帰宅

(ふ~。温泉に入りに来ただけだったのに、なんで魔獣との死闘を演じにゃあならんのだ)


 双頭魔狼ツインズフェンリルと猿の余りをいただいた後、颯真は山を降りていた。


 結局、残りの双頭魔狼ツインズフェンリルが岩場に戻ってくることはなかった。

 今でも山のどこかで狩りに勤しんでいるのか、もともとあの岩場には1体だけしか棲んでいなかったのか。


 どちらにせよ、颯真も好き好んで戦闘したいわけではなかったので、今回はこれで手打ちと勝手に納得していた。


 ラシューレ卿の別荘に人間形態で戻った颯真は、屋敷を出る前にいた部屋を覗いてみた。

 そこには出かける前と同じ格好で、ソファーの上でレリルがだらしなく大口を開けて寝息を立てている。


(こちとら、命がけで生存競争やってたってのに、呑気なもんだ……)


 そもそも颯真は生存競争をしに出かけたのではない。しかも、レリルには露ほども関係のない話だ。

 それでも、レリルのあまりに平和そうな寝顔に、颯真は呆れてしまった。


 テーブルにお菓子の残りがあったので、颯真はひとつを残して全部一気呑みし、そのひとつをだらしなく開いたレリルの口に放り込んでみた。


 もにゅもにゅと反射的に咀嚼してから待つことしばらく、レリルが目を覚ます。


「……うあ? あ、帰ってたんだ。おかえりー。どうだった温泉?」


 眠たげに目をこすって上体を起こすレリルは、二の腕で涎を拭っていた。

 隙だらけでとても淑女とは思えない姿ではある。


「いい湯だったぞ? まるで溶けるようだった」


 事実、溶けかけていたわけだが。


「溶ける? そんなときは蕩けるって言うんじゃない? 身も心も蕩けるような、って」


「たしかに溶けて蕩けていたな」


 颯真は言い直した。

 とろとろに溶けて、お湯にとろみが付いていた気はする。


「そうなんだ。よかったねー」


 何度も欠伸しながら、レリルはソファーで胡坐をかいて上体をストレッチしていた。

 それでようやく意識もはっきりしてきたようで、レリルは最後に大欠伸をしてから、「よし」と小さな掛け声ひとつ、自分の頬をぱんぱんと叩いていた。


「あ。でも、よく山に入れたねー。立ち入り禁止になってなかった?」


 飛んでいったからな。とは颯真は言わない。


 すでに熊などの別生物に変身できることはレリルにはバレているが、フクロウに擬態して飛べることについては、颯真は内緒のままにしている。

 レリルに飛べると知られようものなら、やれ空中散歩だなんやらと駄々をこねられるのは必至だからだ。連れて行くのも、断るのも面倒くさい。


「なんでも、山のほうに厄介な魔獣が棲みついたみたいでさ。旅行客が出くわして、あわや!ってとこだったらしいよ。えーっと、なんだっけ? ツイ、ツイン?なんとか? 頭ふたつの」


双頭魔狼ツインズフェンリルな」


「そうそう、それ! 普段は滅多に人里近い場所には出没しない、高ランクの危険魔獣らしいよ? 災害生物にも指定されているとか」


 どうりで、恐ろしく厄介だったわけだ。

 そんな危険生物がいるなら、前もって教えておいてくれれば助かったんだが。

 颯真は思ったが、そこまで期待するのは、ポンコツ気味の少女には酷かも知れない。


「言ってなかったけど、うちにも大きな露天の岩風呂があるからね。すごい本格的で、温泉好きにも有名な。これに入りたくて、わざわざ訪ねてくる高貴族もいるくらいだから」


 先に言っとけよ。とも言わない。


「せっかくだから試してみる?」


「いや、遠慮しとくわ」


 溶けるからな。と颯真は胸中で続ける。


 今回ばかりは、レリルの気の利かなさに助けられたかもしれない。

 スライムボディの特性を知らず、家風呂になど入った日にはどうなっていたことか。

 溶けて放心して油断しきっている間に、そのまま排水口にでも流されたらたまらない。


「あっそう。じゃあ、これから颯真はどうするの? 日が暮れるまでにはまだまだ時間あるけど」


 窓の外を眺めて、レリルが言う。


 昼の時間はとうに過ぎたものの、外は明るく日はまだ高い。


「そうだな。町のほうに出てみるさ。今日案内されたのは町外れのほうで、港近辺には行ってないからな」


「あ。だったら、私もご一緒していい?」


「いいんじゃないか?」


「やたっ。だったらちょっと待っていてね。すぐに用意してくるから」


 レリルはぽんっと手を合わせると、そそくさと部屋から出て行った。


 訪問初日から山に温泉、ついでに予期しなかった魔獣との戦闘と、少々ハード過ぎたかもしれない。

 明日からもまだまだ時間はあるのだ。

 港町をぶらつくくらいなら、温泉でのような厄介ごとに巻き込まれる心配もないだろう。


 颯真は窓から望む町並みを見下ろして、軽く嘆息したのだった。

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