温泉に行こう!

 海産物を活かした豪華な昼食、その後は部屋でカードゲームに興じ。


「さーて、そろそろ温泉に行ってみっか!」


 颯真はタオルを肩に引っさげて言ってみる。

 まさに、気分は温泉旅行である。


「あとは卓球台でもあれば完璧だけどな!」


「卓球台ってなに?」


「気にすんな」


 さすがに領主の別荘というだけあって、レリルのシービスタの別荘は、リジンの別宅並みの規模と豪華さだった。

 有名温泉旅館もかくやというほどである。


 シービスタの南側に広がる緩やかな丘陵は、麓には港町、その向こうに広大な海を望むことができる。

 貴族御用達の閑静な避暑地というだけで、町の喧騒などは遥か遠く、日差しは柔らかでやさしい海風の吹き抜ける過ごしやすい場所だ。

 丘の上に転々とする屋敷は、名のある高貴族から豪商人のものまで、数十を下らない。中には、王家縁の建物まであるとか。


 丘陵の端の一角、別荘からも見通せる丘の上には、樹齢100年を越す、恋を成就させると有名な伝説の木もあるそうだが、今日は見えないとレリルが首を捻っていた。

 今は俺の腹の中です、と言えない颯真は黙っていた。


「そういうわけで、ちょっくら出てくる」


 颯真がタオル片手に部屋を出ようとすると、だらしなくソファーに寝そべりお菓子を齧っていたレリルが不思議そうに問いかけた。


「どこ行くの? 浴場ならそっちじゃないよ?」


「ばっか。ここまで来て、なにが悲しくて狭い部屋風呂に入らにゃならんのだ。俺は本場を味わってくる」


 港町に程近く、丘陵からも見上げられる自然あふれる小高い山には、秘湯が数多く湧いていることは有名だ。


 温泉といったら解放的な広い浴室、そして壮観な露天は外せない。

 実は温泉好きな颯真の些細なこだわりだった。


「うちのお風呂も温泉引いているから一緒じゃない?」


「全然違うな! 温泉はシチュエーションとロケーションだ」


「そうなんだ、よくわかんないけど。じゃあ、ごゆっくり。山には獣とか出るから気をつけてね」


「おうよ! 行ってくる」


 まるで戦場に旅立つ兵士の決意を漂わせて、颯真はニヒルな笑みで応えた。

 剣の代わりに手拭い、盾の代わりに風呂桶を携えて――


 ちなみに、颯真は知らなかったが、レリルの父であるラシューレ子爵は、貴族間でも有名な温泉に造詣の深い御仁だった。

 本場の温泉を楽しむだけに建築されたこの別荘は温泉特化されており、野外に設置されたとんでもない広さの浴室には天然温泉の本格的な岩風呂があり、周囲の緑の景観、地平まで広がる海のオーシャンビューがコラボで楽しめる露天風呂となっている。

 夜には湯に浮かび、満天の星空を眺めるのも一興だ。


「うちのお風呂のほうがいいと思うんだけどな~。男の人の感性はわからないわね」


 レリルはソファーに仰向けに体勢を替え、食べかけのお菓子の残りを口に落とした。


「あ。そういえば今は山のほうに凶暴な魔獣の群れが棲み着いて、入山禁止の触れが回覧されていたよーな……」


 お菓子をもごもごしながら、ぼんやりと天井を眺める。


「ま、登山口には立入禁止の看板も監視の兵もいるし、気づいて引き返してくるでしょ。それに颯真なら、あの変化魔法があるし、獣たちとも仲良く温泉に浸かってそうだけど」


 レリルは目を細めてふふっと笑いを漏らし、いつしかそのまま小さな寝息を立て始めるのであった。

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