馬、走る
こんにちは。
ただ今、血も涙もない貴族の令嬢に馬車馬のごとき扱いで働かされております。馬だけに。
そんな下らない愚痴を言いたくなるほど、颯真はこき使われていた。
唯一の楽しみである夕食時を前にして、連れてこられたのは別荘の裏手の丘の上。
足元をくすぐる草原と、吹き荒ぶ風に晒されながら、少女を背に乗せて立ち尽くす馬がいる。
魔獣と恐れられし
「さあ、500メートルダッシュ、後10本よ、颯真! ヘバっている場合じゃないだからね! 女の子の私だってこうして頑張っているんだから、だらしないわよ!?」
馬上から喝が飛ぶ。
すでに走らされること20本の計10キロ。
明日に迫った――というか、唐突に決められた明日の競馬の参戦に、付け焼き刃ならぬ付け焼き馬での特訓中だ。
「ひひん、ぶひひん!」(おめーは、乗ってるだけだろーが!)
「馬の言葉なんてわかりませ~ん」
颯真が意見するも、どこ吹く風だ。
「ぶひ、ひひひ~ん。ぶひ~ん」(この残念性格~。洗濯板~)
「なにー、そこになおれー!」
「ひひん、ぶひひひひ~ん!?」(やっぱ、理解してんじゃねーか!?)
そもそも本番前日に、こうして走って効果があるのかも疑わしい。
よく食べてよく休み、よく食べて英気を養ったほうが幾分かマシな気もするが。
一応、颯真は提案してみたが、「それって普段の颯真の生活よね」と、にべもなく却下された。
その通りではあったので、あえて追及はしないでおいた。
「あのね、颯真。あなたは馬のプロかも知らないけど、馬に乗るのは素人よね」
馬のプロ。単語自体初耳だな。
「人馬一体って言葉があるでしょう? 競馬ってのは、ただ騎手が乗って、馬が走るってだけじゃダメなの。騎手と馬が信頼関係を結び、お互いを知ることこそ大事なわけよ。馬と人は言葉を交わせない……だからこそ、こうして直に触れ合い、同じ時間を共有することで、意思疎通できるようになるわけよ。わかる?」
すごい尤もらしく諭されたが、もともと馬ではない颯真とレリルは普通に会話できるわけで、この特訓がまったく意味がないことが立証された。
颯真はレリルを問答無用で背から振り落とした。
「いったーい! なにすんの!? お尻打ったじゃない!」
「うっせ! 約束だから協力はしてやる! 明日はおとなしく俺に任せてろってんだ! この俺の華麗な走りを見てろ、楽勝だぜ!(※馬語)」
颯真はその雄姿を見せつけるかのごとく、尻餅をついたままのレリルの前で、草原を縦横無尽に駆け出した。
なにせ、颯真が扮するのはただの馬ではなく、魔獣
以前、このシービスタに来る際には、かの
速度・
まさに風と見紛うほどの全力疾走で駆け抜けては止まり、駆け抜けては止まりを繰り返す。
躍動感ある見目麗しい純白の馬体に、風になびく翡翠のたてがみは、神殿の壁画に描かれた神馬を彷彿とさせる。
中身が颯真と知るレリルでさえ、思わず目を奪われて溜め息を漏らしてしまうほどだった。
ひとしきり走り回ってから、颯真はレリルの元に戻ってきた。
スライム→人間形態へと擬態した颯真が、レリルに向かい合って地面にどっかりと腰を下ろす。
「ま、まあまあじゃないの、颯真にしては。そうね、これなら明日も楽勝そうよね。これだったら、颯真に任せておけば安心かもね」
見惚れてしまったことが気恥ずかしかったのか、レリルはそっぽを向いていた。
いつもならこの展開では、「ふふん、だろ? 余裕だっての」と颯真がドヤ顔で小馬鹿にした返事を返すはずだったが、今回は少し違っていた。
意気揚々どころか、意外にもその表情はどこか落ち込み気味だった。
「……どしたの、颯真?」
「いや、なんだ。ちょっとした問題が発覚してな。ま、大したことじゃないんだけど」
いつも飄々とした颯真が珍しく神妙である。
「どんな?」
「いやぁ~、どうやら俺、全力疾走すると曲がれないことに気づいたんだわな、これが」
馬なのに、曲がれない。
シービスタの町は増設を繰り返したきたため、周囲の道は入り組んでいる。
当然ながら、曲がり角も多いわけで。
「……それって、些細どころか大問題じゃないのー!」
「あ、やっぱ?」
日が傾きかけて影が伸びる丘の上に、レリルの悲痛な叫びが木霊するのだった。
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