっくりと顔を上げて憂鬱げな表情のまま桜を見つめ、返事を返す。


 「陽菜子・・・結城陽菜子です」

 「陽菜子ちゃんな。私は桜!まあこんなナリしてたら信じられないかも知れねえが少なくとも君の敵じゃないさ。よろしく」


 そう言って桜は手を差し出した。胴体の前に殺しの道具、自動小銃アサルト・ライフルを提げているとは思えない程思いやりに満ちた優しい笑顔で。陽菜子もまだ震えが止まらない自分の手を差し出して桜の手を握った。


 「私・・・すごく怖かった」

 「だろうなぁ。普通の女の子ならこんな事経験しねぇよ。すぐに日常に返してやるから安心しな」

 「私の身体ごとか?それは困るな」


 ジャックが二人の会話に割って入った。


 「こんな奇妙な事が起きなければ私達の事を口外すれば殺すと釘を刺してそこらに放る事も可能だったはずだがこんなのはイレギュラー中のイレギュラーだ。対処法が思い浮かばない」


 ジャックの「殺す」という言葉を聞いて陽菜子は体を一気に硬直させ、眉間にシワを寄せるとぽろぽろと涙をこぼし始めてしまった。そして泣き出した少女を見て桜も体を震わせ始める。少女と同じような恐怖感ではなく怒りのために。


 「お前って奴はぁぁぁぁぁ!!!!!」


 桜はジャックに強烈なゲンコツをかました。先の銃声に比べたら可愛いものだがそれでも大きく、鈍いゴンッという音が室内に響いて「いたた」と大して痛くも無さそうに真顔で言ってジャックはたんこぶを撫でる。


 「お前アタシがせっかくこの子をケアしようとしてんのに横から物騒な事ホザいてんじゃねえよ殺すぞ!頭をスイカみたいに吹っ飛ばされたくなきゃ少しくらい黙ってろ!!」

 「これは私の身体じゃないぞ。私の魂を滅したいが為に部外者の身体の一部をスイカみたいに吹っ飛ばすと発言する桜の方が物騒だと思うが」

 「なら貯金だ!貯金!お前が元通りこの憎たらしいチビボディに戻ったら溜まったフラストレーションをブチ撒けてやるからな!!」

 「それは嫌だな。それくらいなら元の身体に戻るのも億劫だしこのまま彼女の身体に寄生するのも妙案だ」

 「お前クソ減らず口を・・・」


 ぷっ。と吹き出す音が二人の口喧嘩を遮った。桜とジャックが同時に音の方を振り向くと陽菜子が手で口を押さえてクスクスと笑っている。少女らしい無邪気な可愛さで。


 「おいジャック、お前も笑ったらこんな可愛い顔できてたんだぜ。宝を持って腐らせてっからこんな風にバチが当たんだよ。悔い改めて」

 「桜も眉間にシワを寄せて怒ってばかりだと歳を取る前からババア顔になるぞ」

 「あ!?てんめぇぇぇ・・・」


 ついに陽菜子は大きな声で笑い始めた。そんな陽菜子を見てジャックと桜も顔を見合わして苦笑する。


 「まあ・・・でもどうすっかなぁ。お前が言う通り身体が入れ替わっちまってるから色々とややこしい」

 「難しくとも解決できる事柄ならいいさ。しかし具体的な解決方法が無い。私達どころか人類が未だかつて遭遇した事のないケースだろう?手も足も出ない」


 確かにその通りであった。解決方法も無ければ今後二人が自分の身体を何も無かったように取り戻せるとも限らない。死ぬまでこのままかもしれないと。そして生活様式や各々の義務といった日常でのあれこれに束縛されるのは個人個人の魂ではなく肉体、表面的なイメージである。いくら陽菜子が今までごく一般的な高校生活を送る女子高生であっても殺し屋の少女の身体と顔を持ってしまった今となってはそのジャックの顔を被ってしまった陽菜子は彼女を知る者にとって同業者や敵に過ぎないのだから。それはジャックにしても同じ事である。


 「とりまこんな所に長居は無用だぜ。アジトに帰ろう」

 

 桜は短く嘆息してそう言った。


 「正気か?黒鎧こくがいの皆がこんな馬鹿げた話を信じるとでも?」

 「な事言っててもしょうがねえだろ。お前が言ったようにこうなっちまったもんはこうなっちまったに過ぎないのかもな。逆に多数の意見を聞いた方が今後どうすべきか見通しが付くかも知れない」

 

 そして会話が止まった。そんな二人を陽菜子は不安げに見ていたがふと、仕切りの隙間から覗いた悪漢の亡骸を見て平静さを取り戻していた陽菜子を再び精神的ショックが襲った。陽菜子の気が遠くなる。


 「おっと」


 桜はそう呟いて倒れそうになった陽菜子を支える。不思議なもので、普段は冷たく凍ったような表情を浮かべていたジャックの顔が今では見知らぬか弱い少女の顔をしていた。

 かつて桜は自衛官だった。そして彼女は思い出す。かつての自分が帯びていた使命はこんな無辜な市民を護る事だったのではないかと。それがこの国の、そして世界の汚い側面を見て目が腐ってしまう前に自分が心から望んだ理想だったのではないかと。ジャックが言った通り解決する術が無かったとしても自分がまだ一国民を救い出す事ができるのなら―――そんな事は些細な話であった。


 「撤収だ」

 


 逡巡の後に自分の物だった身体を抱く桜に背を向け、ジャックも短く答える。


 「了解」


 この日、天使あまつか市内の建築事務所跡が全焼する火災が発生した。そして高山県警は現場に焼け焦げた空薬莢や火に焼かれる前から銃殺されたであろう男達の死体を発見しながらも事件性は無いとの判断を下したという。そして数日もしないうちにこの一件は高山県民の記憶から遠い国の話のように忘れ去られてしまう事となった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る