第19話:思い出は砂の向こう
私はからくりの外観をデッサンし、タウラくんは現時点での分析結果をレポートとして紙に記述する。
「仕事手伝ってもらっちゃって……ごめんね」
「いえ。ああならなかったら分析は姉の役目だったのですし、お気になさらず」
「ありがとう」
温泉に入ってさっぱりした。お陰で仕事もサクサク進む気がする。
「デッサン上手ですよね」
写真でなくてデッサンなのは、からくりの姿そのものを記録に残すことで妙な影響が出ないようにしているからだ。
「そう?」
「美術の才能のない僕からしてみれば、職人の皆さん絵が上手くて羨ましいです」
「
「お互い様なんだね」
角度を変えて描く必要があるから作業が長い。のんびりと雑談する。
「タウラくんの奥さんはどこに?」
「寛光です。明日までイベントなので、妻が落ち着く頃に僕も合流するよ」
彼の奥方は絵を描くことで魔法を放つ。美術と工芸は近しいもの。たまに魔術学部で顔を合わせることがある。
「すれ違っちゃったか」
「今回は姉がお目当てでしょうに」
「ぐ……そ、そうだけど……」
話していると、絨毯をとふとふと踏む一人分の足音が聞こえた。
「お待たせ」
「んぅ」
毛布にくるまれたルピネちゃんを抱き抱えたまま、アネモネさんがやってくる。華奢な女性に見えても彼女は竜。見た目以上の身体能力を誇るのは言うまでもない。
ルピネちゃんを毛布ごと私の座るソファに置く。
「母上、抱っこやめちゃうの……?」
「ルピナスのおもてなしをなさい。タウラもあなたの分までお仕事してるのだから、きちんとお礼を言うのよ」
「ん……」
母の言葉に、彼女は納得したように頷いた。アネモネさんも頷き返してキッチンへと向かった。
作業している間にすっかり冷めた紅茶を淹れ直してくれている。
「タウラ好き……ありがとう」
「どういたしまして」
「ルピナス」
「ん、な、なに?」
「きすして?」
タウラくんがペンをベキリとへし折った。
「ちょ……る、ルピネちゃん?」
「んふふー……」
すりんと頭を私に擦り付ける。初めて見るそれは、猫のような仕草だった。
タウラくんはレポートにインクが垂れるのを魔術で防ぎ、汚れた手袋を脱いでいる。からくりも他のテーブルに転移させていた。
(あわわわ……)
「お姉ちゃん、ルピナスさんが困っていますよ。人前で接吻などしてはルピナスさんも恥ずかしいでしょう」
「ん、そうか」
彼女が離れることには少し名残惜しい気持ちがあったけど、シスコンのタウラくんが気が気でないようなので安堵の気持ちが勝った。
「ルピナス」
「ん。……なに、ルピネちゃん?」
「私の名前……あなたと同じだから、結婚したらどうしよう……」
「…………」
「なんで普段プロポーズしまくってんのにキョドってんですか」
だってこんなお返事してもらえたことないもん……
ルピネちゃんに甘えられていると、アネモネさんがトレーを持ってやってくる。
「お茶が入りましたよー」
「ありがとう、母上」
「あ、ありがとうございます……」
「母上ありがと」
お母さんの袖を掴むルピネちゃん。可愛い。
「あなたは本当に甘えんぼさんね」
「んぅ」
ルピネちゃんを撫でたあと、私の前にカップを置く。
「ルピナスはお砂糖だったかしら?」
「あ、はい。……覚えててくれてたんだ……」
「もちろん覚えてるわ。ルピネがいつもあなたのことばかり話すから」
「……え?」
「お姉ちゃん、ミルクティーですよ」
「ありがとうタウラ」
ルピネちゃんはタウラくんと楽しげに話している。内容はからくりについての考察。
彼女は私の祖父母と親交があり、魔法機械について詳しい。レポートを書くにあたって助言を求められても的確に答えていた。
悶々としながら紅茶を飲んでいると、飲み干したタイミングでアネモネさんに手を掴まれた。
「ルピネ、タウラ。ルピナスとお話しするわ。きちんとなさいね」
「はい」
「わかりました!」
「え」
アネモネさんが立ち上がる。すごく自然な動作に見えるけれど、彼女は戦闘の達人。私が立ち上がらざるを得ないように力を加えて引っ立てていく。
リビングを出て、そばの扉に入る。
「ねえ、ルピナス」
「は、はい?」
「ルピネを幸せにしてね」
「話が飛躍してませんか⁉︎」
「していないわ。あなたが告白してルピネが受け入れたのなら、私たちはそれを見守るつもり」
「…………。女同士ですよ」
私の自意識や体質はさておいても、それは変わらない。
「私側は別にダメージないですが、そちら側は変な噂立つかも……」
ヴァラセピスなんてとうにきな臭い噂まみれだ。
「『敵対した貴族を闇討ちしている』、『呪いを駆使して都合の悪いものを自殺させている』、『屋敷に招待されて無事に帰ってきたものは居ない』、『縁談を潰すために皆殺しにした』……これ以上に噂が立っても痛くもかゆくもないわ」
どんだけ噂立ってんだよローザライマ家。
「……周りが受け入れるかもわからんですよ?」
魔法界隈はフリーダムなタイプと、前時代的な価値観を引きずるガチゴチのタイプに分かれる。私たちがそこで働くからには後者からあれこれ言われるのは予想される。
「その時は世界を灼くわ」
アネモネさんはうっとりとした顔でそう言った。
「私の娘の幸せを受け入れない世界なんて要らない」
彼女は竜だ。
かつての古代に神を(文字通り)
「……まあ、それは冗談として」
私には冗談は一切含まれていなかったと思えたが、アネモネさんは優しく笑って私の頬を撫でる。
「愛の形は人それぞれだから、本当に私たちは気にしていないのよ。ルピネが一緒にいて幸せになれる相手なら、パートナーが男性だろうと女性だろうと、自分に迷ってる人だろうと、いいの」
なんだか、胸が痛いほど嬉しい。
「あなたたちの職場での立場だとかで問題が起これば私の夫が手を回すでしょうし、タウラもなんだかんだで姉の幸せを応援するはず。ただし、直に誰かに攻撃された時は自分たちで反撃または融和をなさい」
彼女の竜らしさといったら。シェルがベタ惚れなのもわかる強さだ。
「ゆっくりと仲を深めてね」
「あ……ありがとうと言っていいのかな、それは……」
世界が灼かれずに済むということだろうか。
「どういたしまして」
――*――
僕は隙を見て姉の額に触れ、彼女に作用していた謎のアーカイブを打ち消した。
神のクラフトの作用は僕個人では打ち消すどころかいじることさえできないだろうが、スペードと同じ力を持つ《巨人の手》ならば容易いこと。周囲には、この手について解析向きであることしか伝えていない。
正気に戻った姉は、耳まで真っ赤になって毛布を抱きしめていた。
「お姉ちゃん、大丈夫ですか?」
「……だいじょばない」
「ほんとだ」
大変に混乱している。
――*――
とある砂漠の国で開かれた、魔法使いたちの集まるバザール。
露店の動く砂糖細工に見惚れていたら、人の流れに巻き込まれて母と弟とはぐれてしまった。
飴を舐めながら歩くうちに見慣れぬ風景に変わってしまい、私は自分が迷子であることを自覚した。
「……」
端の方のテントまでやってきたが、見覚えがないから入り口側ではない。案内所もない。
途方に暮れていると、端のテントに居た人が『砂が大変でしょう』と中に入れてくれた。
灰色のローブをフードまですっぽり被ったその人の顔は見えないが、影から緑の瞳だけ見えた。
テントの中には男性の他に灰色の髪の女性もいて、彼女は帳簿に何やら書きつけていた。
「……お店なのに、いいんですか?」
「いいんだよ。もう店じまいしたからね」
「売り切れ?」
「持ってきたもの少なかったし、他のお店より売り切れするの簡単だよ」
彼は私のローブのフードを払い、髪に含んだ砂埃を魔法で絡め取って足元に捨てた。
「はじめまして、小さなお嬢さん」
「はじめまして」
「訳あって俺と相方は名前と顔を晒さない。許しておくれね」
「……うん」
女性は帳簿を閉じて、私の方にやってくる。
「親とはぐれたのか?」
「母上と、双子の弟……砂糖細工見てたら、押し流されてしまった」
「あー……あそこなあ。毎年、店の配置が動線理解してねえんだよなここの運営」
「文句を言っても仕方ないよ。あそこら辺に集まる職人さん、腕がいいからね」
「褒めてる場合か。……なんか連絡できるもん持ってるか?」
通信用の魔法がこめられた術符を持っていたのだが、風で飛んで行ってしまった。しかし、私の位置を知らせるための宝石は所持している。時間はかかるが迎えはくる。
拙い言葉で説明すると、二人が頷いた。
「じゃあ、じっとしてた方がいいね」
「ここで待てばいい」
「ありがとう」
母たちを待つ間、男性はガラスと宝石を見せてくれた。
「キラキラしてるでしょう?」
砕けた透明なガラスの破片と、丸い宝石の粒。
「……うん」
「これをこうしたら、コップができるんだよ」
その指先には魔法があって、ガラスと宝石を液体のようにして混ぜ合わせ、形を整えてコップになった。
「!」
「お、見えるんだね。賢い子」
「んぅ」
撫でられた。
「キミはとっても賢い子だから、きっと素敵な魔法使いになるよ」
「……父上も、言う……『才能があるなら良い魔法使いになれ』と」
「ふふ。……そのコップはあげるね」
「大盤振る舞いだな」
当時の私には女性の発言の意図がわからなかったが、今では、男性がくれたものにどれほどの値がつくかも大体わかる。
彼らは迎えにきた母に私を渡して、テントを片付けて去って行ってしまった。
砂漠の思い出だ。
「……」
私はいま、自室にこもって手紙を書いている。
本日晒した醜態と、迷惑をかけたことへの謝罪。そして、
私は『普通』を垣間見た。私の好意の機能が普通であったならばああして恋をしていたのだろうとわかるような『普通』を。
ルピナスはいつも私に好きだと伝えてくれていた。ならば私も伝えなければならない。
……たとえ『好き』が一種類しかなくとも、私が彼女を好きであることに変わりないのだから。
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